カテゴリー別アーカイブ: 炭鉄港

学校授業と地域教育&炭鉄港

〈令和3年10月8 日投稿〉

本年は例年より多くの学校に携わる機会をいただきました。

大きく2つの方向性がありますが、一つは岩見沢の歴史を知りたいというもの。もう一つは岩見沢と炭鉄港についての関係を知りたいというもの。傾向としては、小学校4年生では岩見沢の歴史を、5~6年生では日本遺産である炭鉄港を絡めてという感じになります。

岩見沢の歴史がベースの場合、駅周辺のフィールドワークがおすすめです。

今年、私が直接関わったのは2校ですが、共に駅や元町の初代駅舎のあたりを絡め、炭鉱の記憶マネジメントセンターとの動線でチェックポイントを設けるなどすれば、大人数の対応が可能です。ただし例年、青年会議所の有志やPTAなどの協力が不可欠になります。

そして炭鉄港を知ることがメインになる場合、おすすめなのは旧国鉄万字線沿線をめぐることです。

今年、最も時間をかけて炭鉄校の授業を行った学校では、午前9時半~12時ぐらいまでを3日間行いました。

一回目は旧万字炭鉱のズリ山登山。

子供達にとって、このズリ山登山は最高の経験になると思います。

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岩見沢駅周辺ガイドツアーの開催

〈令和3年10月15日投稿〉

緊急事態宣言が明け、少しずつではありますが以前の生活が戻りつつあるような気がします。とはいえ、まだ慎重に考えていくことが大切だとは思います。

さて、10月10日(日)は午前と午後の2回に分けて、岩見沢駅や岩見沢レールセンターのガイドを行いました。

午前は空知ワーケーションモニタ&取材ツアー

午前は岩見沢市観光協会が事務局となっている、そらちワーケーション・テレワーク推進プロジェクトの一環で、北海道カメラ女子の会による「空知ワーケーションモニター&取材ツアー1泊2日」の1コンテンツとしての駅周辺ガイドでした。

参加者は約15名。

それぞれカメラを趣味とした女性やライターさんなどが主となり、空知、岩見沢周辺の様々な魅力を切り取っていくものですが、最終日には取材内容のまとめや発表がある本格的なもの。

(美しい方ばかりでモザイクはかけたくないのですが、許可をいただいておりませんので、残念ですが加工をご容赦ください。)

この駅舎周辺ガイドは約1時間。

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【緊急企画】岩見沢「炭鉄港」モニターガイドツアー開催します。

〈令和3年10月7日投稿〉

誠に急なお話ですが、今週の日曜日に岩見沢駅周辺で「炭鉄港」モニターツアーを開催します。

詳細は下記画像をクリックしてください。

実はこの日の午前中は、駅を中心とした別のガイドツアーを実施予定で、午後からフリーになるので時間がもったいないと思っての企画です。というのも、実は週末はずっと予定が詰まっていて、日曜にこのような活動ができるのは、今年最初で最後になりそうな気配。よってちょっと無理をしての開催です。

とはいえ、あまりにも急な企画なので、何名の方が興味をもっていただけるかわかりませんが、最少催行人数1名から実施したいと思っています。

もし興味ありましたが、お問い合わせのメールアドレスにご連絡いただければ幸いです。

ただしコロナ禍を考慮し、先着15名様程度で締め切る予定となっておりますことをご了承ください。

万字炭山森林公園等々の下見

〈令和3年9月12日投稿〉

今後、東部丘陵地域に関する授業対応が増えてくることから、NPO炭鉱の記憶推進事業団のスタッフさん達と下見に行ってきました。

まずは旧万字炭鉱ズリ山登山から。

生憎の雨模様でしたが、足元はばっちり。
しかしながら山頂はガスがかかって周囲は何も見えない状況・・。

この万字のズリ山は、管理棟から徒歩約20分でズリ山登り口の駐車場に行け、そこからゆっくりで25分ぐらいで登頂できます。帰りは横から下り森林の中を戻ってこれますが、ここの景色がまた最高です。

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小学校6年生の「岩見沢と炭鉄港」フィールドワーク

〈令和3年9月9日投稿〉

6日に開会した議会も現在は議案調査のための休会日となっています。

その合間を縫って、昨日は市内某小学校のフィールドワークのお手伝いをしてきました。
実は昨年も同様の授業を行っていますが、その時に私が作成したスケジュール&内容を、本年は先生がブラッシュアップしてくれての開催となりました。

ただ通常であれば、このフィールドワークの後は、修学旅行で小樽の総合博物館に行き、関連の調査を進めるという取り組みをしていたものの、今年は緊急事態宣言によりそれが叶わなかった模様。学校現場も様々に苦慮している様子が見えました。

 


さて、授業の手法としては、今回も2組に分かれて3つのポイントを正順と逆順で巡るパターンとなります。
場所は駅舎+レールセンター⇒元町跨線橋(初代駅舎周辺)⇒そらち炭鉱の記憶推進事業団という3箇所です。

岩見沢複合駅舎と岩見沢開拓期における鉄道の関係を説明

私の担当としては、最初は2組同時に駅前のメタセコイアの前で集合し、石炭やその素となったといわれるメタセコイアの話。その後2組に別れて、駅舎+レールセンターにて、岩見沢の生い立ちと鉄道の発展との関係、そしてレールセンターの解説を含め、炭鉄港との深いつながりをお話しました。

有明連絡通路にて線路を見ながらの解説

子どもたちは、この後、新聞をつくるとのことで、随分真剣に話を聞いてくれました。

駅周辺の目玉はやっぱり岩見沢レールセンターです。
この生徒さんたちは、たまたま数日前にも写生会でレールセンターを訪れており、詳細はわからないものの身近に感じてくれている状況でした。

この岩見沢レールセンターは1899年に作られ、明治期に岩見沢において北炭の本社が置かれ、北海道鉄道総合工場として発展してきた歴史を語る、現在唯一の現存物であり、その背景には炭鉄港のスタートアップになくてはならない薩摩との関わりが見えます。この場には沢山の人に知ってほしいストーリーが詰まっており、私自身、緊急事態宣言が解除されたら、ぜひ市民の皆様を対象に駅周辺ガイドツアーなどを企画してみようと思っています。

明治期の画像と現地を比べながらのお話

今回の授業では、そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター担当の北口事務局長さんが、緊急事態宣言下における対応に配慮し、内部での時間を縮小して外からの見学時間と解説を増やしての開催。相変わらずの上手な語りで小学生にも容易に理解できるお話を展開されてました。元町の跨線橋では、今回の授業の窓口となっている日浦氏が初代駅舎周辺と岩見沢村当初の街並みについて解説をしていただきました。

この炭鉄港に関することは、知れば知るほど可能性を感じるもの。

知識がなければ歴史というのは全く面白くないものですが、少しわかってくると、これまで見えなかったものが見えてくる不思議な魅力があります。ぜひ子どもたちには、岩見沢のことをもっと知ってもらって誇りを抱いていただきたいと思っています。そのために学校の先生達も凄く頑張ってくれています。

是非この動きを止めぬように私も努力したいと思っています。

某小学校4年生への授業に行ってきました。

〈令和3年8月24日投稿〉

本日の午前中、某小学校4年生の授業に行ってきました。

今回は2クラス同時で行うため、密を避けるためドアを開け放して換気の効いた体育館で開催です。
お話のタイトルは「岩見沢の歴史と炭鉄港」とし、開拓の状況からスタート。その後、岩見沢市が発展した炭鉱と鉄道の話をベースに、日本遺産となった炭鉄港のアウトラインも紹介しました。またそれにプラスして、この学区ならではの歴史的事象についても補足した次第です。

心配だったのは小学4年生にとって、この岩見沢の歴史をお話するには1コマではちょっと厳しい。

しかも北海道開拓の話をするには「明治維新」を避けて通れないし、炭鉱や炭鉄港を語るには「産業革命」が不可欠。これまでの経験上、6年生ぐらいだと比較的面白がってくれるけど4年生にはかなり難解。

それでもこれまでの反省を活かしつつ、より噛み砕いたお話になるように努力したのですが、私もまだまだ修行が足りなかったようで、残念ながら目を輝かせて最後まで聞いてくれていたのは半分ぐらいかな?という印象。他はどうしても頭に入らなくなってしまって、飽きてきてしまう様子が垣間見えた気がします。これは大いに反省事項で、現在の私にとって、この4年生への座学というのが物凄く高いハードルに感じています。さてどうしたものか。。

せめて先にフィールドワークで炭鉱の現場に触れたり、駅周辺を歩いたりできればまた違うかな?と振り返りをしているところですが、いずれにせよ今の学校現場はとても忙しく、先生達も他にやることが満載の中で地域の歴史や炭鉄港のことを調べるのは大変。よって少しでもお手伝いできればと考えていますが、重ね重ね、まずはこの4年生に対する座学が私の大きな課題になっているので、子どもたちのためにも、それを克服できるように頑張らねばなりません!(いかに大人向けに話すのが楽なことか痛感します。)

現在の修正方向としては、どうしても情報過多の傾向があるので、どれかをバッサリ切り捨てるのが必要と思っていますが、考えれば考えるほど、地域の歴史にとってどれも切り捨てることの難しいものばかり・・。いっそのこと2コマならゆっくり更に噛み砕けるのか?それとも1コマのままで情報量を劇的に落とすのかを考えなくてはなりません。まぁ、やはり1コマで情報量を落とすのが正しいのだろうと思うのですが。

なにはともあれ、なかなか学校の先生の様に上手に授業を行うことはできません。

本日も「まだまだ修行がたりないな・・・」と痛感中です。

炭鉱(ヤマ)の灯り 旧住友奔別炭鉱

〈令和3年8月9日投稿〉

昨晩、炭鉱の灯りが開催されました。

例年であれば盛大に開催されるのですが、本コロナ禍においては昨年に引き続き、NPO炭鉱の記憶推進事業団の関係者のみでの実施となります。これもイベントとして開催することより、炭鉱に関わってきた方々への鎮魂や慰霊といった意味合いに重きをおく吉岡理事長の思いが表現されています。

場所は三笠市にある旧住友奔別炭鉱。
建設当時は東洋一と謳われた最新鋭の立坑櫓が現存しているところです。

上の画像一番奥に見えるのが、石炭を貨車に積み出したホッパーです。

今年の豪雪により屋根が破損し、状態が見た目的にも変化してきています。このような産業遺産は、かかる経費の都合上、保存に向けた積極的な取り組みを行うことが難しいため、俗に言う「見守り保存」となってしまいます。それは致し方のないことであり、人的事故が発生しないことが最優先になるため、どうしても立ち入りなどに制限がかかってしまいます。近年、産業遺産の人気の高まりもありますが、愛好者の方は是非無断立ち入りなどのルール違反が無いように楽しんでいただければと思います。

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林家とんでん平さん【47都道府県 移動する落語会】in岩見沢

〈令和3年8月7日投稿〉

林家とんでん平さんは、日本遺産 炭鉄港の「10分でわかる炭鉄港」という動画でナビゲーター役をされている方。そのとんでん平さんが、47都道府県を落語をしながら移動していくという企画で、8月4日に岩見沢にお越しくださいました。

これは、北村温泉の後藤料理長とのご縁で実現。まずは15時から「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」で壮行会が開催されました。

その後は18時からcafe橙さんにて寄席を開催。
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岩見沢発祥の地公園で授業協力

〈令和3年7月2日投稿〉

先日、小学校4年生の授業の総合的な学習の時間に協力させていただきました。

場所は「岩見沢発祥の地公園」。
 
岩見沢の生い立ちや地名の由来。”炭鉄港”との深い関わり等々、一見難しい話ですが、時間が過ぎても子どもたちの質問が止まらない楽しい時間となりました。

画像は明治17年に山口県柳井市平郡から士族移住された方々の記念碑の前で、士族移住想像図と共に、当時の入植の様子をお話ししているところです。

発祥の地公園の他には、裏の庭からつながっている、市の有形文化財でもある旧国兼邸の内部見学を実施しました。これには岩見沢市教育委員会の文化・スポーツ振興課の協力をいただいています。

この旧国兼邸は岩見沢市の有形文化財。
大正6年頃建てられたものと言われています。市内には他に志文にある大正3年築の辻村直四郎邸、街中にレンガづくりの蔵と共に残る、大正4年築の岩見沢山七 山口家本宅がありますが、どれも現在に残るべくして残る由緒ある建物であり、今後の活用に期待が持てます。

さて、これまでの経験上、小学6年生ぐらいになると歴史への捉え方も高度になってくるのですが、4年生ぐらいだとまだまだ難しい。極力面白がってくれるようなお話を探しつつ、地域に興味をもってもらえるきっかけに出来たら良いなと思っています。

が、私もまだまだ修行が足りず、試行錯誤で工夫を続けているところです。

炭鉄港ツアーのご案内(岩見沢市教育委員会主催)

〈令和3年4月27日投稿〉

岩見沢市の広報誌「広報いわみざわ」にて、表記炭鉄港ツアーの案内が掲載されています。

対象は小学4年生~中学3年生まで。親子同伴可とのことです。

コースは夕張と赤平の2種類。

夕張は石炭博物があり、赤平はきっと立坑見学もあるのだろうと想像します。

どちらも貴重な経験ができると思います。これを機に、ぜひ炭鉄港に触れてみては如何でしょうか。

■夕張石炭博物館の雰囲気(坑道火災により状況は一部異なります)
https://hiranoyoshifumi.jp/2018/05/08/9816

■赤平ガイダンス施設並びに立坑見学の雰囲気
https://hiranoyoshifumi.jp/2021/01/26/13479

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