〈令和元年8月28日投稿〉
いよいよドイツにいられる最終日。
これまでは非常にタイトなスケジュールだったため、実はホテル周辺の散策も一切できていませんでした。そこで朝一番に近所にあるスーパーマーケットでちょっとした買い物を兼ねて散歩へ。
その後、パッキングしてチェックアウトとなりましたが、何せこの日の飛行機は夜の8時発。なれない環境において、心身共に疲労が蓄積されてしまっておりますが、もう二度と来ることができないかもしれないドイツ!それまでどこを見学してみようかと悩むところ。
結局、家族へのお土産なども考えなければならないので、大きそうなショッピングモールへと向かいます。
こちらの公共交通は次に来る電車等が何分後に到着するかなどが表示されるので、とても助かります。
また細やかな路線設計により、VRRのチケットさえ購入すればどこにでも簡単に行けてしまう使い勝手の良さがあります。
更に日本ではありえませんが、これら公共交通の中にはペットも自転車も自由に乗ることができるのです。
また、乳母車や高齢者用のカートなどを押している人がいれば、近くの人がさっと手を指しのべるスマートなシーンを幾度も目にしました。
色々な意味で社会が成熟している印象を受けると共に、これまで日本しか知らない身としては、実はこの様な側面においては非常に遅れを取ってしまっている気がしてなりませんでした。
ショッピングモールを目指すには、まずはオーバーハウゼン駅まで向かい、そこでロッカーに重たい荷物を預けます。
このオーバーハウゼン駅はツォルフェアアイン炭鉱と同じく、バウハウス様式で建てられており、中には実際には使用しないホームがミュージアムとして展示保存されています。
地域が歩んできた歴史に誇りを持ち、後世に伝えていこうとする思いが見えます。
そこからバスでツェントロという大きなショッピングモールへと向かったのですが、これは視察1日目のガソメーターに向かうルートと一緒。
実はこのショッピングモールも炭鉱跡地につくられたものなのです。(下の画像の左側にガソメーターが見えます。)
この日は平日にも関わらず、とても多くの人で賑わっていました。
かなり広大なショッピングモールでしたが、日本のどこかにあるようなスタイルは万国共通。それほど見どころもなく(お金があれば違う見方ができるのでしょうが、私にはさほど縁のない場所でした)、炭鉱跡地の活用の一つの状況を見た思いでこの地を去ります。
この後、せっかくなので少し観光でもと思ったのですが、結局不安が先に立ち、少しでも空港に近いところまで移動することとし、これまで足を踏み入れていない近郊では最も都会であるデュッセルドルフに向かいました。
これまでは下画像の様な比較的郊外の都市ばかり。
しかしデュッセルドルフに到着すると、そこは突然の都会となりました。
駅の中の雰囲気は札幌地下街の様。
急に人混みに出ると、これまでの疲労もでてきてどっと面倒に。少しだけぷらぷらしてみて、勿体ないながらも空港へと移動してブログ投稿でもすることとした次第。
こうして私の初となるドイツルール視察は無事終了。
■そして最終日もやっぱり暑い中をたっぷり歩くこととなりました。
ちなみに、25日には吉岡理事長は別の地に移動。Y女史は帰国していたため、この日は美唄のT先輩と二人で居残り。しかしお互い異国での一人の時間を楽しむというスタンスの上、翌日の帰国便の空港で待ち合わせとしていたもので、おかげで誰かの後をついていくだけでは得られない貴重な経験をすることができました。
これまで、さらっと表面だけ雑駁に駆け足でご紹介してきましたが、初めてのドイツはとても刺激的でした。また日をあらためて、それぞれに学んだこと。そして都度印象に残ったことなどをまとめてみたいと思っています。
今回見たものからそっくりそのまま地域にフィードバックできることは少ないながら、そのマインドにおいては中長期的に目指すべき光が見えました。
私達はそろそろ「今だけ、金だけ、自分だけ」の価値観に決別しなければならないと思っています。インディアンの言葉ではありませんが、常に「7世代先の子孫のことを考える」という概念が重要なのかもしれません。せめてそこまでは行かなくとも、20年、30年、50年後の光を定め、そこに向かって進んでいくことが大事であると考えています。
ドイツの炭鉱遺産もどうしようもない衰退から立ち上がっての今があります。すでに人口が最盛期の三分の一になってしまっている空知において、今後どうしていくべきか、またそのために中核の岩見沢は何をしていくべきなのか。都度熟考していきたいと思います。
「〈炭鉄港〉に関連するドイツ先進地視察〈番外編:帰国日の一人行動〉」への1件のフィードバック