平成28年7月11日開催 活動報告会の内容について(3)

(2)より続く

 

どんなまちにも良いところと悪いところがあると思います。

例えば、自家用車一つとっても、「この車、乗り心地は悪いけど走りの感覚がもの凄く好きなんです」とか「見た目はちょっと好みと違うけど、この燃費の良さは何物もに代え難い!ここは最高に気に入っている。」、「走りは二の次だけど、人数が一杯乗れるし乗り心地も凄く良い!」などなど、、それぞれに長短併せ持っていて、”気に入っているから愛着を持って乗り続ける”ということがあると思われます。

これをまちに当てはめると、「岩見沢は○○は残念だけど○○が良いよね!」など、人によって色々と感じるところが違うはず。

それは今現在、「岩見沢と言えば○○」という様な、まちのアイデンティティが確立されていない事にも起因すると思われます。

 

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岩見沢ってどんなまち?と聞かれた時に、明確に○○なまち!とポジティブな言葉を口にすることができる人はどれぐらいいるでしょう?事実、私自身、明確に万人に理解されるような○○という言葉を持ち合わせていません。

しかし、良いところは沢山あるわけで、だからこそその良いところを市内外共有の言葉で表現できるようにできないだろうかと考え続けています。もの凄く難解な事ですが・・。


それらを考えていく中で、最も切実に感じたことは、この岩見沢に住む私たちは「意外と自分たちのまちの事を知らない」という事でした。

そこで現在、「岩見沢Civic Pride探求部」というグループを立ち上げ、岩見沢のあまり知られていない事柄を整理していきたいと活動を展開しています。今はその第一段階、色々な歴史を知ることから始まったばかりですが、すでに岩見沢の魅力というものが見えてきています。

例えば、岩見沢の駅北昇降棟の前にある「岩見沢レールセンター」を知っていると思いますが、この建物が何年にできて、どのようなバックボーンを背負っているのかはあまり市民にも知られていません。

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この☆のマークは北海道開拓史と共通のレッドスター。

○の中に☆、更に☆の中に○というのは北海道炭鉱鉄道会社の社章。

この北炭という会社は、近年を知る方であれば、炭鉱閉山や事故などの暗い話題の多い会社でありますが、明治15年に開通した官営幌内鉄道を、北海道開拓使から民間会社として払い下げを受け、近隣の炭鉱開発や鉄道の敷設、室蘭港の開発などを行った、当時の先端エネルギーと巨大物流を扱う最先端一流企業。

北海道開拓や石炭採掘に対し、樺戸集治監や空知集治監の囚人を使役できる権限があり、当時の北炭幌内事務所長が空知集治監の天獄(所長)を兼務するような会社。ピーク時には北炭の炭鉱で労役する囚人だけで1日3,500人にものぼったほど。

出資者には天皇家や福沢諭吉などの名があるのも、それだけの一流企業であったことの証。

その本社が明治37年から39年まで、この岩見沢に本社があった。

残念ながら明治39年の鉄道国有法によって、幌内鉄道が国鉄として買い戻されてしまったため、この岩見沢に本社がある必要がなくなってしまい室蘭に移転することとなってしまったが・・。

このレールセンター自体の建築年も横浜の赤レンガ倉庫や函館の金森レンガ倉庫より更に古い。

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岩見沢では貴重な19世紀の建物。また、北海道と薩摩藩の深い繋がり。北海道開拓に無くてはならない集治監との関係性。岩見沢が交通の要衝として栄えた証。今後、空知の炭鉱遺産や小樽の港、室蘭の鉄を含め、日本遺産登録や世界遺産登録という目が出てきた時に、無くてはならない現存物の一つがこの岩見沢レールセンター。


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また、この約130年前に北海道開拓史の助っ人米国人のジョセフ・クロフォードがアメリカに発注し、ニューヨーク港から小樽港に着き、岩見沢管内でかかっていた双子のアメリカ製トラス鉄橋のドラマ。

現在もバラバラになって野積みされているが、その価値は相当なものがある。

また材質も錬鉄という昔ながらの鉄。純度が低いがゆえに廃鉄として換金されることなく、橋のままで居られたのかもしれない。この錬鉄は表面しか錆びない。今着いている錆を軽く磨くと、すぐに鋼の銀色が出てくる。よって鉄としての強度も当時と変わらない。

今の技術ではなかなかつくれないものらしい。同じ素材としてはパリのエッフェル塔がある。

橋としても本国アメリカの歴代の橋と並んでも非常に価値の高いものとして評価されるもの。

そのような物が、今、市内でひっそりと野積みされている。


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辻村もと子さんんという作家を知っていますか?

岩見沢生まれ、岩見沢育ちの女性で、父の北海道開拓日記を元に「馬追原野」という日記を執筆し、第1回樋口一葉賞を受賞した名作家です。

その生家は今も100年の年月を越えて志文の現地にあります。

このお父さんは直四郎さん。

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今で言う東大を中退し、20歳で北海道開拓に情熱を燃やした。

一度「馬追」長沼に入植し、開拓に従事したが、やはり自分の力を試したいと志文に入植。その後軌道に乗ったところで、農業を学びに単身アメリカへ。

自分の居住地、1町5反を未開原始林として保存して未来へ残すと決め、現在も原始林として残る。

シュプンベツというアイヌ語の地名を「志文」と命名。

自分は開拓で土に志したから、子ども達の世代には「文化や文章などの文を志すものが出るだろう」と志文という名にした。結果、娘のもと子さんが国内でも非常に評価の高い作家となる。

明治27年に自分の所有地に仲間と共に寺小屋を開設。これが今の志文小学校の始まりとなる。

ささっと羅列するとこの様な感じになりますが、実際に原始林を見たり、現存する建物やゆかりの品々を見せていただくと、本当に価値のあるものだと認識を高める事ができます。

この原始林は、市内から国道234号線を南に向かい、ノースファームストックさんを過ぎて少し行ったところの右側に鬱蒼とした林が見えます。(三光建設さんの裏手になります)。それが辻村直四郎さんが意図的に後世に残した原始林です。

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この辻村家の物語は、きちんと整理できれば、映画や長編ドラマにしても十二分に成立しうるレベルだと考えています。

いずれその様な機会が得られるように精進していきたいとも思ってます。


【補足】今回はサラッとこの程度のエピソードしか紹介できませんでしたが、岩見沢のあまり知られていないモノゴトというのは、かなり沢山あって、例えば岩見沢シビックプライド探求部の第2回勉強会で行った郷土かるたの整理だけでも、かなりの「へぇ~!」を感じることができると思います。

 


この様に、チラッとご紹介した歴史関連だけでも、あまり知られていないことが沢山あって、私たちは近年の歴史を見過ごしてきてしまっていることに気づきます。

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だからこそ、歴史、各種データ、人物、モノ等々の魅力を発掘し、ちゃんと編集してから発信するという工程を踏めば、それなりの結果をもたらす事ができると考えています。

これができれば、岩見沢市民は自分たちのまちに誇りと愛着を感じることができ、それは外からの人を呼び込む原動力にもなり得ます。冒頭でも言ったとおり、もの凄く難解で実現が難しいことではありますが、官民みんなで目指していける環境をつくっていきたいと思っています。


その実現には何よりも市民参加が大事。

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だからこそ市民参加の仕組みづくりが重要になってくると思っています。

その切り口の一つとして「岩見沢市まちづくり基本条例」が制定されました。

しかしまだ機能しきれていません。

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例えば、この第7章(2)市民参加の推進という条項においては、市長等は、市民のまちづくりへの参加を推進するため、活動の場の提供、環境づくり、情報の提供などその仕組みの整備に努めなければなりません。

とありますが、私はいまだ実現していないと認識しています。

そこで、昨年12月の議会において、一般質問させていただいたのですが、この結果はまだでていません。

これは自身のライフワークと合わせて、実現に向けて努力していきたいと思っています。


あらためて、この様な3つ+1を自身の議員活動の重点項目として考えています。

「政治とはまちづくりである」

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という要素を大事に。

そして、、

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これまでの「人口ボーナス」という表現が巷で言われていますが、まさしく良かった時代の政治は「富みと権利の分配」が主な仕事であり、政治家としての力の見せ所であったのだと思います。

しかし、冒頭で述べた通り、すでに未来は厳しいものであり、現状から予断を許さない状況においては、「負担の分配」をどう緩和していくのかが政治の本当の役割になりつつあるのだろうと認識をしています。(余談:ただし、民意がそれを求めなければ、良かれと思ってネガティブ要素の改善に力を入れる政治家は選挙で敗れ、時代にそぐわない「富みと権利の分配」に注力する政治家が生き残るということになり続けると感じています。)


今回の報告会においては、この様な内容のことを約50分間で一気にお話をさせていただきました。

未熟ゆえ、解釈違いや単純ミス、言葉間違い、不適切な表現などもあったかもしれません。

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スライドの枚数も当初150枚ぐらい作ってしまい、時間の都合上103枚まで減らしたものの、50分でお話するには到底無理な量。途中、かなりショートカットしたり、ざっくりと削除したりとしながら、何とか早口でご紹介をさせていただいた次第です。

話す内容としても非常に準備不足の感があり、自己採点では40点ぐらいの出来映えでしたが、何とかアンケート結果もほっと胸をなで下ろせた状況。

この後の交流会でも多くの方にご参加をいただき、後援会の仲間達がつくってくれた岩見沢の歴史クイズなども交え、非常に楽しい時間を過ごさせていただきました。

まずは大変お忙しい中、この様に多くの皆様に足を運んでいただき、聞きづらい話を真剣に聞いてくださったこと、心より感謝申し上げます。また定期的に開催していきたいと考えております。

 

そして、この報告会の中でもお話をさせていただきましたが、興味ある事項がありましたら、数人のグループを作っていただければ資料をもってお話をしに伺うことも大歓迎です。ご希望の方がいらっしゃればメールにてご連絡をいただければ幸いです。

どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。

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