〈令和3年8月7日投稿〉
林家とんでん平さんは、日本遺産 炭鉄港の「10分でわかる炭鉄港」という動画でナビゲーター役をされている方。そのとんでん平さんが、47都道府県を落語をしながら移動していくという企画で、8月4日に岩見沢にお越しくださいました。
これは、北村温泉の後藤料理長とのご縁で実現。まずは15時から「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」で壮行会が開催されました。

〈令和3年8月7日投稿〉
林家とんでん平さんは、日本遺産 炭鉄港の「10分でわかる炭鉄港」という動画でナビゲーター役をされている方。そのとんでん平さんが、47都道府県を落語をしながら移動していくという企画で、8月4日に岩見沢にお越しくださいました。
これは、北村温泉の後藤料理長とのご縁で実現。まずは15時から「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」で壮行会が開催されました。
〈令和3年7月2日投稿〉
先日、小学校4年生の授業の総合的な学習の時間に協力させていただきました。
発祥の地公園の他には、裏の庭からつながっている、市の有形文化財でもある旧国兼邸の内部見学を実施しました。これには岩見沢市教育委員会の文化・スポーツ振興課の協力をいただいています。
この旧国兼邸は岩見沢市の有形文化財。
大正6年頃建てられたものと言われています。市内には他に志文にある大正3年築の辻村直四郎邸、街中にレンガづくりの蔵と共に残る、大正4年築の岩見沢山七 山口家本宅がありますが、どれも現在に残るべくして残る由緒ある建物であり、今後の活用に期待が持てます。
さて、これまでの経験上、小学6年生ぐらいになると歴史への捉え方も高度になってくるのですが、4年生ぐらいだとまだまだ難しい。極力面白がってくれるようなお話を探しつつ、地域に興味をもってもらえるきっかけに出来たら良いなと思っています。
が、私もまだまだ修行が足りず、試行錯誤で工夫を続けているところです。
〈令和3年4月27日投稿〉
岩見沢市の広報誌「広報いわみざわ」にて、表記炭鉄港ツアーの案内が掲載されています。
対象は小学4年生~中学3年生まで。親子同伴可とのことです。
コースは夕張と赤平の2種類。
夕張は石炭博物があり、赤平はきっと立坑見学もあるのだろうと想像します。
どちらも貴重な経験ができると思います。これを機に、ぜひ炭鉄港に触れてみては如何でしょうか。
■夕張石炭博物館の雰囲気(坑道火災により状況は一部異なります)
https://hiranoyoshifumi.jp/2018/05/08/9816
■赤平ガイダンス施設並びに立坑見学の雰囲気
https://hiranoyoshifumi.jp/2021/01/26/13479
〈令和3年2月27日投稿〉
先週の土日はオンラインがめじろ押し。
午前中は”こども環境学会”の某学会賞の審査がZOOMを活用して開催されました。
まだ審査発表前なので詳細については控えさせていただきますが、今年からご縁をいただき、このような賞の審査に携わることとなりました。
今回は事前にいただいた資料を元に各自審査を実施。この日はその審査員それぞれの意見をベースにディスカッションが行われたものです。
私以外は学識的にも実践的にも肩書的にも非常に優れた方ばかりで恐縮するところですが、まさしく日本全国各地からオンラインで会議ができる時代になったことを実感します。
上記会議が終了後、炭鉄港バーチャルツアーに参加。
こちらも土日にわたって炭鉄港に関する45分~2時間の番組的な構成を5コマ発信され、どれも試験的に無料配信されました。
このような手法もコロナ禍で一気に加速しています。
他にもドカ雪まつりがオンラインで配信されたり、岩見沢ねぶたプロジェクトの点灯式があったり!
とても便利になりましたが、やはりリアルで人と触れ合って磨きあいたいですね。
先日からスペルミス〈LAGER(正)⇒LAGAR(誤)〉で回収というニュースで話題となったファミリーマート限定発売ビール、「サッポロ 開拓使麦酒仕立て」。
スペルミスぐらいで回収しなくても・・・等々、SNS等であまりにも話題になったため、スペルミスのまま販売されることとなったレアものです。
やはり話題性もあり、随分と売れているそうです。
味は深みとコクがあり、炭酸は弱め。この後に普通のサッポロビールを飲むと、味が薄くて炭酸がキツく感じた次第です。
さて、私が飲んでみたくなったのは、決してスペルミスの話題性ではなく、やはり【炭鉄港】に関連するから。
明治初期、サッポロビールの前身にあたる「開拓使麦酒醸造所」を北海道に持ってくるべく尽力したのが村橋久成という旧薩摩藩士。
開拓時代の北海道は旧薩摩藩士が大いに活躍をしていて、黒田清隆や西郷従道等の開拓使長官、三県一局時代の札幌県、函館県、根室県、管理局のトップは全員、北海道庁時代になると永山武四郎等々が旧薩摩藩士もしくは元鹿児島県令。
これは島津斉彬公が北海道の事を「日本の宝蔵なり」と特別視していたことにも由来すると言われ、実際に北前船で運ばれた蝦夷地の海産物が、薩摩から琉球経由の闇貿易で莫大な富を得て、その資金力が明治維新に繋がるという説も。
これらの流れを汲んだ旧薩摩藩士達が、札幌の創成川イースト(今のファクトリーのある辺り)に薩摩の尚古集成館をモデルとした工業地域をつくろうと努力し、そのうちの一つがこの札幌開拓使麦酒醸造所。北海道を通して日本の発展を夢見た薩摩の人々のことを思い浮かべながら飲んでみました。
ちなみに、その薩摩と北海道の関わりは、こちらをご覧いただければわかっていただけるかと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=dtaAiQi99_0&feature=youtu.be
さて、このサッポロビールに繋がる村橋久成という人がまた興味深い人生を送っていると言います。
日本は鎖国時代、海外に渡航するのはご法度でありましたが、幕末期になると薩摩や長州は独自に密留学生を派遣。村橋久成はこの第一次英国留学生の一人であり、戊辰戦争時は榎本武揚の降伏交渉を行う。その後、新政府の開拓使官史として活躍。東京に戻り開拓使が計画中の麦酒醸造所の建設責任者に。
当初、北海道に自生していたホップを使って東京で醸造所をつくる計画であったものを、北海道の方がビール造りに気候が適し、なおかつ北海道の産業振興にも繋がるものと主張し、札幌に醸造所が作られることとなった。これが今のサッポロファクトリーの周辺ということとなります。
そして興味深いのがこの後。
財政難で開拓使の廃止に伴い、黒田清隆などが主導し開拓使の施設を破格の安値で民間に払い下げる事例が発生。主として薩摩閥を優遇するもので、開拓使官有物払い下げ事件となる。(北海道炭鉱鉄道会社も社長の堀基が旧薩摩藩士で、229万円かかってつくられた幌内炭鉱や幌内鉄道(手宮ー幌内)を破格の35万円で払い下げをしているのも一例)
村橋久成はこれらの動向に失望したとも言われ、突如開拓使をやめ、全てを捨てて托鉢僧となって放浪の旅へ出る。それ以降一切の消息が不明。
最後に神戸の路上でほとんど裸の状態で行き倒れとなり、病院に運ばれるも死亡。新聞に行旅死亡人の広告が載せられたことで、その死を知った第2代総理大臣であった黒田清隆が葬儀を行う。
葬儀の参列者には湯地定基(栗山にある湯地の由来、旧薩摩藩士)、堀基(北炭初代社長、旧薩摩藩士)、調書広丈(札幌県令、旧薩摩藩士)、永山武四郎(屯田司令官、旧薩摩藩士)、仁礼景範(海軍大臣、旧薩摩藩士)等々、浮浪者の如く行き倒れの葬儀に当時の明治政府の中核を担う面々が集うという異様な光景が見られたそうです。〈wikipedia参考〉〈こちらも面白いです〉
村橋久成は薩摩の上級武士であり、非常に能力の高い人だった様です。それと共に、英国に留学時も西洋文化へのカルチャーショックで心を病むなど、非常に繊細な面もあったのかと想像します。
激動の幕末から明治にかけて、その類まれな能力を発揮しつつも、世の流れに抗えない葛藤の中で世捨て人となってしまったのかもしれません。
今もある意味激動の時代を迎えつつあるような気がします。
改めてこのビールを肴に、村橋久成を始め、炭鉄港の基礎となる明治期の北海道を切り拓いた人々の想いを訪ねてみたいと思います。
〈令和3年1月26日投稿〉
先日の日曜日、赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設にて、最終日となる〈炭鉱の文字展〉を見てきました。
この企画は、デザイナーでもありライターでもあり、民泊オーナでもあり、炭鉱の記憶推進事業団スタッフでもある大倉女史による企画で、赤平市歴史資料館の収蔵品の中から、様々なフォントやデザインの看板類に炭鉱遺産としての隠れた魅力を創出したもので、大勢の人が訪れる素晴らしい企画となりました。
私はもっと早くに余裕をもって見学し、是非多くの人にPRしたかったのですが、結局スケジュールのやりくりができず、何とか最終日に潜り込んだ様な感じです。
また、せっかくなので立坑のガイド見学をお願いし、3度目となる立坑内部を見学してきました。この日は出発時の気温がマイナス16度!立坑内部もかなり冷え込んでいることが予想できたので、厳重な防寒対策も!
〈令和3年1月22日投稿〉
昨年7月にZOOMにてオンライン取材を受けた記事が、フリーペーパーこれっとに掲載されていました。
取材の相手は緑陵高校情報コミュニケーション科の氷室冴子研究班の面々で、氷室冴子研究をしている中で、過去の岩見沢の情報を知りたいとのこと。
コーディネーターは「これっと」編集長の栗林千奈美さん。常に高いレベルで安定の素晴らしいコーディネート能力でした。
「これっと」はダウンロードして読むことが可能です。
是非、下記より御覧ください。
■「これっと」webサイト
https://i-collet.info/
■2020特別臨時号
https://i-collet.info/file/collet2020.pdf
〈令和2年12月7日投稿〉
4日(金)、本日から始まる第4回定例会について、議会運営委員会やクラブ会議などがあり、それらの終了後、市役所の駐車場に停めた車の中から、某小学校の授業に参加させていただきました。
この授業は、本来であれば違う日に学校で開催されたはずの「炭鉄港に関する発表会」でしたが、このコロナ禍において学校関係者以外はZOOMによるオンライン参加となったものです。
私は前述の都合で、残念ながら終了間際からの合流となってしまいましたが、この授業に関わってきた岩見沢青年会議所メンバーや、鹿児島から尚古修正館の小平田さんの活躍も見ることができました。
各々、調査発表する子どもたち、そしてこの様な環境づくりに臨機応変に対応された先生達にも敬意を表します。
子ども達が自分たちの地域のことを学ぶ中で、自分たちなりに咀嚼し、愛着や誇りを益々育んでくれていることを感じ、とてもありがたく思います。
〈令和2年11月5日投稿〉
つい先日、貴重なデータを見せていただく機会をいただきました。
授業に関わらせていただいた某小学校のアンケート結果です。
人数が記載されていると大体どこの学校か目星がついてしまうため、パーセンテージだけのご紹介となりますが、授業で岩見沢の歴史や炭鉄港などの背景を知った後に取られた「岩見沢が好きですか?若しくは好きになりましたか?」という設問に対し、98%が「はい」と応えてくれている。
残りの2%は石炭が戦争に使用されたから、、、という理由であったとのこと。その気持も良く理解できます。
授業で関わらせていただいた1学年の内、ほとんどの生徒が明確に「岩見沢が好き」もしくは「岩見沢のことが好きになった」と回答してくれているのは嬉しいこと。「いいえ」と応えた生徒さんも、明確に自分の意見を持てていることにとても感慨深いものがあります。
私自身、細々としかできてはいませんが、岩見沢シビックプライド探求部という活動を通し、この様に岩見沢の子ども達にも地域の価値を伝えることができているのは何よりもありがたいことです。
目指すところは、岩見沢に誇りと愛着を持てるような環境づくり。
まだまだ微力ですが、努力を続けていきたいと思っています。
〈令和2年11月2日投稿〉
昨日、11月1日(日)に表記の様なバスツアーに参加してきました。
これは「誘客多角化等のための魅力的な滞在コンテンツ造成に向けた実証調査事業(観光庁)」を活用するバスツアーです。
集合は「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」で、新型コロナウイルス感染症への対応として、受付では消毒、検温、健康状態の聞き取りなど、非常に細やかな確認がなされます。また、観光用の大型バスにも関わらず、参加定員が15名ということで、2列かけの椅子に一人ずつでも余裕がある状況。
まず最初は三笠市立博物館へ。
最初に学芸員の方がアンモナイトについて、非常に興味深い解説をしてくれました。アンモナイトがイカやタコの仲間であることの証拠や他の貝との違いなど、全く聞いたことも無かったことであり、学芸員さんのお話も上手で見事に楽しめました。これはおすすめです。
その後、三笠ジオパークの下村さんという名ガイドに交代し、野外博物館を見学へ。この下村さんはガイドとしては非常に有名な方とのことで、以前から是非一度お話を聞いてみたかったことから、今回のツアー参加の一つの理由にもなっていました。
(↑画像は旧北炭幾春別炭鉱 錦立坑 大正8年につくられた現存する道内最古の立坑(地中約200mまで続く巨大なエレベーター))