よく「日本人は場の空気を重んじる。」
悪く言えば思考停止とか、自分の意見を持たない。とも言われます。それは一体なぜなのでしょうか?
以前読んだ記事によると、既に欧米では就業者の3分の1以上が「考えること」を職業にしていると言われています。それは、これから社会が必要とする能力とは「何を知っているか」ではなく「知っていることで何ができるか」、そういうことが求められていると言いかえることができる。という事でもあります。
1980年に発行された「第三の波」の執筆者であるアルビン・トフラーは、きょうの日本の最大の問題を「教育である」と断言しています。
「日本が国際社会で生き残るためには、何よりも『Think』考えることです。教育の現場を見てください。時間どおりに生徒が教室に集まり、大人数で授業を受ける。これは、工場で働くための練習みたいなものです」という指摘をしています。(2014年第二定例会一般質問より抜粋)
Think! → ここで創造性教育の必要性を考えてみましょう。
【創造的発想の例】
東海大名誉教授 川崎一彦氏の言葉から抜粋
問)雨の降っている深夜、あなたは車を運転しています。他に同乗者が二人。走っていると、助けを求めている人が見えました。車を止めると3名の困っている人たちが。
1: 重病の老婦人
2: 過去にあなたを助けてくれた旧友
3: あなたの理想の結婚相手。
車の定員は4名。さぁ、どうする?
という状況。
こういうところでも創造性の違いがでてくると思われます。
決して上記3名の内の誰か一人を選ぶというのが正解ではないはず。現実を考えると、道交法を犯してでも、危険がないと判断できれば3名とも無理やり載せるのも正解かもしれない。また、走行しないで3名を車に詰め込み、次の車が来るのを待つのも正解かもしれない。
また、自分が降りて、他の同乗者に運転を託して重病の老婦人と旧友を車に載せ、自分は理想の結婚相手とその場に残るというのも大正解であるかもしれない。当たり前ですが、正解は一つではないということ。また、3人の中で誰か一人だけ選ぶという様に、自分で勝手に小さな枠をつくりあげて、その自ら狭めてしまったルールの中から選択するようなことでもないと思うのです。
その自由な発想で、臨機応変に決断できるかどうか。
これはこれから先、誰にも予測のつかない社会の進化においては、何よりも重要な能力のような気がしています。
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例えば、アメリカのデューク大学の研究者であるキャシー・デビットソン氏が2011年8月にニューヨークタイムズによせたインタビュー記事によると「2011年度にアメリカの小学校に入学した子ども達の65%は、大学卒業時には今は存在していない職業に就くだろう」というお話。(以前からかなり話題になっているので、少し検索すると様々な記事が投稿されています。【クリック】)
もう、「良い学校に入って、今をときめく成長企業に就職する。」というのは決して安泰ではないと誰もが感じています。
ごく近い将来、その65%が現在存在していない職業に就くという事は、言い換えればそれだけの職業が失われていくということと言っても良いと思いますが、例えば、今googleやテスラ、トヨタ等などが進めている自動運転の技術が確立されれば、私たちの周辺から運転手という職業が無くなるのかもしれません。更には3Dプリンター一つとっても、製造業や流通業界にとってどんな革命をもたらすのか未知数でありながら、恐ろしいほど高い可能性を秘めています。そんな話題は世間にはゴロゴロとしています。
もうどの様な産業がこれから発展し、社会がどう変化をしていくのかを正確に予測することは難しく、その時々で必要とされる能力は進化のプロセスによって大きく異なってくることが想像されます。
そんな状況を鑑み、アメリカの教育関連ニュースサイト「MindShift」では、大学生が今まで存在しなかった職業に就くためにどの専門を選ぶのが有利かを考え始めていることが報じられているらしく、その導くところは結局のところ、コミュニケーションやチームワークなど「転移可能な一般的能力」を重視せざるを得ないということになるようです。(あくまで他の記事で読んだ事の受け売りですが・・)いずれにせよ、言われた事だけを黙々とこなすような人は「機械」にその場を奪われてしまうことは確実でしょうから、いかに自らが課題を発見し、チームワークを含めてそれを解決していくための能力を保持しているか。という面を磨くに尽きるような気がします。(2014年1月拙著ブログより抜粋)
だからこそ、一人ひとりの創造性を高める環境が必要だと考えています。
これまで記載してきた課題にしっかりと向き合い、一つずつ解決していく努力をしていかなくてはなりません。
その一つの手法として身近なところで取り組みを進めているのが、岩見沢でプレーパークを実現しようという動きです。
子ども達には脳科学の発達に適した時期に、できるだけ多くの活きた経験をさせていあげなければならないと信じています。それには五感をフルに活用する遊び環境が効果を発揮します。
プレーパークの概念はこの考え方に見事に当てはまります。
子どもの自主性を尊重し育むこと。その場において、子どものやりたいことをやる。寝ててもイイ、漫画を読んでいても良い。でも徹底的にキタナイアブナイウルサイを実践できる環境。大人は子どもが予期できない命に関わるような危険(ハザード)は徹底して取り除き、自分で怪我するかどうか判断可能な小さな危険(リスク)は距離を持って見守る。
子ども同士が群れてコミュニケーション能力を磨く、自然を相手に遊びを発明し、創造性を育んでいく。 更に保護者が見守り力を身につけていくことで、子どもへの接し方が劇的に変わっていく。
そんな環境をどうやって岩見沢市内で当たり前にしていけるか。これがとても重要だと思っています。
消費あそびではなく、子どもの自主性を育むことのできる遊び環境の実現を目指したいのです。
[参考例1 川崎市子ども夢パーク]
[参考例2 千葉市子どもたちの森公園]
ここで記載したプレーパークは、数ある手法の一つでしかありませんが、岩見沢には利根別原生林という貴重な環境があります。他にも教育大等、岩見沢ならではのアドバンテージも勘案することができると思います。是非、実現できる様に努力していきます。
そして創造力を高めるために、もっとも必要な経験になろうと考えているのが「熱中」する力です。