〈平成29年5月30日投稿〉
以前もご紹介した岩見沢のフリーペーパー『これっと』の最新号が出ました。
私の連載はこれで2話目となります。
第二話と第三話(予定)は、岩見沢複合駅舎を絡めた話しになっています。
是非、見かけたら手にとってみてください♪
インターネットからのダウンロードもできます。
http://i-collet.info/
是非ご覧ください♪
〈平成29年5月30日投稿〉
以前もご紹介した岩見沢のフリーペーパー『これっと』の最新号が出ました。
私の連載はこれで2話目となります。
第二話と第三話(予定)は、岩見沢複合駅舎を絡めた話しになっています。
是非、見かけたら手にとってみてください♪
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サブテーマ:徒然検討(安全性、工期と決断について)
〈平成29年5月22日投稿〉
すっかり更新が滞ってしまいましたが、パブリックコメントの期日も23日までということで、遅ればせながら【私感】を記載したいと思います。
この庁舎建設で、現在地から異なる場所へ移動するというのは賛否両論あり、他都市の例を見るまでもなく非常にデリケートで大変なことです。それだけ岩見沢市の規模では将来のまちの形に影響を与える大きなことだと考えています。よって提示検討資料の3箇所に関わらず、もう少し視野を広げて考えることも重要だと認識をしています。
それは場所に関しても現在提示の3箇所以外に、全く別の視点があっても良いということ。また機能に関しても分庁型にするなど、将来の岩見沢のまちづくりに与える影響を検討してみることが重要だと思っています。
そこでいくつかテーマごとに記載してみたいと思います。
まずは議会答弁でも最も重点をおいている「工期と安全性」についてです。
〈①安全性について〉
安全性に関しては、近年発生が懸念されている大地震の影響が考えられます。
検討資料の中でも現庁舎と他所2箇所での比較に関しての最大予想震度の記載がありますが、現在地は5強、中央小跡地6強、有明中央で6弱という予測がなされています。確かに現在地は粘土地で高台。地盤は非常にしっかりしています。しかし、新庁舎は現技術の免震構造で建設するからには、この差は基礎にかかる建設費以外においては、あまり建設地の比較評価に影響を与えないと想像します。
ここで気づくことは、「現在の庁舎は規程の耐震基準に達していないため、震度6強で倒壊する恐れがあり、万が一のことを考えると即急に建て替えを急がなければならない」という前提ですが、検討資料の数値を見ると、現在地での最大予想震度は5強とのこと。市内の大部分が震度6強の地震に襲われても、地盤のしっかりした現在地では倒壊の恐れのある震度までは至らない可能性があるとも解釈できるのかもしれません。とは言え、倒壊に至らずとも人の出入りが規制される被害を受ける可能性はありますので、万が一を考慮すると工期を優先するのはとても重要なことであると認識をしています。
他には洪水などの想定があります。
岩見沢市洪水ハザードマップを参考にすれば、洪水の可能性があるところは避けるのは当然のことですが、周辺地域は浸水しても、緊急経路となる幹線道路と拠点となる庁舎敷地が浸水しない状況も想定されるならば、可能性としては大いに広がるのかもしれません。
これらを考慮すると、洪水による多大な影響や、直下に活断層など著しい要因を除き、万が一の災害発生時の緊急的諸要件(物資や車両等の一時スペースや交通確保等)を満たすとするならば、各関係官公庁等との連携を含め、岩見沢市内の常識的な範疇であることを大前提とすることで、安全性と建設場所との関係は、それほど大きな選定判断材料とは言えないのかもしれません。あくまで私感ですが。
〈②工期〉
合併特例債を活用することを考慮すると、平成33年3月末までに竣工しなければならないので、全く余裕の無いスケジュールとなります。(現在、新庁舎基本計画の公募プロポーザルも始まりました)
これが悩ましいところで、この財源を活用しようとすると、じっくり未来の岩見沢のあるべき姿を導くための深い検討を行えないことになります。
合併特例債は合併した自治体にだけ利用することができる有利な財源で、事業費の95%に充当することができ、そのうちの70%が交付税措置で戻ってくる起債です。
しかし、熊本の震災の影響もあり、現在は全国的に存在する”耐震基準に達していない庁舎の建て替え”に関し、「市町村役場機能緊急保全事業」が国で予算づけされています。
ただ残念なことに、この事業予算も本市が合併特例債を活用するのと全く同じ期間となってしまうため、新たな議論をする時間が取れません。しかし、他の自治体もこのタイトなスケジュールでは議論が煮詰まらず、結局間に合わないと判断して「市町村役場機能緊急保全事業予算」を活用できないところがあることも想像できます。
結果、国の事業予算の傾向として、多少内容がより良く修正されたりしながらも、新たな予算が採択される可能性もあるのかもしれないと想像します。
となると、多少大きな地震が発生しても現在の庁舎は持ちこたえる可能性が高いことを考慮すると、思い切って合併特例債を見送り、市民との議論を深め、新たな予算に期待をすることも選択肢として考えられるのかもしれません。
しかしこれらには大きな決断が必要となります。
例えば、今回合併特例債を見送り、もっと深い議論を進め、岩見沢の未来にとって最も良いと思われる選定を行っていこうとしたときに、万が一、大地震が発生し庁舎崩壊による事故が発生してしまう場合。また、合併特例債ではなく、新たな財源活用を期待したものの、国の判断で新たな予算執行がなされなかった場合などが考えられ、それらの高いリスクがあることを考慮していなくてはなりません。
もしこう悪い方向に展開してしまった時に、執行者が明確な責任を取るべき。という情勢になる様であれば、無難な選択を取らざるを得なくなると思われます。
当然、あらゆる決断には責任がつきものではありますが、多くの市民が「現在地が良い」という中で、民意の後押しなしで非常にリスクの高い決断をしたのであればやむを得ませんが、大半の市民が「これからの高齢・人口減少社会において、もっと交通の利便性の高いところや、中心市街地の価値を落とさないで、逆にまちづくりの効果を高めるところへ。」という要望が多い中で、良かれと判断することに関しては、やはり深い議論を行う余地があるのではないかと感じています。
と、、、
私も言うだけは簡単ですが、多くの民意がどうであるかを掴みきることも難しく、また現実に立ちはだかる大きなリスクを考慮すると、非常に悩ましいことであるのが事実です。
サブタイトル:パブリックコメントの募集開始
〈平成29年5月1日投稿〉
本日より市庁舎建設等に係る検討結果報告書に対してのパブリックコメントが始まりました。
http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/index.php/contents/item/3099403
上記リンク先ページに、現在の資料等も掲載されていますが、改めてこのページでもご紹介させていただきます。
〈①検討結果報告書(概要版)〉
http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/media/k2/items/book/%E6%A6%82%E8%A6%81%E7%89%88%EF%BC%88%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E5%BE%8C%EF%BC%91%EF%BC%89_170419060539.pdf
〈②市庁舎建設等に係る検討結果報告書〉
http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/media/k2/items/book/%E5%B8%82%E5%BA%81%E8%88%8E%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E7%AD%89%E3%81%AB%E4%BF%82%E3%82%8B%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E7%B5%90%E6%9E%9C%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8_170419060555.pdf
①概要版では直感的に理解しにくく、②結果報告書では情報が多すぎることから、ちょっとイメージを膨らませるにはエネルギーが必要かもしれません。
しかし、これからの建物も最低50年は活用すること。また、岩見沢市内においては、人の流れを生む重要な施設の一つであると考えると、市役所庁舎の建設場所によって未来の岩見沢の「まちの形」に大きな影響を与えるものと考えます。
是非、自らに大きく関わりのあることとして捉えていただけると幸いです。
〈平成29年4月22日投稿〉
昨晩、岩見沢市PTA連合会総会があり、役員の改選が行われました。
私は議員になった事を機に岩見沢市PTA連合会の会長職を辞し、南原氏に会長を引き継いでもらい、それから4年間、顧問として関わらせていただきました。本当に貴重で何物にも代えがたい経験とご縁を沢山頂戴したと思っています。関係各位に心より感謝申し上げます。
この市P連では、年に2回だけ顧問として私の出番がありました。
それは懇親会の最後の締めの挨拶。
市内の各PTA役員約200名が一同に会し、情報交換や様々なご縁をいただく懇親会は貴重な場であり、とても活気のある懇親会です。
毎回、できるだけ短い時間で、何を伝えようか意識するのですが、今回は開会時に行われた会長挨拶の中から少しヒントをもらい、この様なお話をさせてもらいました。(朧げな記憶なので全く正確ではありませんが、簡単にご紹介させていただきます。)
まずは旧役員、新役員の皆様に敬意を表させて頂いた後、今日のこの挨拶の場で自分の長い市P連の関りを卒業させていただくこととなったこと。
それに伴い、少しだけお話をさせていただきたいということ。
その話しは、、
********
冒頭の新会長挨拶の中で、子どもたちはインターネット等による莫大な情報に囲まれているという話がありました。これは私達大人も一緒で、情報が多いあまり、世の中全体が批評家みたくなってしまっているのかもしれません。
そこで私は常日頃、この様なことを気にしています。
「知っていること」と「できること」は違う。また、「できること」と「できていること」はもっと違う。私達PTA活動においても、「もっとこうなれば!」「もっとこうしなきゃ!」など、やらなければならないことは誰しも知識として知っていても、なかなかそれを実行するには至らない。たとえ単発のイベントなどで「できた」としても、それが常に「できている」ということに昇華するには本当に沢山のハードルがある。でも、それを目指していかなくてはならないのではないだろうか?
この「できる」を始めるにあたり、なかなか難しいことは沢山ある。
私自身とても弱い人間です。何かを始める時は簡単ではありません。だから自分を鼓舞するマジックワードを持っています。
「目は臆病 手は鬼」という言葉。
これは東北の三陸地方などで言われてきた言葉と聞いています。
目で見るだけだと「嫌だな」「面倒だな」「怖いな」などとネガティブな思考が出はって来る。しかし人間の手は一端動かし始めると鬼のようにやり遂げることができる。
例えば、小さな身近なところでいけば、キッチンに大量の洗い物があれば「嫌だな」「面倒だな」と手をかけるのが遠のく、仕事であれば、机の上に大量の書類があれば途端にやる気が遠のく。しかし、一度手を動かして行動を始めると、必ずやり遂げることができる。
これは様々な活動においても同じことが言えると思う。
是非、目で見て恐れるのではなく。行動を起こしていってほしい。
また、良く「子どもは、親や大人の言ったとおりには育たない。親、大人のやったとおりに育つ」と言われます。是非、私達のPTA活動においても「知っている」という上辺の言葉で子どもたちに伝えるのではなく、「できている」という背中で子どもたちを導いていける。そんな大人たちであって欲しいと願っています。
とは言え、なんだかんだ言っても、この手のものは楽しく無ければ始まらない。楽しくなければ続けられない。是非、今年1年の皆さまの活動が、楽しく、有益であることを心から祈念、ご期待いたしまして、最後、乾杯の挨拶とさせていただきます。
***********
という様なお話をさせていただいたつもりです。多分・・。
最後の卒業的な場ではありましたが、会場の多くの方々が耳を傾けてくれ、最後に想像もしなかった長く温かい拍手をいただきました。
あらためて、4年間会長職を務めてくれた南原新顧問。新たに大役を担うこととなった前野新会長。そして子どもたちに関わる全ての単Pの保護者、先生、教育行政の皆さまに心より感謝を申し上げると共に、今年1年間のご活躍をご祈念申し上げます。
本当に貴重な経験とご縁をいただき、ありがとうございました。
無事、長きにわたって関わらせていただいた市PTA連合会を卒業させていただきました。少し寂しい様な気もしますが、あらためて応援団の一人として今後も見守らせていただきます。
〈平成29年3月30日〉
市内の方は知っている方も多いと思いますが、岩見沢のフリーペーパーの一つである『これっと』は、関わるスタッフの皆さんに女性が多く、丁寧でオシャレな内容が特徴的。
その中で若干場違いではありますが、今回から少し参加させていただくこととなりました。そのきっかけはズバリ「岩見沢シビックプライド探求部」です。
私達は意外と自分たちのまちの事を知らない!という自身の思いから始めた小さな活動ですが、この度、「紙面でも少し紹介してみない?」というありがたいお誘いをいただき、貴重な機会なので有難く参加させていただいた次第です。
記念すべき第一話は、前振り的に「まちの生い立ち」からスタート。
次回は少し寄り道して駅を中心としたお話。それ以降は結構知られていない、岩見沢の小さな「へぇー!」を色々と紹介してみたいと思ってます。
ちなみに、我が家のハチ吉もさり気なく紙面デビューです(笑)
とは言え、何分このような執筆は素人です。
紙面の中にも書かせていただきましたが、私は歴史の専門家ではないので、何かの文献で読んだこと、聞いたこと等を元にご紹介させていただきますが、その根拠となる一次資料を探して確認して・・。という様なことまではしていませんので、もしかしたら間違ったことを言っているかもしれませんのでお許し下さい。でも、これがきっかけで地域の事に関心を高めてくれると嬉しいなと思っています。
その辺りは寛大で温かい目で見守っていただけると幸いです。
何卒宜しくお願いいたします。
これっと、、、是非お手にとって見て頂けると幸いです。岩見沢市内の色々な情報が掲載されていて楽しいです♪
[『これっと』は市内の色々なところで配布されていますが、インターネット上からもダウンロード可能です。http://i-collet.info/]
平成29年3月19日(日)北海道「炭鉄港」市町村議員連盟、無事に船出ができました。ご賛同、ご参加いただいた議員の皆様に心より感謝申し上げます。
また、これを機に各地の人々が自分達の地域に誇りを持ち、その誇りを各地で連携していく事が出来れば、空知、そして小樽、室蘭の地域は明らかに変化していけると感じています。
日本の近代化を支えた一大価値を誇る空知。北海道の玄関口として栄え、石炭の積み出しを担った小樽。石炭産業の様々な流れが製綱業に繋がった室蘭。それら三都を繋いだ鉄道。「炭鉄港」は、これまでの人口ボーナス期から人口オーナス期に転換した私たちの社会環境に働きかける大きな切り口の一つだと思っています。
その賛同者が8市2町66名+道議会の顧問団11名という大規模なスタートを切れたことに多大なプレッシャーと安堵が共存するわけですが、この切り口は各地がwin-winになれる巨大な器に化すことが目に浮かびます。
すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなるの法則の如く、これからの次代を開拓するキーは、時間をかけて着実に育んでいかなくてはならないと覚悟を決めるのみです。
本議員連盟の会長は空知地域、赤平市の植村真美議員、副会長に小樽の安斎哲也議員、室蘭の南川達彦議員という構成で、昨年末より設立の準備を進めてきたこともあり、私は幹事長の役を仰せつかり、事務方最前線の要として活動させていただくこととなりました事をご報告させていただきます。
*********************
あらためて炭鉄港についてはこちらのサイトが参考になると思います。
http://soratan.sakura.ne.jp/3city/
https://www.facebook.com/tantetsukou/
明治維新前後からの流れや、薩摩藩とこの地域との深い関わりなど、あまり近代に関心を向けることがなかった私達にとって、自分たちの地域の成り立ちなど、非常に興味深いことが溢れています。他にも種々「炭鉄港」や「炭・鉄・港」などで検索していただけると色々と情報が出てくると思います。また、今後はこの言葉が一般的に認知され、益々情報量が増えてくることを期待します。
また早速、北海道「炭鉄港」市町村議員連盟のfacebookページも作成いたしました。
https://www.facebook.com/tantetsuko/?hc_ref=PAGES_TIMELINE
この活動は北海道150年の節目のみならず、明治以降の日本の近代化を支えた地域であることに誇りを持てるように、地域アイデンティティの一つの大きな要素として、着実に育んでいきたいと願っています。
平成29年3月10日
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《平成29年3月14日追記》
3月19日(日)15時30分より、グリーンランドホテルサンプラザで開催する記念講演を、急遽一般公開することといたしました。事前申し込み不要・参加費無料です。
下記をお読みいただき、「炭鉄港」に魅力を感じていただけましたら是非ご参加ください。(まず無いとは思いますが、満席になってしまった場合は立ち見等をご了承下さい)
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先日、どこかから情報を察知してくれた北海道新聞岩見沢支局の町田記者に取材のお話をいただき、早速今朝の北海道新聞朝刊の第3社会面で取り上げていただきました(14日追記:今朝は毎日新聞が大きく掲載してくれました)[記事画像を掲載したいところですが、残念ながら著作権上問題ありの模様。]が、現在、3月19日設立に向けて”北海道「炭鉄港」市町村議員連盟”の発足準備をしています。
その発起人会は昨年12月に立ち上げ、代表は言い出しっぺである赤平市の植村議員、私が事務担当、他に小樽の安斎議員、室蘭の南川議員の4名で立ち上げたものです。現在、空知管内13の市町議会に声掛けをさせていただき、小樽、室蘭を入れると15市町議会にご案内をさせていただいたところで、本日現在で9市町41名にご賛同いただき、13日の取りまとめ日までにはもう少し伸びることを予想しています(15日現在:三笠市議2名が加わってくれることとなり9市2町66名)。さらに、地域が広域になる事から、北海道議会へもお伺いさせていただき、ご理解とご協力のお願いをさせていただいたところです。
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そもそも”炭鉄港”とは何か?というと、空知の「石炭」、それを積み出した小樽の「港」、石炭産業がベースとなる室蘭の「鉄鋼(&港)」そしてそれら三都を結んだ「鉄道」という括りでの「炭鉄港」というストーリー展開を掲げ、2010年から民間サイドで連携が図られてきたものです。
http://soratan.sakura.ne.jp/3city/#
この取組は2016年度には空知総合振興局においてもストーリー構築事業が公募プロポーザルで発注されるなど、いよいよ官民共に動きが活発化してきたところです。
その背景としても、平成25年に世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産」の流れが、北海道開拓期より薩摩藩などの意向により直接的にこの地域につながっていること。また、前述世界遺産が国内広域にわたり、なおかつ現存物が少ないことなどに対し、本炭鉄港は僅か100km管内に現存する貴重な遺産が沢山ある。それらを踏まえると、大いに今後の展開が期待されるものです。
すでに日本国内は急成長を遂げた人口ボーナス期から、人口オーナス(重荷・負担)期へと完全にシフトしており、尚且つ観光的視点に関しても、より歴史文化、ヘリテージ系に関心が高まりつつあることから、あらためて交流人口拡大の有効性を発揮するための核として、この近代日本を支えた炭鉄港地域に大きな可能性を感じることができるのです。
また何より、石炭産業の衰退に合わせ、ピーク時には約80万人を数えた空知の人口が、今や30万人少々というぐらいまで落ち込んだことにより、今、これらの地域に住む人々の意識が、石炭産業の華やかな価値を忘れ去り「負の遺産」「負の記憶」という認識に結びつけられているのでは?と思われていることに危惧をするのです。実際には、空知は明治期より昭和半ばまで日本を支えるエネルギー産出拠点として一大価値を誇り、小樽は北前船でも有名なその港から北海道開拓民を受け入れてはエネルギーを中央へ運び出していた。室蘭は太平洋側の港の拠点として意味をなし、そして石炭産業の系譜が製鉄産業を産み根付かせた。それらには身震いするような活気があり、各地を鉄道が結び価値を確立していったという、日本の近代化を支えてきた確固たる歴史があるのです。
しかし私達はなかなかそこに気づくことができずに今を生きています。
「温故知新」
まさしく古きを訪ね新しきを知るという言葉もある通り、自分たちの暮らす地域の歴史を見直して、各地の誇りを取り戻し、そこから新しい時代を見いだしていかなくてはならない。そのような活動を推進していく中で、まずは行政ではなく、市民の代表である議員から地域連携を行い、様々なレベルで発生するであろう取組を下支えしていくための器づくりをしたいと考えています。
それが今回新聞記事でも取り上げていただいた北海道「炭鉄港」市町村議員連盟となります。
この炭鉄港の認識には、地域や個人において大きな開きがあります。まずはそれを狭めていくこと。議員同士でこれらの価値を共有することで、各地域においての活動を支援しムーブメントにつなげていくことを想定しています。
まずは3月19日(日)
一人でも多くの賛同者と共に、北海道「炭鉄港」市町村議員連盟の立ち上げができるよう、もうひと踏ん張りしたいと思っています。
そして私事になりますが、これらの活動はあらためて北海道、空知の中における岩見沢の価値を再構築するものとなり、これまで自身が取り組んでいる「シビックプライド」の流れにピッタリとマッチするものでもあります。もちろん岩見沢以外の地域ともWIN-WINでなければ意味の無いものです。
それぞれに ~自分たちの住む地域に愛着と誇りを~
それはまずは知ることから始まるのだと思うのです。知った上でなければ見えてこない道筋がある。
色々と重なり大変ではありますが、私の見据える先は1方向のみ。
頑張ります。
平成29年2月28日投稿
昨日、テレビ番組の取材を受けてきました。
その番組はTVHで、一人の趣味等を密着していく30分番組とのことで、今回は北海道鉄道観光資源研究会で711系赤い電車の保存活動に人力されたH田さんを追っていました。
その構成の中で、この赤い電車のシーンがあり、岩見沢赤電保存会の会長として対応させていただいたものです。番組中でこの赤電車のシーンがどれぐらい確保されるかは不明ですが、少なくとも私と佐々木事務局長の受け答えの撮影の機会がありました。
写るかどうかはわかりませんが、放送日が決まりましたら再度ご紹介させていただきます。
↑ 大地のテラス道下社長とのやり取りを撮影。終了後、赤い電車を見ながらランチ。この設置の角度や高さも随分とこだわって設定したとのこと。見事に走っているかのように見える絶妙なバランスです。
↑ つい先日も世話役会があったのですが、いよいよ会員募集のチラシが出来てきます。このデザインは世話役の一人であるHさんがデザインしたもの。赤電への愛情がにじみ出ています。
昨日も電車を見る機会がありましたが、塗装の劣化が一段と進んでおりました。通常、北海道の静態保存機はブルーシートで全面覆ってしまうのが普通ですが、この赤電車は2番目の写真でも分かる通り、レストランや道路から見た景色が絶妙です。
よって、屋根をかけたり、シートをかけてしまっては勿体無い。そこで塗装が劣化してしまうのを覚悟の上でそのまま越冬させています。
よって雪解け後の塗装修繕が相当手間がかかることが予想されています。もちろん、それには費用もかかることから保存会の会員になってくれるかた、また、寄附をしていただける方を随時募集しています。
ホームページからも入会可能ですので、是非、サイトをご覧頂けると幸いです。
http://iwamizawa711.com/
いずれにせよ、春からの保全活動が楽しみです(笑)
〈平成29年2月11日投稿〉
岩見沢の異様な小雪傾向の中、全国ニュースでは大雪の被害が報道されています。
以前、Green Artistさんの投稿で、岩見沢では観測史上4回、年間積雪量が5mを下回っていることを知りました。そこであらためて色々と調べてみると、昭和38年にも似たような状況があり、岩見沢の降雪量は僅か433㎝でありましたが、本州などは大雪となり「三八(さんぱち)豪雪」と命名されているほどの気象状況だったことがわかります。その事から、今年も普段降らないところが降り、降るべき岩見沢が降らないという稀有な状況が再来していると連想してしまいます。
市民生活的には非常に楽で良いのですが、様々に影響する市内経済循環にとっては、懸念すべき事態とも言えます。何事もほどほどである必要性が身にしみます。
そこで過去の傾向が気になって気象庁の「年ごとの値」を調べてみると・・。
年間降雪量が5mを下回ったのは4回ですが、10mを上回ったのも4回ありました。そしてグラフにしてみると、岩見沢は大体年間7mぐらいの降雪と言われていますが、思った以上に大きな波があることに気づきます。1961年から1965年は5年間の間に、10m降ったかと思えば4.3mになり、またまた10m降るというジェットコースターのようなデータになっています。ちなみに私が生まれた1970年は過去最高の降雪で11.1mも降っているのですが、両親から「あんたの生まれた年は雪が多い年だった・・」とは聞いたこともありません。不思議なものです。
ちなみに、気象庁のデータにはかなり詳しく他の数値も載っているので、何か他のデータと降雪量に関連性を見出すことができないかと頑張ってみたのですが、私の素人解析では雷発生日数も年間日照時間も平均気温もその他諸々を含め、降雪量との相関を見つけることはできませんでした。
それほど、雪がどれぐらい降るかは、お天道さまの気まぐれということでしょうか。
朧気な記憶では、毎年毎年雪には悩まされていて、ほぼ同じぐらいの降雪量かと思いきや、結構なバラつきがあって驚くと共に、人間の記憶や感覚というのもあまりアテにならないことも感じます。
とは言え、どなたか鋭い方がいれば、気象庁のデータから関連性を見つけ出し、岩見沢の降雪予報精度を向上できるかもしれません。お時間ありましたら、このデータとにらめっこしてみては如何でしょう。
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/annually_s.php?prec_no=15&block_no=47413&year=1963&month=&day=&view=
ちなみに、先日もご紹介したGreen Artistさんのブログでも非常にためになる情報があります。
〈平成29年1月29日投稿〉
2月5日(日)14時から開催する岩見沢市議会市民クラブのまちづくりシンポジウムの準備をしています。
基調講演は小樽商科大学の内田純一准教授にお願いしておりますが、第2部のパネルディスカッションは、僭越ながら私が進行役をさせていただくこととなりました。
1、松浦淳一氏(岩見沢商工会議所会頭として、経済界やまちづくりを背景とした視点)
2、道下将俊氏(岩見沢市農民協議会委員長としての農業視点、岩見沢と合併した旧町村視点)
3、吉岡宏高氏(NPO炭鉱の記憶推進事業団での活動と、観光の専門家としての視点)
4、内田純一氏(小樽商科大学ビジネススクール、知識を元にした正論を導く視点)
この様な豪華なパネリストの皆様とどのような内容を掘り下げるか・・。
ただいま作成中のシナリオ案としては、私自身、これまでのまちづくり活動を通して実感している部分でもある、「知る・育む・共有でつくる”まちの価値”」~未来の岩見沢を見据えて~という感じの軸で行きたいと思います。
決してシナリオどおりに行くものではありませんが、一つ軸をつくっておけば、あとは臨機応変に対応できるように準備をするまで。短い時間で振り幅の大きいリスキーな展開になることが予想されますが、真摯に未来の岩見沢の価値を高めることに集中していきたいと考えています。
豪華メンバーの中、進行役としては非常に力不足と思われますが、来ていただいた方に少しでも良いイメージをお持ち帰りしていただける様に、ギリギリまで準備を進めておきたいと思います。
どうか2月5日(日)14時~
岩見沢駅となりの自治体ネットワークセンター4階 マルチメディアホールまでお越しください。事前受付不要・入場無料です。