〈令和元年12月8日投稿〉
土曜日、ちょっとの時間を縫って岩見沢郷土科学館に行ってきました。その目的は加藤愛夫氏の企画展。
辻村もと子さんとも非常に関連が深い方。
昭和21年、辻村もと子さんの最後の作品「風の街」の急造本をつくり、死期迫り岩見沢市立病院の病床に臥すもと子さんに届けたのがこの加藤愛夫さん。
一般的には交響詩岩見沢の作詞者として知られていると思いますが、私自身、この展示を見て初めて知ったことも沢山。
〈平成30年4月13日投稿〉
いよいよ4月22日(日)の開催が迫ってきました。
そこで、少し長文となりますが、あらためてセミナーの内容をご紹介させていただきます。
【第一部内容紹介】
この第一部の担当は私、平野がお話をさせていただきます。
今、骨子として考えているのは、大体以下の通りです。時間配分を見ながら大幅変更になる場合もあるかと思いますが、大筋としてこのようなスタイルでいけたら良いかなと準備を進めさせていただきます。
〈平成30年2月26日投稿〉
■2月24日の夜、樺戸道路の研修会終了後にサンプラさんへ移動。
先日も本ブログにてご紹介させていただいた、文学岩見沢別冊:辻村もと子著 「山脈」の刊行を記念して行われた『志文の自然と辻村もと子を語る夕べ』に参加させていただきました。
この本の刊行に様々な面から携わった方々が約20名ほどが集い、ともに喜びを分かち合った目出度く幸せなひとときとなりました。
自分自身、ごく浅くしか携われておりませんが、この様な場にお招きをいただき、本当に感激しています。
多様な巡り合わせの中で、1冊の本が世に出た事象に感動。おかげでこの山脈は手元に3冊ある状況(笑)
半ば家宝の様に大事にしようと思ってます。
〈平成30年1月25日投稿〉
現在、ぷち連載させていただく機会を頂戴している、岩見沢のフリーペーパー《これっと》の原稿を執筆していました。
今回のテーマは、岩見沢の誇る作家さんである氷室冴子さんの功績を讃えて「氷室冴子青春文学賞」が設立され、この1月に応募が開始されたことに乗じ、早速、岩見沢における文学に視点を合わせてみると絶対に外せない人がこの方。
当ブログでも度々登場する《辻村もと子》さんです。(最近ではこの記事で取り上げさせていただいています。)
実は岩見沢は、氷室冴子さんや辻村もと子さんのみならず、中村武羅夫さんなども文学のジャンルでは全国的に有名な方だと思います。岩見沢東山公園の〈 誰だ 花園を 荒らす者は 〉という、下の画像(申し訳ありません。勝手にこちらから借用させていただきました。)の様な石碑を見た方も多いのではないでしょうか?
実は恥ずかしながら、岩見沢プレーパーク研究会で東山公園に行った時に、初めてこの石碑を見ても何の事がわからなかったのですが、辻村邸の事を知るに従いその謎が解けた程度の知識です。恐らく、他にも文学的に著名な方がいらっしゃるのだろうと思いますが、常に「自分は自分のまちの事を全然知らない」という事実に恥じいる思いで日々勉強中とうところです。
今回の”これっと”の記事は、できるだけ辻村邸の事を知らない、初めての人でも関心を持っていただけるようにしたつもりですが、何せ、この辻村邸にまつわるエピソードは、個人的に”大河ドラマになってもおかしくないほど”と考えていることから、書きたいことが多すぎて、一向にまとまらず・・。
結果、随分と時間をかけてしまったのですが、そのように苦労したものは実は出来がイマイチという法則の通り、果たして読んでいただけた方々にどう感じていただけるのか心配です。
まずは一人でも多くの方に、この辻村邸の事を知って欲しいとの思いで書いてみました。無事に何事もなく”これっと”の最新刊が発行されましたら、また告知をさせていただきます。
その時は手にとってお読みいただければ幸いです。
〈平成29年10月15日投稿〉
今回のぷらぷらまち歩きは、久々に私の担当となりました。
《前回の様子はこちらからご覧ください。
https://hiranoyoshifumi.jp/2015/11/17/6794》
今回の設定は色々と迷った末に「志文」で決定。
その核となるキーワードは「辻村邸」「冷水遺跡」「志文駅」としました。
シュプンペツというアイヌ語の語源がどうして志文となったのか。
その答えもすべてこのぷらぷらで解決できる内容です。
まずは13時に志文駅集合からスタート!
しかし私、本日は午前11時からお隣の町会の敬老会にお招きをいただいだため、若干のアルコールも入っており、しかもその会場でスマホを見失うという失態を犯してしまいました。
よって運転は妻にお願いし、せっかくなので犬のハチ吉も含めた家族参加!
ただスマホがないので見事に画像がありません。(今回の画像はすべて補佐いただいた炭鉱の記憶マネジメントセンターの秋元氏から借用)
今回の参加者は抱っこされた赤ちゃんと、我が家のハチ吉を含めて20名!
天気予報は雨のマークもありましたが、何とか寒いながらも好天の内に開催することができました。
志文駅集合から、まずは万字道路を10分ほど歩いて「辻村邸」へ!
この辻村邸は、岩見沢市内から国道234号線を栗山方面に向かう際、ノースファームストックさんを超えたぐらいに右手に鬱蒼と茂る林が見えるところで、その中に大正3年に建てられた岩見沢初の洋風建築である辻村邸があります。(ここは私有地のため、許可なく立ち入ることはできませんので悪しからず)
ここで少し辻村邸の事をご紹介したいと思います。
〈平成28年11月28日投稿〉
昨日の日曜日、岩見沢市立図書館にて
~辻村もと子生誕110年/宮沢賢治・生誕120年によせて~と題して『午後の朗読会』が開催されました。
辻村もと子さんの「第1回樋口一葉賞」の表彰状の展示や、所縁の品々と画像等が展示されており、非常に見応えのあるものでした。
メインの朗読も宮沢賢治の『虔十公園林』から始まり、休憩を挟んで、加藤愛夫~辻村もと子 ー 人と文学 ー より 『馬追原野考』『故郷の森に帰る』の朗読がありました。
会場は満席で立ち見がでるほど。
私も早めに行って席を確保していたのですが、あまりの参加者の多さ(約90名)と年齢層の高さに席を譲り、約1時間半の間、立ち見で参加をさせていただきましたが、朗読会自体が初めての経験だったこともあり、プロが朗読するレベルの高さにあっという間の時間で、テレビやインターネットとは違う、とても質の高い楽しさがありました。
以前、岩見沢CivicPride探求部の中で、岩見澤「郷土かるた」を調べた時に、恥ずかしながら初めて知った「辻村もと子」さんと志文の開祖「辻村直四郎」さんの存在。
岩見澤郷土かるたを作った和田高明さんがお忙しい中、拙い下記動画を見てくれ、所有していた「馬追原野」の本を送ってくれました。本当にありがたいことです。しかし、どうせ読むなら集中して!と思うあまり、なかなかまとまった時間が取れず、このお盆休みにやっと読むことができたものです。
「馬追原野」は、岩見沢の志文を開拓した、父、直四郎さんの日記を元にした小説。最初は長沼の馬追の開拓をし、いよいよ念願の自分の土地を岩見沢で手に入れ、さぁ、これから!!というところで小説は終わる。
文中に良く出てくる久樽(くったり)は栗丘。夕張道路は中央通り。幌向川にかかっている鉄橋とはアメリカ製のトラス鉄橋。他にもイメージできる場所が次々と出てくる。
もちろん開拓を志した中で巻き起こる様々なストーリーにも引き込まれる。
チュプンベツというアイヌ語の地名に志文という字をあてる。