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空知社会教育研究協議会10周年事業・平成29年度空知管内生涯学習専門員研修会報告

〈平成29年8月29日投稿〉

8月17日に浦臼町にて表記の研修会がありました。これは空知管内の社会教育主事等を対象とした研修会で、この中で私に90分の講演依頼をいただいたものです。(下画像は私の前に講義をされていた模様です。)

 

講演のテーマは社会教育や生涯学習の趣旨を踏まえ、「あそぶ・学ぶ・動くで育む ~個人と地域の自己肯定~」というタイトルとさせていただきました。

 

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以下、簡単に概略を紹介させていただきます。
〈(注)あくまで沢山正解がある中における一つの考え方ということで捉えていただけると幸いです。〉

 

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①まずは個人としての自己肯定がどんなに大事か。そしてそれを育む大切な要素が「あそび」であるというお話をさせていただきました。

 

その次に②「自分たちのまちには何もない!」などと言われることが多いと思いますが、実は違って知れば知るほど誇りや愛着を持つことができる。これは地域への肯定感に繋がるのではないかという事を「岩見沢シビックプライド探求部」の活動を通して紹介させていただきました。

 

そして③私達の住んでいる空知という広域に目を向け、過去から歩んできた延長線上に価値を見出すことのできる「炭鉄港」の取り組みを紹介させていただく。

このような3本柱で90分間お話をさせていただいた次第です。

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平成28年度 岩見沢市議会 市民クラブ他都市調査(1)NPO法人 富山・イタズラ村・子ども遊ばせ隊

〈平成28年12月21日投稿〉

平成28年11月9日~11日の3日間、所属会派である市民クラブで他都市調査に行ってきました。

その内容を個人的な視点からご報告させていただきます。

《11月9日:1日目》

早朝5時半に自宅を出発。

富山に行くには都合の良い時間帯で直通便がなく貴重な1日を大きく失ってしまうのです。そこで羽田乗り換えで7:30千歳発の便としたのですが、実際にはそのもう一本後ろの便でも間に合うもの・・。しかし、この早朝便であれば一人約1万円程度航空運賃が安くなるという事を聞き、行政のチェック機関の役割を担うものとして経費削減はまずは自ら!との思いもあり、会派一致で早起きをすることに。。

飛行機は無事に到着し、そこからレンタカーを借りて富山市へ。

向かうはNPO法人 富山・イタズラ村・子ども遊ばせ隊です。

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なぜこのNPO法人を視察先に選定させていただいたのか。

それは現在の子どもたちを取り巻く遊び環境の悪化にあります。その悪化する遊び環境に対し、大人が如何に真摯に活動を展開していくかという視点において、非常に優れた視点と継続的な活動。また非常に悲しい出来事を乗り越えて今に至っているリアルな背景がありました。

このNPO法人を知ることとなったきっかけは、今年の4月にプライベートで参加した「こども環境学会全国大会・富山大会」の学会誌に掲載されていたものです。その時はスケジュールが合わずに参加ができなかったのですが、是非この度、志を同じくする会派のメンバーで調査に行きたいと考えたものです。

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平成28年第四回定例会 一般質問について(3)

〈平成28年12月8日投稿〉

前々投稿前投稿より続き

平成28年第四回定例会一般質問の読み原稿(案)その2です。

その主旨は前々投稿をご覧ください。

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2.子育て環境の整備について

(1)幼少期の遊び環境について

平成25年第三定例会や平成26年第二・第四定例会においても触れさせていただいている、子ども達を取り巻く環境に関連してお伺いいたします。

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平成28年第四回定例会 一般質問について(1)

〈平成28年12月8日投稿〉

今回の定例会では、12月12日(月)の登壇となる見込みです。
その内容と他議員の通告はこちらを参照下さい。
https://hiranoyoshifumi.jp/2016/12/08/7962

 

私は今回は2項目について質問することとなりました。

 

1 岩見沢市指定文化財について

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平成28年7月11日開催 活動報告会の内容について(2)

(1)より続く

 

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あらためて、岩見沢市の現状と今後の見通しを考慮した中で、私が活動のベースとして捉えていることがこの3つ(①地域経済②子ども環境③誇り・愛着)です。

まずは地域経済についてのお話ですが、これは昨年の11月の報告会で詳しく述べさせていただいた事から、今回の報告会においてもサラッと表面だけおさらいさせていただきました。

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岩見沢プレーパーク等あれこれ

イマドキの子ども達を取り巻く環境に危惧を感じ、”遊び”の重要性を考え始めて早数年が経過します。

今年の4月、東京の用事のついで(には遠いですが・・・)に、富山で開催された「こども環境学会」の全国大会に参加してきました。(ついでに富山市はコンパクトシティの推進でメジャーな都市なので、ライトレールにも乗り続け、こども環境だけでなく、まちづくりの息吹を満喫しまくってきましたが。)

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というのも実は来年、北海道にて「こども環境学会」の全国大会を主管することになったため。

これは北海道自治立志塾を主宰している中島興世氏を中心としたメンバーで、常に子どもの遊び環境を改善していくことを目指している事から手を挙げたものです。

そして5月に開催された自治立志塾にて、これまでの岩見沢プレーパークの取り組みを紹介させていただきました。

我々、岩見沢市議会所属会派としての動き、川崎こども夢パークからもらった刺激。その後、熱心なお母さん達との出会い。研究会の立ち上げ、会議、実践。継続。

そんなありのままの事をお話させていただき、岩見沢の子育て環境の進化を感じていただきました。

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ゼロの状態から、今のように継続開催されるようになったことは本当に素晴らしいことであり、林代表を始めとする運営スタッフの凄さを感じているところで、私も常に応援団として後方支援できたらと願っているところでもあります。

この立志塾の前日も、岩見沢プレーパークがシーズンインしました。

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北海道教育大学の芸術の学生さんが突如参加してくれたりと、更なる拡がりが期待されます。

そんなプレーパーク。次回は東山公園にて6月16日(木)14:30~16:30ぐらいまでの開催です。

前回運営側として加入してくれた学生さんによる段ボール遊びがメニューに増えます。

是非、段ボールやテープ、カッターなども持ってきてくれると楽しいかもしれません。


それにプラスして、いよいよ運営スタッフの念願だった山活が始まります。

その名も「森のようちえん ~お試し森のピクニック~」です。

6月5日(日)10時~

美流渡の私有地の山で開催されます。

下のチラシを見て、是非ご参加してみては如何でしょうか?

小さな子ども達にとって、かけがえのない経験の蓄積になると思いますよ。

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初となる森での開催。

是非ご参加してみてください。

お申し込みは岩見沢プレーパーク研究会代表 林さん 090-9528-4639まで!

子育て・教育カテゴリー 簡易まとめ版 ~目次~

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①現在の子ども達を取り巻く環境

A) 子ども達を取り巻く環境の変化

B) 教育と遊育 ~幼児期の遊びが大事な理由~

C) インターネット・ゲームが及ぼす悪影響

D) 子育て環境の懸念

②これからの子ども達に大事なこと

E) 創造性を育むために

F) 熱中力の素晴らしさ&居場所の力

G) レジリエンス(回復力・逆境力)を強化すべき理由

③教育・子育てカテゴリーまとめ

H)~まとめとして~


これまで、本カテゴリー内で細々と投稿してきたものが分散し、なかなか本意が伝わりにくくなっていると感じていました。そこであらためて、「現在の子ども達を取り巻く環境」について投稿をまとめてみました。

それをベースに、何が必要か、またどうしていかなければならないのかを考えて行けるように、今後も引き続き努力していきたいと考えております。現在お子さんを育てている世代はもちろんのこと、すでに子育て世代ではなくなった方々、またお子様のいらっしゃらない方々にとっても、社会全体の課題として状況を感じていただければ幸いです。

何分素人文章のため、読みにくい点等も多々あろうかと思いますが、そこは何卒ご容赦いただきたく存じます。

また、叱咤激励を含め、ご意見等がございましたら、是非メールやコメントでもいただければ幸いです。

何卒宜しくお願い申し上げます。

〈平成28年1月21日更新〉

H)子育て・教育カテゴリー ~まとめとして~

知れば知るほど、今の子ども達の置かれている環境が心配になります。

あまりにもモノ(物質的、情報的共に)に溢れ、それを一方的に享受する環境は、これから訪れる産業構造の変化、グローバル化の著しい進行による国際関係の変化、人口問題に関連する社会保障等の深刻な想定等々を含め、間違いなく訪れる困難な環境を切り拓く能力を高められているとは言い難いのです。

それらを考えていく過程において、幼少期の”遊び”が人間性を育む大事な時期だと言うことに気がつきました。でも社会が求める子ども達の姿とは大きな相違がありました。学校教育の過程においても、求められる人物像とそれを育むための手法とはやはり大きな開きがあります。

現在の学校教育の現場においては、創造性を育む教育を深めていく事はとても難しいと思っています。当然、教育行政を始めとする現場においても大変な努力はしていますが、それには限界があります。やはり教育現場よりも、保護者や家庭、周辺の大人の意識がとても大事だと認識をしています。

幼い頃から電子ゲームやインターネット等の受動的刺激にまみれ、その中で脳を刺激してバーチャルな達成感や優越感を得ている現状。実際にどうしてその環境に浸かり続けるかというと、脳科学を持ち出すまでもなく、親がそれを良しとすること。また、それ以外に面白いこと、やりがいのあることが沢山あるはずなのにそれを知る術がないという不運があると思われます。

「子どもは親の言った通りには育たない。親のやった通りに育つ。」

これは自らに問うと非常に情けない思いになりますが、全ての親が常に自問しなければならない名言であります。

大人が失敗を恐れずチャレンジする背中を見せる。失敗してもそこから何かを掴んで前に進む背中を見せる。上辺のメンツにこだわるような背中を見せない。恥をかく勇気。諦めない心。 努力、苦労の先の達成感を得る様子。etc.・・・。

いつの時代も外野から人のすることを上から目線で批評、批判したり、足を引っ張ったりするのは「自分では何もしない人」であると言います。決してそんな大人を量産してはならないと信じています。


 

平成26年に内閣府より公表された、「子ども・若者白書」から、色んなことをかいま見ることができます。

白書の中で特集として取り上げられていたのが、日本を含めた7カ国の満13歳から29歳の若者を対象とした意識調査です。

この内容を見ると、日本の若者は、「自分自身に満足している」「うまくいくかどうかわからないことにも意欲的に取り組む」「社会現象を変えることができるかどうか」「将来への展望」等々、そのほとんどが、7カ国中最低で推移しており、これからの人口減少社会、グローバル化で大きく変わっていく時代に適応するための能力である「たくましく逆境に向かい、クリエイティブな能力を発揮して新しい道を切り開く力」が著しく不足していると思われます。

同年4月に、シンクタンクである共立総合研究所が、「全国学力・学習状況調査」の結果をもとに、「生活習慣」「意思・人格」「家庭」「道徳・規範」等々の11の分野から都道府県別に偏差値化した、「いい子供が育つ」都道府県別ランキングが発表されました。

このデータを見ると、白書の特集では、日本は、国際社会の中でも非常に低い数値を示す中で、さらに日本国内においては、北海道は、総合ランキング47都道府県中46位であり、分野別に見ても非常に低い項目が目立つ結果となっています。

例えば、「難しいことでも、失敗をおそれずに挑戦しているか」という問題では、47都道府県中、最下位。「自分にはよいところがある」「人の役に立つ人間になりたいか」「テレビゲーム等をする時間の長さ」「地域や社会への関心」「自分の発言に対する自信」「言いたいことをうまく伝えることができるか」などなど、あらゆる項目でワースト5位に入る、非常に残念な結果となっています。

さらに、この北海道の中で岩見沢市がどういう位置づけかというのは、残念ながらはかるすべはありませんが、これからの時代を生きていく子供たちのことを考えると、国内での評価はもとより、国際社会で生き抜ける能力を身につけることを目指すべきであり、そのために、保護者はもちろん、岩見沢市の教育行政としても真剣に、どんなことをするべきかを考える事も重要だと思っています。

まずは、脳科学において重要な成長の機会として位置づけられる幼児教育期の「生きた体験」を通して、人間としての能力をはぐくむための環境づくりとその支援。

学校教育においては、岩見沢市教育行政方針にも掲げられているとおり、課題を解決するための思考力、判断力、表現力等をバランスよく伸ばす。また、自尊感情を高め、自己指導能力の育成等を含め、主体的に「みずからの思考を高め、具現化していく力をはぐくむ」ことを重視した、”実行力のあるカリキュラム”づくりが必要だと考えます。

それは放課後の時間かもしれない、若しくは地域との連携で生まれてくるのかもしれない。間違いなく言えるのは、「それは家庭が」とか「それは学校が」と互いに押しつけ合う意識が生じてしまっては絶対に成り立たないことなのだろうとも思っています。これが簡単にシステムを提唱、構築するだけで世の中が変わらない難しい部分であります。

だからこそ、現在の子ども達を取り巻く環境に対する危機感を一人でも多くの方々と共有し、出来ることから行っていくという気運が高まることを期待しています。


前段で述べたとおり、先進国の中でも日本の子ども達の評価は非常に低い状況、またさらには、その日本の中においても一段と北海道が心配な状況であるのは、常に車社会におけるドアtoドア環境や、インドアで遊ぶことが多いことによる身体能力の低さにあるとも言われます。体力と学力・知力・気力等との相関が存在すると考えるならば、やはり幼少期の遊び環境を我々大人が確保してあげる必要があると思っています。

そこで必要となるのが、行政として本気で子どもの遊び環境を確保していく意思を見せることだと考えるに至っています。ここの本気というのは、消費型のあそび場や、子どもではなく親が喜ぶ遊びでもありません。子ども達自らが自主性を持って、自らが磨かれていくあそび環境です。

その明確な意思表示になるのは、前恵庭市長の中島興世氏が提唱している「子どもが元気に育つ環境の整備に関する条例」の様に、行政の本気度を表し、市民が熱く共に守っていくことではないかと思います。(条例の内容に関する投稿リンク

ただ、その様なことを周囲にお話をしても、なかなか「ピンと来ない」と言われてしまう傾向もあり、これらの投稿の内容を簡素端的に説明することは難しく、どうしても共感を得るにはいたらない状況が続いています。これは子育てが終わった人はもちろん、現在幼少期の大切な時期を育んでいる保護者の方も同様です。それは致し方のない事であり、私自身、仲間を増やしつつ、少しずつ出来ることをやっていくしかないと考えています。

その一環として、拙ブログで細々と投稿させていただいてきた「子育て・教育」のカテゴリーの中で、根幹となりえるものをあらためて整理させていただきました。私自身、まだまだ知識不足、思い違い等が多くあるのかもしれません。それらは都度、補完、修正していきたいと考えています。また気づかいの至らないところもあるかもしれません。気づき次第、都度修正していきたいと考えておりますが、何卒ご容赦いただければ幸いです。

平成28年1月21日

 

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C)インターネット・ゲーム等が及ぼす悪影響

現在、幼いころに良く感じた「あ~ぁ、暇だ暇だ!やることがない!!退屈だ!!そうだ○○しよう!」という様な時間が限りなくゼロに近い様な気がします。それは私が個人的に忙しくなっているから・・。と考えると終わってしまう話ですが、決してそうではなく、ちょっとした空き時間にスマホでSNSをしてしまったり、サイトを見入ってしまったりという「恐ろしく素っ気ないこと」に時間を消費してしまっているからとも感じます。

これは子ども達にとっても同じで、暇あればタブレット等で動画を見たりして時間を浪費してしまっている現状。

実はこう言ったことは、我々の意思ではなく、人間の本能的な部分で悩に操られてしまっていることだと認識するに至りました。これは我々大人にとっても脅威ですが、これから五感をフルに使った遊びを通し、様々な体験をしていかなくてはならない子ども達にとっては、百害あって一利なしと言って良いほどのものだと思われます。もちろん、この様な情報社会において、上手く付き合っていくのは大事なことですが、その前にどのような危機があるのかを大人が把握していなければならないと思われます。

以下は、その危惧すべき状況について抜粋させていただきます。

子育て世代の方々には、面倒でも是非読んでみていただきたいと思っています。


平成26年12月に発刊された「インターネット・ゲーム依存症 ~ネトゲからスマホまで~」と題されたこの本は、これまで私自身が曖昧だった感覚を裏付けするための情報の一つとして大いに参考になりました。

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大ざっぱに表現すると(以下は全て正式な本文引用ではありません。あくまで私の個人的咀嚼の範疇の表現であることをご了承ください。正式には本を購入してお読みいただくことを強くお奨めいたします。)

①人間は目先の事ではなく、将来の「報酬」に向けて努力する。例えば、、スポーツにおいて厳しい練習を乗り越え、結果を出して賞賛される。辛い仕事を乗り越えて成功し評価される。人間はこの様な報酬系の行動を積み重ね、評価されることや、自分で逆境を克服していくことなどで脳が喜びを感じる。

②しかし、現実社会においてはそんなに容易には脳が喜ぶ様な結果を出すことは困難である。反面、ネット環境などでは、いとも簡単に擬似的に脳が喜ぶ要素に恵まれる。言い換えると、脳内に苦労せずドーパミンを放出することができる。

③あらゆる依存症とは、『努力なしに簡単に脳が「報酬」を味わえる』という性質を持っている。

④前述③の様に簡単に「報酬」を得られる事により、脳内において、わざわざ苦労して現実社会において微々たる「報酬」しか得られない行動を頑張ることが無意識下で愚かしく感じてしまう。まるで汗水たらして働くのが当たり前と思っている人が、急に宝くじに当たり続けているようなものになる。

⑤これら依存が進むと、「結果の呈示にだけ反応し、社会的な報酬や金銭的な報酬にさえ、あまり反応しなくなる」という研究結果が明らかになっている。

⑥それら感覚は眼窩前頭葉という脳の部分で「報酬系」という回路をもって機能している。ネット環境に依存する事により、その機能が正常に働かなくなることが科学的にもわかってきた。


◇基本的に「胸がときめくような行為」や「モチベーション、意欲を生む行為」の興奮系の報酬には、脳内にドーパミンの放出を伴う。そして脳は短絡的にその報酬を得られることに気付くと、本人の意思にかかわらず、心を操って依存化していく。そんな容易に心地よさをもたらす行為は、すべて依存性を生む可能性がある。

心地よい結果を生む行動は増え、不快な結果を生む行動は減る。というのが、行動心理学の根本原理である「効果の法則」です。

これらのことは私達の周辺においては極端であり、滅多にないこと。あったとしても非常に高度なオンラインゲーム等にはまっている様な人などの限られた話だろう!と感じるかもしれませんが、決してそうではなく、インターネット自体や単純なゲーム全般にその傾向が満ちあふれ、判断能力が育まれていない子ども達(私達に)にとっては非常に危惧すべき状況となっていると思われます。例えば、、、

◆E-MAIL。脳は心地よい行為を繰り返そうとする習性を持っている。メールチェックしたときに「褒められるような事」「感謝されるような事」「良かった!」と思う様なことがあると、脳はメールチェックをする事で報酬を得られるような錯覚に陥り、頻繁にメールチェックをするようになってしまう。心当たりはありませんか?

◆SNSも同様で、facebookの「いいね!」やコメントが入ることで、喜ばしいことがあったりすると、脳はその味を覚え、いつの間にかまた同じような事がないかと頻繁に繰り返し確認したくなる。ありますよね??

◆大して面白くもないのに、ネットサーフィンや動画チェックを長時間し続けている人も多いはず。これは、たまたま良い情報や刺激的な画像、面白い内容などを見つけた”歓び”の経験に脳が味をしめてしまい、また次もそんな刺激を得られるのではないかと「脳の報酬系が延々と我々を操っている結果」である。これも良く理解できますよね??私達も、つい長々とサイトや動画を見続けてしまいますが、これはたまたま良い情報を見つけた時の歓びを再現したいと悩に操られている結果という状況です。

これら短絡的な行為でドーパミンを放出させる行為に「依存レベル」まで達してしまうと、その反動として「その行為以外の生活において、もう歓びを感じられなくなる。それどころか深い落ち込みや無気力に襲われ、否定的な感情、空虚感や自己否定、希死念慮などに襲われやすくなる。と言われています。


これらをもう少し補足すると、依存に至る過程は行動心理学の「変率強化」で表現できると言います。

この変率強化とは、報酬(ご褒美)がもらえるかどうかが、いつも一定しない予期しえない状況におくことにより、その行動を強化する方法。例えば、部下が同じ様な業績を上げても、いつも同じ対応はせず、ボーナスがもらえたり、逆に叱られるような状況におくこと。

わかりやすくスロットマシーンやパチンコを例にとると、最初の千円で5万円勝つこともあれば、同じ千円をつぎ込んでもあっという間に無くなり、更につぎ込み続けて5万円負けることもある。

人間の習性としてこの「変化」に強く惹き付けられてしまうのです。金銭的に勝つか負けるかはギャンブルをしたくなる表面上の理由であり、その実態は「褒美がもらえるかもしれない」という期待と、それが「裏切られるかもしれない」という不安の間で心が揺れること自体が行為への依存を生み、ついには報酬に関係なく、その行為を繰り返すこと自体が病みつきとなると言われています。

パチンコやスロットマシーンに依存するようになると、勝ち負けには関係なく、とにかく賭けつづけたくなる。言い換えると「賭けるという行為が悩にとっての報酬」になってしまう。人生の大事な時間を犠牲にしてでもゲームやインターネットに興じるのも、その行為自体が報酬となってしまっている事と置き換えられるのです。

メールやSNS等に依存してしまう傾向には、明らかにこの「確立変動」による「変率強化」に影響を受けている。返信や書き込みといった報酬が常に変化することで不安を感じやすい神経質な状況におかれること。更にいつ返信や書き込みがおこなわれるかわからず、なおさら不安になりやすい。こうした不安を鎮めるために、確認行為が誘発されやすくなる。

前述の原理に当てはめると、その変動する確率ゆえに「心は脳の操作に負けてしまう。」という事がわかります。


この長時間ディスプレイに目を奪われてしまうのも、通常サッカーなら90分で終わります。映画も概ね2時間少々。長編小説も終わりが存在します。しかし、今ネット上に溢れている情報には終わりがありません。

MMORPG等のネットゲームにも終了の節目は無いし、youtubeは人生のすべての時間を費やしてもUPされている全ての動画を見ることは不可能な量です。SNSも終わりのルールはありません。そのため、「変率強化」による脳の深部からくる”衝動”によって、貴重な人生の時間を脳の司令による安易なドーパミン放出のために費やしてしまっているのだと思われます。

スマホを手放せない。手元にあるとついチェックしてしまう。

私自身もかなりこの傾向があります。まずはこのような悩のメカニズムを知ることが大事なのかもしれません。

そして、小さな子ども達や、今、様々な体験をしなければならない成長期の子ども達が、家の中でタブレットの画面やゲーム機の画面を見続けている状況に危機感を抱かなくてはなりません。

純粋に刺激的で楽しくて熱中しているのではなく、悩の深部からくる衝動に操られ、もの凄く貴重な機会を無碍に費やしてしまっているだけの可能性が非常に高いのです。


◇次に脳科学から見た弊害として、【当たり前の事ができなくなりつつある現状】を考えてみます。

『Go/NoGo課題と勤勉性』という考え方があります。

これは、小さい頃から「やりたくなくても、やるべきことをやる。」、「やってはいけないことはやらない」と自分の欲求を抑制する能力で、幼い頃から育む必要がある。

ただ、これは何でも我慢することではありません。

長期的にメリットがあることと、デメリットがあることに分けて、メリットがあることは嫌な事でも積極的にやり、デメリットのあることは、短期的にはメリットがあってもやらない。という判断をできることが大事。

こうした思考と行動の積み重ねが、脳の報酬系に勤勉な価値観の体験を創り上げていくと言われます。勤勉さとは、短期的には苦労だが長期的に報われることに励むことであり、短期的に快楽だが長期的には自分を損なう行為を慎むことである。

コントロールの効かない行き過ぎたゲーム・インターネット環境は、この大切な能力を物理的にダメにしてしまうことが懸念されています。だから私たちはもっと真剣に子ども達に対してルール作りをしていき、大人が積極的に守っていく行動が必要なのだと思うのです。


◇ネット環境が子ども達に与える負の面もご紹介します。

例えば、人にあって話をしたり、電話をするのが苦手な子どもがいます。

その子がメールによって緊張せずに自分の気持ちを伝える体験をした際、脳の中ではメールをするという行為と不快な体験が避けられたという結果が結びつけられます。結果、人に会って話をしたり、電話をしたりとすることよりも、メールをするという行為が強化され、益々現実のコミュニケーションに苦手意識が芽生えることとなるのです。

インターネット環境を伴う電子媒体に共通することとして、対面式のコミュニケーションを避けるということがあります。文章を中心にやりとりすることが多く、対人緊張の強い人や、社会的場面が苦手な人にとって、それらの媒体は「直接の対人関係という苦痛を避けられる」という”負の強化”として働いてしまいます。

新しい電子媒体から得られる楽しみといった正の強化だけでなく、直接の対人接触に伴うストレスや不快さを避けられるという負の強化も、益々の依存を生んでしまいます。恐らく私達が望んでいる社会はこうではないはずですよね。


これら、様々な科学的な視点からネット環境の危惧を表現していることが、非常に腑に落ちる展開となっています。

そして本書の第7章ではどうやって依存を克服していくかという事に向かっていくのが本の内容となっていますが、あまりにも長くなってしまましたので、その事についてはまた機会を見てご紹介できればと思います。

少なくとも今の私たちが行わなければならないこととして、インターネット環境を有する電子媒体は非常に便利で快適であるものの、その反面、とてつもなく大きな負の要素が存在しているということを理解すること。そしてその事実を大人も子どもも共有することが何より大事なのだと感じています。

昨年の10月に出すこととなった協議会メッセージにおいても、残念ながらその真意までは表現しきれておりません。

子ども達(大人も)が、なぜyoutubeなどの動画サイトに熱中しているのか。なぜ、長時間ネットサーフィンをしているのか。なぜ、長時間オンラインゲームに熱中しているのか。ただ、現実社会で群れる場所がなく、しかたなくバーチャル上で群れるためにやっているのか。でも実際にはそれだけではなく、脳がその短絡的な刺激を求めて、それに身体が支配されているということを気付かなければなりません。

その様な環境下、大人は子ども達がネットトラブルに巻き込まれない様にと、ただ見守るのみで良いのか?

私はずっと懸念だった事が、この本と出会ったことで明快に言葉になりつつあります。
ネットいじめや、ネットトラブルの当事者になってしまうことも非常に危険な事であり、絶対的に避けなければならない事ですが、人間としての大事な能力を育むべき時期における、貴重な機会・時間の浪費や、Go/NoGo課題と勤勉性という観点から言っても、多大な損失をしていることに気がつかなければなりません。

私自身、行政に関わる機会を得ている者の一人として、そして保護者として、地域の大人の一人として、もう少し、この危惧すべき環境にエネルギーを注いでいきたいと思います。

*青少年問題協議会におけるスマホ等のルールづくりに向けた動き
https://hiranoyoshifumi.jp/2015/02/10/4652

*青少年問題協議会で発行した啓発リーフレット
http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/media/k2/items/book/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88_151028021819.pdf

 

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b)教育と遊育 ~幼児期の遊びが大事な理由~

平成27年8月にこども環境研究会北海道第2回研究会があり、9月に第20回園庭研究会in恵庭&札幌で学ぶ機会(https://hiranoyoshifumi.jp/2015/09/17/6568)があり、そこでこれまで言葉にならなかった朧気な事が具体化できる様になってきました。

ここでは上記講演会等で聞いた遊びの重要性について抜粋していきたいと思います。


良く言われること → 【親がこどもに身につけて欲しいこと = 集団生活をすることで培う「社会性」】 しかし、これは一方的な指示や教育では培われることはなく、遊びを通して培われるものです。

ここで遊びの定義を考えると、環境に遊ばされている内は遊びではない。と断定することが出来るかもしれません。

 

例えば、鬼ごっこは遊びか?という問いがあったとします。

これに関しては、その時に鬼ごっこをしたいと思った子どもにとっては遊び。でも、その時に一人で静かにしていたいと感じている子にとっては遊びとは言えない。

これは今の一般的な幼稚園や保育園で行われる幼児教育として、一斉に同じ時間に同じ”あそび”をさせるのは無理だということを表しています。遊びとは自分からやってみたいと思うかどうかが何より重要なのです。

 

【遊ぶ = その子の世界】

一人ひとりの子にとって、やってみたいは沢山あるものの、AちゃんとBちゃんのやってみたいは全て重なるわけではありません。例えば砂遊び一つとっても、綺麗に山を作りたい子や、山の形はどうでも良いが、トンネルをつくるのに楽しさを見出す子もいるのです。似ていても全ての子が違う価値観「”私”というアイデンティティ」を持っています。

すなわち、遊びを通してアイデンティティの創造につながるはずが、現代の一方的な教育手法では、教育者の型にはまらないことは禁止事項となってしまう傾向があります。こういった要素で、遊び=自己の形成が不足すると思春期が第二幼児期になってしまうと言われます。自分が自分である原点をつくることができないまま大人になってしまうのでしょう。

結果、自分を認めて欲しくて、注目を集めるような問題(?)行動が出る。幼児期における「見て見て!」が続いてしまう。

大人はちゃんと子どもを見ているつもり。しかし、それはこの様に二つの異なる”育”、教育と遊育で隔たりがでてしまうと考えます。

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今の教育の流れでは、教える側に価値のあることを教える。よって、「遊ぶ」や自ら「育つ」ためのキタナイウルサイアブナイを禁止する傾向があります。それぞれの子どもにとって異なるアイデンティティを保持し、とても意味のある世界=遊育を認めてもらえない。これが、幼児期を終え、大きくなっても見てもらっていない。認めてもらってない感覚を引きずる。自己肯定感の欠如に繋がる。

教育者(保護者やほとんどの大人)にとって、思い通りになる子はよい子。子どもの「遊」の世界で価値観が合わないと”困った子”になりがち。真っ当な自己を形成するチャンスを失い、社会的承認を得られないまま大人になる傾向があるのかもしれません。


現代社会において、私達大人が気づかない大きな環境の変化が二つあります。

 

都市化、合理化、システム化等々の管理社会の到来

保育園や幼稚園、学校、放課後クラブ、習い事、、etc.それぞれに細分化されて進み、ルールにはめられる → 子ども達が逃げられない、逃がさない。という環境下に置かれ続けてしまう。

○危惧すべき多大化 

少子化の反対。子どもから見ると子ども一人に対して大人が多すぎる。大人の目を盗むことが困難。これらの要素により、自然な子どもの感じ方を無視し、小さい頃から「教える」「やらせる」「コントロールする」というプログラム化が進行してしまっている。

以前は当たり前にあった、大人の目を盗み、自分で遊育ができたはずが、その機会が無いので自己をつくる機会を得ることが困難。

だから、子どもがやりたい事を自由にできる場を大人がつくる事が必要~プレーパーク等によって、自分の価値観を押しつけず、遊育ができる器づくりが必要なのだと認識しています。ただ、これらはハードだけあってもダメ。全ての大人である教育者次第。今の社会的価値観は、この遊育を殺す方向で進んでしまっているのではないだろうかと大いに心配になります。


◆意思とは「快」「不快」に左右される【情動(心)】であり、善悪(正誤)は【価値観】である。

・公園に一つの滑り台があります。ある子ども達は通常とは逆に、滑る側から登り、階段から飛び降りる。普通に階段から登ったとしても順番を無視して横入り。子ども達同士の世界ではこれも正解。行儀が良い悪いといって大人が介入した瞬間から、遊育から教育に変わってしまいます。

子ども達にとってはせっかくのコミュニケーションスキルを育む場。トラブルを大人が事前に防止することで学ぶ機会を奪ってしまう。子ども達は沢山ぶつかり合うことが必要。子ども同士で噛まれても、大人が介入しなければ、噛んだ方が何か面白そうなことを始めると、噛まれた方も寄っていく。それで関係の修復。大人とは違う世界がある。それを大事にしていかなくてはならない。子ども達を信頼し、少し距離をおいて見守る力が重要だと思われます。

・集団で遊ぶのが苦手な子もいます。どんな子も【唯一無二のやってみたい】をみんな持っているはず。それを認めるべきなのでしょう。


◆脳科学では以下の3つが幼児期までに形成すべき「心」を司る部分で大きな影響があると言われています。

①「自律神経」~コントロールできる筋肉は意識的に鍛えられる。無意識下で動くものは鍛えられない。だから幼いころから自然環境で鍛える。暑い寒い、痛い、キツイ、嬉しいetc.五感をフルに活かした様々な経験を通し、タフに過ごすことも大事。これで自律神経が鍛えられると考えることができる。

②「免疫系」~楽しいと上がる。ストレスで失う。

③「内分泌系」~ドーパミンetc.しかるべき物質でしかるべき対処を行う。

人はこれらの三つ巴で動いている。その司令塔は「心」「情動」を司る恐竜脳と言われる古い脳部分。これを幼いころに目一杯刺激することが重要~現代は鬱等の精神疾患が多い傾向があるが、この部分が幼い頃に成長していないことが考えられる。

◆全ての判断の裏付けは「快」「不快」です。現代教育はこれを働かせないようにしてしまいます。一方的押しつけ教育に適した性格になるには情動は抑えられた方が「よい子」の評価になってしまう。そして親もそれを無意識に求めてしまっている。社会の価値観がそれを求めているのです。

◆アイデンティティ~私は私であるという根幹は「記憶」であると言われます。細胞は数年で総入れ替えするが、”私”を形成する記憶があるから”私”でいられる。この記憶は「情動」でより強まると言われています。

今、幼い頃の記憶がない大学生が沢山いると聞きます。子どもは環境に敏感です。環境的に「よい子」が求められると、それに無意識に応える様に育とうとします。それは自らの心の欲求である「遊育」の場を抑えることに繋がり、期待に応えるよい子でいるがために、情動が動かずに自己を失ってしまいます。そのために大部分が記憶に残らないことに繋がります。

アブナイキタナイウルサイを育む事の重要性として、育て方ではなく、自ら育つ場を保障する必要があるのだと考えます。


誰しも子ども達は健やかにのびのびと育って欲しいと思っているし、自主性のある人間になって欲しいと願っています。しかし、今の社会環境は上記の理由等を持ってしても、知らず知らずの内に逆行していると感じます。

私達大人や社会が子ども達に与えるのは「消費あそび」です。習い事やゲーム等、与えられた環境の中で遊ぶのです。環境に遊ばされている内は本格的な遊びではない。遊びがなければ工夫、創造あそびが発生しない。それは自己形成の機会を失うという事と言っても良のだと確信しています。

北海道は学力も体力も目一杯下位。

体力と学力は相関することがわかっています。ドアtoドア&インドアな生活。典型的な北海道の子ども達。もっと自然の中で、消費遊びではなく、工夫と創造性を刺激する本物の遊びの機会が必要。それをどう大人が保障するか。行政も実現に向けて真剣に考えて行かなくてはならないのです。

ここで唐突に自分の幼児期を振り返ると・・・。

誰に強制されたわけでもなく、周囲に気を使う典型的な「情動」を抑えた子どもだったと思っています。実は恥ずかしながら小学校高学年ぐらいまでほとんど記憶がありません。恐らく自力で生きていませんでした。妻には「多分その頃は人間ではなかった」と表現しています。それでも運良く様々な環境と出会い、ちょっと変わった経験を経て何とか人並み程度のアイデンティティを形成する事ができて今があると考えています。

だから、前述の「幼い頃の記憶がない大学生達」の気持ちは良くわかる様な気がするのです。それは日本社会全体が無意識に求めている”理想の子ども像”が生んでしまう現象だと思われます。その改善に向かって、もっと遊びの価値を共有すべきだと確信しています。群れて遊ぶのが子ども期にとても必要なこと。それがしにくい現代においては大人が器をつくることが大事。そして何より子どもだけに注力しても変わらない。大人が変わらなければ子どもの環境は変わらない。これが何より重要なこと。器だけでなく心が変わること。

そのためにどうしていけば良いか。

行政は当然、周囲の大人全員が問題意識を持って取り組んでいかなくてはならないことだと思っています。

 

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