カテゴリー別アーカイブ: 炭鉄港

〈炭鉄港〉に関連するドイツ先進地視察〈3:2日目〉

〈令和元年8月25日投稿〉

1日目より続く

2日目は2班に分かれての視察。
一方は現地にいる日本人通訳さんをお願いし、ただ見るだけではわからない、より深い部分の把握を求め現地で携わっている方々への聞き取り調査などを実施。

私のみ初めてのドイツということで、吉岡理事長と二人きりで見学&レクチャーを受けることになりました。

まず最初に行ったのは世界遺産に認定された有名どころでもある〈ツォルフェアアイン炭鉱業遺産郡〉へ。

 

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ここの特徴は、1919年に設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行う〈バウハウス〉という美術と建築に関する総合的な学校で確立されたデザイン。

このバウハウス様式は、スクエアな中にも美がある独特の佇まいで何とも言えない存在感があります。
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〈炭鉄港〉に関連するドイツ先進地視察〈2:1日目〉

〈令和元年8月24日投稿〉

1:序章より続く

8月21日(水)は合流した全員である7名での視察。

まずは巨大な工業地域の中に残された製鉄所等の跡地である、デュイスブルグの北景観公園へ向かいます。


道中、駅では炭鉱遺産等をイメージしたデザインを随所に見ることができます。

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過去に隆盛を極めたルール工業地域において、環境に与えた悪影響や、隆盛からの衰退、また人間がつくったものが自然に侵食(復元)されていく様子を感じることができます。
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〈炭鉄港〉に関連するドイツ先進地視察〈1:序章〉

(令和元年8月24日投稿〉

19日の臨時議会、議会改革推進特別委員会終了後に荷造りをし、翌早朝5時20分に家を出て千歳空港へ。

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表題のごとく、産業遺産活用の先進地であるドイツのルール地方へと向かいました。

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「炭鉄港」と夕張市炭鉱博物館。

〈令和元年7月31日投稿〉

今年の4月に地下の模擬坑道が火災に見舞われてしまった夕張市石炭博物館ですが、現在は下記ポスターの様に平常営業しています。

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現在見学ができないのは、火災の発生した模擬坑道のみで、それ以外のエレベーターで地下に降りていく「地下展示」は通常通り見学可能です。

貴重な模擬坑道が見られないのは残念ですが、その分、入館料も大幅に値引きされておりますので、是非この機会に足を運んでみては如何でしょうか。

また現在、一階では日本遺産認定された「炭鉄港」に関する特別展示が行われており、45の構成文化財の他にも各地域に現存する関連遺産の紹介がされています。沢山の知らない遺産が紹介されていて、これを見るだけでも非常に価値のあるものとなっています(9月2日まで)。

この様に、当博物館は「炭鉄港の旗艦施設」としても、大きな役割を示し、炭鉄港へと関心をもっていただける重要なポイントでもあるのです。


そして個人的にイチオシなのがこの1枚。
(現在、石炭博物館がある周辺の活気あふれる頃の写真)

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夕張市石炭博物館webページより転載)

北炭の炭鉱施設があり、その周辺の斜面にもびっちりと炭鉱住宅が並んでいるのが見えます。これら炭鉱住宅等は画像に見える範囲のみならず、より広範囲に、そしてより奥深くまで続いていたそうです。

それが現在ではどうなっているか・・・

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Google Earthより、ほぼ同アングルの画像:{補足}googlemap等の使用許諾ガイドラインによる〈fair use〉の概念から著作権侵害には当たらない可能性が高いと判断しました。)

ところどころに面影はあるものの、その多くは自然に戻ろうとしています。

旧産炭地の繁栄と衰退。

これらは、今後私達が迎える人口減少社会への示唆を与えてくれるものでもあります。

是非、そんな見方も取り入れながら、過去の先人たちの偉大さや日本の高度経済成長を支えた事実、そしてその後の衰退、光と影の二面性等々、色々な角度からご覧いただくことで、私達の未来につながる何かを得られるものと感じています。


また、8月3日(土)はこの夕張市石炭博物館にて「炭鉱の灯」が開催されます。

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午後から博物館を見学して、17時から設置のお手伝いなんかも楽しいかもしれません。どなたでもお手伝い歓迎です。


この博物館に関する情報はこちらのFBページも御覧ください。
https://www.facebook.com/coalmine.museum.yubari/

メタセコイアの木

〈令和元年7月24日投稿〉

岩見沢駅前に立派なメタセコイアがあり、駅前のシンボルとなっています。

その詳細はこの空知総合振興局さんのページがわかりやすいかと思います。

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http://www.sorachi.pref.hokkaido.lg.jp/sr/srs/grp/metasequoia.pdf

このメタセコイアは石炭のもととなった木と言われており、「生きている化石」とも呼ばれます。

率直になぜこのメタセコイアの木が石炭の元になったと言えるのか、昨晩、とある会合でNPO法人炭鉱の記憶推進事業団の吉岡理事長に聞いてみたところ・・・

「恐竜がいた時代のメタセコイアは段違いに大きかったからね。」という答えが帰ってきました。

なるほど!そういえばアメリカかどこかにとてつもなく大きなメタセコイアの森があると聞いたこともあり、早速色々と検索してみると・・・

世界最大のセコイアは高さ115.5mもある模様。

更には「ジャイアントセコイア」で画像検索してみると(是非皆さんも検索してみてください)。。

この様な木が何世代にもわたり大量に存在していて、それが何かしらの影響で倒れ、その後地中に埋もれて莫大な圧力がかかり石炭へと変化していく。

その時間軸は想像を絶するものがありますが、この空知一円に大量の石炭が埋蔵されているということは、この様な森が広大に存在していたということなのか。

岩見沢駅前のメタセコイアを見て、ふとそんな太古を想像してみるのも良いかもしれません。

いやはや・・自然の凄さを感じますね。

〈炭鉄港〉市内中学校の授業のお手伝いをしてきました。

〈令和元年7月22日投稿〉

7月17日、岩見沢市立東光中学校1年生の「昔の岩見沢(旧国鉄)を学ぼう」というテーマの学習会を手伝ってきました。

これはNPO法人炭鉱の記憶推進事業団に依頼があったもので、1年生124名がバス4台に分乗しての大掛かりなもの。

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バス4台は大きく2つにグループ分けされ、それぞれ1台につき1名のガイドが乗車。

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(上画像2枚は”そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターブログ”より拝借)

更に必要に応じて、1グループ2台のバスは「時に同時に、時に分離して動く」という複雑な行程。

これは事前に炭鉱の記憶マネジメントセンターの北口事務局長が設定したもので、結果として見事なスケジューリングでバス4台が干渉することなく、ロスなしで全行程を終えることができました。


ちなみに、私がガイドとして参加させていただいた4号車は以下の様な進行でした。

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岩見沢市内で面白いレールを発見!ついでに他にも岩見沢にある珍しいレールをご紹介!

〈令和元年7月15日投稿〉

7月17日に東光中学校1年生が万字線沿線についての歴史を学ぶ授業があり、私もそのお手伝いをする都合上、90分ほどの時間をつくって各所へ下見に行ってきました。

その途中、小学生時代に友人と萩の山スキー場にスキーに行った時に利用した時以来、初となる旧・万字線上志文駅に寄りました。

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その頃の上志文駅舎に対する記憶は全く残ってはいませんが、今、あらためて見てみると趣のある佇まいをしています。

そして近づいてみると、張り出し屋根を支えているのは古レールであることを発見し早速刻印のチェック。

まず目に入ったのはアメリカのカーネギー社が1903年に製造したレール。これはこれで非常に古い珍しいレールですが、更にチェックしてみると・・・

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岩見沢社会科教育研究会での講演〈炭鉄港の授業化について〉

〈令和元年7月15日投稿〉

7月12日 16:30より岩見沢市内の小中学校の社会科の先生で構成される「岩見沢社会科教育研究会」にお招きいただき、「炭鉄港」に関する講演を依頼いただきました。

炭鉄港表紙

テーマは「炭鉄港の授業化について」というものですが、私自身、その具体的な授業化への手法というのは持ち得ていないので、まずは炭鉄港を知ってもらうことを重視することに。

導入は6月13日に実施した中央小学校6年生への授業の時に、どの様なことを行ったのかを説明しイメージを共有。その後、炭鉄港の背景やアウトラインについて説明させていただきました。

これは小中学生にもわかるような説明はもちろん大事ですが、それを教える先生達には、より深い背景を知っていてもらわなければ生徒たちに「炭鉄港」の真意が伝わることはないだろうとの判断です。

◆60分の講演構成としては

1)先日の中央小授業での内容
  ・クイズ形式の座学やフィールドワーク
2)炭鉄港の基本事項
  ・炭鉄港って何?
3)開拓と岩見沢
  ・岩見沢の生い立ち(石炭と鉄道)
  ・鉄道と北炭との関係
  ・薩摩と北海道の関係
  ・岩見沢と鉄のまち室蘭との関係
  ・歴史の連続性
4)様々なサブストーリー
  ・集治監政策と岩見沢
5)栄枯盛衰
  ・炭鉱の今昔
  ・鉄道の今昔
6)その他
  ・炭鉄港と他の日本遺産や世界遺産との関連
7)質疑応答

という形式としました。
内容としては、細かなところではなく、あくまで地域の歴史に「面白い」や「すごい」という誇りになりうる要素を重視しました。よってメモ書きするよりは、まずは面白がってくれれば幸いという様な感じです。

これがどの程度共感を得られたかは未知数ですが、当初研究会では5~6人程度?という参加予定者数を聞いていたものの、実際には15名前後の方々にご参加いただいたことからも、学校教育関係者の中でも、地域の歴史やそれに密接に関与する「炭鉄港」への関心が高まっており、各方面で様々に模索が始まっていることを強く感じました。

今月の17日(水)には、東光中学校1年生124名を対象としたバス4台を連ねるフィールドワークが実施され、受け皿となっている「NPO法人炭鉱の記憶推進事業団」のお手伝いとして私も参加してきます。


炭鉄港はこの岩見沢市においても、地域を見直す大きなきっかけになると共に、今後のまちづくりに影響を及ぼすものと確信しています。

鉄は熱いうちに打て!ではありませんが、シビックプライドの観点からも、是非この炭鉄港を広げ、より高い地域価値を構築できる様に、微力ながら努力していきたいと思っています。

北海道「炭鉄港」市町村議員連盟の会長に就任いたしました。

〈令和元年7月15日投稿〉

7月6日(土) 夕張市石炭博物館研修室において、北海道「炭鉄港」市町村議員連盟定期総会が開催されました。

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(顧問としてご臨席いただいた北海道議会議員の皆様。左から佐藤道議(小樽)、千葉道議(室蘭)、植村道議(空知))

前段は幹事長としてこれまでの活動について、また新年度の方針等についてご審議をいただきました。

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(右から、大橋芦別市議(事務局長)、南川室蘭市議(会長代行、平野(幹事長)*旧役職)

この後、2年の任期が終了したことから役員改選へと移ります。

本議連は平成29年の設立以降、赤平市議会の植村真美議員が会長職を担ってきましたが、昨秋に北海道議会議員選挙への挑戦ということで市議会議員を辞職。自動的に議連の会長職も不在となり、副会長である小樽市の安斎市議と室蘭市の南川市議に代行の担っていただいていたものです。

よってこの度、議連設立後初となる役員改選の機会を経て、大変僭越ながら私が会長と就任する運びとなりました。

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この日本遺産認定という大きな節目のタイミングで、この様な重責を担うことに身が引き締まる思いですが、官と民との連携強化、各地域間連携の推進等、議員であるからことできることをしっかり取り組んでいきたいと考えております。

どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。

〈北海道「炭鉄港」市町村議員連盟 FBページ〉
https://www.facebook.com/tantetsuko/

炭鉄港日本遺産認定交流祝賀会に参加

〈令和元年7月15日投稿〉

7月4日、炭鉄港推進協議会主催による「炭鉄港」日本遺産認定交流祝賀会に〈北海道「炭鉄港」市町村議員連盟 幹事長〉としてお招きいただきました。

関係自治体首長、関係団体各位、来賓として国会議員、道議会議員が一堂に集いめでたい宴席となりました。

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日本遺産認定は推進協議会各位の努力は勿論のこと、本当に多くの様々な方々の活動の賜物でもあります。

また、この場で先日投票が行われた炭鉄港のロゴマークの公式発表もありましたが、14,866票もの投票総数は世間の関心の高さを表している様な気がします。

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まだまだ炭鉄港の魅力が広く浸透するには長い年月がかかるのかもしれませんが、中心的な立場で牽引してきた吉岡NPO理事長の屈折25年の活動の成果が今に繋がり、この様な日本遺産という評価を得るまでになったことを考慮すると、まだまだこれから長い時間をかけて地域の価値として磨かれていくものと考えます。

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その地域アイデンティティを育む一人として、これからもしっかりと努力していきたいと思っています。