先ほど、岩見沢市役所 広報のフェイスブックページに[岩見沢市民気象情報]の提供を開始しました。と案内がありました。
リンク先をクリックすると・・・
http://www.agw.jp/iwamizawa/disaster/
北村、栗沢、幌向などのカメラもあって、出かける時などにはかなり重宝しそうです。
ありがたいことです!
これが何のシステムかというと・・
先ほど、岩見沢市役所 広報のフェイスブックページに[岩見沢市民気象情報]の提供を開始しました。と案内がありました。
リンク先をクリックすると・・・
http://www.agw.jp/iwamizawa/disaster/
北村、栗沢、幌向などのカメラもあって、出かける時などにはかなり重宝しそうです。
ありがたいことです!
これが何のシステムかというと・・
1月23日(水)
岩見沢青年会議所の現役メンバーで、教育系の副理事長のA山君(右)と委員長のT中君(左)が尋ねてきてくれました。
岩見沢市PTA連合会の会長として意見を聞きたいとのことでしたが、結果としては、懐かしいJC談義がほとんどだったかもしれません。あまり役には立たなかったと思いますが、こっちは大いに楽しかったです。
彼らも1年間という限られた役割の中で、様々な経験と人脈を手にし、その経験を元に実践の力を身につけていくのであります。岩見沢の教育(共育)が、どうあるべきかという柱で活躍していくことでしょう。
また遊びに来てください(笑)
この二人と連続で、今度は岩見沢4条通り商店街の若きエース、淳之介君が来てくれました。
発端は、私のFBを見て、岩見沢開基120年、市政60周年を記念してつくられた冊子を見てみたいというものでした。
平成25年1月22日(火)18:30~
現在、1月18日より市内11箇所で開催されている学校給食市民懇談会に参加してきました。
この前段階的なものは昨年末の12月19日に市P連及び単P役員を対象として事前に説明の場がもたれており、その時の様子はこちらに記載してありますので、お時間あればご覧下さい。
今回参加させていただいた懇談会では、上記説明会の時よりも資料もわかりやすくまとまっており、意見抽出の土台もできているという印象でありました。(本懇談会の資料はこちらからダウンロードできます。)
ただ、以前にも記載した通り、一般的な保護者にとってはすでに食中毒への対応は済んでおり、給食に関しては高い安全基準で実施されていると思われることから、それ以上を求める空気も弱いと感じます(万が一の事故が発生しないようにというのは大前提ですが)。
もちろん、アレルギー等の懸念事項を持った方々にとっては給食はデリケートで重大な問題もありますが、そうでない方々にとっては、極論するとセンター方式でも自校式でも食の安全がしっかりと確保されれば大勢に影響はないといった感じかもしれません。
それゆえ、語弊があるかもしれませんが、こういった懇談会に参加される方々はどちらかというと熱心な方々であり、独自の意見をもたれている方が多いのが実情であり、今回もマイクを持ってご意見された方々は全員が自校式、もしくは親子式を理想とし、ダメならせめて現状の調理所と合わせて2箇所設置を。というご意見でした。
昨年6月の議会(この時点で私はまだ議員ではありませんでしたが)においても市の考え方として表明したセンター方式で良いのでは?という人は基本的に来場されていないというのが実情だと感じます(あくまで個人的見解ですが)
そういった状況を踏まえ、昨晩の懇談会においてどんな意見が出たのかいくつかご紹介したいと思います。
平成25年1月22日(火)
しばらく乱雑になっていた身の回りを片付けていると、非常に懐かしいものがでてきました。
その中のひとつに「岩見沢のおいたちと発展の歴史」という、岩見沢開基120年、市政60周年を記念してつくられた冊子(真中一番手前)がありました。
Ⅰ 岩見沢(幌向)発祥と発展の歴史
Ⅱ 岩見沢への移住ーその理由と経路ー
・岩見沢の発祥と発展の歴史史料・資料
[岩見沢市史資料室]
どうしてこれを持っているかというと・・・
平成25年1月19日(土)
北海道新聞の空知版朝刊に下記のような新聞記事がありました。
(クリックして拡大してください)
今回の記事の一つの軸としては、住民による道路への雪出しというのがクローズアップされています。
その意見としては、「雪を捨てる場所が近くにないから、(道路に)雪を出すのは仕方がない」、「自分が我慢しても周りの人が出す」と出し続ける住人もいる。
などという市民の意見が掲載されており、最後には”市では主要幹線道路の除排雪に重点を置く一方、住宅街の雪対策を市内部で真剣に検討した形跡はうかがえない。” ー中略ー ”岩見沢市の総合力が問われる。”と締めくくられております。
1月18日(金)
今春に発行される号は道内の駅の特集になるとのことで、岩見沢複合駅舎と我々の活動である「いわみざわ駅まる。」を取り上げていただける事となりました。
そこで一度、簡単な打ち合わせを兼ね、ライターさんが岩見沢に来てくれました。
あとは30日の例会の時にカメラマンさんが同行で再度取材にきていただけるとの事で、どんな記事になるのかが今から楽しみでなりません。
季刊誌 ホッカイドウ・マガジン 「カイ」
http://www.kai-hokkaido.com/
第3回目となる今回は舛甚教育長をお招きして、現在の岩見沢市における教育の課題についてお話をいただきます。
まずは教育といっても、様々に分野があり課題も山積しております。であるならば、まずはその課題を認識した中でそれぞれに整理を行い、切り込むべき方向を定めていくのも大事なことかと思います。
そんな思いもあり、舛甚教育長よりお話をいただいた中で、参加者それぞれが、自ずからの課題として持ち帰ることのできる設えになろうかと思います。
当然、質疑応答等のお時間もありますので、日頃より教育に関心のある方は勿論、なんとなく興味を持たれた方もドシドシご参加いただければと思います。
開催日時は平成25年1月26日(土) 10:00~12:00
岩見沢市文化センター3F 創作室となります。
参加は無料ですので、お気軽にお越し下さい。
教育を考える市民の会 第一回の様子
https://hiranoyoshifumi.jp/2012/09/22/625
先日、宮城県の大和町に行ってきたお話をブログに載せました。
その目的は、磯田道史さん(武士の家計簿の作者として有名です)が書いた「無私の日本人」という本にのっている吉岡宿の有志9名による強烈な史実。
今から約240年前、税の負担も大きく、不況により寂れていく一方の吉岡を救うため、自らを犠牲にしながら大それた手法のもとに地域を救っていく実話です。
詳細は是非とも本を購入して読んでいただく事をお勧めします。三話が収められておりますが、そのどれもが日本人としての矜持を考えさせられ、さらに後書きに重みがあります。
その史実の空気に触れたいあまり、今回東北へ家族で行った際に立ち寄らせていただいたものです。
しかしながら、最初の手がかりとして立派な建物となっている大和町役場に行ってみたところ、案内係の方に伺ってみても国恩記のことはおろか、過去にそんな史実があったことすら知らない様子。他のカウンターの方へ聞いてくれるも、そこでもちんぷんかんぷん・・。
事前にネット上で大和町の議会議事録等をチェックしてみると、ちゃんとその史実にたいする答弁もあったり、町の広報誌で町長みずからがそのエピソードに触れたりしているものの、地元の方々は意外と知らないものであります。そこで役場では何の情報も得られずにガッカリ。(後で考えると教育委員会に行けば良かったかもしれません)
やむなく事前にネット上で調べた数少ない知識を頼りにこの吉岡の地を廻ってきました。
←これは九品寺に設置されている「国恩記顕彰碑」
また、まちの中には、、
1月13日(日)
地元北3条町会の定期総会でありました。
私は平成24年度の班長という立場(結果として妻が全て行いましたが・・)と、来賓というご招待を受けての参加でありました。何せ、生まれ育った地域であり、そんな中でご挨拶させていただくのも違和感がありましたが、懇親会では美味しいお酒を呑ませていただきました。
その後、岩見沢は成人式ということもあり、社会教育委員という立場(参加義務ではありませんが、参加のご案内をいただけます。)で参加させていただくこととし、車で送ってもらって会場の赤レンガホールに着くも、どうにも酒に弱い私としては、真っ赤な顔のまま会場に入ることが憚られ、熟考の末やむなく参加を断念。
新成人の晴れ姿をお祝いしたかったのと、実行委員として参加している方々の労い、いつも御世話になっているゲスト参加のシカトマサヒロ君のライブといったところも是非見たかったのですが・・・。晴れの場に真っ赤な顔してお酒臭い人間が入っていくのはどう考えても失礼と判断した結果の断念。
町会総会でお酒を遠慮するのも失礼だし・・。という結果ではありますが、お酒が弱いのは本当に損であります。