これまた恒例になりつつある個人備忘録的ブログです。
何やら体力的にも精神的にも大変な一週間でした(笑)
究極は吹雪につきJR車両内での軟禁状態・・。
2月18日(月)
19:00~明成中学校にて「岩見沢市PTA連合会会長・事務局長会議」を開催。
今後のスケジュール等の確認を行い、会議終了後、次年度の役員選考に向けた話し合い。何とか良き方向に進行中です。
2月19日(火)13:00~
岩見沢市市民憲章推進委員会役員会。
議題はいかにして市民憲章を多くの市民の方々に親しんでいただくか・・というところから派生した議案。
夜は士別市で行われた木村俊昭氏の講演に参加。有意義な時間を過ごさせていただきました。
公演後、講師の木村先生を交え、午前1時頃まで盛り上がる。その後、友人の事務所に泊めていただき、積もる話が盛りだくさんゆえ、気がつけば午前4時・・。(詳しくは上記リンク先へ)
2月20日(水)何とも大変な1日。
仕事の関係で札幌に行ったついでに、neco塾の岡山さん夫妻、丸山さんとの4人で一席。
今後の活動への思いを聞いていただきつつ、更なる展開に盛り上がる。
その帰り・・22時33分の滝川行き普通列車に乗ったのが事の始まり。
悪天候の中、電車は幌向ぐらいまで怪しい動きを繰り返す。そして幌向駅に停車後一向に出発する気配を見せない。周囲を見渡せば猛吹雪でホワイトアウト・・。このとき私の携帯電話はすでに完全電池切れ・・。
社内アナウンスは「視界不良につき運行を見合わせております。天候の回復を待っておりますが、運転再開の目処は立っておりません」的なものが繰り返される・・。
23時30分には岩見沢に着いているはずが、気がつけばすでに午前1時を軽く廻っている状況・・・。未だ周囲は猛吹雪が続く。車内の乗客にも諦めムードが漂う。
私自身は昨晩も午前4時ということで、どうにも苦しい・・。
岩見沢駅までは妻が車で迎えにきてくれているはず。。しかし携帯電話が電池切れのため連絡の取りようがない。そこで近くの乗客の方に電話をお借りして自宅へTEL(文明の利器に頼りすぎのため、妻の携帯番号は記憶していない・・)。。
「誰も出ない・・・。」
どうやら駅周辺で待っているらしい・・。
これは天候の回復を待つしかないと腹を決めたその時、、社内アナウンスで「平野義文様、言づけがございますので、最後尾の車掌室へお越し下さい」という言葉が。
行ってみると、「奥様が幌向駅まで来るまで迎えにくるので、降車してお待ち下さい」とのこと。
流石鉄砲玉的我妻(笑)
視界不良の猛吹雪の中、携帯の連絡も付かない私を幌向駅まで迎えにくると。
おかげさまで無事ピックアップしていただき、午前2時半には我が家へ到着。
この時、強烈に吹雪いていたのは幌向-上幌向間だけだったらしく、岩見沢市内はちらつくものはなし。
結局、翌日の報道を見ると、朝になっても電車の運行は再開されていなかったので、乗客は全員車内泊となった模様です。ちなみに私の車両が最前列で幌向駅にて待機、その後ろは江別、白石と多くの乗客が同じように足止めを喰った模様。
普段、滅多にJRに乗らない身としては、貴重な経験をさせていただきました。
2月21日(木)
交通麻痺の1日。
朝の8時半ごろから札幌に向かった弊社従業員と私の妻は厚別に着いたのが午後1時過ぎ・・。
わずか岩見沢-厚別間で4時間以上かかった計算。相変わらずJRは復旧せず、18時まで運休だった模様。関わった皆様、本当にお疲れ様でした。自然にはなかなか勝てませんね・・。
そしてこの日は一つ失敗。
午後3時より、岩見沢市立教育研究所の報告会、並びに運営委員会があったのにすっかり失念・・。滅多にないことですが、スケジュールに記載し忘れていたらしく、昨日資料が送られてきてビックリ・・。関係各位にはあらためてお詫び申し上げます。
この教育研究所ですが、学校の先生達が部会をつくり、様々な指導方法の改善や提案などに努力をされています。昨年もこの報告を聞いた時に、とても頑張っていただいている教師の方々が多いことに感謝の念がわいたほどです。
今後もそう言った活動に真摯に取り組んでいただけることに期待をしています。
そして夜。
以前御世話になった方のお通夜。若くしてお亡くなりになるというのは何とも残念なこと。当人は勿論のこと、残された方々にとってもその悲しみと無念さは想像に難くないものであります。
もし私だったら・・と考えると、今できうることを全力でぶつかるのが使命なんだと感じざるを得ないものです。
心からご冥福をお祈りすると共に、自らの襟を正していこうと思う次第です。
2月22日(金)
朝から銭函トンボ帰り。。
18時から岩見沢青年会議所OB会総会。
途中で退席させていただき、一般社団法人 ろの字組の理事会へ移動。
今後の街中の活性化に向けて、大きな盛り上がりがありました。大変だけど面白くなりそうです(笑)
で、その帰り、、
久々に高校時代からの友人のお店である「NANAYA」さんへ。
3月3日に行われる栗城史多氏の講演会に向けた準備の話を聞かせてもらう。
この講演は絶対に刺激になると思います。我が家も家族で聞きに行く予定!特に子ども達に挑戦する気持ちを持って欲しいと思ってます。
2月23日(土)
朝からハードスケジュールな一日。
午前中は3月10日に萩の山でスノーフェスティバル[WAYA]を開催するA君が登場。
色々と相談をいただきました。
開催日が近くなりましたらまた取り上げたいと思いますが、岩見沢出身の若者達が何とかスノーシーンを活気づけると共に、子ども達にもスノースポーツの良さをしってもらいたいとの趣旨で企画しているものです。
ただ、昨年は結構けが人が出たりと、当然危険が伴うスポーツでもありますし、フリースタイラーの特徴的な部分で、パット見近寄りがたい人がいたりして・・等々と若干心配もあるわけですが、無事にそして盛大にイベントが成功することを祈っております。
その後、このA君にナカノタナまで送ってもらい、12時から岩見沢シチズンの役員会→学校給食フォーラムへと移ります。
講師として岩見沢市教育委員会の猿田課長におこしいいただき、これまでの学校給食市民懇談会とは異なる、前向きな議論が活発に為された模様。模様というのは・・。私、残念ながら途中退席が余儀なく平安閣へ移動したため。
その平安閣では14時より自衛隊の募集相談員の委嘱式が執り行われました。
このご案内をいただいた時に、上記シチズン&まzaらぼ合同企画のフォーラムとぶつかっていたため、欠席ではいけませんか?と聞いてみたところ、それでは代理をだしていただくか・・と言われ、流石に私個人の代理というのも存在しないわけでして、妻に行ってもらうのも何とも場違いだろうということで中抜けして参加した次第です。
会場はさすが自衛隊と言った風格があり、重々しいカチッとした空気で執り行われた委嘱式でして、この後、別室で自衛隊の入隊式が行われました。(私は残念ながらそちらに参加することは出来ず、今度は1条通りへ移動)
というのも、16時より理事の一人として参加させていただいている「NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団」の総会がありました。
この法人は先日のブログでも紹介させていただきましたが、この岩見沢の生い立ちとしても大いに関連のある産炭地の価値を高めていくと共に、空知地域の活性化を志すものでもあります。
懇親会の様子などはこちらのブログでもご覧になれます。
プロカメラマンのKEN GOSHIMAさんのブログ
http://ameblo.jp/kengoshima/entry-11477048000.html
本当はこれら一つずつでも詳しくブログ投稿できる内容ですが、何分時間が足りずこのような備忘録的な投稿が精一杯であります。
普段、私がどんな事をしているのかのほんの片鱗でありますが、ご覧頂けたら幸いです(笑)