今の子ども達を取り巻く環境について

平成27年1月17日(土)

一般社団法人 岩見沢青年会議所の笑顔溢れる子どもの輪創造委員会のN委員長と、担当のT副理事長が委員会活動に対するインタビューにきてくれました。

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こうやって後輩が訪ねてきてくれるのは、先輩としても何より嬉しいこと。
少しでも役にたてたら・・・。という思いでお話をしましたが、さてどうなったことか。

そこでどんな話をしたか、簡単にご紹介したいとおもいます。

勿論、どんな事を話したかは細かく覚えているわけはないので、これまでの私の子育てや教育に関する投稿を元に、自分の思考を整理しながらおさらいしてみたいと思います。


◇人間の成長に不可欠なもの → あそびを通して人間性を育んでいく〈本能〉

 

環境建築家の仙田満氏の論文を参考にさせていただけば、脳科学の進歩によって、人間の脳は8歳頃までに約90%が形成されることがわかっており、その頃までのさまざまな体験が、その後の人生に大きな影響を及ぼすといわれている。また、その8歳以下の子どもたちの成長は、あそび環境によって主に5つの能力を開発すると考えられる。

その5つの能力とは、群れてあそぶことによって、体力、運動能力を発達させる【身体性】の向上。アメリカの作家ロバート・フルガムの『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という本にもある通り【社会性】の向上。自然あそびを通して感受性、情緒性を育む【感性】の開発。偶然性をはらむあそびの中に新たな発見、発明をもたらす【創造性】の開発。自由な意思を持ち、失敗しても何度も繰り返し、征服したときの喜びを忘れない【挑戦性】の開発。

これらの背景を踏まえた中から現状の岩見沢市の子育てを考えると、日本全国あらゆる都市と同じような状況であり、子ども達のあそび環境は、群れる場所がない、伝承がない、ゲーム、テレビ、稽古事等の影響により、空間・時間・コミュニティ・方法という要素が相互に作用しながら悪い循環に陥っていると思われる。(2013年第三定例会一般質問より抜粋

 

実態:(一例)小学生の高学年はかなりの割合で親が共働き。学校から帰ると家に誰もいない。

「誰もいない時は友達を入れてはいけません」という親が多い。子ども達は行き場所がなくなる。どこで群れる? → それぞれ一人自宅に戻り、DS等々のオンラインゲームの中で群れる。LINE等SNSの中で群れる。しかしそれはどうしょうもなくバーチャル。

家族が一緒に居てもゲーム中は静か。親は楽。温泉や観光地等で小さな子が自分のゲーム機に熱中している姿は異様・・。

リアルな環境に目を向け、五感を磨かなければならない。バーチャルの世界だけでは、本来、実体験の中で育まれるべき5つの能力が磨かれることはあまりにも少ない様な気がしてならない。

今の子ども達は、そういった受動的刺激に溢れ、小さな成功も、小さな失敗も経験する機会を失っている。

ただでさえ、日本人は場の空気を重んじる。悪く言えば思考停止。自分の意見を持たない。なぜ?

既に欧米では、就業者の3分の1以上が「考えること」を職業にしていると言われている。それは、これから社会が必要とする能力とは「何を知っているか」ではなく「知っていることで何ができるか」、そういうことが求められていると言いかえることができる。

1980年に発行された「第三の波」の執筆者であるアルビン・トフラーは、きょうの日本の最大の問題を「教育である」と断言している。

「日本が国際社会で生き残るためには、何よりも『Think』考えることです。教育の現場を見てください。時間どおりに生徒が教室に集まり、大人数で授業を受ける。これは、工場で働くための練習みたいなものです」という指摘をしている。(2014年第二定例会一般質問より抜粋

Think! → ここで創造性教育の必要性を考える。


【創造的発想の例】

東海大名誉教授 川崎一彦氏の言葉から抜粋

問)雨の降っている深夜、あなたは車を運転しています。他に同乗者が二人。走っていると、助けを求めている人が見えました。車を止めると3名の困っている人たちが。

1: 重病の老婦人
2: 過去にあなたを助けてくれた旧友
3: あなたの理想の結婚相手。

車の定員は4名。さぁ、どうする?

という状況。

こういうところでも創造性の違いがでてくる。

決して上記3名の内の誰かを選ぶというのが正解ではないはず。現実を考えると、道交法を犯してでも、危険がないと判断できれば3名とも無理やり載せるのも正解かもしれない。また、走行しないで3名を車に詰め込み、次の車が来るのを待つのも正解かもしれない。

また、自分が降りて、他の同乗者に運転を託して重病の老婦人と旧友を車に載せ、自分は理想の結婚相手とその場に残るというのも大正解であるかもしれない。

正解は一つではない。また、自分で小さな枠を勝手につくりあげて、その自ら狭めてしまったルールの中から選択するようなことでもないと思う。


なぜ創造性が必要か?

例えば、アメリカのデューク大学の研究者であるキャシー・デビットソン氏が2011年8月にニューヨークタイムズによせたインタビュー記事によると「2011年度にアメリカの小学校に入学した子ども達の65%は、大学卒業時には今は存在していない職業に就くだろう」というお話。(以前からかなり話題になっているので、少し検索すると様々な記事が投稿されています。【クリック】)

もう、良い学校に入って、今をときめく成長企業に就職する。というのは決して安泰ではない。

ごく近い将来、その65%が現在存在していない職業に就くという事は、言い換えればそれだけの職業が失われていくということと言っても良いと思いますが、例えば、今googleやトヨタなどが進めている自動運転の技術が確立されれば、私たちの周辺から運転手という職業が無くなるのかもしれません。

更には3Dプリンター一つとっても、製造業にとってどんな革命をもたらすのか未知数でありながら、恐ろしいほど高い可能性を秘めている。そんな話題は世間にはゴロゴロとしています。

もうどんな産業がこれから発展し、社会がどう変化をしていくのかを正確に予測することは難しく、その時々で必要とされる能力は進化のプロセスによって大きく異なってくることが想像されます。

そんな状況を鑑み、アメリカの教育関連ニュースサイト「MindShift」では、大学生が今まで存在しなかった職業に就くためにどの専門を選ぶのが有利かを考え始めていることが報じられているらしく、その導くところは結局のところ、コミュニケーションやチームワークなど「転移可能な一般的能力」を重視せざるを得ないということになるようです。(あくまで他の記事で読んだ事の受け売りですが・・)いずれにせよ、言われた事だけを黙々とこなすような人は「機械」にその場を奪われてしまうことは確実でしょうから、いかに自らが課題を発見し、チームワークを含めてそれを解決していくための能力を保持しているか。という面を磨くに尽きるような気がします。(2014年1月拙著ブログより抜粋

それらを考えていくと、今、多くの子ども達が家の中で画面に向かってネットゲームをしていたり、TVにかじりついたりしている光景は、あまりにも受動的&刹那的な魅力にとりつかれて、リアルな成長の機会を逸しているような気がしてなりません。

それは地域のあそび環境から、保護者の気の持ちようまで、社会全体で改善していかなければならない、非常に危惧すべき状況であると言っても決して過言ではないと思っています。

だからこそ・・

子ども達には脳科学の発達に適した時期に、できるだけ多くの活きた経験をさせていあげなければならない。その多くは五感をフルに活用する遊び環境で育まれる。

大人が行うべきこと。

子どもの自主性を尊重し育むこと。~それらを考えていくと、プレーパークの概念はこの考え方に見事に当てはまる。

その場において、子どものやりたいことをやる。寝ててもイイ、漫画を読んでいても良い。でも徹底的にキタナイアブナイウルサイを実践できる環境。大人は子どもが予期できない命に関わるような危険(ハザード)は徹底して取り除き、自分で怪我するかどうか判断可能な小さな危険(リスク)は距離を持って見守る。

子ども同士が群れてコミュニケーション能力を磨く、自然を相手に遊びを発明し、創造性を育んでいく。 更に保護者が見守り力を身につけていくことで、子どもへの接し方が劇的に変わっていく。

大人の見守り力 ~ 以前、会派のシンポジウムのトークセッションで最大の切り口になったのが、「子どもが悪いわけではない。すべては大人が起因。」ということ。


(会派シンポジウム:第2部トークセッションの動画)
https://hiranoyoshifumi.jp/2014/02/28/2739
 

また、【熱中力】も何より大事。自分が興味を持つことに徹底的に突っ込んで行く。これからの社会に必要な力は浅く広くの能力ではない。深く深く。より専門性を持った能力が誰かに必要とされる力を磨く。(当然程度問題はあるが・・・。是非こちらの投稿の動画をご覧ください。とても共感できる言葉です。)

行政や社会環境として取り組むべき課題。

今の子ども達は自分たちだけで、このような創造性を育む場に立つことが難しい。だから地域で危機感を共有し、このような創造性を育む環境(あそび環境)を真剣につくっていかなくてはならない。

ここにその器へのきっかけとなりうる条例(案)を添付する。〈元恵庭市長 中島興正氏作成〉

子どもが元気に遊び育つ環境の整備に関する条例(前文のみ抜粋)

 かつて子どもたちは遊びに遊んだ。いつまで遊んでいるのかと怒られながらも、遊び続けた。その中で社会性を学び、コミュニケーション能力を育み、運動能力を開発してきた。自然と遊ぶことで情緒性や感受性を育んできた。子どもが外で群れて遊ぶことは、子どもの発達にとって不可欠である。

自動車の普及はそれまで子どもの主たる遊び場であった道路から子どもを法律によって排除した。テレビなどの電子メディアの発達は子どもを家の中に導き、遊び時間を消費させた。

自然の中で遊び、群れて遊ぶ環境を再構築しなければならない。子どもの遊び環境の悪化の循環を断ち切るためには、大人が、市民がその重要性に目覚めなければならない。

子どもが少なくとも10歳頃まで外で、自然の中で群れて思い切り自由に遊ぶことができる環境をつくり、幸せな子ども時代を過ごさせるために必要な環境を整備する決意を込めてこの条例を制定する。(全文はこちらからご覧ください

 

学校教育の現場において、創造性を育む教育を行うのは難しい。(当然教育行政としても大変な努力はしているが、それには限界が・・・。)幼い頃から電子ゲーム等の受動的刺激にまみれ、その中で脳を刺激してバーチャルな達成感や優越感を得ている現状。実際にどうしてその環境に浸かり続けるかというと、親がそれを良しとすること。また、それ以外に面白いこと、やりがいのあることが沢山あるのにそれを知らないという不幸がある。

「子どもは親の言った通りには育たない。親のやった通りに育つ。」これは全ての親が常に自問しなければならない名言である。

大人が失敗を恐れずチャレンジする背中を見せる。失敗してもそこから何かを掴んで前に進む背中を見せる。上辺のメンツにこだわるような背中を見せない。恥をかく勇気。諦めない心。

いつの時代も人のすることを批判をしたり、足を引っ張ったりするのは「自分では何もしない人」である。決してそんな大人を量産してはならない。

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おじいちゃん、おばあちゃんが家族という単位で子育てに携わるのは世界中の動物の中では人間だけと言われている。それだけ複雑な人間社会に適応する大人に育てるにはエネルギーが必要で、両親だけでは足りないことの証明とさえ言われる。

しかし今は「母一人、子一人がマンションの密室で子育てをする」ことが珍しくない状況。子育てを社会全体でフォローしていく必要がある。

「人に迷惑をかけない」 → 日本人の美徳?しかし、より良いコミュニティづくりは楽しくお互いに迷惑をかけあうのが理想では?子育てを通すと、そんな互いに尊重し、互いに頼りあえる。迷惑をかけあうことができる環境づくりができると思っている。


大体このような事をお話させていただきました(多分・・)。
これは常日頃自分で考えていて、そして断片的に拙著ブログでも投稿してきたもの。

それを簡単に整理するきっかけをいただいたようなものです。

当然、私の考え方も変化していくと思います。来年の今頃はもっと違う視点を持っているかもしれませんが、この危惧すべきことは根本は急に改善されることは難しいと思いますので、それこそ諦めず、地道に実行していきたいと思っています。

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