〈令和2年8月17日投稿〉
目指す「小樽港湾事務所のみなと資料コーナー」はすぐ近く。
今回の炭鉄港カードの旅、月形町以外は全て同行しているハチ吉を遊ばせてから向かいます。
実はここには2年前に北海道「炭鉄港」市町村議員連盟の研修会でお世話になったことがあり、その時は北防波堤を海から間近に見られるように船を出していただいた経緯があります。
今回も改めて、この北防波堤を作った広井勇博士の凄さを感じてみたいと思っての訪問です。
〈令和2年8月17日投稿〉
目指す「小樽港湾事務所のみなと資料コーナー」はすぐ近く。
今回の炭鉄港カードの旅、月形町以外は全て同行しているハチ吉を遊ばせてから向かいます。
実はここには2年前に北海道「炭鉄港」市町村議員連盟の研修会でお世話になったことがあり、その時は北防波堤を海から間近に見られるように船を出していただいた経緯があります。
今回も改めて、この北防波堤を作った広井勇博士の凄さを感じてみたいと思っての訪問です。
〈令和2年8月17日投稿〉
小樽市総合博物館の入場の際、街中にある小樽市総合博物館〈運河館〉も入館できる券にしたため、そちらにも行ってみました。
こちらは入ると北前船がドドーンと打ち出され、他にも往年の小樽の暮らしや自然などが取り上げられていました。
北前船の歴史は、以前富山でも触れたことがあり、この大きな流れが身近な小樽にあることを改めて感じることができました。また炭鉄港においても、蝦夷地から北前船で運ばれた海産物が薩摩に渡り、そこから琉球を通した密貿易で莫大な資金を得て明治維新に繋がっていくなど、決して無関係ではないと認識しています。
更に建物も軟石づくりの重厚感のあるもの。この建物を見るだけでも価値のある博物館でした。
*実はへぇ!へぇ~!と様々に感激していて、1枚も画像を撮っていないことに気づきます。
炭鉄港カードを配布している小樽運河プラザはこの博物館のすぐ近く。
そのまま歩いてカードをいただくと共に、小樽のB級グルメでもある「あんかけ焼きそば」のお土産を購入。
ちなみにこの運河通り、今や一大観光地となっている小樽運河も、過去には負の遺産として埋め立ての危機にありました。昭和40年代、時代は車社会へと以降する中で、この運河の埋め立てと倉庫群を解体し、6車線化する計画が決定。
その後、保存運動が高まり計画が変更され現在に至ります。
景観も悪く悪臭にも悩まされていた負の遺産が、見方を変えることで一転して観光資源となった状況は、私達、「炭鉄港」の特に炭鉱の部分に関連する地域において、様々に示唆するものがあると感じます。
*国交省資料
https://www.mlit.go.jp/crd/city/mint/htm_doc/pdf/005otaru2.pdf
〈令和2年6月16日投稿〉
先程、北海道「炭鉄港」議員連盟の打合せやご挨拶を兼ね、空知総合振興局にお伺いしてきました。あらためて連携を密に、この炭鉄港を共に盛り上げていきたいと思っています。
さて、せっかく昨年5月に日本遺産認定された炭鉄港も、この度の新型コロナウイルスの影響によりすっかり活動にブレーキがかかってしまっておりますが、6月19日(金)からは外出自粛要請も「段階的緩和」となり、観光等も徐々に活発化してくることが予想されます。
もちろん、まだまだ予断を許さず慎重な行動が必要となりますが、広々とした産業遺産等が主で三密になりにくい「炭鉄港」は、あらためて地域の歴史や価値を見直すことができる良質な観光として、あんしん安全でウィズコロナの時代にも適したものではないかと思っています。
もちろん、場所によってはヒグマの出没に注意しなければなりませんが、日本遺産の構成文化財でも殆どは安全な場所にあります。
その様な要素もあり、この度、6月19日(金)からは「炭鉄港カード」なる事業がスタートするそうです。
〈令和元年5月20日(月)〉
本日以降の報道等でも随時取り上げられると思いますが、本日、ー本邦国策を北海道に観よ!ー 北の産業革命「炭鉄港」が日本遺産に認定されました。
この岩見沢市にも日本遺産構成資産として、岩見沢レールセンター、朝日駅舎、操車場跡、そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターが使用している明治期の石蔵の4つが認定されました。
市内に日本遺産構成資産が出来たのは本当に誇らしいことです。
さて、江戸末期から明治にかけてアジア諸国が欧米列強に侵略されていく中で、なぜ日本だけが侵略を免れ、独自の進化を遂げることができたのか?
この答えは明治日本の産業革命遺産-製鉄・製鋼、造船、石炭産業-に見ることができますが、それらとの深い繋がりの中で日本の経済成長を支えたのは、幕末期に薩摩の島津斉彬公の意思を礎とする北海道の産業革命であり、その中心は私たちの地域である空知の石炭、小樽の港、室蘭の港と製鋼、それらを繋いだ鉄道で構成する【炭鉄港】でした。
一見難しいその流れにおいて、世界遺産との正統な関係と、この炭鉄港が岩見沢にもたらす可能性等を「頭のあまり良くない私でもわかるように自分でまとめたセミナー」の動画がありますので、是非ご覧いただければ幸いです。
あまり上手には話せてないのですが、この動画を見ていただければきっと炭鉄港のイメージをつくれると思います。
https://www.youtube.com/watch?v=dtaAiQi99_0&feature=youtu.be
〈平成31年3月22日投稿〉
3月25日(月)18:30より
表題の通り、「炭鉄港と岩見沢」と題した目指せ日本遺産!認定応援セミナーを開催します。
開催趣旨として、現在、日本遺産申請中(本年5月頃に可否見込み)の「炭鉄港」は、北海道開拓から現在までの私達の地域の歩みを再認識させてくれるもの。
そのルーツは幕末の薩摩藩(鹿児島)から。それらの繋がりを含め、そもそも「炭鉄港」とは何か?私達の地域に与える影響は?など「炭鉄港」を全く知らない人でも楽しめる、岩見沢に誇りや希望が持てるお話にしたいと考えています。
ポイントとして!
1)そもそも「炭鉄港」って何?
2)世界文化遺産「明治日本の産業革命」との深い繋がり
3)それらが岩見沢にもたらす効果?
4)総評的まとめ
という構成で、1)~3)までは私が行い、4)の総評的まとめでNPO法人 炭鉱の記憶推進事業団の吉岡宏高理事長にご登壇願う予定となっています。
是非、炭鉄港なんて言葉も聞いたことがない!という様な方にもご参加いただければ嬉しく存じます。
本セミナーは入場無料、どなたでもお気軽にご参加いただけます。(先着70名(この様な企画ゆえ満席になることはなかなか考えにくいですが・・))
私達の地域にある身近なものを通すと、、、
■岩見沢駅の北側にあるレールセンターの星のマークの由来は何?
■どうしてこれと似ているマークが鹿児島にあるの?
という様な部分なども含め、できるだけわかりやすくお話したいと思っています。
そのお話のベースになるのが、この時の視察です。
https://hiranoyoshifumi.jp/2019/02/25/10841
当初はこの視察の報告会として開催予定でしたが、どうせやるなら「炭鉄港の日本遺産認定応援セミナー」として、一人でも多くの方に知っていただきたい思いでこの様な手法を取らせていただきます。
実際、選挙も近くてそれどころではない!という雰囲気もありますが、議員として目先の選挙に力を入れるよりも、本来やるべきことの「より岩見沢の未来につながること」に力を入れていくべきとの思いです。
是非、お気軽に知る楽しみを味わいにご参加いただければ幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。
facebookのイベントページはこちらからご覧になれます。
https://www.facebook.com/events/301741760502599/
〈平成30年4月24日投稿〉
4月19日(木)小樽の地で炭鉄港議連定期総会が開催されました。
昨年3月に創立してからあっという間の1年となります。
1年目は夕張、赤平、室蘭で研修会を開催し、盛りだくさんの内容となりましたが、今年は少しペースを落としてでも大事にじわじわと浸透していくような活動を展開できればと目論んでおります。
総会終了後は、小樽市総合博物館の石川直章館長様にご協力いただき、「小樽の歴史と遺産を知る」と題してご講演いただきました。炭鉄港の取り組みにおける小樽の重要度を再認識することができます。
平成29年3月19日(日)北海道「炭鉄港」市町村議員連盟、無事に船出ができました。ご賛同、ご参加いただいた議員の皆様に心より感謝申し上げます。
また、これを機に各地の人々が自分達の地域に誇りを持ち、その誇りを各地で連携していく事が出来れば、空知、そして小樽、室蘭の地域は明らかに変化していけると感じています。
日本の近代化を支えた一大価値を誇る空知。北海道の玄関口として栄え、石炭の積み出しを担った小樽。石炭産業の様々な流れが製綱業に繋がった室蘭。それら三都を繋いだ鉄道。「炭鉄港」は、これまでの人口ボーナス期から人口オーナス期に転換した私たちの社会環境に働きかける大きな切り口の一つだと思っています。
その賛同者が8市2町66名+道議会の顧問団11名という大規模なスタートを切れたことに多大なプレッシャーと安堵が共存するわけですが、この切り口は各地がwin-winになれる巨大な器に化すことが目に浮かびます。
すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなるの法則の如く、これからの次代を開拓するキーは、時間をかけて着実に育んでいかなくてはならないと覚悟を決めるのみです。
本議員連盟の会長は空知地域、赤平市の植村真美議員、副会長に小樽の安斎哲也議員、室蘭の南川達彦議員という構成で、昨年末より設立の準備を進めてきたこともあり、私は幹事長の役を仰せつかり、事務方最前線の要として活動させていただくこととなりました事をご報告させていただきます。
*********************
あらためて炭鉄港についてはこちらのサイトが参考になると思います。
http://soratan.sakura.ne.jp/3city/
https://www.facebook.com/tantetsukou/
明治維新前後からの流れや、薩摩藩とこの地域との深い関わりなど、あまり近代に関心を向けることがなかった私達にとって、自分たちの地域の成り立ちなど、非常に興味深いことが溢れています。他にも種々「炭鉄港」や「炭・鉄・港」などで検索していただけると色々と情報が出てくると思います。また、今後はこの言葉が一般的に認知され、益々情報量が増えてくることを期待します。
また早速、北海道「炭鉄港」市町村議員連盟のfacebookページも作成いたしました。
https://www.facebook.com/tantetsuko/?hc_ref=PAGES_TIMELINE
この活動は北海道150年の節目のみならず、明治以降の日本の近代化を支えた地域であることに誇りを持てるように、地域アイデンティティの一つの大きな要素として、着実に育んでいきたいと願っています。
平成29年3月10日
*************
《平成29年3月14日追記》
3月19日(日)15時30分より、グリーンランドホテルサンプラザで開催する記念講演を、急遽一般公開することといたしました。事前申し込み不要・参加費無料です。
下記をお読みいただき、「炭鉄港」に魅力を感じていただけましたら是非ご参加ください。(まず無いとは思いますが、満席になってしまった場合は立ち見等をご了承下さい)
*************
先日、どこかから情報を察知してくれた北海道新聞岩見沢支局の町田記者に取材のお話をいただき、早速今朝の北海道新聞朝刊の第3社会面で取り上げていただきました(14日追記:今朝は毎日新聞が大きく掲載してくれました)[記事画像を掲載したいところですが、残念ながら著作権上問題ありの模様。]が、現在、3月19日設立に向けて”北海道「炭鉄港」市町村議員連盟”の発足準備をしています。
その発起人会は昨年12月に立ち上げ、代表は言い出しっぺである赤平市の植村議員、私が事務担当、他に小樽の安斎議員、室蘭の南川議員の4名で立ち上げたものです。現在、空知管内13の市町議会に声掛けをさせていただき、小樽、室蘭を入れると15市町議会にご案内をさせていただいたところで、本日現在で9市町41名にご賛同いただき、13日の取りまとめ日までにはもう少し伸びることを予想しています(15日現在:三笠市議2名が加わってくれることとなり9市2町66名)。さらに、地域が広域になる事から、北海道議会へもお伺いさせていただき、ご理解とご協力のお願いをさせていただいたところです。
********
そもそも”炭鉄港”とは何か?というと、空知の「石炭」、それを積み出した小樽の「港」、石炭産業がベースとなる室蘭の「鉄鋼(&港)」そしてそれら三都を結んだ「鉄道」という括りでの「炭鉄港」というストーリー展開を掲げ、2010年から民間サイドで連携が図られてきたものです。
http://soratan.sakura.ne.jp/3city/#
この取組は2016年度には空知総合振興局においてもストーリー構築事業が公募プロポーザルで発注されるなど、いよいよ官民共に動きが活発化してきたところです。
その背景としても、平成25年に世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産」の流れが、北海道開拓期より薩摩藩などの意向により直接的にこの地域につながっていること。また、前述世界遺産が国内広域にわたり、なおかつ現存物が少ないことなどに対し、本炭鉄港は僅か100km管内に現存する貴重な遺産が沢山ある。それらを踏まえると、大いに今後の展開が期待されるものです。
すでに日本国内は急成長を遂げた人口ボーナス期から、人口オーナス(重荷・負担)期へと完全にシフトしており、尚且つ観光的視点に関しても、より歴史文化、ヘリテージ系に関心が高まりつつあることから、あらためて交流人口拡大の有効性を発揮するための核として、この近代日本を支えた炭鉄港地域に大きな可能性を感じることができるのです。
また何より、石炭産業の衰退に合わせ、ピーク時には約80万人を数えた空知の人口が、今や30万人少々というぐらいまで落ち込んだことにより、今、これらの地域に住む人々の意識が、石炭産業の華やかな価値を忘れ去り「負の遺産」「負の記憶」という認識に結びつけられているのでは?と思われていることに危惧をするのです。実際には、空知は明治期より昭和半ばまで日本を支えるエネルギー産出拠点として一大価値を誇り、小樽は北前船でも有名なその港から北海道開拓民を受け入れてはエネルギーを中央へ運び出していた。室蘭は太平洋側の港の拠点として意味をなし、そして石炭産業の系譜が製鉄産業を産み根付かせた。それらには身震いするような活気があり、各地を鉄道が結び価値を確立していったという、日本の近代化を支えてきた確固たる歴史があるのです。
しかし私達はなかなかそこに気づくことができずに今を生きています。
「温故知新」
まさしく古きを訪ね新しきを知るという言葉もある通り、自分たちの暮らす地域の歴史を見直して、各地の誇りを取り戻し、そこから新しい時代を見いだしていかなくてはならない。そのような活動を推進していく中で、まずは行政ではなく、市民の代表である議員から地域連携を行い、様々なレベルで発生するであろう取組を下支えしていくための器づくりをしたいと考えています。
それが今回新聞記事でも取り上げていただいた北海道「炭鉄港」市町村議員連盟となります。
この炭鉄港の認識には、地域や個人において大きな開きがあります。まずはそれを狭めていくこと。議員同士でこれらの価値を共有することで、各地域においての活動を支援しムーブメントにつなげていくことを想定しています。
まずは3月19日(日)
一人でも多くの賛同者と共に、北海道「炭鉄港」市町村議員連盟の立ち上げができるよう、もうひと踏ん張りしたいと思っています。
そして私事になりますが、これらの活動はあらためて北海道、空知の中における岩見沢の価値を再構築するものとなり、これまで自身が取り組んでいる「シビックプライド」の流れにピッタリとマッチするものでもあります。もちろん岩見沢以外の地域ともWIN-WINでなければ意味の無いものです。
それぞれに ~自分たちの住む地域に愛着と誇りを~
それはまずは知ることから始まるのだと思うのです。知った上でなければ見えてこない道筋がある。
色々と重なり大変ではありますが、私の見据える先は1方向のみ。
頑張ります。
日本の近代化を支えた、石炭と鉄鋼、港湾という視点で、今日の北海道を築く基礎となった「空知・室蘭・小樽」の繋がりをストーリーとして理解しやすくする取組をご紹介させていただきます。
皆様ご承知の通り、岩見沢は幌内で発見された石炭がきっかけで出来た町です。その後一気に開発された空知各地の炭鉱で採掘される石炭を本州へ運び出すための鉄路の拠点でありました。
今、この近代化の過程が見直されつつあります。
北海道と薩摩藩の繋がりは知れば知るほど日本近代化の背景を理解することに繋がるし、何よりこの近代の北海道「炭鉄港」が歩んできた歴史は、疲弊した空知(現在の空知の人口はピーク時の80万人弱から現在約30万人という4割程度しかいない)の地に再度、脚光を浴びせることのできる可能性の高いもの。
また、空知の石炭がきっかけとなって出来た室蘭港や鉄鋼業の流れ、小樽の港湾、それらを繋げる鉄道との背景には、2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」にも勝るとも劣らない資源が埋もれています。
それらの取組の一貫として、2月26日(日)札幌にてセミナーが開催されますので是非ご参加ください。
詳細はリンク先をご覧ください。
https://www.facebook.com/tantetsukou/?pnref=story
この石炭を運ぶ交通の要衝として栄えた岩見沢は、人やモノだけではなく、あらゆる価値観や情報なども集まっては分散していったHUBの地。この炭鉄港の流れにおいて重要な役割を担う地として自覚することが重要だと認識しています。
ちなみに、来年は北海道150年と明治維新150年の年となります。
あらためて自分たちの地域が歩んできた足元を見直す時期にきていると認識すると共に、これら過去からの積み重ねからも、未来の岩見沢にとって駅周辺が重要になることを感じています。
そのあたりはまた機会があればご紹介してみようと思います。
平成27年3月28日(土)29日(日)の二日間、一泊で開催される「小樽・木村塾」に参加してきました。
これは以前、元スーパー公務員であり、本日平成27年4月1日より、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部の特別参与として活躍される木村俊昭氏が主宰する塾です。
以前、士別市であった講演に伺ったのを機に、我が所属会派のシンポジウムの講師としてご依頼をさせていただき、その様なご縁で今回の木村塾にお誘いをいただいたものです。
本来であれば、自身の選挙前ということもあり参加を迷ったところでもありますが、市民が求める議員というのは、選挙の挨拶廻りを優先するよりも、少しでもスキルを上げるために研鑽を続ける議員であろうと信じ、目先の活動よりも身になる事を信じて優先させていただきました。
この合宿は土曜日の夕方から始まり、夕食を挟んでの講義・ディスカッション。その後、場所を移し、お酒を飲みながら夜通しディスカッションを行い、また朝7時の朝食談義から、午前中一杯講義やプレゼンが続くという、なかなかハードなものです。