炭鉄港を感じられる岩見沢駅ホームの貴重なレール

〈平成30年11月30日投稿〉

昨日、札幌のかでる2・7にて空知総合振興局主催の炭鉄港セミナーが開催されました。

夜はNPO法人炭鉱の記憶推進事業団の理事会と懇親会があったため、車ではなくJRで向かうことに。

すると駅でNPOのK事務局長にお会いし、「見てみて!」と案内されると・・

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ホームの支柱として使用されている古レールを見せてくれました。この古レール自体はなんら珍しいものではなく、自分自身当たり前のものとして認識していましたが、その中身が興味深いものでした。

 

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このレールは明治41年(1908年)にイギリスから輸入されましたと看板が・・。

これも単に古いだけなら駅の改札を出てすぐのところに1890年(明治23年)に官営幌内鉄道を道庁から払い下げを受けるために設立した北海道炭鉱鉄道がドイツのクルップ社に発注したレールの方が古いわけで・・。

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(↑ 昨晩、懇親会から帰ってきて撮影。このレールは炭鉄港はもちろん、幕末の幕府軍艦、開陽丸等に積まれたクルップ砲などのストーリーも連想することができます。)

話を戻すと。。

実は今回の明示41年のレールは刻印を良く見ると最後にJSWの刻印が見えます。

JSWで検索してみると分かる通り、このレールは室蘭にある日本製鋼所で使われていたレールの様です。

この日本製鋼所は、明治39年に北海道炭鉱汽船、イギリスのアームストロング社、ビッカーズ社との合弁企業として主に海軍の国産兵器開発のために室蘭に設立された企業。

その北海道炭鉱汽船㈱は、明治39年に日露戦争の影響で鉄道国有法が発布され、鉄道部門を失うまでは北海道炭鉱鉄道㈱として2年間ほど岩見沢に本社があり、国に鉄道部門を売却した資金を元に上記合弁企業を室蘭に立ち上げた経緯があります。

まさしく鉄のまち室蘭が生まれる原点がここにあり、設立間もないJSWが構内で使用していたレールが、また岩見沢のホームで柱として使用されている歴史の妙を感じます。

炭鉄港のストーリーは一見難しく感じるかもしれませんが、この様に少しの糸口が見つかると芋づる式に色々なことがわかってくる面白さがあります。


あらためて昨日のセミナーでも、500人収容のホールがほぼいっぱいの満員になるほどの来場者数。

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(セミナーは撮影禁止だったので、始まる前の1枚です)


空知、室蘭、小樽の3エリアを結ぶ近代日本の歴史は、今の私達の足元を見るとその功績と関連が見えてくる。

そしてこの岩見沢は大いにその関連があり、岩見沢だけでなく空知全体、そして小樽、室蘭、札幌という地域と相乗効果を発揮することで、地元は誇りと愛着を育むことができ、そして関係人口が大幅に増加する。そこには多大なチャンスが生まれるなど期待が高まります。

早ければ12月中か1月上旬に日本遺産登録申請が進み、来春5月ぐらいには認定の可否がわかるかもしれません。是非この波を掴むとともに、地道な活動を展開していきたいと思っています。

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