岩見沢の記憶

これまではほとんどが車での移動につき、JRに乗る機会も少なかったのですが、最近は札幌駅周辺での勉強会等が多く、時間短縮のためにJRでいく事が増えています。

そのため、これまであまり真剣に見たことがなかった跨線橋やホームの柱をあらためて見る機会に恵まれます。

DSC_0356

これは改札を通ってすぐのあたり、この跨線橋の天井も構造体として古レールが使用されていて、塗膜が厚くてなかなか探せないのですが、噂によると「HTK」という刻印の入ったレールが混ざっているらしいのです。

それは何かというと、北海道炭礦鉄道の[Hokkaido Tanko Tetsudo Kabushikigaisya]の略であるらしいです(後日訂正:当初は株式会社ではなく、北海道炭鉱鉄道会社であったため、刻印はHTT)。この北海道炭礦鉄道の詳細はリンク先に譲りますが、元々は明治15年に北海道開拓史により官営の鉄道としてスタートした手宮-幌内線が、明治22年にはこの北海道炭礦鉄道(北炭)に払い下げられ、私鉄として運行されておりました。それが明治39年には再び国鉄に買収されたものであります。

この岩見沢駅は新駅舎となって、232本の古レールが外装に使用されています。中にはカーネギー社の1900年製のレールがあったり、太平洋戦争中に西暦が使用できなかったために皇紀表示の2600年代の刻印レールがあったりと、実はとてもドラマチックなものが使用されております。

しかし私、、この[HTK]の古レールはまだ見つけることが出来ておりません。

詳しい人に聞けばその場所がわかると思いますが、もう少し自力で頑張ってみようかと思っております(笑)
上を見ながら歩くのは恥ずかしいのですが・・。

この跨線橋やホームの屋根・柱に古レールが使用されているのは鉄道ファンなら有名らしいですが、一般の方々はきっと言われなければ気づかないものの一つだろうと思います。

DSC_0357

また、その古レールに様々な希少価値が眠っているのもきっと知らないはず。。

そんなストーリーを上手に作っていけたら、それを見に岩見沢に来てくれる人も増やせるかもしれません。(ちゃんと説得力のあるストーリーを作れればですが。。)

ちなみに、上で話題が脱線した北海道炭礦鉄道のマークは、北海道開拓史と同様の五稜星となっています。これは北海道庁や時計台、札幌ビールなどでおなじみの☆のマーク。

この北炭の五稜星(真ん中に○がある)も岩見沢にちゃんとあるのはご存じの方も多いはず!

それがこの南北自由通路の駅北側の一枚ガラスからも見える「岩見沢レールセンター」のファサードの星マーク。

DSC_18742

実は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの北炭の本社が、一時期岩見沢にあったというのも、あまり市民的には知られていないお話。

こんな話を紐解いていくと、結構岩見沢ってノスタルジックなものもあり、大切にしていかなければならないものがあるんですよね・・・。

「岩見沢の記憶」への6件のフィードバック

  1. 恥ずかしながら知らないことばかりで大変勉強になりました。私も駅に行ったら上を向いてあるこうと思います。でも知識がないからさっぱりわからないでしょうね。それにしても北炭の本社があったとは驚きです。

    1. 私もまだまだ知らない事が多いため、誤った情報もあるかもしれません(汗)しかし、北炭本社は本当の様です。いずれにせよ、知識が少なくてもこういった事を感じられる様な設えができたら良いなと思っています。

  2. 【HTK】ではないですか?
    (Hokkaido Tanko tetsudo Kabushikigaisya)
    【HTK】が刻印されている古レールは、岩見沢駅のどこかに使われていますよ!
    是非、自力で探してみてください!
    もし、「自力は無理〜〜っ!」という方は、有明交流プラザで配布している「古レールガイド」を見れば、いろんな種類の古レールの位置や意味が分かります!
    是非、ご覧ください!

    1. 西村さん、、ご指摘ありがとうございました。すぐに修正しました(笑)
      ちなみに駅舎内に使用されているレールではなく、跨線橋のを探してみたいと思っておりました。塗膜が厚くて、なかなか文字が判別できないので苦労しそうです。

      また、実はまだ古レールガイドを片手に一周したことが無いので、一度やってみたいと思います♪

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください