カテゴリー別アーカイブ: シビックプライド

「イノキタ」さんとの意見交換会をきっかけに、北村地域の状況を見える化してみたいと思います。

〈令和8年6月9日投稿〉

昨日、18時30分から北村地域イノベーション推進協議会「イノキタ」の皆さんと、岩見沢市議会(主として広報広聴委員会+α)との意見交換会がありました。

イノキタさんは、「遊水池ができる北村を観光資源として活用し、地域の魅力を発信したい」という軸を通し、インバウンドを得意とする北海道宝島社の協力による農業体験や自然体験などを行っています。つい先日もハワイから13名を迎え、豆腐作り体験などをされている、非常に精力的に活動されている団体です。

お話を聞いていると、企画立案や対外的な活動の多くは女性が担い、男性陣がサポートするという流れになっているとのこと。

今回の意見交換会は議会側からのプレゼンと、イノキタさんからのプレゼンがあり、その後、3グループに分かれてテーブルディスカッションが行われました。

本当は皆さんの活発な様子を紹介したいところですが、私個人のページでの画像掲載許可はお願いしていなかったので、代表の北村さんの様子とさせていただきます(彼は岩見沢青年会議所時代の後輩で、卒業後も地域のためにアクティブに活動する貴重な人材です)。


私の参加したテーブルグループでは、交通インフラなど人口減少に伴う課題、また、積極的な活動を展開するにあたり、女性メンバーの広がりや連携についての話題も出たため、帰宅してから色々と分析してみました。

■まず岩見沢市の3地域の人口推移です。

※上記グラフは、1920年から5年刻みは国勢調査値、2005年以降については、短時間では地区別の人口を探しきれなかったので、2026年4月末まで一気に省略させてもらっています。

それぞれの地区の人口推移がイメージできるかと思います。

北村地区と栗沢地区は1955年前後をピークとして一旦急激な人口減少に陥り、1985年ぐらいからは緩やかな減少(緩やかとはいえ、地域に与える影響は非常に深刻だと捉えています)。

旧岩見沢エリアは2005年以降に減少度合いが急になってくる印象です。


■こちらは各地区の0~14歳未満、15歳~64歳、65歳以上を見える化したものです。

65歳以上の高齢化率は北村で47%、栗沢が48.3%、旧岩見沢エリアで38.2%で、現在の岩見沢市全体では39%となっています。逆に14歳未満となると北村で6.8%、栗沢5.8%、旧岩見沢9%、岩見沢市全体では8.8%と、少子化の状況が見て取れます。


■北村地区と栗沢地区の拡大版のグラフを貼っておきます。



こういうデータがあると、朧げに人口減少が進んでいたり、少子高齢化が進行しているイメージはあれど、実際のところどこまで進んでいるのか?という把握ができるかと思います。


■20~49歳の女性(地区別)について

テーブルディスカッションの会話で、実際に熱心に活動されている女性からお伺いした、「女性の参画」、「地域ごとの繋がり」というキーワードから、北村地区にそれぞれどれぐらいの女性がいるのかを抽出してみたのが下の表になります。

※年齢分けに関しては細かく分類せず、子育て世代前後というイメージで、便宜上わかりやすくするため、今回は仮に20~49歳で一括りとさせてもらっています。

北村は面積的にも広く、各地の地域性がしっかりしていることもあり、その枠を超えての連携というのは簡単ではないかもしれませんが、それでも今回話を聞かせていただいたイノキタのメンバーの皆さんと同じぐらいの世代の方がそれなりの人数いることがわかりました。

それでも皆さん、当然ですがそれぞれに仕事やライフワークなどもあり、この様な社会活動として取り組むのは簡単なことではありませんが、今回のイノキタさんの皆さんの話を聞かせていただいて、今後の展開に大いに期待を抱くところです。

※ちなみにこれらのデータは、市の公式サイトにある人口統計や、総務省の国勢調査結果など必要なところをダウンロードして、生成AIに入れて色々と指示を出せば、あっという間に出てきます。(細かなところは合っているかどうか悩ましい場合も多々ありますが・・・)

この様にAIが気軽に使える時代になってきたがゆえ、今後は自治体の持つビッグデータなどの活用が急速に進んでいくことを期待しています。そのためにはぜひ既存のGISを中心としたオープンデータのみならず、色々な情報が公開されると良いなと考えています。


さて、話を戻すと・・

イノキタさんは岩見沢市内でのインバウンドの取り組みが一歩リードしている印象です。しっかりと地域に「ヒト・モノ・カネ」の巡る環境づくりに向かっている気がします。我々の取り組んでいるシビックプライドや炭鉄港などとも共通していることが沢山あると感じます。

岩見沢市全体としても外国人が増えてくる傾向にあるので、ぜひ多様な取り組みで連携していけたらとも考えるところです。

ぜひ、今後の活動も応援していきたいです。

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令和7年度国勢調査【人口速報集計】を受けて

〈令和8年5月29日投稿〉

昨日から体調不良で、今日は午後からかなり辛い状況・・・。
今晩予定していた自衛隊募集相談員「睦会」の総会とその後の別件予定については、大変申し訳ないながら、先程、急遽欠席の連絡をさせていただいたところです。ご迷惑をおかけして申し訳ない気持ちです。

そこで、ズルズルと横になっていても気が滅入るので、ちょっと無理してPCに座り、発表になったばかりの「令和7年度国勢調査速報集計」をもとに、改めて色々と見える化してみたいと思います。

北海道全体としては、いよいよ500万人を切ってしまったそうで、この推移をグラフにすると以下のようになります。(以下のグラフは国勢調査データなので全て5年刻みの数値となります)

(↑)北海道全体としては、1995年をピークとし、徐々に人口減少が進んでいます。

では札幌市は??(↓)

(↑)札幌も2020年をピークに人口減少に転じました。


では岩見沢は??(↓)

(↑)北海道全体や札幌市と比較すると、かなり減少が加速していることがわかります。


ではここで、炭鉄港関連の15市町のデータを1枚で重ねてみます。

じっくりと見ていただければ、色々と感じるところがあると思いますが、旧産炭地は独特の人口減少ラインを描き、小樽、室蘭、岩見沢は程度の差こそあれ、徐々に、そして加速しながら人口減が進行中です。

様相が全く違うのは江別市です。
それでもしばらく右肩上がりが続いていましたが、札幌と比較すると2000年ぐらいに伸びが止まってしまった感じに見えます。そこからは横ばいに近い微減が続いている感じです。

参考までに日本全体の人口推移を見てみると・・・

公表されている国交省の長期的推移(↓)と比較すれば、いよいよここから日本全体の人口減少が加速することになります。上のグラフも、次の5年後や10年後にはっきりと減少のラインが見えてくるのかもしれません。

現在の速報値を反映した日本全体のグラフの形と比べてみれば、近郊では江別市が最も推移傾向(グラフの形)が近いのかもしれません。

それ以外の市町は、やはり日本全体よりは”かなり先”を行っていることになります。

報道でも、岩見沢市と室蘭市が2027年にも逆転するか?とも言われていますが、全体を見れば、そこに一喜一憂する要素は少ないことがわかります。

特に炭鉄港構成の15市町は、江別を除けば消滅可能性自治体へまっしぐらであり、何も抗わなければ将来は見えない状況です。しかし、それぞれの自治体が単体で抗って勝算があるかといえば、それはかなり難しい。

そこで、「150年前はほぼ人が居ない状況から、たった80年間で圧倒的なピーク人口に達し、その後65年間で一気に過疎化する」という、石炭産業に強烈依存することとなった地域の栄枯盛衰の流れを、世界でも例のない類まれな事例として【面の魅力】に昇華させることが大事だと思っています。

幸いなことに、小樽市の2025年度の観光客数が5年連続増加。宿泊客は初めて100万人を突破したとのことで、そのうちの数%でも空知エリアに来てくれれば、十分にホテル投資や付随する地域内経済循環、雇用増などの期待を描けるわけです。

その枠組みこそが現在取り組んでいる【日本遺産 本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命「炭鉄港」~】なわけです。

私は大いに可能性を感じていますが、その実現のためには、それぞれの市町が「イマダケカネダケジブンダケ」とならず、お互いに連携し尊重し合う「互恵性の仕組み」が必要だと思っています。

そのためには、まずはそれぞれの点の価値を高める努力が必要です。

その取組の一つが昨年から初めた炭鉄港3-DAYS Weekenderです。

こちらも昨日、2026年度の開催日程が発表されました。

今、新しい地域連携の形を実現すべく、色々と準備中です!

ぜひ急激な人口減少に伴う様々な荒波に抗って行きたいと思っています。


※今回も数値の収集からグラフ作成まで、完全にAIに丸投げしての作成なので、もしかしたら怪しいところがあるかもしれません。何か発見したらこっそり教えてください。

岩見沢SL保存会 ボランティア・会員募集のご案内

〈令和8年5月24日投稿〉

岩見沢SL保存会は、ほとんどの会員が80歳台ということもあり、現在、他の組織と同様に新陳代謝がテーマと言えます。しかし「鉄道の町 岩見沢」において、最近は岩見沢赤電保存会空知鉄道などとの協力体制や、OBの活動を下支えするI氏などのエネルギッシュな方々も多く参加するようになり、今後の保全技術の継承にも一定の期待が持てますが、やはりもっと沢山の若い世代がいなければ、この文化を残すことは難しいことになります。

そこで、この様な募集がなされているので転載します。

私自身もふらりと突然訪れても程よい距離感で受け入れてくれますので、興味がありましたらぜひ上記スケジュールのときに「初めてなのですが」と定期清掃日に訪れてみてはどうでしょうか?きっと快く受け入れていただき、良き居場所になるのではないかと思います。


技術的には、特に冬季間のシート囲いの技術はかなり高度で、全て木枠を設置してシートをかける周到さです。これは他の保存車両ではなかなか見られないこだわりではないでしょうか。美しく見事です。

ちなみに岩見沢SL保存会は、昨年の炭鉄港3-DAYS Weekenderにも鉄道OB自らがガイド役として参画してくれ、その御礼も兼ねて私も今年の春のシート外しに参加してきました。その時の様子をタイムラプスで記録してみました。

手際も見事なものです。

私自身の社会活動としては、炭鉄港全般の方に活動ウエイトがあるため、なかなかこちらの行事に参加することは叶いませんが、先日は塗装の塗り替えにあたり、古い塗膜を剥がす作業も始まったようです。ぜひ、お気軽に訪問してみては如何でしょうか!

岩見沢の風景〈雑談~スマホのアルバムから〉

〈令和8年5月23日投稿〉

スマホの画像を振り返ってみると、岩見沢の素敵な風景が残っています。
それらをちらっとお裾分け投稿。

こちらは最近話題になっている岩見沢市内某所の菜の花畑。
天気が良ければ匂いも強く、とても素敵な風景です。
うまく地先さんに経済循環が発生するような仕組みができれば、とても良い観光名所になりそうなスケールの大きさです。


こちらはバラ園の周辺の水田です。
風の無い早朝で、水田に水が張られ田植えが始まるまでの僅かなタイミングに運よく出会いました。


これは志文小学校跡の二宮金次郎像。

市内にこの二宮金次郎像はいくつ残っているのでしょうかね。


ここは毎年楽しみにしている総合体育館横の桜並木。
桜と言えば、市民会館周辺も綺麗ですが、あと数年したら万字交通センターの裏手や、朝日駅周辺もとても美しい桜の風景になると楽しみにしています。


こちらはいつも早朝散歩にいく消流雪用水貯水池公園の柳の木。

とても大きくて立派です。

この周辺はポプラ並木も見事です。

ちなみにこの公園は、早朝に行くことが多いので、日の出のタイミングや霧の風景など、毎日表情が違って楽しいです。

この公園はほぼ毎日行くので、色々な画像が山程あります(笑)


岩見沢駅の改札を抜けてホームへ向かう跨線橋の梁は古レールで出来ています。
中にはこんな北海道炭鉱鉄道会社が1890年にドイツのクルップ社に発注したレールもあります。

恐らくこれは明治25年に開通した室蘭線に敷設するために輸入したもの。
岩見沢駅はこの年に中央通りから現在の場所に移転しています。

レールの裏話はこちらから
https://hiranoyoshifumi.jp/2019/07/15/11433


これは美流渡に現存するスキージャンプ台。
紹介は旧美流渡中学校の歴史展示コーナーに記載してますので、そちらにも足を運んでいただければ幸いです。
https://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/soshiki/shogaigakushu_bunka_sportshinkoka/bunka_sport_shogaigakushu/4/16796.html


もっと色々と紹介したい画像がありますが、あまり長々と連ねるのもどうかと思いますので、次の機会に!

岩見沢はあらためて見渡してみると、とても良い風景や貴重な歴史が沢山あります。

岩見沢市絵画ホール・松島正幸記念館で”みねのまのおしごと展”を見学

〈令和8年5月18日投稿(遡り投稿)〉

たまたま、同じ5月31日(日)まで開催中の、炭鉱と炭鉱まちの絵葉書展の中に、昭和一桁台と思われる岩見沢市絵画ホール・松島正幸記念館(当時は岩見沢警察署庁舎)の画像がありました。

現在は、、、

という感じですが、内部は階段のつくりや各所の意匠に、当時の建築のこだわりが見られます。


さて本題。

今回の「みねのまのおしごと展」ですが、デザイナーの真野さんは、岩見沢駅を中心としたまちづくり団体「いわみざわ駅まる。」などでもお世話になっていて、私の選挙ポスターなども真野さんの手によるものです。

そんな縁がありましたので、先日、議会会派の会議後に見学してきました。

当時はまだまだ駆け出し感があったのですが、現在はすっかり実力派デザイナーとして一定の地位を築いていると感じるとともに、その活躍の場も大きく広がっていることと思います。
https://mineno.net/index.html

会期は5月31日(日)までとなりますので、ぜひ元岩見沢警察署の建築意匠等も楽しみながら見学いただければと思います。松島正幸氏の作品ももちろん、1階も2階も見どころが沢山です。

可能であれば、その足で「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」の石蔵展もご覧いただければ、活況にあふれる当時の炭鉱まちと共に、昭和初期の岩見沢の様子が残された絵葉書も見ることができます。(こちらも5月31日(日)までです。

樺戸道路(峰延道路)はご存知ですか?

〈令和8年5月13日投稿〉

現在の道道275号線、月形町と美唄市峰延を結ぶ「道道月形峰延線」です。

ちなみに西側が岩見沢市、東側は美唄市になります。

ここは明治14年に設置された月形の樺戸集治監と、翌年に設置された三笠の空知集治監とを結ぶ最短ルートです。当時、何か有事の際は、月形から石狩川を下り、幌向から陸路で三笠を目指すルートであったため、非常に時間がかかります。

そこで誰も踏み込まない湿地帯を貫く直線道路(厳密には泥炭の湿地帯を極力避けるため、1箇所折れ点があります)を開削したものです。


ここはその手法が強烈です。

測量は囚人が膝まで水に浸かり、測量する看守の船を押し、月形の円山と三笠の達布山で狼煙をあげ、その狼煙を目印に伐採と杭を打つところから始まります。

吉村昭の小説「赤い人」のシーンをAIで再現すると以下のような測量シーンになります。(あくまでAIによる想像図につき、色々とご容赦ください。)

砂利を敷き詰めたところでずぶずぶと沈下してしまう泥炭の湿地帯に道路をつくために、冬の間に切り出した丸太を凍った石狩川で対岸に渡し、それを筏のように敷き詰めて、その上に砂利を敷き詰めてできた道路です。

(下図、同じく生成AIによる作画)
※鎖の位置も腰に巻きたいのですが、何度やっても、どのような指示をしても何故か左右の足を結んでしまったりと、まだまだ上手く使いこなせてませんが、一昔前ではこんなものを作るのは自分には不可能だったことを考えると、これまた凄い時代になってきました。

実は今年の炭鉄港3-DAYS Weekender 2026では、月形町、三笠市、美唄市、岩見沢市の3市1町で協力し、この樺戸道路に焦点を当てるプロジェクトを準備中です。つい先日も各地の学芸員さんや担当職員の方にお集まりをいただき、秋の開催にむけ様々に方向性を協議したところです。

できればこの丸太がまだ埋まっているかどうかの調査も視野にいれていきたいのですが、道との協議の過程ではまだまだその実現は難しそうです。でも、この丸太が見つかったらまさに文化財としての価値は非常に高いものと思いますし、道路脇に説明看板とフォトジェニックな表示を設置できれば、地域の歴史を見直す大きなきっかけにもなるような気がしています。

これからの時代は、例えば岩見沢市単体で何かを実行しても、その効果は限定的なことがほとんどです。だからこそこの様な他地域との連携をwin-winの相乗効果とし、点ではなく線や面としての価値を高めることが交流人口や関係人口の創出に不可欠であると考えています。

ここは誰かに提案したところで”箸にも棒にもかからない”と認識しているので、私自身が関係者と協力しながらプレイヤーとして汗を流す覚悟です。


これは月形側で狼煙を挙げた円山の展望台からの風景です。遠くに樺戸道路が見えます。


明治の北海道に送られた囚人の中には、西南戦争などの士族反乱に関わった人々だけでなく、国会開設や自由な政治参加を求めた自由民権運動の関係者も含まれていました。彼らは、当時の政府から見れば秩序を乱す「国事犯」でしたが、別の見方をすれば、新しい日本のあり方をめぐって政府と対立した人々でもありました。

江戸時代から明治期へと、急激に時代が変化する中、国や環境を憂い、正しいことと信じた行動の結果、命を命と思わぬ人権無視の環境の中で、農地整備や道路開削などの北海道開拓の礎を担った人々の汗と涙の結果が今の私たちに繋がっています。

だからこそ、先日の報道でもあったとおり、その囚人たちの墓石を倒すなどの暴挙は、歴史を知らぬ浅はかな者たちの許せない行為なのです。今、私たちの価値観の中に、「歴史を知り、先人に感謝できる知識」が圧倒的に不足しているのだと思っています。

篠津山霊園において、樺戸集治監の囚人墓地にある墓石58基が何者かになぎ倒される器物損壊事件が発生

今年の秋に開催予定の炭鉄港3-DAYS Weekender 2026では、ぜひこの道路にスポットを当て、私たちの地域の歴史を見直し、その価値を共有する機会にしたいと思っています。

岩見沢市旧美流渡中学校交流館が開館しました。

〈令和8年5月1日投稿(遡り投稿)〉

令和8年4月18日(土)に、アーティストのMAYA MAXXさんたちが中心となって活動展開していた旧美流渡中学校が、消防法上で必要な設備を改修し、岩見沢市旧美流渡中学校交流館として再開しました。

https://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/soshiki/shogaigakushu_bunka_sportshinkoka/bunka_sport_shogaigakushu/4/16796.html

今後の活用は、主に「みる・とーぶ」さんの展示やワークショップなどで魅力づくりをされていくことになりますが、もちろん市民の活用も可能です。


なお、この施設の中には、炭鉱や鉄道などの地域の歴史に触れる「地域資料コーナー」があり、東部丘陵地域の炭鉱や旧国鉄万字線などを中心とした歴史文化に触れるエリアがあります。

実は、その”炭鉱と鉄道に関する部分”は、NPO法人炭鉱の記憶推進事業団として、以下のようなミニパネルづくりでお手伝いをさせていただきました。

その際、ミニパネルにあわせた画像を撮影するために、まだ空き地には雪が残る中ではありましたが、冬眠明けの初運転も兼ねて、志文駅から万字炭山駅跡まで、小回りの効くバイクで撮影ツーリングをしてきました。

以下はまだ準備中の画像ですが、右手の壁にはそれぞれの地域にあわせてミニパネルを設置しています。

地域資料コーナーでは、この様に映像なども見ることができます。

残念ながら見られるのは以下の期間と時間のみとなりますが、ぜひMAYA MAXXさんの作品などもご覧いただきながら、この地域の歴史にも触れていただければ幸いです。

【開館期間】
令和8年4月18日(土曜日)~令和8年10月31日(土曜日)(土曜日、日曜日のみ開館)

【開館時間】
午前10時~午後5時

ドイツルール地方からの訪問団

〈令和8年4月21日投稿(遡り投稿)〉

■4月15日(水)に旧北海道庁赤レンガにて、ドイツルール地域連合議員団が来日したことに伴う、日独友好北海道議会議員懇話会との交流会がありました。私は北海道「炭鉄港」市町村議員連盟の相談役という立場で参加させていただいた次第です。

ドイツのルール地方は、北海道の空知地方と良く似ていて、炭鉱の活況で栄華を誇り、エネルギー革命によって急激な衰退を経て、その後、見事なV字回復を果たしています。

※2019年に私がドイツに行ったときの投稿もぜひご覧ください。
https://hiranoyoshifumi.jp/2019/08/24/11574

今回は北海道議会議員である植村真美さん(NPO法人炭鉱の記憶推進事業団副理事長、元北海道「炭鉄港」市町村議員連盟初代会長)の尽力により、北海道議会の中に「日独友好北海道議会議員懇話会」が立ち上げられ、この度の交流となりました。


■4月18日(土)

水曜日は札幌での開催でしたが、この日はドイツ訪問団が朝から空知を巡る日程で、夕張や三笠の後に岩見沢にある「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」の石蔵にて、研修や意見交換、そして懇親会が開催されました。

私はNPOの取り組みとして、空知の現状や日本遺産「炭鉄港」の可能性や目指すところをお話させていただきました。その際、同時通訳があるわけですが、せっかくなので生成AIの力を借りて、プレゼン資料にワンポイント的にドイツ語を記載することで、より理解が深まるようにしてみました。

これは大当たりで、ドイツの方々にも非常に好評で、とても良い意見交換もできました。

「ドイツでも炭鉱は負の遺産と呼ばれ、様々な取り組みと苦労の上に今がある」
「地域にとって、あなたたちの様なキチガイがとても大事なんだ!」

などなど、ありがたい言葉をいただきました。

心配していたドイツ語の翻訳精度は、全く問題ないとのこと。

生成AIは非常に役にたち、もう日頃の仕事から手放すことができません。

もう少し時間が経過すれば、スマートグラスなどが当たり前になり、勝手に同時通訳もしてくれる時代となり、益々世界が近くなると確信しています。

ただそのときに日本の国力がどんどん低下し、円安が進行することで、海外客の受け入れは活発になったとしても、我々が海外にいける機会がどんどん失われるような気がして心配です。

実際に私も2019年のドイツ視察の時点から、随分と知識量が変化してきた中で、今、あらためて行けたら更に見えてくるものが違うのだろうと思っても、現在では、飛行機チケットもドイツでの滞在費も、あまりの高額にとてもじゃないけれど、もう一度行ける自信がありません。


下の集合写真は最後の交流会の後のシーンです。

私が三脚でシャッターを押したので、変な格好になってしまっているのは御愛嬌ということで・・・

いずれにせよ、明治初頭の政府が一丸となって海外の仕組みを取り入れたように、私たちもあらためて海外に学ばなくてはならないフェーズが来ていると感じています。人口減少と高齢化においては、世界のトップランナーである日本ですが、その解決策はどこにあるのか・・・。

なかなかその最適解は見えませんが、探すこと、考えることをやめてはいけないと思っています。

34年ぶりの文化財指定!辻村家ガラス乾板写真及び関連資料_文化財指定記念講演–岩見沢CivicPride探求部

〈令和8年1月25日投稿〉

2026年2月15日(日)

《34年ぶりの文化財指定!辻村家ガラス乾板写真及び関連資料_文化財指定記念講演》

を開催いたします。

主催は岩見沢CivicPride探求部(主宰 平野義文)となります。

辻村家のことをチラッとだけ紹介すると・・・

岩見沢市志文にある辻村家は、現神奈川県開成町の自作農四男であった辻村直四郎が、北海道に行けば自分の土地を手に入れることができると夢を抱き、東京農林学校(現東大)を中退して、いざ北海道へ。

これが、明治24年、22歳の若き直四郎の北海道開拓のスタートとなります。

その後、土地を入手できず、馬追原野(現長沼町)の開拓に従事するなど、紆余曲折を経ながら志文の未開地30万坪(約100町歩_1,000m×1,000m=約100万㎡)を入手し、活気に満ちた村落を築いていきます。

途中、農業経営も軌道にのり、経営を弟に任せ、明治32年から単身でアメリカに留学。日雇い労働等でアメリカの農業を視察研究。

明治39年には長女の”もと子”が誕生。後に、父直四郎の馬追開拓をモデルとした小説「馬追原野」を発表。

昭和19年には芥川賞の女性版とも称された第1回樋口一葉賞を受賞。(樋口一葉賞は戦時下のため、1度きりの開催。現在の樋口一葉記念やまなし文学賞とは別のもの)

その後ももと子は数多くの文学作品を残し活躍するも、昭和21年、腎臓病の悪化により岩見沢町立病院で生涯を閉じます。

志文(しぶん)の地名は、明治26年に直四郎が名付けたと言われ、その由来は「アイヌ語のシュプンペッ(修分別川)を基にしていますが、長女のもと子の作品「早春箋」の文中、直四郎夫妻の会話にて、「あなたは土に志をなすったのに・・・と申しましたら、いや俺達の子供に、ひとりぐらい文に志すものができるかもしれないと笑いました」とあり、まさに”もと子”がそれを叶えたと言えます。

辻村家には様々なエピソードが残されています

国道234号線を岩見沢市内から栗沢方面に進むと、ノースファームストックをすぎた辺りに鬱蒼と茂る林が見えます。その中には、決して華美ではなく、しかし材料にこだわった質実剛健な邸宅(大正2年完成)が現地に残り、そしてその鬱蒼と茂る林とは、直四郎が開拓時の様子を後世に伝えるべく意図的に設けた、ほぼ原生林の様相を残す「屋敷林」が現在も私たちに当時の様子を教えてくれているのです。

そんな辻村家には膨大な資料が残り、近年、辻村家資料研究会の方々の尽力により1000点を超える貴重な資料が整理されました。

その中の一つである、この度のガラス乾板写真は、当時、直四郎が記録した様々な貴重な情景を現在に伝えてくれています。

今回の講演会では

そのガラス乾板写真391枚を含む関連資料426点が岩見沢市指定文化財となりました。

それを記念して、ぜひ一人でも多くの方に辻村家のことを知っていただきたく講演会を開催します。

講演は「辻村家資料研究会」の3名が中心となります。


1)まずは当家の辻村淑恵氏より、辻村家の様々なお話を聞かせていただきます。

2)村田文江氏(元北海道教育大学岩見沢校教授)より、「何が写っているか?」という目に見えるもの、見えないもの両面の解説をいただきます。

3)写真家の佐藤祐治氏からは、テクノロジーと郷土写真の未来、辻村家資料研究会に参加した所感を中心にお話をいただきます。

11月3日に郷土科学館で開催(岩見沢市教育委員会主催)した内容のアレンジ版となります。


この前段には私から辻村家のアウトラインについて少しだけお話させていただき、後段では、岩見沢市教育委員会の神田いずみ学芸員より、総評をいただきます。

また、講演会としては非常に珍しいエンディングソングを1曲設けさせていただきました。

これは辻村家にリスペクトを抱いているシンガー、高橋圭介氏による「種を蒔く人」という曲で締めさせていただきます。

改めて、詳細については以下のとおりです。

ぜひお気軽にご参加ください!

  • ■開催日時:2026年2月15日(日)14:00〜(2時間程度を予定)
  • ■会場:岩見沢市生涯学習センター「いわなび」 研修室5&6
  • ■一般市民(60名程度の会場)
  • ■参加費 500円/人
  • ■申し込み:原則当日受付(予約フォームあり)      
  • ■主催:岩見沢シビックプライド探求部 主宰 平野義文
  • ■協力:岩見沢市教育委員会/NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団

原則、当日受付となりますが、席に限りがあるため予約優先とさせていただきます。

■申込みはこちらからお願いします。

https://forms.gle/axitAR1LWJKxpoL38

■お問い合わせは以下からお願いします。

岩見沢市内小学校4年生への授業協力

〈令和6年11月23日投稿〉

昨日の午前中は市内小学校から急遽依頼された授業協力。

お相手は4年生!ふるさと教育の一環で、岩見沢の歴史と炭鉄港がテーマとなります。バスを仕立てて8:45~11:50までの長丁場ですが、ルートは、、

学校⇒そらち炭鉱の記憶MC→岩見沢駅→岩見沢レールセンターからバスで移動し、万字炭山駅→万字駅→美流渡駅→朝日駅→上志文駅→志文駅⇒学校と連なる岩見沢炭鉄港ライン!

サブテーマは産業と交通の変遷による栄枯盛衰の歴史。

朝日炭鉱跡で細かな石炭を拾ったりしながら、賑やかな半日授業となりました。


■授業の結果として理解を期待するポイント

  • 岩見沢の生い立ちは?
    石炭と鉄道の関係性が大きく関与していること
    石炭って何?石炭のあるなしで何が変わった?
    地名の由来?

  • 鉄道による発展
    岩見沢がどれぐらい鉄道のまちとして重要な拠点だったのか

  • 志文の特徴(室蘭本線と万字線の結節点)
    志文駅起点の万字線沿線(上志文・朝日・美流渡・万字)を巡って何を感じるか
    万字線沿線の状況(過去と現在)
    変化の原因~まちが大きく変わる原因はいくつか存在する

  • 交通形態の変化 渡し船⇒橋/鉄道⇒自家用車
  • 産業の変化 林業・炭鉱⇒国際社会の影響で衰退

・沿線に果樹園が多いのはなぜ?

■授業の結果、印象に残り、今後の思考に活かしてほしいこと

◎地域の姿は変化し続けるということ。その理由は産業構造や交通形態が主で、これからはそれにプラスして人口減少が大きな変化を加速させる(栄枯盛衰)

◎自分たちの地域の歴史を知ること(自分たちは何も知らないんだ。ということを感じること)

◎歴史を知った結果、自分たちの地域に誇りと愛着をもつこと

◎これらをきっかけに多様なことに興味関心をもつこと

小学4年生には、ちょっと難しく言葉も理解できないことがあったと思いますが、実際に現地を見て、それぞれに何らかの印象を抱いてくれていたら良いなと思っています。