リベラルアーツとは?〈neco塾 ねこ研〉

〈平成24年12月28日(金)投稿〉

neco塾主催の「ねこ研」に初参加してきました。


liberal arts[ねこ研ナイト第四弾]

テーマ:『リベラルアーツ』

 

なぜ、今リベラルアーツなのか!
そもそもリベラルアーツとは何か!

教養とは違うのか!
「リベラルアーツとは何か?教養とは違うのか?」「リベラルアーツ教育で身につける教養とは、どんな力なのか」「なぜ、今、リベラルアーツなのか」、そんな事を幅広く研究していきます。今の世の中、何事かをなそうとするならば、専門知識はもとよりその知識を生かすための幅広い教養を身につけることが必要です。皆で研究しましょう。

という企画。


主催のneco塾というのは、今年の10月に開催した「みんなで教育を考える日」のワールドカフェを仕切ってくれたアムリプラザの岡山氏、丸山氏が主宰する「寺子屋」みたい(?)な集まりであります。

534419_415793071822915_1829439710_n

本日の話題提供は代表の岡山氏。

日頃はディベートやコミュニケーション能力を生業としつつ、傍らで大学の非常勤講師を務めるだけあって、知識の泉とも言うべき博識ぶりに圧倒される・・・。

まずは最初に自己紹介。。

その方法がとても面白く、、、

①名前
②主にしていること
③今日への期待
④次の共通点は何?→《愛・自然・存在・哲学・自由・社会・権利・個人・近代・美・芸術・彼・彼女》

という上記の単語の共通点で思い浮かぶのは何か?というのを閃いた順に行うわけです。

ちなみにこの④の答えは、本来日本語には無く、明治以降に訳されて日本語になった言葉とのこと。勿論恥ずかしながら私には全く分かりませんでした・・・。

実は、これがすでに本日のテーマである《リベラルアーツ》の導入になっていたりします。

[自由]というのは〈リベラル(liberal)〉と〈フリーダム(freedom)〉に分かれていて、liberalはラテン語が元で「つかみ取る自由」の意味合いを持ち、freedomは古英語が由来で「放置」の自由さが連想される。

また、artを芸術と訳したのは西周(にしあまね)とのことですが、art本来の意味合いには、芸術というよりは「技」「技術」と訳されるのが本来の姿ではなかったか?との論点から、リベラルアーツとは、そもそも、奴隷がその立場を脱するための技術、すなわち「人が自由になるための技術」というように連なっていくストーリー。

結果としてそれは何かと進めていくと、「教養」という言葉にたどり着くわけです。

では、そもそも教養とは?という事になると明治前と明治後では大きく変化してくる。

〈明治前〉は儒教、和歌、中国でいう科挙・四書五経等々があり、それは一言で言うと”すぐには役に立たないもの”である。という捉え方に触れつつ・・。〈明治後〉は「教養=実学」という概念が出現し、それは「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。で有名な福沢諭吉の”学問のすすめ”にもあるとおり、今の日本の繁栄をつくった基礎であるはず。(実は内容は良く知らなかったのですが、ねこ研でA4用紙3枚の”学問のすすめ 初編”をいただき(本投稿後段にごく一部を抜粋掲載)、その内容に大いに興味を持ち、つい先ほどamazonにて学問のすすめ現代訳を購入してしまった次第。)

いずれにせよ「教養」という概念が、明治前の”すぐには役に立たないもの”というものから”すぐに役立つ”に変化してきたのが現在の日本の状況を生み出しているとも言えるのではないだろうか。という切り口の中で、ではその”すぐには役にたたない”教養をどうやって身につけていくべきか・・という話題に移る。

これら「教養」については、私自身も大いに感じてきたことで、実際の勉学においては記憶力の勝負であったりしてしまうわけで、それをどう活かすか?という部分においては、人ぞれぞれの教養(私のこれまでの自己解釈としては”徳”という言葉になるのですが)をいかに身につけるか。というのがこれからの時代には何よりも大事なのでは?と感じており、その切り口がこれまで市P連でも掲げてきた「挑戦する意志」であったり「夢を見る力」、「大人が背中を見せる」にリンクします。

従って、変化の激し時代を担う人間にとって、真に身につけていかなければならない能力とは、記憶型の詰め込み能力、マニュアル適応能力などではなく、経験に裏付けされた教養であり、それすなわち人としての徳、もう一言添えるなら”人間力”なのではないかと信じているわけです。


ここで若干脱線すると、私の今の役割である議会議員というものも、岩見沢市民約89,000人の意見を全て聞いて叶えるる事は不可能な事であり、その様々な振れ幅の中で「調整・判断」を行うのが我々の努めの大事な部分であると思われます。であるならば「あいつがそう判断したんならしょうがない!」と思ってもらえるような人間でなければならないはずで、それが政治に携わる人間の資質であるべきではないかと思うのです。(本来であれば私自身、今時点でそういう人間でなければならないのですが、そこは発展途上という事で大目に見ていただかなくてはならない部分も多々あろうかと思いますが・・(汗))

だから、私はそのすぐには”役に立たない”かもしれない教養と徳を身につけていけるよう日々精進していかなければならないのだとあらためて感じた夜でした。

そんな事を振り返らせていただいた環境に感謝であります。

その後はneco塾忘年会という事で、新参者ながらも一緒に混ぜていただき、非常に楽しい会話をさせていただきました。何せ、それぞれが能力の高い人たちばかりで、もの凄く多くの刺激をいただける場となりました。

533602_405537042854729_22798912_n

まずはこういう貴重な場に巡り会えたことを嬉しく思うと共に、これからも定期的にリベラルアーツというテーマで掘り下げていく予定となりますので、是非とも積極的に参加していきたいと考えております。もし、こういう場に興味がある方がいらっしゃればご一緒しましょう。(neco塾含め)

まったくもって、カチカチと決め事をして遂行していくような会ではなく、その場の議論によって柔軟に変化していく幅の広さが魅力の方々でありました。


最後に、、

福沢諭吉の「学問のすすめ」の一部を抜粋。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば同じ天上より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずに者を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明かなり。「実語教」に「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をするものを身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い心配する仕事はむつかしくて、手足を用いる力役はやすし。故に、医学、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。

身分重くして貴ければ自ずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとに由ってその相違も出来たるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺に云わく、「天は冨貴を人に与えずしてこれをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言える通り、人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり冨人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

学問とは、ただむつかしき字を知り、解き難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学も自ずから人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に功者なる町人も希なり。これがため心ある町人百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。

されば今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。
譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取り扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条は甚だ多し。地理学とは日本国中は勿論・・・・・うんぬん・・

と、和歌や儒者和学者等の実りなき学問を否定し、すぐに実になる実学に向けた方向性を説いていくのがこれらの部分であり、まさしく今の日本をつくった根幹にあるような気がします。この多様、複雑化している現状において、実学に特化した現代の学問を今一度、人間としての根っこにあたる”すぐに役に立たない”ものを身につけていくことって、実はとても大事な事のような気がしてなりません。

8 thoughts on “リベラルアーツとは?〈neco塾 ねこ研〉”

  1. 平野さんありがとうございます。
    詳細な感想ありがとうございます。楽しい時間でしたね。

    学問のすすめぜひ読んでみてください。文体も素晴らしいですし、なにより中身が本当に面白いです。
    NECO塾にもまたぜひいらしてください。
    何も役に立たない教養を、たくさん来年は身に着けたいと思います。
    そのほかにもいろいろな企画があります。
    ぜひぜひ、ご参加ください。
    では、良いお年を。

    1. 岡山さん
      コメントありがとうございます。
      このブログに転載するときに、あらためていただいた”学問のすすめ”を読んでみましたが、難解な部分も多々ありつつですが、テンポも小気味良く、スッと入ってくるものがあって面白かったです。そのため、ちょっと弱腰ですが現代訳を購入した次第です。
      NECO塾とても気に入りました。
      来年は是非とも参加率を上げようと思っておりますので、何卒宜しくお願いいたします。では良いお年を!!

  2. 丸ちゃん!こちらこそありがとうございました!
    教養講座企画、確認しました。ちょっと調整してみますね!すぐには役に立たない大事な時間!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください