岩見沢Civic Pride探求部について

平成28年1月27日に第一回目となる勉強会を開催させていただきました。

FBページ等で告知をさせていただき、予想を上回る24名+αのご参加をいただきました。心より感謝申し上げます

第一回目となる勉強会は、岩見沢が誕生し、発展する最も大きな要素となった石炭と鉄道について、NPO法人炭鉱の記憶推進事業団の吉岡宏高理事長に講演いただきました。

知らないことがどんどんと出てきて、ご参加いただいた皆様も大いに感銘を受けた様です。アンケートの結果もとても良好で、今後に期待が持てるものでした。

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このシビックプライド探求部の趣旨としては・・・

という感じです。(preziというフリーのプレゼンシステムを活用させていただきました。無料でここまでできるのも凄いですよね。)

 

できるだけ”ゆるく”都度モチベーションを上げながら楽しめる人だけ来てもらえれば良いかなと思っています。

DSC_0264という事で第2回目は、和田高明氏に力作である「原域 岩見澤 郷土かるた」をベースに、講演をいただこうと考えていたのですが、ご連絡してみると、すでに岩見沢には住んでいなく、本州のとある地域へ移住されておりました。

とても残念でありましたが、この郷土かるたを教科書とし、私が講演することで活用させていただきたい旨を伝えると、ありがたく快諾をしていただきました。

よって、次回の勉強会は、この郷土かるたを元に、年代順にエピソードを並べ替えてピックアップし、あまり知られていない岩見沢の「へぇ~」を共有できるようにしたいと考えています。

その予告編も第1回勉強会の最後に発表させていただきましたので、貼り付けておきます。

 

かなり面白そうな内容にできると思いますが、これから第2回勉強会の予定日である2月17日(水)までに、しっかり勉強して整理しておかなくてはなりません。とは言え、期待を裏切らないよう、しっかり努力させていただきますので、興味もたれましたら是非ご参加ください。

 


早速ですが、岩見沢Civic Pride探求部のwebサイトもつくってみました。

これまた無料のサイトですが、イマドキはこんなに簡単につくれるように進化しているのですね。あっという間に出来ました。

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http://civicpride.jimdo.com/

お時間ありましたら是非ご覧下さい。

トップページを一部変更しました。

ブログの投稿数も630を越え、まとまりがなくなってきていると感じているため、TOPページにまとめ的バナーを取り付けました。

特に、一般質問と子育て関連に関しては、目次的なページを頭にし、目的の内容に到達しやすいようにしたつもりですが、所詮素人作業でありまして、改良になっているのか改悪になっているかは微妙なところです。

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ただ、これまでスマホで見ると、ブログカテゴリーが一番最後にきて見にくかったこともあり、センターのバナーが一番最初の見やすい位置に来るようにしましたので、PCで見るよりはスマホで見たときの方が、見やすくなったという効果を実感できるのではないかと想像しているところです。

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また機会をみては、何とか親しみを持って活用していただけるようになることを目指して改良していきたいと想っておりますので、何卒宜しくお願いいたします。

岩見沢市議会フォーラム開催のお知らせ

平成28年2月20日(土)15時より

岩見沢市議会フォーラム ”元気UP岩見沢!”と称して広報広聴事業を開催いたします。

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事前申し込み不要、入場無料となっています。

昨年開催した他都市調査報告会で得た反省と検証を元に、今年は3常任委員会が日頃の所管の中から1委員会15分程度で簡潔に活動を報告。その後、第2部としてご来場いただいた市民の皆様と広範囲にわたる意見交換の時間を設けさせていただきます。

どうかお気軽にご来場いただけると幸いです。

子育て・教育カテゴリー 簡易まとめ版 ~目次~

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①現在の子ども達を取り巻く環境

A) 子ども達を取り巻く環境の変化

B) 教育と遊育 ~幼児期の遊びが大事な理由~

C) インターネット・ゲームが及ぼす悪影響

D) 子育て環境の懸念

②これからの子ども達に大事なこと

E) 創造性を育むために

F) 熱中力の素晴らしさ&居場所の力

G) レジリエンス(回復力・逆境力)を強化すべき理由

③教育・子育てカテゴリーまとめ

H)~まとめとして~


これまで、本カテゴリー内で細々と投稿してきたものが分散し、なかなか本意が伝わりにくくなっていると感じていました。そこであらためて、「現在の子ども達を取り巻く環境」について投稿をまとめてみました。

それをベースに、何が必要か、またどうしていかなければならないのかを考えて行けるように、今後も引き続き努力していきたいと考えております。現在お子さんを育てている世代はもちろんのこと、すでに子育て世代ではなくなった方々、またお子様のいらっしゃらない方々にとっても、社会全体の課題として状況を感じていただければ幸いです。

何分素人文章のため、読みにくい点等も多々あろうかと思いますが、そこは何卒ご容赦いただきたく存じます。

また、叱咤激励を含め、ご意見等がございましたら、是非メールやコメントでもいただければ幸いです。

何卒宜しくお願い申し上げます。

〈平成28年1月21日更新〉

H)子育て・教育カテゴリー ~まとめとして~

知れば知るほど、今の子ども達の置かれている環境が心配になります。

あまりにもモノ(物質的、情報的共に)に溢れ、それを一方的に享受する環境は、これから訪れる産業構造の変化、グローバル化の著しい進行による国際関係の変化、人口問題に関連する社会保障等の深刻な想定等々を含め、間違いなく訪れる困難な環境を切り拓く能力を高められているとは言い難いのです。

それらを考えていく過程において、幼少期の”遊び”が人間性を育む大事な時期だと言うことに気がつきました。でも社会が求める子ども達の姿とは大きな相違がありました。学校教育の過程においても、求められる人物像とそれを育むための手法とはやはり大きな開きがあります。

現在の学校教育の現場においては、創造性を育む教育を深めていく事はとても難しいと思っています。当然、教育行政を始めとする現場においても大変な努力はしていますが、それには限界があります。やはり教育現場よりも、保護者や家庭、周辺の大人の意識がとても大事だと認識をしています。

幼い頃から電子ゲームやインターネット等の受動的刺激にまみれ、その中で脳を刺激してバーチャルな達成感や優越感を得ている現状。実際にどうしてその環境に浸かり続けるかというと、脳科学を持ち出すまでもなく、親がそれを良しとすること。また、それ以外に面白いこと、やりがいのあることが沢山あるはずなのにそれを知る術がないという不運があると思われます。

「子どもは親の言った通りには育たない。親のやった通りに育つ。」

これは自らに問うと非常に情けない思いになりますが、全ての親が常に自問しなければならない名言であります。

大人が失敗を恐れずチャレンジする背中を見せる。失敗してもそこから何かを掴んで前に進む背中を見せる。上辺のメンツにこだわるような背中を見せない。恥をかく勇気。諦めない心。 努力、苦労の先の達成感を得る様子。etc.・・・。

いつの時代も外野から人のすることを上から目線で批評、批判したり、足を引っ張ったりするのは「自分では何もしない人」であると言います。決してそんな大人を量産してはならないと信じています。


 

平成26年に内閣府より公表された、「子ども・若者白書」から、色んなことをかいま見ることができます。

白書の中で特集として取り上げられていたのが、日本を含めた7カ国の満13歳から29歳の若者を対象とした意識調査です。

この内容を見ると、日本の若者は、「自分自身に満足している」「うまくいくかどうかわからないことにも意欲的に取り組む」「社会現象を変えることができるかどうか」「将来への展望」等々、そのほとんどが、7カ国中最低で推移しており、これからの人口減少社会、グローバル化で大きく変わっていく時代に適応するための能力である「たくましく逆境に向かい、クリエイティブな能力を発揮して新しい道を切り開く力」が著しく不足していると思われます。

同年4月に、シンクタンクである共立総合研究所が、「全国学力・学習状況調査」の結果をもとに、「生活習慣」「意思・人格」「家庭」「道徳・規範」等々の11の分野から都道府県別に偏差値化した、「いい子供が育つ」都道府県別ランキングが発表されました。

このデータを見ると、白書の特集では、日本は、国際社会の中でも非常に低い数値を示す中で、さらに日本国内においては、北海道は、総合ランキング47都道府県中46位であり、分野別に見ても非常に低い項目が目立つ結果となっています。

例えば、「難しいことでも、失敗をおそれずに挑戦しているか」という問題では、47都道府県中、最下位。「自分にはよいところがある」「人の役に立つ人間になりたいか」「テレビゲーム等をする時間の長さ」「地域や社会への関心」「自分の発言に対する自信」「言いたいことをうまく伝えることができるか」などなど、あらゆる項目でワースト5位に入る、非常に残念な結果となっています。

さらに、この北海道の中で岩見沢市がどういう位置づけかというのは、残念ながらはかるすべはありませんが、これからの時代を生きていく子供たちのことを考えると、国内での評価はもとより、国際社会で生き抜ける能力を身につけることを目指すべきであり、そのために、保護者はもちろん、岩見沢市の教育行政としても真剣に、どんなことをするべきかを考える事も重要だと思っています。

まずは、脳科学において重要な成長の機会として位置づけられる幼児教育期の「生きた体験」を通して、人間としての能力をはぐくむための環境づくりとその支援。

学校教育においては、岩見沢市教育行政方針にも掲げられているとおり、課題を解決するための思考力、判断力、表現力等をバランスよく伸ばす。また、自尊感情を高め、自己指導能力の育成等を含め、主体的に「みずからの思考を高め、具現化していく力をはぐくむ」ことを重視した、”実行力のあるカリキュラム”づくりが必要だと考えます。

それは放課後の時間かもしれない、若しくは地域との連携で生まれてくるのかもしれない。間違いなく言えるのは、「それは家庭が」とか「それは学校が」と互いに押しつけ合う意識が生じてしまっては絶対に成り立たないことなのだろうとも思っています。これが簡単にシステムを提唱、構築するだけで世の中が変わらない難しい部分であります。

だからこそ、現在の子ども達を取り巻く環境に対する危機感を一人でも多くの方々と共有し、出来ることから行っていくという気運が高まることを期待しています。


前段で述べたとおり、先進国の中でも日本の子ども達の評価は非常に低い状況、またさらには、その日本の中においても一段と北海道が心配な状況であるのは、常に車社会におけるドアtoドア環境や、インドアで遊ぶことが多いことによる身体能力の低さにあるとも言われます。体力と学力・知力・気力等との相関が存在すると考えるならば、やはり幼少期の遊び環境を我々大人が確保してあげる必要があると思っています。

そこで必要となるのが、行政として本気で子どもの遊び環境を確保していく意思を見せることだと考えるに至っています。ここの本気というのは、消費型のあそび場や、子どもではなく親が喜ぶ遊びでもありません。子ども達自らが自主性を持って、自らが磨かれていくあそび環境です。

その明確な意思表示になるのは、前恵庭市長の中島興世氏が提唱している「子どもが元気に育つ環境の整備に関する条例」の様に、行政の本気度を表し、市民が熱く共に守っていくことではないかと思います。(条例の内容に関する投稿リンク

ただ、その様なことを周囲にお話をしても、なかなか「ピンと来ない」と言われてしまう傾向もあり、これらの投稿の内容を簡素端的に説明することは難しく、どうしても共感を得るにはいたらない状況が続いています。これは子育てが終わった人はもちろん、現在幼少期の大切な時期を育んでいる保護者の方も同様です。それは致し方のない事であり、私自身、仲間を増やしつつ、少しずつ出来ることをやっていくしかないと考えています。

その一環として、拙ブログで細々と投稿させていただいてきた「子育て・教育」のカテゴリーの中で、根幹となりえるものをあらためて整理させていただきました。私自身、まだまだ知識不足、思い違い等が多くあるのかもしれません。それらは都度、補完、修正していきたいと考えています。また気づかいの至らないところもあるかもしれません。気づき次第、都度修正していきたいと考えておりますが、何卒ご容赦いただければ幸いです。

平成28年1月21日

 

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G)レジリエンス(回復力・逆境力)を強化すべき理由

私がこのレジリエンスという言葉を知ったのは、恥ずかしながら平成26年3月に開催された「教育を考える市民の会」の学習会にてでした。

この時は児童虐待を主としたテーマでありましたが、話を聞いていく中で、全ての子ども達、そして大人にとって重要な要素という認識に至りました。そこで少しだけですが、ここであらためて考えてみたいと思います。


例えば、虐待を受けた児童すべてが精神的に回復しないわけではなく、厳しい状況にあっても、ネガティブな面だけでなくポジティブな面を見出すことが出来、自分のいる状況に対して前向きに、しなやかに逆境を乗り越え成長していく児童もいる。こうした心の持ち方、心の力をレジリエンスと言います。

◇そのレジリエンスを構成する要素とは

①音楽、運動、呼吸法、作文等々、自分のオリジナルの方法で感情をコントロールする

②過去の体験がもたらしたネガティブな認知や思考を自ら修正し、楽観的な思考を備える

③成功体験を積み重ねることで、自分に対する有能感、信頼感を高め自己効力感を身につける

④自分に対する内外の評価でも、特にポジティブな感情を重視し、自尊感情を高める

⑤応援団的な存在として、自分を支えてくれるサポーター等の人間関係を形成していく

などでレジリエンス能力が高まっていきます。

これらレジリエンスは、生まれつきの能力の部分もあると言われていますが、現在は適切なトレーニングで高めることができると言われています。子どもの頃から意図的に高めていくことができれば、それは生きていく上での大きな武器となります。

 

DSC_1841特に現代を生きる多くの子ども達にも欠如しがちな要素であり、右図資料においても、感受性期において、どれだけレジリエンス能力を身につけさせることができるかが私達大人が大事にすべきことだと思います。

余談になりますが、それらを考えていくと「幼稚園で英語を教えてほしい。」という様な現状の保護者ニーズが本当に正しいのかどうかを考えるきっかけになるものであり、いかに幼少期に「活きた経験」を五感を使って養っていけるかが本当に必要とされることではないかと感じています。(札幌トモエ幼稚園の項をご参照ください。)

 

さて、現代社会においては、創造性のページでも述べた通り、全く予測のできない時代が訪れようとしています。そこで必要なのは言われた事を言われた通りに正確に実行するロボットのような人材ではなく、失敗しても、それにへこたれずに更に工夫を重ねて逆境を切り開く能力だと考えています。だからこそレジリエンスの向上が重要です。

私達は今一度、この失敗に負けない能力としての回復力、逆境に立ち向かうことのできる逞しい能力の重要性を認識し、それらを身につけさせる事ができるように環境づくりをしていかなくてはならないのです。

このレジリエンスに関心を持たれましたら、インターネット上に多くの情報がありますので、是非検索してみてください。

 

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F)熱中力の素晴らしさ&居場所の力

今、子ども達に足りない環境の一つが〈居場所〉だと感じています。その居場所とは物理的なものではなく、自らのアイデンティティを確保できる場所という意味合いが近いかもしれません。

例えば!という事で、2014年8月に投稿した栗沢農業際での一コマから一部引用します。。


この栗沢にはスケートボード、インラインスケート、BMXなどを本格的にやれるパークがあります。これは岩見沢市の公園であり、基本誰でも無料で使うことができます。(地図はこちら

その場を使って、岩見沢市出身でスノーボードの元BURTON JAPANでも活躍していた赤前吉明氏が道内各地からファンを招いて年に1度、下の様なレッスン&デモを行っており、4回目となるこの時に初めて応援に行くことができました。

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今、彼が目指しているものは”子ども達の育成”です。少しでもやってみたいという子ども達に門戸を拡げ、将来当たり前にオリンピックを目指せるような器をつくること。それに対し、自分のできることは初期~中期ぐらいまでのレベルのほんの僅かな時間かもしれないけれど。。まずはそれが大事!という心意気でした。

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(小さな子ども達が思いっきり主役になってデモをしていました。)

この思いに大いに共感します。

痛くても辛くても、でもそれ以上に上手になって自ら手応えを感じて、人から褒められて、、、沢山の人に認められて自信をつけていく。それがまた楽しくて更に頑張る。子ども達にとって大切なのは、このような感覚なんじゃないだろうか?と自分の経験からも感じています。

それはサッカーでも野球でもダンスでもピアノや歌などの音楽でも勉強でも何でも良いのだと思います。でもそのハマるものになかなか巡り会うことができず、自分の居場所をつくることができない子が多いのが普通になっているような気がします。

私は子育てや教育の中でとても大事なウエイトを占めるのが実は「熱中する力」だと思っています。

この熱中できるものが見つかれば、子ども達は勝手に磨かれて輝くのだと思っています。

前項でご紹介したプレーパークは幼少期が主な対象となってきますが、今の子ども達の環境で、平行して対策を考えていかなければと思っているのは、一番”自分の居場所づくり”が難しいと思われる小学校高学年から高校生ぐらいまでの年齢ではないかと感じています。

こういう自分の居場所的なものは、本来は子ども達が勝手に見つけて勝手に夢中になっていくものなのでしょうが、ゲームやインターネット等に時間を費やしてしまう事が多い(決してそれが全て悪では無いと認識していますが、こちらでも述べた様に弊害が多すぎる)現代においては、なかなかそうもいかないのも事実。せめて大人は「それはダメ」「こうしなさい」という様な空気をつくらずに、やりたいと思ったことをさりげなく後押しできる環境づくりができたら良いなと思っています。

そういう事を考えると、何に関心を持つかわからない子ども達が、「面白そう」「やってみたい!」と思った事が実現できる環境があるのは素晴らしいこと。このような、いわゆるマイナースポーツと言われるものも支えてくれる大人がいれば、子ども達は自分を磨く環境として熱中することができるのだろうとあらためて感じました。

それらの受け皿的環境はどうすれば拡がっていくのかを真剣に考えていかねばなりません。(まずは自分がその一人になるのが手っ取り早いことで、これからは少し冬の間のスノーボードだけでも時間を作って実証していけたらとも考えています。)

そんなことを思った「くりさわ農業際」での一コマでした。

(↓動画はスケートのデモ~北海道のトップ選手はみんな超若者の様です)


この熱中力に関しては、私自身とても共感できることとして、文部科学省のyoutubeに平成25年度秋の褒章「佐藤雅彦氏」のインタビュー動画がありました。

恥ずかしながら知らなかったのですが、佐藤雅彦氏とは誰もが知っている数々のメジャーなCMやゲームソフト、だんご三兄弟、ピタゴラスイッチなどを生み出した方です。

 

とても面白い内容で、このようなインタビューを文部科学省で肯定しているのが、まだまだ日本の教育も改革できる可能性があるのだろうと感じます。

当たり前のことではあれど、今の学校教育、また家庭教育で育むことが難しいもの。

・studyではなく、studius(熱中)するということの大事さ。

・作り方を作ることで新しいものを生み出す。

・表面の見栄えで取り繕うのが一番マズイこと

等々、とても刺激的な内容です。

長めの22分間の動画ですが、あっという間の時間ですので、是非ご覧になってみては如何でしょうか。

そして私たちは、こういう子ども達にとって大事な経験が得られる環境をどうやって与えることができるのだろうか。

そこに知恵を絞っていかなくてはなりません。


大人も子どもも、熱中するものや信じることがあるのは、芯の強さに繋がります。

以前、縁あって防災フォーラムのパネルディスカッションで司会をさせていただいた時に、東日本大震災で被災した方の言葉で、復興時において〈原点を持っている人は強い〉という言葉が印象的でした。多くの人が精神的に不安になり、ずっと立ち直れない環境において、自分を持っている人は、比較的早い段階で立ち直り、何らかの外向きの行動を行うことができる。という様なお話をいただきました。

この様な原点を持つというのは、やはり個のアイデンティティがしっかりしている人という様に言い換えても良いかもしれません。

そして、それはレジリエンス(回復力)という面においても、大きなアドバンテージを生み出していくのだとも感じています。

「強さ」

あらゆる面でとても重要になる人間としての要素だと思っています。

 

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E)創造性を育むために

よく「日本人は場の空気を重んじる。」

悪く言えば思考停止とか、自分の意見を持たない。とも言われます。それは一体なぜなのでしょうか?

以前読んだ記事によると、既に欧米では就業者の3分の1以上が「考えること」を職業にしていると言われています。それは、これから社会が必要とする能力とは「何を知っているか」ではなく「知っていることで何ができるか」、そういうことが求められていると言いかえることができる。という事でもあります。

1980年に発行された「第三の波」の執筆者であるアルビン・トフラーは、きょうの日本の最大の問題を「教育である」と断言しています。

「日本が国際社会で生き残るためには、何よりも『Think』考えることです。教育の現場を見てください。時間どおりに生徒が教室に集まり、大人数で授業を受ける。これは、工場で働くための練習みたいなものです」という指摘をしています。(2014年第二定例会一般質問より抜粋

Think! → ここで創造性教育の必要性を考えてみましょう。


【創造的発想の例】

東海大名誉教授 川崎一彦氏の言葉から抜粋

問)雨の降っている深夜、あなたは車を運転しています。他に同乗者が二人。走っていると、助けを求めている人が見えました。車を止めると3名の困っている人たちが。

1: 重病の老婦人
2: 過去にあなたを助けてくれた旧友
3: あなたの理想の結婚相手。

車の定員は4名。さぁ、どうする?

という状況。

こういうところでも創造性の違いがでてくると思われます。

決して上記3名の内の誰か一人を選ぶというのが正解ではないはず。現実を考えると、道交法を犯してでも、危険がないと判断できれば3名とも無理やり載せるのも正解かもしれない。また、走行しないで3名を車に詰め込み、次の車が来るのを待つのも正解かもしれない。

また、自分が降りて、他の同乗者に運転を託して重病の老婦人と旧友を車に載せ、自分は理想の結婚相手とその場に残るというのも大正解であるかもしれない。当たり前ですが、正解は一つではないということ。また、3人の中で誰か一人だけ選ぶという様に、自分で勝手に小さな枠をつくりあげて、その自ら狭めてしまったルールの中から選択するようなことでもないと思うのです。

その自由な発想で、臨機応変に決断できるかどうか。

これはこれから先、誰にも予測のつかない社会の進化においては、何よりも重要な能力のような気がしています。

***

例えば、アメリカのデューク大学の研究者であるキャシー・デビットソン氏が2011年8月にニューヨークタイムズによせたインタビュー記事によると「2011年度にアメリカの小学校に入学した子ども達の65%は、大学卒業時には今は存在していない職業に就くだろう」というお話。(以前からかなり話題になっているので、少し検索すると様々な記事が投稿されています。【クリック】)

もう、「良い学校に入って、今をときめく成長企業に就職する。」というのは決して安泰ではないと誰もが感じています。

ごく近い将来、その65%が現在存在していない職業に就くという事は、言い換えればそれだけの職業が失われていくということと言っても良いと思いますが、例えば、今googleやテスラ、トヨタ等などが進めている自動運転の技術が確立されれば、私たちの周辺から運転手という職業が無くなるのかもしれません。更には3Dプリンター一つとっても、製造業や流通業界にとってどんな革命をもたらすのか未知数でありながら、恐ろしいほど高い可能性を秘めています。そんな話題は世間にはゴロゴロとしています。

もうどの様な産業がこれから発展し、社会がどう変化をしていくのかを正確に予測することは難しく、その時々で必要とされる能力は進化のプロセスによって大きく異なってくることが想像されます。

そんな状況を鑑み、アメリカの教育関連ニュースサイト「MindShift」では、大学生が今まで存在しなかった職業に就くためにどの専門を選ぶのが有利かを考え始めていることが報じられているらしく、その導くところは結局のところ、コミュニケーションやチームワークなど「転移可能な一般的能力」を重視せざるを得ないということになるようです。(あくまで他の記事で読んだ事の受け売りですが・・)いずれにせよ、言われた事だけを黙々とこなすような人は「機械」にその場を奪われてしまうことは確実でしょうから、いかに自らが課題を発見し、チームワークを含めてそれを解決していくための能力を保持しているか。という面を磨くに尽きるような気がします。(2014年1月拙著ブログより抜粋


だからこそ、一人ひとりの創造性を高める環境が必要だと考えています。

これまで記載してきた課題にしっかりと向き合い、一つずつ解決していく努力をしていかなくてはなりません。

その一つの手法として身近なところで取り組みを進めているのが、岩見沢でプレーパークを実現しようという動きです。

子ども達には脳科学の発達に適した時期に、できるだけ多くの活きた経験をさせていあげなければならないと信じています。それには五感をフルに活用する遊び環境が効果を発揮します。

プレーパークの概念はこの考え方に見事に当てはまります。

子どもの自主性を尊重し育むこと。その場において、子どものやりたいことをやる。寝ててもイイ、漫画を読んでいても良い。でも徹底的にキタナイアブナイウルサイを実践できる環境。大人は子どもが予期できない命に関わるような危険(ハザード)は徹底して取り除き、自分で怪我するかどうか判断可能な小さな危険(リスク)は距離を持って見守る。

子ども同士が群れてコミュニケーション能力を磨く、自然を相手に遊びを発明し、創造性を育んでいく。 更に保護者が見守り力を身につけていくことで、子どもへの接し方が劇的に変わっていく。

そんな環境をどうやって岩見沢市内で当たり前にしていけるか。これがとても重要だと思っています。

消費あそびではなく、子どもの自主性を育むことのできる遊び環境の実現を目指したいのです。

[参考例1 川崎市子ども夢パーク]

 

[参考例2 千葉市子どもたちの森公園]

ここで記載したプレーパークは、数ある手法の一つでしかありませんが、岩見沢には利根別原生林という貴重な環境があります。他にも教育大等、岩見沢ならではのアドバンテージも勘案することができると思います。是非、実現できる様に努力していきます。

そして創造力を高めるために、もっとも必要な経験になろうと考えているのが「熱中」する力です。

 

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D)子育て環境の懸念

ここまで、遊び環境の劣化とインターネット等の普及により現れた危惧すべき事項を記載してきましたが、あらためて子育て全体を見渡すと、もう一つ大きな課題が見えてきます。

おじいちゃん、おばあちゃんが家族という単位で子育てに携わるのは地球上の動物の中では人間だけと言われています。(群れという単位においては類似するようなものはあるかもしれませんが。)これは、複雑な人間社会に適応する大人に育てるには、もの凄くエネルギーが必要で、両親だけでは足りないことの証明とさえ言われます。

しかし今は「父は仕事、残った母一人、子一人がマンションの密室で子育てをする」ということが珍しくない状況。言い換えると、これは人類始まって以来の危機といっても決して大げさではないと聞いた事があります。だから三世代同居が好ましいという短絡的発想でモノゴトが進むわけはなく、必要に応じて社会全体でフォローしていく必要があると考えています。

また、これまでの日本の美徳であれば、「人に迷惑をかけない」ということが理想とされますが、この難しい時代においては、より良いコミュニティづくりは楽しくお互いに頼り合える、言い換えれば迷惑をかけ合える様な関係を築くのが理想なのかもしれません。子育てを通すと、そんな互いに尊重し互いに頼りあえる。迷惑をかけあうことができる環境づくりができると思っているのですが、そのきっかけとなったのは、平成26年10月に開催された男女共同参画市民フォーラムinいわみざわにおける松居和氏の講演でした。


どうして人間は0歳児から生まれるのか。

ゼロ歳児は話せない。

これには意味がある。

生後2ヶ月ぐらいで必ず笑う。大人は嬉しくなる。自分が良い人間だと感じる。夫婦や近隣の大人と一緒に眺めると、そのなかで心が一つになる。

人間は心を一つにするのが好き。

一つ屋根の下に赤ちゃんがいるだけで空気が変わる=心を一つにしようとするから。

人間は子育てをしながら双方向で育つ。言葉を話せない赤ちゃんを前に、両親、祖父母、近所の人々等、複数人で育てる。これは非常に手のかかる絶対的存在の赤ちゃんを育てることで、自分たちも育つ。そして存在する意義を見出す。そこにモラルが生まれる。

*****

常々、今を生きる子ども達を取り巻く環境が悪化している原因は「大人」にあるということを私も述べてきました。言葉を借りるならば、社会から「親心」が失われていくと、優しさや許す力が消えていく。社会の「親心」から何とかしなければ次代は変わらないということ。

また、現代の時代の流れにおいて、子育てが「親」の手から「システム」の手に移るとどうなってしまうのか。政治という観点においても決して蔑ろにしてはならない部分です。

あらためて、こちらのyoutubeをご覧いただくことをお奨めいたします。


次の投稿からは、この様な課題を踏まえ、強く逞しい子ども達として育つために、とってどんな事が必要なのかについて考えていきたいと思います。

 

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C)インターネット・ゲーム等が及ぼす悪影響

現在、幼いころに良く感じた「あ~ぁ、暇だ暇だ!やることがない!!退屈だ!!そうだ○○しよう!」という様な時間が限りなくゼロに近い様な気がします。それは私が個人的に忙しくなっているから・・。と考えると終わってしまう話ですが、決してそうではなく、ちょっとした空き時間にスマホでSNSをしてしまったり、サイトを見入ってしまったりという「恐ろしく素っ気ないこと」に時間を消費してしまっているからとも感じます。

これは子ども達にとっても同じで、暇あればタブレット等で動画を見たりして時間を浪費してしまっている現状。

実はこう言ったことは、我々の意思ではなく、人間の本能的な部分で悩に操られてしまっていることだと認識するに至りました。これは我々大人にとっても脅威ですが、これから五感をフルに使った遊びを通し、様々な体験をしていかなくてはならない子ども達にとっては、百害あって一利なしと言って良いほどのものだと思われます。もちろん、この様な情報社会において、上手く付き合っていくのは大事なことですが、その前にどのような危機があるのかを大人が把握していなければならないと思われます。

以下は、その危惧すべき状況について抜粋させていただきます。

子育て世代の方々には、面倒でも是非読んでみていただきたいと思っています。


平成26年12月に発刊された「インターネット・ゲーム依存症 ~ネトゲからスマホまで~」と題されたこの本は、これまで私自身が曖昧だった感覚を裏付けするための情報の一つとして大いに参考になりました。

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大ざっぱに表現すると(以下は全て正式な本文引用ではありません。あくまで私の個人的咀嚼の範疇の表現であることをご了承ください。正式には本を購入してお読みいただくことを強くお奨めいたします。)

①人間は目先の事ではなく、将来の「報酬」に向けて努力する。例えば、、スポーツにおいて厳しい練習を乗り越え、結果を出して賞賛される。辛い仕事を乗り越えて成功し評価される。人間はこの様な報酬系の行動を積み重ね、評価されることや、自分で逆境を克服していくことなどで脳が喜びを感じる。

②しかし、現実社会においてはそんなに容易には脳が喜ぶ様な結果を出すことは困難である。反面、ネット環境などでは、いとも簡単に擬似的に脳が喜ぶ要素に恵まれる。言い換えると、脳内に苦労せずドーパミンを放出することができる。

③あらゆる依存症とは、『努力なしに簡単に脳が「報酬」を味わえる』という性質を持っている。

④前述③の様に簡単に「報酬」を得られる事により、脳内において、わざわざ苦労して現実社会において微々たる「報酬」しか得られない行動を頑張ることが無意識下で愚かしく感じてしまう。まるで汗水たらして働くのが当たり前と思っている人が、急に宝くじに当たり続けているようなものになる。

⑤これら依存が進むと、「結果の呈示にだけ反応し、社会的な報酬や金銭的な報酬にさえ、あまり反応しなくなる」という研究結果が明らかになっている。

⑥それら感覚は眼窩前頭葉という脳の部分で「報酬系」という回路をもって機能している。ネット環境に依存する事により、その機能が正常に働かなくなることが科学的にもわかってきた。


◇基本的に「胸がときめくような行為」や「モチベーション、意欲を生む行為」の興奮系の報酬には、脳内にドーパミンの放出を伴う。そして脳は短絡的にその報酬を得られることに気付くと、本人の意思にかかわらず、心を操って依存化していく。そんな容易に心地よさをもたらす行為は、すべて依存性を生む可能性がある。

心地よい結果を生む行動は増え、不快な結果を生む行動は減る。というのが、行動心理学の根本原理である「効果の法則」です。

これらのことは私達の周辺においては極端であり、滅多にないこと。あったとしても非常に高度なオンラインゲーム等にはまっている様な人などの限られた話だろう!と感じるかもしれませんが、決してそうではなく、インターネット自体や単純なゲーム全般にその傾向が満ちあふれ、判断能力が育まれていない子ども達(私達に)にとっては非常に危惧すべき状況となっていると思われます。例えば、、、

◆E-MAIL。脳は心地よい行為を繰り返そうとする習性を持っている。メールチェックしたときに「褒められるような事」「感謝されるような事」「良かった!」と思う様なことがあると、脳はメールチェックをする事で報酬を得られるような錯覚に陥り、頻繁にメールチェックをするようになってしまう。心当たりはありませんか?

◆SNSも同様で、facebookの「いいね!」やコメントが入ることで、喜ばしいことがあったりすると、脳はその味を覚え、いつの間にかまた同じような事がないかと頻繁に繰り返し確認したくなる。ありますよね??

◆大して面白くもないのに、ネットサーフィンや動画チェックを長時間し続けている人も多いはず。これは、たまたま良い情報や刺激的な画像、面白い内容などを見つけた”歓び”の経験に脳が味をしめてしまい、また次もそんな刺激を得られるのではないかと「脳の報酬系が延々と我々を操っている結果」である。これも良く理解できますよね??私達も、つい長々とサイトや動画を見続けてしまいますが、これはたまたま良い情報を見つけた時の歓びを再現したいと悩に操られている結果という状況です。

これら短絡的な行為でドーパミンを放出させる行為に「依存レベル」まで達してしまうと、その反動として「その行為以外の生活において、もう歓びを感じられなくなる。それどころか深い落ち込みや無気力に襲われ、否定的な感情、空虚感や自己否定、希死念慮などに襲われやすくなる。と言われています。


これらをもう少し補足すると、依存に至る過程は行動心理学の「変率強化」で表現できると言います。

この変率強化とは、報酬(ご褒美)がもらえるかどうかが、いつも一定しない予期しえない状況におくことにより、その行動を強化する方法。例えば、部下が同じ様な業績を上げても、いつも同じ対応はせず、ボーナスがもらえたり、逆に叱られるような状況におくこと。

わかりやすくスロットマシーンやパチンコを例にとると、最初の千円で5万円勝つこともあれば、同じ千円をつぎ込んでもあっという間に無くなり、更につぎ込み続けて5万円負けることもある。

人間の習性としてこの「変化」に強く惹き付けられてしまうのです。金銭的に勝つか負けるかはギャンブルをしたくなる表面上の理由であり、その実態は「褒美がもらえるかもしれない」という期待と、それが「裏切られるかもしれない」という不安の間で心が揺れること自体が行為への依存を生み、ついには報酬に関係なく、その行為を繰り返すこと自体が病みつきとなると言われています。

パチンコやスロットマシーンに依存するようになると、勝ち負けには関係なく、とにかく賭けつづけたくなる。言い換えると「賭けるという行為が悩にとっての報酬」になってしまう。人生の大事な時間を犠牲にしてでもゲームやインターネットに興じるのも、その行為自体が報酬となってしまっている事と置き換えられるのです。

メールやSNS等に依存してしまう傾向には、明らかにこの「確立変動」による「変率強化」に影響を受けている。返信や書き込みといった報酬が常に変化することで不安を感じやすい神経質な状況におかれること。更にいつ返信や書き込みがおこなわれるかわからず、なおさら不安になりやすい。こうした不安を鎮めるために、確認行為が誘発されやすくなる。

前述の原理に当てはめると、その変動する確率ゆえに「心は脳の操作に負けてしまう。」という事がわかります。


この長時間ディスプレイに目を奪われてしまうのも、通常サッカーなら90分で終わります。映画も概ね2時間少々。長編小説も終わりが存在します。しかし、今ネット上に溢れている情報には終わりがありません。

MMORPG等のネットゲームにも終了の節目は無いし、youtubeは人生のすべての時間を費やしてもUPされている全ての動画を見ることは不可能な量です。SNSも終わりのルールはありません。そのため、「変率強化」による脳の深部からくる”衝動”によって、貴重な人生の時間を脳の司令による安易なドーパミン放出のために費やしてしまっているのだと思われます。

スマホを手放せない。手元にあるとついチェックしてしまう。

私自身もかなりこの傾向があります。まずはこのような悩のメカニズムを知ることが大事なのかもしれません。

そして、小さな子ども達や、今、様々な体験をしなければならない成長期の子ども達が、家の中でタブレットの画面やゲーム機の画面を見続けている状況に危機感を抱かなくてはなりません。

純粋に刺激的で楽しくて熱中しているのではなく、悩の深部からくる衝動に操られ、もの凄く貴重な機会を無碍に費やしてしまっているだけの可能性が非常に高いのです。


◇次に脳科学から見た弊害として、【当たり前の事ができなくなりつつある現状】を考えてみます。

『Go/NoGo課題と勤勉性』という考え方があります。

これは、小さい頃から「やりたくなくても、やるべきことをやる。」、「やってはいけないことはやらない」と自分の欲求を抑制する能力で、幼い頃から育む必要がある。

ただ、これは何でも我慢することではありません。

長期的にメリットがあることと、デメリットがあることに分けて、メリットがあることは嫌な事でも積極的にやり、デメリットのあることは、短期的にはメリットがあってもやらない。という判断をできることが大事。

こうした思考と行動の積み重ねが、脳の報酬系に勤勉な価値観の体験を創り上げていくと言われます。勤勉さとは、短期的には苦労だが長期的に報われることに励むことであり、短期的に快楽だが長期的には自分を損なう行為を慎むことである。

コントロールの効かない行き過ぎたゲーム・インターネット環境は、この大切な能力を物理的にダメにしてしまうことが懸念されています。だから私たちはもっと真剣に子ども達に対してルール作りをしていき、大人が積極的に守っていく行動が必要なのだと思うのです。


◇ネット環境が子ども達に与える負の面もご紹介します。

例えば、人にあって話をしたり、電話をするのが苦手な子どもがいます。

その子がメールによって緊張せずに自分の気持ちを伝える体験をした際、脳の中ではメールをするという行為と不快な体験が避けられたという結果が結びつけられます。結果、人に会って話をしたり、電話をしたりとすることよりも、メールをするという行為が強化され、益々現実のコミュニケーションに苦手意識が芽生えることとなるのです。

インターネット環境を伴う電子媒体に共通することとして、対面式のコミュニケーションを避けるということがあります。文章を中心にやりとりすることが多く、対人緊張の強い人や、社会的場面が苦手な人にとって、それらの媒体は「直接の対人関係という苦痛を避けられる」という”負の強化”として働いてしまいます。

新しい電子媒体から得られる楽しみといった正の強化だけでなく、直接の対人接触に伴うストレスや不快さを避けられるという負の強化も、益々の依存を生んでしまいます。恐らく私達が望んでいる社会はこうではないはずですよね。


これら、様々な科学的な視点からネット環境の危惧を表現していることが、非常に腑に落ちる展開となっています。

そして本書の第7章ではどうやって依存を克服していくかという事に向かっていくのが本の内容となっていますが、あまりにも長くなってしまましたので、その事についてはまた機会を見てご紹介できればと思います。

少なくとも今の私たちが行わなければならないこととして、インターネット環境を有する電子媒体は非常に便利で快適であるものの、その反面、とてつもなく大きな負の要素が存在しているということを理解すること。そしてその事実を大人も子どもも共有することが何より大事なのだと感じています。

昨年の10月に出すこととなった協議会メッセージにおいても、残念ながらその真意までは表現しきれておりません。

子ども達(大人も)が、なぜyoutubeなどの動画サイトに熱中しているのか。なぜ、長時間ネットサーフィンをしているのか。なぜ、長時間オンラインゲームに熱中しているのか。ただ、現実社会で群れる場所がなく、しかたなくバーチャル上で群れるためにやっているのか。でも実際にはそれだけではなく、脳がその短絡的な刺激を求めて、それに身体が支配されているということを気付かなければなりません。

その様な環境下、大人は子ども達がネットトラブルに巻き込まれない様にと、ただ見守るのみで良いのか?

私はずっと懸念だった事が、この本と出会ったことで明快に言葉になりつつあります。
ネットいじめや、ネットトラブルの当事者になってしまうことも非常に危険な事であり、絶対的に避けなければならない事ですが、人間としての大事な能力を育むべき時期における、貴重な機会・時間の浪費や、Go/NoGo課題と勤勉性という観点から言っても、多大な損失をしていることに気がつかなければなりません。

私自身、行政に関わる機会を得ている者の一人として、そして保護者として、地域の大人の一人として、もう少し、この危惧すべき環境にエネルギーを注いでいきたいと思います。

*青少年問題協議会におけるスマホ等のルールづくりに向けた動き
https://hiranoyoshifumi.jp/2015/02/10/4652

*青少年問題協議会で発行した啓発リーフレット
http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/media/k2/items/book/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88_151028021819.pdf

 

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