平成28年7月11日開催 活動報告会の内容について(2)

(1)より続く

 

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あらためて、岩見沢市の現状と今後の見通しを考慮した中で、私が活動のベースとして捉えていることがこの3つ(①地域経済②子ども環境③誇り・愛着)です。

まずは地域経済についてのお話ですが、これは昨年の11月の報告会で詳しく述べさせていただいた事から、今回の報告会においてもサラッと表面だけおさらいさせていただきました。

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その内容については、昨年の報告ブログをご覧下さい。

尚、その内容に基づき、昨年12月に本会議にて「一般質問」をしていますので、その議事録はこちらをご覧下さい

 


今回の報告会において一番懸念したのが、この「こども環境」のお話でした。

どうしても年配の方の参加比率が高いことから、このテーマにはあまり関心をしめしてくれないのでは?と思ったものの、実際には多くの方が話を聞きながら大きく頷いてくれている様子を見ることができたのが、この子ども環境のお話でした。

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(1)の最後でも触れた様に、今、行政等で積極的に行っている「子育て支援」というのは、保護者がいかに働きながら子育てができるかと言うような方向の視点が主です。(岩見沢市子ども子育て会議へのリンク

当然、その視点はもの凄く大事なことであり、また子ども目線の事業も無いわけではありませんが、まだまだ危惧すべき根幹があると思っています。

それは「あそび」に対する捉え方に表れます。

特に今の子ども達を取り巻く環境については、拙ブログでも一つのカテゴリーの中でまとめさせていただいていますので、是非ご覧頂きたいと思いますが、少しだけここでも触れさせていただくと、、。

 

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脳科学によると、人間の脳は8歳頃までに約9割が形成され、その殆どは「あそび」を通して構築されていく。と言われています。

たとえば、身体をつかって遊ぶことにより【身体性】が養われ、アメリカの作家、ロバートフルガムの本のタイトル「人生に必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ」とある様に、遊びを通して【社会性】を養っていく。また、自然あそびの中で、感受性、情緒性等を刺激し【感性】を育む。あそびを通して偶然の発見、発明などを繰り返し【創造性】を養う。失敗しても繰り返し挑戦し、征服した時の喜びを身につける【挑戦性】の発達。

これらは全て遊びを通して自然に身に付くものであるが、現在の子ども達の環境を見ると、インターネットやゲームに時間を割いてしまい、この大事な要素を身につける環境が失われつつある。(ゲームやインターネットでも似たような能力を向上させられるのでは?と思う方もいらっしゃると思いますが、こちらをご一読してみてください。)

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また、あらゆるシステム化が進んでいて、保育園や幼稚園、学校、学童保育、色々な習い事などで管理され、常にルールにはめられる環境に身を置いている。

少子化の反対の多大化の影響もある。私達が子どもの頃は大人の目を盗んでは冒険やちょっとしたイケナイ事をしたりするのも成長過程に大事な役割をしていたが、今は少ない子どもに対し、多くの大人の目があるため、常に監視されている状況。また、大人も悪気はないのですが、「教える」「やらせる」「コントロールする」と言うように、モノゴトがプログラム化される傾向がある。

社会の価値観の変化があり、大人の思い通りになるのが「よい子」、その価値観に合わないのが「困った子」

例えば、温泉ホテルなどの静かなロビーで、一心不乱にゲームをしているのは大人しくて良い子。「わぁ~川だぁ!!」などと景色に興奮し、大声で走り回るのが困った子という様な判断軸が表層の社会全体にあるように思われる。


そういった様々な危惧が背景にあり、岩見沢でも想いのあるお母さん達と連携して「岩見沢プレーパーク研究会」が立ち上がった。

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それから僅か2年間で、北海道教育大学岩見沢校との連携や、岩見沢市の公園緑地環境課の事業としてプレーパークが取り入れられる。また利根別原生林の今後の活用方針にも取り入れられるほどの進展を見せている。

この”キタナイアブナイウルサイ”を徹底的に肯定する遊び環境が必要。

それは教育行政も強く認識する必要があり、岩見沢の子ども達の遊び環境が「消費あそび」に明け暮れることなく、「創造性」を発揮できる環境を整えていかなくてはならない。

 

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それは何故か?

これからは激動の時代。

例えば・・

アメリカのデューク大学の研究者であるキャシー・デビットソン氏が2011年8月にニューヨークタイムズによせたインタビュー記事によると「2011年度にアメリカの小学校に入学した子ども達の65%は、大学卒業時には今は存在していない職業に就くだろう」というお話。(以前からかなり話題になっているので、少し検索すると様々な記事が投稿されています。【クリック】)

もう、「良い学校に入って、今をときめく成長企業に就職する。」というのは決して安泰ではないと誰もが感じています。

ごく近い将来、その65%が現在存在していない職業に就くという事は、言い換えればそれだけの職業が失われていくということと言っても良いと思いますが、例えば、今googleやテスラ、トヨタ等などが進めている自動運転の技術が確立されれば、私たちの周辺から運転手という職業が無くなるのかもしれません。更には3Dプリンター一つとっても、製造業や流通業界にとってどんな革命をもたらすのか未知数でありながら、恐ろしいほど高い可能性を秘めています。そんな話題は世間にはゴロゴロとしています。

また、その様な背景、ICTの進化などにより、これまで人間の価値として非常に重用視されていた、「何を知っているか」という事より、「知ったことで何ができるか」というところに人としての能力評価はシフトしてきている。

逆に言えば、自ら切りひらく力や創造力があれば、色んな可能性が無限にある時代。しかし、言われた事しかできないタイプの人たちにとっては、あらゆる仕事をロボットに奪われ、仕事も得られなくなってしまう難しい時代になることが想像できる。

それは新たな格差社会となり、そこで報われない層にとっては、「奪う」「壊す」という行為が発生する源になってしまうかもしれない。

これからの子ども達にとって、単なる詰め込み教育や、家に居ても大人しく1人で没頭しているからといって、ゲームやインターネットに使っている生活をしてしまうと、将来、大きく変化してくる人としての能力評価軸から外れてしまうことになりかねない。

だからこそ遊びが大事。しかも人間の本能としての「群れる」「キタナイ」「アブナイ」「ウルサイ」の要素が大事!そしてその大事さを広く伝播できる教育行政であるべきだと考えています。


大体このような事をお話させていただいたつもりです。

次の「誇り」「愛着」に関しては(3)にて記載させていただきます。

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