〈令和元年12月17日投稿〉
12月15日(日)、フルコンタクト空手の清武館さんの大忘年会にお招きをいただきました。
この清武館さんとのご縁は、素人ゆえ恥ずかしながらなのですが、11月17日(日)の《第12回 清武館空手道選手権大会》の副大会長としてお声がけいただき、関わらせていただいたのがきっかけ。
〈令和元年12月10日投稿〉
今朝、岩見沢市土地開発公社と振興公社の監査があり、その前の廊下で撮影した写真。見事に炭鉄港並びです。
【左】「鐵の人」昨年、室蘭で観させていただきましたが、とても素晴らしい演劇です。明治39年、岩見沢に本社があった北海道炭鉱鉄道会社が鉄道国有化の際、鉄道資産売却により室蘭に本社移転、その際、アームストロング社とビッカーズ社との合弁企業としてつくったのが日本製鋼所。まさしく室蘭が鉄の街としてスタートを切ることになります。
この演劇はその時の専務である井上角五郎の半生を描くもの。まさに炭鉄港の貴重なワンシーンでもあります。
〈令和元年12月8日投稿〉
昨日、岩見沢郷土科学館で故加藤愛夫氏の企画展を見学した後、以前から気になっていた「岩見沢絵画ホール・松島正幸記念館」へ立ち寄りました。
実は子どもが小さい時に一度行ったことはあるものの、恥ずかしながらかなり久々にお伺いした次第。
というのも少し前、岩見沢の歴史などを学ぶ際の師的立場の人と飲んだ席で、「松島正幸の絵は川が流れている様に見える」という言葉を聞き、とても興味を持ったのがきっかけ。そして従軍画家でありながら、勇ましい絵はほぼ書かず、風景画的なものが主体という人柄を聞き、更に興味を持ったもの。
ここは館長さんの計らいにより、写真撮影自由の張り紙があります。とてもありがたいものです。
あらためてじっくりと見学した中で、この松島正幸さんの奥さん鈴子さんは徳川家の親藩の藩主であった松平家の出ということも知り驚愕。
〈令和元年12月8日投稿〉
明日、12月9日(月)13時より開催される定例会一般質問において、3番目に登壇する予定の一般質問原稿を公開します。
今回は市が所有・管理するパークゴルフ場についてと、炭鉄港についての2項目ですが、その趣旨は以下の通りです。
■パークゴルフ場について
市内に8箇所あるパークゴルフ場は、平成18年の市町村合併以前の料金体系が継続されており、各施設ごとの規格と料金に同一市内でありながら不均衡感が存在すること、また、現在利用者数の減少が懸念される中で、様々に見直しが必要な時期にきているということ。更に8箇所の所管が建設部、教育部、農政部と3つに別れ、情報の発信すら一元化されていない状況を鑑み、そのあり方について問うものです。
■炭鉄港について
本年5月に日本遺産認定となったものの、市としての情報発信がない。これは非常に残念であると共に、地域アイデンティティの創造、並びに先人が築いていた歴史を蔑ろにすることにつながっているのではないか。また前回質問時にはアクションは13市町で構成する推進協議会の結果を待つというニュアンスの答弁であったが、空知の中核都市として積極的に利活用すべきではないか。との視点です。
以下、読み原稿を転載します。
1,市が所有・管理するパークゴルフ場の考え方について
パークゴルフはあらゆる世代が楽しむことができ、適度な運動を行うことによる健康寿命への効果、比較的高齢の方々もファッションを嗜みながらプレーする楽しみ、また世代間を含むコミュニケーションの架け橋となる特性。さらには競技的志向のあり様によっては非常に奥の深いスポーツでもあることなどから、爆発的なブームとなり、岩見沢市にも市が所有・管理をするパークゴルフ場が8箇所存在しています。
〈令和元年12月4日投稿〉
現在の岩見沢市の人口は約8万人とちょっと。
10月末で80,622人であります。
私の若い頃(今から25年くらい前)は岩見沢市の人口と言えば8万4千人ぐらい。という印象が残っているのですが、実際には平成18年に栗沢町、北村と合併したことを考えると、果たして旧岩見沢市という括りでいけば、現在は何年前の人口レベルになるのだろうか・・・という疑問がありました。
そこであらためて、旧岩見沢市、旧北村、旧栗沢の人口がどうなっているのか調べてみました。
https://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/content/detail/3135712/
上記、岩見沢市の公式サイトに各人口統計が掲載されていて、中にはCSV形式のものもあるので流用が簡単です。
早速旧3地域ごとの人口を調べてみると。
■旧岩見沢市 〈73,234人〉
■旧栗沢町 〈 4,932人〉
■旧北村 〈 2,456人〉
合計 〈80,622人〉
という状況となります。
ではそれぞれの人口は、果たして何年前の人口と同じぐらいなのか比較してみると・・・
何と旧岩見沢市は既に50年近く前の1971年(73,244人)と同水準にまで減ってしまっていることがわかります。
〈令和元年10月17日投稿〉
平成30年度の決算審査特別委員会に関連して、この様な投稿もしましたが、その流れとして環境部のことも少しご紹介させていただきます。
環境部では①新エネルギー・省エネルギー推進事業に関してと、②ごみ減量化・環境対策について質問をしています。
①新・省エネルギーに関しては、主に太陽光パネルについてです。これは本年9月の第3定例会でも経済産業大臣、環境大臣への意見書として可決された「太陽光発電の適切な導入に向けた制度設計と運用について(内容についてはリンク先をご覧ください)」に対し、市としても何らかの方策を進めるべきではないかとの見解を問いました。
その趣旨としては、太陽光パネルはその寿命が尽きた後、処分するのには有害物質を含有するがゆえ多額の費用がかかると言われていて、適切な処理がされずに不当に放置される懸念が存在します。また、設置・運営においても地域住民との兼ね合い等々が社会問題として散見されるところでもあり、国のガイドライン等の設置を待っているより、市としても何らかの先手を打つべきではないだろうか?という思いからの質問を実施したところです。
そして②ごみ減量化・環境対策の方は、過去3年の推移を見ると、家庭系ごみの総排出量は横ばいであるが、人口の減少に伴い一人あたりの排出量は増えている状況について、既存のごみ減量化等の施策をどう評価しているかを問いました。
もう一つの視点として、プラスティック系ごみの社会問題についてです。
様々な見方があるものの、グレタ・トゥーンベリさんらの言動は社会に変化をもたらし、気候変動等の地球環境悪化が盛んに取り上げられるようになりました。
この二酸化酸素等に起因する気候変動については様々な見方があり、多様な解釈が存在すると認識していますが、海洋プラスティック問題は何一つ疑う余地の無いものであり、なおかつ、私達の日常生活をさほど変化させるまでもなく、一人ひとりの心がけだけで解決しうるものと認識しています。
であるならば、まずはできることとして、プラスティック系のごみを自然環境に拡散しないことが重要であり、その機運を高めなければならないと考えています。
そのためには海外の様に、プラスティックの買い物袋を禁止にするという措置は、物理的なごみ拡散防止においても、また精神的なプロパガンダ的な効果としても有用であると考えるが、即急に市単独で規制を行うのはハードルが高い。しかし市民に対し、意識を共有できるようなキャンペーンを張っていくことは可能なはず。
そのあたりの見解を問いましたが、残念ながら前例踏襲を超えるような答弁にはなっていません。
ただ、このプラスティック系のごみの放置は回り回って自分たち、そして次世代に帰ってくる危険なもの。至極簡単に道端にポイ捨てする世の中に唖然とします。
それがどれぐらいの様子か撮影したものがありますので、是非動画をご覧ください。
そして、少しでもごみを捨てない。また四六時中というわけにはいきませんが、時折、ごみを拾えるような心の準備をみんなで高めていければ世の中は変わっていくのではないかと考えています。
このプラスティックごみは、1年を通して存在するのは買い物系。時期的に大量に川を流れてくるのが農業系と感じています。
どちらもさほど悪気がない中で、「たったこれぐらい・・・」という意識が蓄積し、莫大な量となる事実を想像できない人間の弱さであると思われます。
参考までに春の雪解け時にゴミ拾いをした時の画像を下に貼ります。農業で使用する肥料袋系が目立ち、今年は大量に引っかかっておりましたが、恐らくそれはごく一部。その大部分は海へ流出しているものと想像します。
この様な事態に決してヒステリックに反応することは良くありませんが、まずは周知して共感を広げていくことが大事だと思っています。
是非、ゴミを自然界に拡散しない様な気運をみんなで高めていきたいものです。
〈令和元年9月4日投稿〉
9月3日(火)の午前10時30分より、月形町の篠津山霊園において、各機関、市町村、関係団体を始め180を超える参列者のもと、樺戸集治監物故者追悼式が厳かに執り行われました。
私はNPO法人 炭鉱の記憶推進事業団 吉岡理事長の代理として、また囚人の功績は炭鉄港とも非常に深く関連しているため、心の中では北海道「炭鉄港」市町村議員連盟の会長としての意識を兼ねて参列した次第です。
この樺戸集治監は、明治14年に東京、宮城に次ぐ全国で3番目に開かれ、主に明治維新後の士族による新政府への反乱や、自由民権運動などによる政治犯や重罪犯が収監されました。
〈令和元年9月2日投稿〉
9月1日の日曜日。町会運動会、ドッグランの次は岩見沢複合駅舎でワークショップにて作られたシャケねぶたの点灯式へ。
縁あって来賓としてお招きをいただいたものですが、プロジェクトの中心で頑張っている北海道教育大学岩見沢校の藤本君等に関し、元教育大教授の村田文江先生から色々と良い話を聞いていたので楽しみに向かいました。
最初はシンポジウム。
元JR運転所の岩田氏より、ねぶたを平成5年から平成11年まで岩見沢で開催していた頃のお話を伺い、そして全国でねぶた等の研究をしている江戸川大学教授の阿南氏から、岩見沢における”ねぶた”の可能性についてお話がありました。
その後、若干の場面転換を行って点灯式へ。
〈令和元年9月2日投稿〉
9月1日(日)に第50回目となる北3条町会運動会が開催されました。
毎年開催され、運動会の後に6つの班に分かれて焼き肉をするのが定番。しかし、時代の流れでもありますが、今回は一つの班以外は焼き肉をしないこととなりました。
これは班長さんの采配によるものゆえ、やむを得ないのですが、何よりこの様に運動会が盛大に開催できることがありがたいと思えます。
運動会は役員の皆さんが趣向を凝らしていただき、幼児から高齢者まで参加して楽しめる催しがたくさん。
(下の画像は大きなパンツに二人で入って走るリレー。美人コンビですが許可をとってないのでボカします)
![]()
今年は参加者数が低迷しそうとの事前情報でありましたが、蓋を開けてみれば若い参加者も増え、何とも賑やかな催しとなりました。
この様なことをやっている町会は少しずつ減ってきてしまっていると思いますが、やはりこうした中で出会いがあり、そして地域コミュニティができていくことを思うと、本当に素晴らしいことです。
大切にしていきたいと思います。