産炭地活性化フォーラムから徒然に。

平成27年1月24日(土)

空知総合振興局主催のフォーラムがありました。その詳細については予告ブログのこちらをご覧下さい。

当日はフォーラム開会前にエクスカーションとして、岩見沢複合駅舎&岩見沢レールセンターの見学会を開催されました。私も少しばかりそのお手伝いもしてきました。

この週末は何とも素晴らしい晴天に恵まれ、とても気持ちの良いシチュエーション。

その様な中、まずはレールセンターの見学から開始。

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普段は身近に目にすることが出来ないレールセンターに参加者の多くは興味津々!

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今回、私も久々に中に入らせていただきました。

これまで道内最古の古レールとしてアメリカのベスレヘム社製の1876年のものが壁の補強材として使用されていたのは知っていたのですが、この時に初めて、そのすぐ隣に同じくアメリカ製のエドガートムンソン社の1876年製レールがあった事を知りました。ちょっと得した気分です(笑)

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これら古レールは、戦後に補強材として輸入されたものと聞いていますが、この様に壁から立ち上がり、天井のトラス構造を構成しています。

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これら天井のレールには、もしかするともっと貴重なものがあったりするのかもしれませんね。

 

さて、大好評の内にレールセンターの見学会は終了し、駅舎のガイドを経てフォーラムに移ります。

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センターホールも貴重なお話を聞くために多くの人々が集まりました。

鹿児島の新幹線開通から考える話や、明治期からの産業革命遺産のストーリーがユネスコ世界遺産登録にとても有益な事等々。

また、この明治期の産業変遷が、実は年表にしてみると本州での空白期においては北海道での開発が進んでおり、一気に北海道が近代化してきていること。

その要因となっているのが、今回のテーマの一つである、空知(炭鉱)、室蘭(製鉄)、小樽(港)という近代化のベースとなった『炭・鉄・港』を中心とした動き。

この近代の動きはなかなか学校の知識では得られないものの、この様な、南は九州、北は北海道の実践者の話を聞いていると本当にロマンがあって素晴らしい。

岩見沢のレールセンターだって貴重な19世紀の建物ですし、北海道開拓に伴う近代化の象徴みたいなものなので、実際にわかりやすくストーリー立てできれば万人に愛される核となり得ます。

特に空知が発展する大きな要因となった、近隣産炭地の中継地としての鉄道拠点の歴史は非常にダイナミックであり、尚かつHUBとしてのロマンもありと、十二分にシビックプライドを育むことのできる貴重な土壌なのであります。


余談ですが。。

5年近く前に、初めてレールセンターの壁面ライトアップを実施し、また南北自由通路の駅北昇降棟の階段踊り場でホットワインなどを出すカフェを実験的開催した時の打ち上げに参加してくれた、名古屋のS氏が偶然来岩中!

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これまた余談ですが、2010年12月のイベントの模様はこちらからご覧いただけます。

きっと、今の《いわみざわ駅まる。》を知っていても、その前身となるこちらは知らない人も多いかと思います。懐かしいです・・。
http://www.ganken.jp/hirano/2010/12/20-233042.html

この時は、まだ若き日の私が関わっていた、駅北地区のまちづくりグループ「フロンティアの会」と「岩見沢レンガプロジェクト事務局」を何とか組み合わせて共催とし、互いに役割分担をしながら実施したものです。

これらの進化が《駅まる》だと思うと、非常に感慨深いものがあります。


フォーラムの後は、そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターの石蔵に場所を移し、スピーカーを交えての懇親会。

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私は別件があり懇親会は中座させていただきましたが、会場は大いに盛り上がっておりました。


さて、空知・岩見沢の地域特性を考えていく上では、この開拓期~近代からの流れを無視するわけにはいきません。うまく関連地域と連動しながらムーブメントが拡がれば、かなり可能性が見えてくるものと思われます。

何とかそのためにも、できることを一歩ずつ前向きに行きたいものです。

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