カテゴリー別アーカイブ: 炭鉄港

日本遺産フェスティバルin倉敷へ参加してきました

《令和7年10月30日投稿》

10月25日(土)、26日(日)の2日間

日本遺産フェスティバルin倉敷

に参加してきましたので、少し報告をしたいと思います。

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日本遺産フェスティバル参加に関する通常の目的としては、ブースを出展し、炭鉄港を全国にPRすることが主体ですが、今回は第3シンポジウムの「シリアル型日本遺産のあり方~広域連携が生む日本遺産の魅力」にお招きをいただき、パネリストとして参加させていただく機会もいただきました。

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これは前理事長の吉岡宏高さんが確立した炭鉄港の枠組みの質の高さ、そして初期の炭鉱の記憶事業等から関わっていただいた関係各位の努力の賜物であり、その延長線上に、今、私がこのようにPRする機会をいただけていることに改めて感謝と敬意を表す次第です。


まずは少し順を追って紹介します。

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会場となったのは、倉敷市のアイビースクエア。

多くのレンガ工場郡が立ち並ぶ、クラボウの工場跡地です。

隣接して倉敷市の美観地区があるため、海外からの観光客も非常に多く、週末はものすごい人口密度を感じた環境です。

会場の中では沢山の日本遺産ブースが並び、炭鉄港推進協議会も物販のみならず、石炭の重さ当てクイズやSNSフォローキャンペーン等を精力的に実施。

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2日間にわたり、常時来場者が途切れない多忙な時間が続き、炭鉄港の認知を高めることができたかと思います。


1日目の終わりには総会がありました。

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次回開催地は古墳が数多く残る宮崎県となります。

ここで日本遺産推進議員連盟を設立された赤池まさあき前参議院議員と名刺交換をさせていただく機会に恵まれ際、大変光栄なことがありました。

実は「北海道の炭鉄港の平野と申します。」と名刺を差し出した際、赤池先生から「あんたが平野さんか!」とおっしゃっていただき、何のことだろうと思ったら、昨年12月に開催した炭鉄港フォーラムに祝電を寄せていただいた際に、私のホームページなども見ていてくださり、「地方議員で良く頑張っているのがいるので、一度連絡しようと思ってたんだ」という身に余るお言葉でした。

【炭鉄港フォーラム】
https://hiranoyoshifumi.jp/2024/12/16

その後、非常に重たい宿題もいただきましたが、すぐにはできなくとも、何とか尽力していきたいと考えています。

次は懇親会へ。

この懇親会については首長級を対象としていたものらしく、私のテーブルには来賓の赤池先生や公益社団法人日本観光振興協会総合研究所顧問の丁野先生の他、近隣の市長、町長さんがずらりと・・・。これは間違った・・・と思わざるを得ない非常に身の丈に合わない特殊な経験をさせていただきました。

そんなことであっという間に1日目が過ぎていきます。


二日目もブースは大盛況でありますが、この日はメインのシンポジウムが開催されます。

朝から第1シンポジウム「酒~風土が醸す物語を活かす~」、第2シンポジウム「古墳~遺跡が示す古代日本の姿を今に活かす~」と続き、第3シンポジウムに「シリアル型日本遺産のあり方~広域連携が生む日本遺産の魅力~」となります。

第3シンポジウムでは

■No.35 鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~

■No.39 荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~気前船寄港地・船主集落~

■No.68 本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命「炭鉄港」~

の3地域でパネリストとして参加。

そして、コーディネーターは 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群〜御食国(みけつくに)若狭と鯖街道〜を擁する小浜市の嶋田主査となります。

我々の炭鉄港としては、先日開催した炭鉄港3-DAYS Weekender 2025の取り組みを中心に地域連携のお話を展開させていただきました。

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各地で先進的に取り組まれている皆様のお話も聞かせていただき、大いに刺激をいただきました。

我々としても、現在取り組んでいる地域連携の手法はもちろんのこと、炭鉄港の魅力や価値についても理解していただけたのではないかと手応えを感じています。

※ただ、一地域単位としては非常にタイトな時間配分だったので、なかなか意を尽くすことはできませんでしたが、楽しい時間となりました。下画像は登壇の4名にて。

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最後の総括は、今回も様々にお世話になった公益社団法人日本観光振興協会総合研究所顧問の丁野朗先生(下画像左)。

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終了後には会場の皆様からも種々ご縁をいただき貴重な場となりました。

改めてお招きいただいた関係各位に感謝申し上げます。


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倉敷は北海道の寒さとは全く違いとても過ごしやすい気候と景観で素晴らしいまちでした。

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2日間を通し、全日程が終了した夕暮れ時に、レモンピール入のビールを外のベンチで飲めるほどの気候!なんとも羨ましい環境!!

取り急ぎ、簡単ではありますが、日本遺産フェスティバルin倉敷の報告まで!


本投稿はこちらの「炭鉱の記憶だより」に投稿したものを修正して投稿しています。

https://yamasoratan.blog.fc2.com/blog-entry-3601.html

炭鉄港3-DAYS Weekender 2025の開催について(特に岩見沢市内開催イベントの紹介)

〈令和7年9月17日投稿〉

昨年の12月に炭鉄港日本遺産継続に向けたフォーラム(日本遺産は認定から6年目で再認定かどうか文化庁の厳しい審査があります)でプレゼンさせていただいたことの一つが、各地に点在する価値を面に転換する取り組みを進めるコト。その中で浮かんだのが年に1度、特別な3日間を作ること。

春から準備を進めてきて、いよいよその開催が間近に迫ってきました。

炭鉄港を構成する15市町のうち、参加可能なところだけで、まずはそれぞれができる範囲で小さく始めましょうというコンセプトでしたが、準備が深まってくると13市町の参加で非常に賑やかなプログラムとなりました。

詳しくはこちらのサイトも御覧ください!
https://3city.net/post/18436/



そしてここからは岩見沢市議会議員として、岩見沢のことだけを紹介させてもらいます。

大きく4つのイベントを開催します。

1)岩見沢操車場跡地見学会

岩見沢は石炭を運ぶ鉄道の拠点として発展してきましたが、その象徴とも言えるのが東北以北最大と言われた大操車場で、当時は下図のような広大なエリアで24時間貨物車の入れ替えが行われていました。*場所は大和タウンプラザの裏手全域になります。

現在は広大な草地になっていますが、その中に下のような立派な櫓を立て、過去の画像等を見比べながら、そして実際に働いていた鉄道OBの方々から話を聞かせてもらうという企画です。

続きを読む

日本遺産「炭鉄港」その後

〈令和7年8月21日投稿〉

日本遺産は現在104地域が認定されています。

国の方針として、これ以上増やすことは想定していないため、丸5年が経過すると再認定に向けた審査があり、そこで評価が至らなければ、しかるべき機会に認定が剥奪となり、代わりにウエイティングしていた地域が認定されることになります。

炭鉄港は今年がその審査の年であったため、炭鉄港推進協議会事務局が中心となって作成した各種書類提出の後、5月には文化庁より審査員が訪れる現地審査がありました。私は貴重なこ゚縁の中でその審査にも同行する機会をいただき、非常に緊張感のある空気を味わうことができました。

その懸念していた結果が7月末に公表されたのですが、炭鉄港は無事に「継続認定」となり、それだけでなく他の日本遺産のモデルになりうるものとして、全国12しか選定されていない「重点支援地域」という身に余る評価をいただきました。

あらためて、これまで様々な活動にご尽力された方々に敬意と感謝を申し上げる所存です。

これまではコロナ禍もあり、各地でそれぞれに魅力の深化を進めてきたものの、いよいよ面としての連携を図るべく、今年の10月には炭鉄港3-DAYS Weekenderという催しを行います。これはなかなか各地をめぐる仕組みが作れなかった中で、点を面にするための起爆剤的な位置づけで、最初は小さく、そして徐々に大きく育てていきたいと思っているところです。


さて、その様な取り組みもありますが、やはりより盛り上がっていくためには、政治の力も必要と考えています。実は【北海道「炭鉄港」市町村議員連盟】という組織があり、これは日本遺産認定前に、何とか日本遺産認定を実現したいという思いで、そのバックアップのために2017年に植村真美氏(現北海道議会議員)と共に立ち上げたものです。

現在は当初の目的を達成し、今後の取り組み強化にむけ、まずは議員レベルが知り学びを深めていくことを目指して活動が継続されています(私は会長職を南川室蘭市議会議員に委ね、現在は相談役)。

その議連の研修会が昨日、小樽で実施されました。

各地の議員が集まり、それぞれの地域の現状や魅力、課題などに触れ知見を深める貴重な場となりました。

この炭鉄港は、まさに「今すぐには役に立たないかもしれませんが、いずれ必ず役に立つ」という言葉に即した、これからの時代に最も重要と思われる取り組みの一つです。

なぜならこのまま進めば、私達の地域は消滅可能性都市ばかりなのです。

よって他とは違う「共通の地域に存在する歴史文化」を活かし、良質な「ヒト・モノ・カネ」がめぐる地域にするために不可欠な要素であると確信しています。

よって、まだまだこれからが本番です。

多くの方々と力を合わせ、しっかりと実現に向けて取り組んでいきます。

*消滅可能性都市についてはこちらもお読みください

JR北海道苗穂工場移転誘致について【令和7年第2回定例会一般質問(要約)】

〈令和7年8月17日投稿〉

一般質問_JR北海道苗穂工場移転誘致について

これはJR北海道の「中期経営計画2026」において、苗穂工場敷地の活用について明記されていることから、岩見沢市として行動を起こすべきという視点での質問となります。

令和7年第2回定例会において実施した一般質問のYouTube動画を、生成AIであるGoogleの【NotebookLM】に読み込ませ、質問と答弁を要約したものを転載いたします。


4.JR北海道苗穂工場移転誘致について

(1)JR北海道グループ中期経営計画2026等による移転検討の情報を受け、岩見沢誘致の考え方について

【平野質問】

JR北海道の「中期経営計画2026」で苗穂工場の全面移転または現地リニューアルが検討され、跡地活用が明記されていることを確認。

・札幌市の再開発機運が高まれば、広大な苗穂工場跡地の開発が経済的利益をもたらし、移転の可能性が現実味を帯びるとの認識。

移転が具体化した場合、岩見沢市の旧総車両場跡地がまとまった土地と利便性を考慮すると、極めて有力な候補地になりうると提案。岩見沢が「鉄道の町」である歴史的背景も強調した。

・苗穂工場移転が実現すれば、多くの従業員や関連会社職員、家族を含め岩見沢市に大きなプラスの影響があることを強調。

・現状で移転誘致の可能性を探るためJR北海道と意見交換や協議を行っているか質問。

・今後、再開発の機運が高まった場合に機を逃さず対応できるよう、市として主体的な情報収集や構想の検討を行う必要があるか、市長の見解を問うた

*再質問では、レバンガ北海道のアリーナ計画が苗穂駅周辺も候補地とされている報道に触れ、移転の機運が熟す可能性が高いとし、改めて市として「本腰を入れて」取り組む必要性について市長の見解を求めた。


【市長答弁】

①現状でJR北海道との意見交換や協議を行っているか

・JR北海道の「中期経営計画2026」で苗穂工場のリニューアルに伴う開発が事業構想として位置づけられていることを認識している。

・新工場の建設は現在地での建て替えのほか、JR沿線の適地への移転も想定されており、岩見沢駅とその周辺も有力な候補地になりうると考えている。

・市としても、昨年の計画公表を受け、市の担当者がJR北海道を訪問し、中期経営計画の詳細や、土地の選定に関する情報収集を行っている。

・JR北海道は2027年度以降に具体化する構想としており、現時点では特段の情報はないが、今後もコンタクトを継続していく。

②主体的な情報収集と構想の検討が必要をどう考えるか

・市長就任直後から、札幌の土地計画上、苗穂工場エリアが問題になる可能性があるとして、JR北海道と情報交換を行ってきた。

・昨年、中期経営計画で一定の見通しが出たことを受け、これまでの協議内容も踏まえ、職員に改めて情報収集に当たらせている。

今後も一定の時期が来ればJR北海道社内での合意形成などもあろうかと思うが、それに踏まえてしっかりと取り組んでいく。


公式な議事録は現時点でまだ未公開のため、YouTube配信のURLを生成AIの「NotebookLM」に読み込ませて要約したものとなります。多少ニュアンスの異なる点などがあるかもしれませんことをご了承ください。

*この質問に関しては、6月24日付けの北海道建設新聞で比較的大きく取り上げていただきました。

5月末からしばらく怒涛の日々を過ごしています。

〈令和7年6月12日投稿〉

今年は例年より講演や授業協力の機会が多く、直近では、5月28日に関東の某高校修学旅行の受け入れに伴い岩見沢市内で2.5時間の講演(これは結構大変!)と30分のフィールドワークを対応。


5月30日は秩父別町にて空知町村監委協の研修会にて講演の機会をいただきました。


6月5日は夕張高校の授業&博物館ガイド

*夕張高校のInstagramより拝借


昨日11日は市内中央小学校の授業で岩見沢駅周辺フィールドワーク。


昨日の12日は美唄ロータリークラブ様の卓話にお招きいただきました。


今月の28日は下記画像の様に、美唄市郷土史料館にて講演をさせていただくこととなります。(もしご参加をご検討の方は、美唄市郷土史料館へ事前申し込みをお願いします)


美唄が終わると、30日の夜は小樽市でガイド向けのフォーラムへ。(こちらは小樽市のガイドさんを対象としているので、一般の方は参加できないようです)


さらに7月は市内小学校授業や某町団体の講座受け入れ、更には国の機関の職員様向けにお話の機会等々があり、27日(日)には、ありがたいことに歌志内市でも講演の機会をいただいています。

毎回、対象も講演時間(30分から2時間半まで)もテーマも違うため、準備に追われて大変ではありますが、やればやるほど自身の引き出しが増える実感があるのも事実。今は未熟な自分の能力を上げるためにも、無理してでも努力をすべき時期と覚悟を決めています。

そしてここしばらくは、これらと並行してメインの仕事である議会の所管事務調査の質問や、来週から始まる6月議会の一般質問(今回の読み原稿は過去一番の8,000字超)を作成し、まさに息つく暇もなく時間に追われております。

どちらも地域の未来のためになることと信じて努力していきます。

とはいえ、まずここ数日は16日(月)から始まる議会に全集中です。

北海道技能士フォーラム岩見沢大会にお招きいただきました 

〈令和7年2月18日投稿〉

表題のとおり、北海道技能士フォーラム岩見沢大会に講師としてお招きをいただきました。

これは毎年各地で開催される北海道大会で、今回は岩見沢で開催されたもの。よって、道内各地より主に建設業に携わる様々な技能を持った方々が約250名お集まりくださったようです。

そのような大きな大会の中で、大変僭越でありますが、日本遺産「炭鉄港」に関する講演の依頼をいただきました。

演題は「過去を知り、今を生きて、未来を描く ~日本遺産「炭鉄港」を通して見えてくるもの~」とさせていただき、幕末からの歴史の流れや、今後の未来に向けたまちづくりの話をさせていただきまいた。

残念ながら、前段の式典が終わると空席が出来てしまいましたが、それでもかなりの人数の方々が聞いてくださいました。

ご期待に添えたかどうかは全くわかりませんが、このような大会の記念講演に「炭鉄港」をテーマにしてお招きいただいたことは、これまででは考えられないようなことだと思います。

地域の歴史に合致したものとして、炭鉄港が認知されてきたことの証であると思うと同時に、これからはより一層、結果を出していかなくてはならないという覚悟を求められている気がします。

私自身、未熟ゆえあまり意を尽くすことは叶わぬかもしれませんが、またこのような機会がありましたら、喜んで馳せ参じますので、リクエストをいただければ幸いです。

今回はお招きいただき、このような貴重な機会を頂戴いたしましたこと、深く感謝申し上げます。

炭鉄港推進協議会総会・幹事会が開催されました&関与した冊子が2冊手元に届きました

《令和7年2月6日投稿》

コロナ禍により会議はオンラインで開催されていた「炭鉄港推進協議会総会・幹事会」ですが、昨日、多くの関係市町の首長様、担当各位をはじめ約60名の出席の下で開催されました。

コロナ禍以降はオンライン会議が主体だったため、私自身、対面では初めての出席の機会。

会議冒頭は推進協議会会長の美唄市の桜井市長、後段においては、副会長の小樽市迫市長、室蘭市青山市長、話題提供として安平町及川町長、夕張市厚谷市長のご挨拶の次、最後に僭越ながらNPO法人炭鉱の記憶推進事業団理事長として、ご挨拶の機会をいただきました。

私は現場に最も近い団体の一つとして、現在の炭鉄港の”手応え”についてお話させていただき、今後の地域活性化へと繋がる自信をお伝えさせていただいた次第です。

炭鉄港はもう一歩前進していきます。

(上記2枚の画像は安平町及川秀一郎町長様のfacebookより拝借させていただきました。)


さて先日、連続して冊子が届きました。

①文化庁監修『月刊文化財』

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②(公社)北海道地方自治研究所発行『北海道自治研究』

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①の文化庁監修『月刊文化財』は見開きページで、限られた文字数に納めるために字数以上に難航しました。しかも監修が文化庁のため、色々と制約もあり難しかったもの。また、普段はあまり馴染みのない「である調」なので、自分の書いた文章ではないような錯覚も生じたりします。でもコンパクトに炭鉄港の魅力を収められたのではないかと思っています。

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②の(公社)北海道地方自治研究所発行『北海道自治研究』は、北海道地方自治研究所よりお招きいただき、90分間で行った講演の文字起こしです。

編集部補足も含め全13ページ(約16,500字(400字詰め原稿用紙41枚分))の長編です。

編集を担当された方が非常に優秀で、こんなに自然な文字起こしと的確な補足は初めてです。

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後の原稿修正もさほど手間がかからず見事!


ということで、たまたまこの時期に集中してこの2冊が手元に届きました。

どちらも結構大変ではあったのですが、それも修行と思えばありがたき機会です。

※本文の画像は著作権の関係もあり、モザイクをかけています。

もし読んでみたい方がいらっしゃれば、『そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター』で手に取ることができます。昭和レトロなマネジメントセンターで、コーヒーでもオーダーしながらご笑覧ください。

岩見沢市郷土科学館でパネル展開催中

〈令和6年12月25日投稿〉

2025年1月5日まで岩見沢市郷土科学館の1階ロビー(無料部分)にて、北炭本社岩見沢移転120年記念パネル展を開催中です。

これは2024年の夏に「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターの石蔵展」として作成したものです。

A1用紙14枚の力作ですが、内容としては岩見沢が鉄道のまちとして発展するきっかけとなった、明治元年の石炭発見から、鉄道の敷設、北炭の本社移転から転出にまつわる明治40年ごろまでの岩見沢の動きを紹介しています。

様々な思惑と矜持を感じることができる展示になっていると思います。じっくりと読むには30分はほしいところかもしれません。ちなみに私が初めて製作したパネル展示でもあります。

本展示は2025年1月5日(日)までの開催です。
興味ありましたら、ぜひ御覧ください。

■岩見沢市郷土科学館
https://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/soshiki/shougaigakushu/bunka_sport_shogaigakushu/4/2/index.html

■そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターブログ記事
パネル展について
https://yamasoratan.blog.fc2.com/blog-entry-3489.html

炭鉄港日本遺産認定5周年記念フォーラムが無事に終了しました。

〈令和6年12月16日投稿〉

12月1日(日)に表題のとおり記念フォーラムがありました。

これは炭鉄港が2019年に日本遺産認定を受けてから丸5年を迎えるにあたり、今後訪れる継続審査(日本遺産の認定継続にふさわしいかどうかを再度審査される)に向けた機運向上を視野に、各地のプレイヤーのみならず、首長、道市町議会議員、行政関係者、炭鉄港ファンなど大勢の参加者に恵まれ盛大に開催されました。

また講演の和田哲さんを始め、各地からの登壇者も多いバラエティーに富んだ構成で、日本遺産認定から5年を経過しようとする現状と今後の展望について、様々に思考できる場になったと感じています。
炭鉄港はまだまだやることだらけ!これまでの5年間は基礎固めをしてきた時期であり、これからが本番だと考えています。


本フォーラムでは、私が拙い基調講演を担わせていただきましたが、改めて様々な気づきとエネルギーをいただきました。そして前日から今回のコーディネータ役を担っていただく丁野先生と各所に同行させていただき、本当に多くの学びをいただきました。心から感謝申し上げます。


炭鉄港には吉岡前理事長が構築してくれた様々なベースがあるがゆえ、此処から先はみんなで力を合わせ、どんどん前に進んでいけるような気がしています。


炭鉄港は今後の私たちの地域が持続可能な地域であるために、重要な要素を多く含んでいます。まずは日本遺産の継続を勝ち取ることはもちろんのこと、2025年は大きなステップの年に出来たらと考えています。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

北海道高等学校文化連盟 第46回全道高等学校図書研究大会(空知大会)の第4分科会を担当しました

〈令和6年9月29日投稿〉

昨年の12月にとある先生から相談を受け、令和6年9月に行われる全道高校図書研究大会(空知大会)を開催するにあたり、分科会として協力いただけないか?とお話をいただきました。

私自身、なかなか【図書】という部分において、どうしたものか?と困惑した傾向はあるものの、今、力を入れて活動している、日本遺産「炭鉄港」等の取り組みも、その歩みとなる歴史文化の切り口は地方史だったり企業史だったりするわけで、これらの活動と図書も決してかけ離れているわけではないと思いお引き受けすることとなりました。

そこで今回は「知識を力に!歴史文化を活かしたまちづくりに触れてみよう」と題して、約40分のミニ講演と2時間超えのフィールドワークを実施。トータル3時間弱の長丁場でしたが、感度の高い優秀な生徒さんも多く、こちらも楽しませていただきました。

参加された生徒さんたちは全道各地から20名+引率の先生という感じです。

石蔵内にて、みんなで自己紹介をした後に簡単な座学を実施。

日本遺産「炭鉄港」を通して、学生さんたちそれぞれの地元で、歴史文化を価値へと変換する取り組みに対し、少しでもヒントになりそうなお話をさせていただき、その後、フィールドワークへ。

(各画像は生徒さんたちのプライバシーのために加工させていただいていますことをご了承ください)

フィールドワークでは、岩見沢複合駅舎、岩見沢レールセンター、岩見沢発祥の地公園において、それぞれの「第一印象」を記録してもらい、その後、私の説明に関するメモ、最後にガイドを聞いた後はどの様に印象が変化したか、などを発表してもらうことにしました。

岩見沢レールセンターでは、北海道の運炭鉄道としてのルーツと鉄道網のこと。また薩摩とのつながりなどをお話することができます。

岩見沢発祥の地公園では、地名の由来や士族移住のことをお話することができます。

これら、色々な情報をお伝えした中で、予備知識のない状況で受けた第一印象とどう変化していくか。などと旧国兼家住宅の中で車座になって発表してもらいました(画像は冒頭に岩見沢市教育委員会の神田学芸員さんより邸宅の説明をしてもらっているところです)。

この後、元町の跨線橋(初代停車場があったところ)を経由し石蔵へ戻ります。

石蔵ではまた数名に感じたことを発表していただき、最後に少しだけまとめのお話をさせていただてい終了!

「歴史文化で飯が喰えるか!」と言われた時代から、現在は「歴史文化がなければ飯が喰えない時代」へと変化しつつある過渡期であること。また「君たちの地域はどんなまち?」と聞かれたら「なにもないまち」と答えがちだけど、決してそうじゃない。ちょっと図書館に行って地域史をめくるだけでも知らないことが沢山でてきて、シビックプライド(地域への誇りや愛着)が高まるはず。ぜひそんな情報を整理して地域活性化に活かせるプレイヤーになってほしいという希望も伝えさせてもらった次第です。

この様に高校生に3時間弱もの長い時間にわたってモノを伝えるのは初めてのことで、色々と心配はありましたが、終わってみればこちら楽しい時間を過ごさせていただきました。

ぜひ当分科会に参加いただいた生徒さんたちには、すぐにではなく、いずれどこかで、ちょっとしたフレーズの一つでも思い出していただき、活動に活かしていただければ嬉しい限りです。

貴重なご縁をありがとうございました。