視察を終えてきました(炭鉄港と明治日本の産業革命遺産との関連)〈簡易報告〉

〈平成31年2月25日投稿〉

先日2月19日~21日の3日間、政務活動費(会派に対し一人あたり1万円/月)の残を7割ほど充当させていただき、現在日本遺産認定の申請中であり、この岩見沢の未来に大きく関係すると考えている「炭鉄港」のルーツと課題、根拠を調査すべく〈世界文化遺産 明治日本の産業革命遺産〉の一部を視察させていだだいてきました。

■2月19日(火)佐賀市 三重津海軍所跡

朝5時半に自宅を出発し、12時50分には現地に到着することができました。

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三重津海軍所跡という世界文化遺産の構成地ですが、実際にはその跡は地中に埋まっていて見ることはできない珍しい世界遺産です。

ここでは、佐賀市役所担当課様及び佐野常民記念館館長様より事務調査、現地調査と多大なるお力添えを賜りました。炭鉱遺産にも通じる実際に目にすることができない地中に埋まった世界遺産を、どう来場していただいた方に感じていただけるかという部分においても大いに参考になりました。

その後、新幹線で鹿児島へ移動。

■2月20日(水)

二日目は鹿児島市へ。
北海道開拓や空知の発展、もちろんこの岩見沢にとっても重要な要素を持つ薩摩藩と炭鉄港の繋がりを強く再確認することとなりました。

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この星のマーク(↑鹿児島)は岩見沢駅の北側にあるレールセンターの北炭社章(↓)と良く似ていますね。

五稜星

この薩摩藩は炭鉄港のルーツとなる北海道開拓や北海道炭鉱鉄道、各地の炭鉱や港などを開発した随所に薩摩藩出身者が強く関わっており、そのルーツを世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に見ることができます。

是非、そのルーツをわかりやすく、岩見沢を始めとする炭鉄港に関わるまちの方々と共有したいと願っています。

それらのレクチャーは尚古集成館の館長である松尾様がお時間を割いてくださいました。

なんと朝9時から夕方の6時まで、マンツーマンでのレクチャーは本当に貴重な経験で、薩摩と炭鉄港のつながりに根拠を与えていただきました。

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■2月20日(木)

朝、7時半の新幹線で大牟田市まで北上。
目的は世界遺産である三池炭鉱周辺施設の視察です。

ここでは主にガイドさんの課題や登録前後の状況についてお伺いをしてきました。その対応をしていただいたのは大牟田観光協会に所属するボランティがガイドのU様です。

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ここでは視察範囲も広く、公共交通機関での移動は時間のロスが大きいため、朝10時にレンタカー屋さんでU様と待ち合わせし、それから飛行機に間に合う時間ギリギリの14時過ぎまで同行いただき、世界遺産となった宮原坑、万田坑、三池港を始め、様々な関連施設を巡り、その状況や課題、展望等を教えていただいたものです。

そして帰宅は22時半。
(帰宅途中に地震に見舞われ、走行中の車でも大きく揺れましたが、昨年の被災地にも大きな被害もなく一安心です。)

今回の視察は19日の早朝5時半に家を出て、21日の夜22時半に帰宅。その間、お土産を選ぶ時間も無いほどタイトなスケジュールで心身共に疲労困憊になりましたが、やはり百聞は一見にしかずという経験をすることができました。

一人での行動ゆえにできた詰め込み視察ですが、頭も情報過多で疲労し、したためた膨大なメモが今後の財産です。

今回の視察の目的である。現在日本遺産認定の申請中である「炭鉄港」とそのルーツの薩摩藩等を始めとする世界文化遺産 明治日本の産業革命遺産」との強い関わりを今後の私達の地域でプラスに活かすべく、3月25日の夜に視察報告会を計画中です。

詳細につきましては、その時にお話をさせていただきますが、同時に詳しい報告書も作成し、公開させていただく予定です。

まちづくりというのは、何事にも通じる「すぐに役に立つものは すぐに役にたたなくなる。」の言葉が当てはまります。

どこのまちでもできることは、すぐに真似をされたり、他に先進例がどんどん出てきたりして陳腐化してしまうことが多いです。だからこそ、是非、これまで歩んできた岩見沢の歴史を振り返り、その延長線上で未来のまちづくりを進めていく。岩見沢だから根拠がある。そんな取り組みを進めていきたいと思っています。その良きベースとなるのが、広域連携を大きなメリットにできる「炭鉄港」であり、その「地の利」を活かせるのが岩見沢だと思っています。

報告会の詳細がきまりましたら、再度告知させていただきます。何卒宜しくお願い申し上げます。

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