-平成26年1月21日 (火)記載-
つい先日の北海道新聞で下記のような記事が掲載されておりました。
重機のオペレーターが足りないという話しでありまして、これは建設業にとっては1年中を通しての話しとなりますが、特にこの除排雪に関しては深刻な問題でありまして、まず除雪従事者は雪が降っても降らなくても、連日「降る」と思って待機しなければなりません。よほどの確信がなければ、正月だからといって夜更かしてお酒を呑むこともできなければ、冬休みだから家族で一泊旅行でもしようか!という事すらできません。何より、シーズン中は実働時間以外も毎日が待機モードです。
しかし、多くの場合、その心配・拘束に関する対価は得られません。
請負業者の視点としても、路線除雪等では重機と燃料代を考慮すると人件費を上げることは不可能です。記事にもあるように日頃の「人間関係」のつてで、何とか人員を確保している状況かと思います。
これは今後、益々深刻になるでしょうし、夏場の仕事ですら職人不足でモノゴトが進まない時代になってしまっていますので、更に就業時間と休日がまったく予測の付かない冬期の除排雪業務となると、これまた更にハードルが上がることが予想されます。
ただ、不足すれば売り手市場になるのは現実かと思います。
これからの考え方として、誰でもできる仕事はロボットでも出来る。誰にでも簡単には出来ないスキルを身につけることが、人間としての存在価値を明確に持ち、それが自己の確立に繋がっていくという覚悟が必要なのかもしれません。
では、それをどこに見出すのか。
それを教育という世界で導いていかなければならないのだろうと感じています。(ここから話しは急に脱線し、書きながらブログのタイトルも変更してしまいました・・(汗))
例えば、アメリカのデューク大学の研究者であるキャシー・デビットソン氏が2011年8月にニューヨークタイムズによせたインタビュー記事によると「2011年度にアメリカの小学校に入学した子ども達の65%は、大学卒業時には今は存在していない職業に就くだろう」というお話。(以前からかなり話題になっているので、少し検索すると様々な記事が投稿されています。【クリック】)
もう、良い学校に入って、今をときめく成長企業に就職する。というのは決して安泰ではない。
ごく近い将来、その65%が現在存在していない職業に就くという事は、言い換えればそれだけの職業が失われていくということと言っても良いと思いますが、例えば、今googleやトヨタなどが進めている自動運転の技術が確立されれば、私たちの周辺から運転手という職業が無くなるのかもしれません。
更には3Dプリンター一つとっても、製造業にとってどんな革命をもたらすのか未知数でありながら、恐ろしいほど高い可能性を秘めている。そんな話題は世間にはゴロゴロとしています。
もうどんな産業がこれから発展し、社会がどう変化をしていくのかを正確に予測することは難しく、その時々で必要とされる能力は進化のプロセスによって大きく異なってくることが想像されます。
そんな状況を鑑み、アメリカの教育関連ニュースサイト「MindShift」では、大学生が今まで存在しなかった職業に就くためにどの専門を選ぶのが有利かを考え始めていることが報じられているらしく、その導くところは結局のところ、コミュニケーションやチームワークなど「転移可能な一般的能力」を重視せざるを得ないということになるようです。(あくまで他の記事で読んだ事の受け売りですが・・)
いずれにせよ、言われた事だけを黙々とこなすような人は「機械」にその場を奪われてしまうことは確実でしょうから、いかに自らが課題を発見し、チームワークを含めてそれを解決していくための能力を保持しているか。という面を磨くに尽きるような気がします。
それらを考えていくと、今、多くの子ども達が家の中で画面に向かってネットゲームをしていたり、TVにかじりついたりしている光景は、あまりにも受動的&刹那的な魅力にとりつかれて、リアルな成長の機会を逸しているような気がしてなりません。
それは地域のあそび環境から、保護者の気の持ちようまで、社会全体で改善していかなければならない非常に危惧すべき状況であると言っても決して過言ではないと思っています。
しかし、私自身、そんな教育ができているかというと甚だ疑問であり、反省点ばかりが先行します。
ゲームやTVに夢中にならざるを得ない環境をつくっているのは正に親の行動によるものであり、我が家においては紛れもなく「あまり家にいない&居ても疲れていて一緒に遊ぶことすらできない」という私の責任であります。何とかコミュニケーションを取ろうとして子ども達とトランプでも!と言って妻と子ども二人の3人で始めるものの、私は疲れていて参加する余力がなく、ソファで寝そべってipadで諸情報を巡回している。な~んて良くない状況が多発しています。
そんな背中を見て育つ以上、子ども達が悪い影響を受けるのは当たり前のことであり、それを少しでも改善しようとここのところ悪あがき中です。その悪あがきのお話はまた後日・・。
以前、南空知PTA連合会研究大会の最後の挨拶で、「子どもは親の言った通りには育たない。親のやった通りに育つ。」という言葉を軸にお話をさせていただいた事があります。今、改めて自分にその言葉を課さなければなりません(汗)
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