ここまで、遊び環境の劣化とインターネット等の普及により現れた危惧すべき事項を記載してきましたが、あらためて子育て全体を見渡すと、もう一つ大きな課題が見えてきます。
おじいちゃん、おばあちゃんが家族という単位で子育てに携わるのは地球上の動物の中では人間だけと言われています。(群れという単位においては類似するようなものはあるかもしれませんが。)これは、複雑な人間社会に適応する大人に育てるには、もの凄くエネルギーが必要で、両親だけでは足りないことの証明とさえ言われます。
しかし今は「父は仕事、残った母一人、子一人がマンションの密室で子育てをする」ということが珍しくない状況。言い換えると、これは人類始まって以来の危機といっても決して大げさではないと聞いた事があります。だから三世代同居が好ましいという短絡的発想でモノゴトが進むわけはなく、必要に応じて社会全体でフォローしていく必要があると考えています。
また、これまでの日本の美徳であれば、「人に迷惑をかけない」ということが理想とされますが、この難しい時代においては、より良いコミュニティづくりは楽しくお互いに頼り合える、言い換えれば迷惑をかけ合える様な関係を築くのが理想なのかもしれません。子育てを通すと、そんな互いに尊重し互いに頼りあえる。迷惑をかけあうことができる環境づくりができると思っているのですが、そのきっかけとなったのは、平成26年10月に開催された男女共同参画市民フォーラムinいわみざわにおける松居和氏の講演でした。
どうして人間は0歳児から生まれるのか。
ゼロ歳児は話せない。
これには意味がある。
生後2ヶ月ぐらいで必ず笑う。大人は嬉しくなる。自分が良い人間だと感じる。夫婦や近隣の大人と一緒に眺めると、そのなかで心が一つになる。
人間は心を一つにするのが好き。
一つ屋根の下に赤ちゃんがいるだけで空気が変わる=心を一つにしようとするから。
人間は子育てをしながら双方向で育つ。言葉を話せない赤ちゃんを前に、両親、祖父母、近所の人々等、複数人で育てる。これは非常に手のかかる絶対的存在の赤ちゃんを育てることで、自分たちも育つ。そして存在する意義を見出す。そこにモラルが生まれる。
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常々、今を生きる子ども達を取り巻く環境が悪化している原因は「大人」にあるということを私も述べてきました。言葉を借りるならば、社会から「親心」が失われていくと、優しさや許す力が消えていく。社会の「親心」から何とかしなければ次代は変わらないということ。
また、現代の時代の流れにおいて、子育てが「親」の手から「システム」の手に移るとどうなってしまうのか。政治という観点においても決して蔑ろにしてはならない部分です。
あらためて、こちらのyoutubeをご覧いただくことをお奨めいたします。
次の投稿からは、この様な課題を踏まえ、強く逞しい子ども達として育つために、とってどんな事が必要なのかについて考えていきたいと思います。