平成27年1月21日投稿
現在の札幌の大雪による交通麻痺等での多くのfacebook上のコメントや、先日参加した防災訓練の時に再認識したことで、何より大事なことが市民に対する情報の発信なのだと言うことを感じています。
この突発的な大雪の対応に関しても、どうして除排雪が追いつかないのか?という事が理解できれば、市民感情もかなり変化するのではないかと考えているところです。
そこで、二つの出来事をブログにしておきたいと思います。
◇岩見沢でもお正月の記録的な大雪に見舞われたころ。
私のブログが「岩見沢 除雪 苦情」か何かのキーワードでインターネット検索に引っかかったと思われ、ある投稿に下記の様なコメントをいただきました。
****以下転載(一部名前等変更)**********
[2015年1月5日投稿コメント]
実家のある○○に帰りました。
今年の除雪車は嫌がらせですか?
さらっとしか持っていかない上に雪塊をどっかり置いていく。
固くて重くて多くて動かせませんでした。
例年以上に道が狭くなってます。
それは除雪車が役割を果たさないからです
上手い下手ではなく、やる気を感じられません
切実です
ただでさえみんな年をとっています。
せめて去年レベル…(別に去年も除雪下手でしたが)
ふざけないでください。馬鹿にするのもいい加減にしてください
是非、常識ある除雪をお願い致します。
本当にお願い致します。
やる気ある除雪をお願い致します。
暇つぶしやあ気まぐれではなく、仕事としてやる姿勢をみせてください。
本当にお願い致します。
*******転載終了***********
これは多くの市民の方にとって同様の感情を抱く、切実な問題であることは間違いありません。しかし、その中には誤解もあるということを是非ともわかっていただきたいと考えています。
このコメントに関しての返信は以下の様にさせていただきました。
****以下転載**********
○○様
コメントありがとうございます。
切実でつい感情的になってしまうほどの状況だとお察しいたします。この大雪に対する置き雪の酷さ、道路の狭さ等、大いに共感いたします。私も同じくヘトヘトに除雪疲れをしている一人です。
ただ、業者も決して馬鹿にしているわけでも、暇つぶしや気まぐれでやっているわけではありません。それだけはご理解ください。
一晩で10センチ積もった日と、50センチも降ってしまった日では、雪自体にも物質的な存在があることから日常的な状態を維持することは困難です。(この物質的な考え方についてはこちらをご覧いただけると幸いです。
https://hiranoyoshifumi.jp/2013/12/26/2359)
市の除雪体制を大雪時に日常的に対応できる体制を構築しておくというのは、普段はそれなりのお客さんが訪れる飲食店が、年に数回大きな団体客が入る時に合わせて店舗規模もスタッフ数も常に用意しつづけるのと似たようなものだと考えています。それはやはりオーバースペックとなり、結果として市民の血税を無駄にしてしまう事になってしまうと思います。
また、現在の車道除雪は「かき分け除雪」というもので、あくまで車道の交通を確保するのが目的となります。したがって、間口への置き雪も現状ではやむを得ないのが実情です。これも最後は費用の面が壁になってしまうのですが、1軒当りの感覚で捉えると、自宅の前の僅かな雪ぐらいどこかへ持って行ってほしいと考えてしまいますが、一路線分全軒の間口を処理するにはその容量分の雪堆積用の空地が必要になってしまい、それは住宅1軒分程度の空地では、恐らく今回の大雪だと僅か数回の出動で満杯になってしまいます。よって、ほとんどの場所でそれは困難なのが実情です。また、間口に雪を残さないということは、車道として確保する分の全ての雪をどこかに移動しなければならないということであり、路線のスタート地点から堆積可能な空地まで100mぐらいだとすれば、その全ての雪を重機のバケツで一度で抱えるのは不可能なため、恐らく僅か100mのために数十回、前進と後進を繰り返して運搬することとなり、通常のかき分け除雪の数十倍の時間がかかることが予想されます。これを岩見沢市内全域でと考えると、とてつもない経費がかかることがご理解いただけると思います。(運搬排雪にダンプトラックを使用すると尚更費用が増加しますし、実際にそこまでの重機やトラックを確保することは非現実的だと想像しています。)
結果として、現在1シーズンで約10億円前後(国道、道々を除く)の費用がかかってしまっているものが、これも単純に数十倍以上の費用が必要となってしまうと思います。その費用をどう捻出するかというと、これも山積する地域課題や増加する一方の社会補償費を考えると、単純に除排雪を充実させる。という選択にはならないだろうというのが私の考えです。
ただ恐らく、○○様のイメージもそこまで極端なことではなく、せめて高齢者の部分だけでも何とかしなければというものと想像します。これは私も全くの同感です。
現在、私の周辺でも高齢の方が増えてきており、現在はその間口の置き雪処理も私がやったり、中1の息子にやってもらったり、また気がついた近所の方がやってくれたり、できる人が助け合いながらやっている状況です。しかし、これから益々高齢化が進んだ時に、果たして自分たちがどこまでできるのか。その負担を想像するとこのままで良いわけがありません。しかし現在、その処理を行政のみに依存するのは先ほどの経費の面から考えても時期尚早だと感じています。まずは地域力等で解決できる糸口を見つけなければという思いでいます。
その調査も兼ねて、ここ2シーズンほどは、札幌発の美流渡雪はねボランティアツアーに同行調査をさせていただいたりしながら、自助、互助、公助の姿を模索しています。https://hiranoyoshifumi.jp/2014/01/27/2483
また、お時間のあるときに除排雪のカテゴリー(https://hiranoyoshifumi.jp/category/%E9%99%A4%E9%9B%AA%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6)をご覧いただけるとご理解いただけると思うのですが、市民、業者、行政の3者が共に理解し尊重しあえる環境づくりを目指したいと考えています。どうかご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。
また何かご要望やご提案等ありましたら、是非ともお気軽にコメントいただければと思います。
何卒よろしくお願い申し上げます。
********転載終わり***************
これが正しいかどうかはわかりませんが、私自身の考えとして記載をさせていただきました。
ちなみに、昨年も少し似たような投稿が市民の方から寄せられました。
https://hiranoyoshifumi.jp/2014/01/17/2413
どうしても雪というのは物理的に単位体積重量は軽いし、圧縮されるし、重機であればどうにでもなるような印象を受けますが、実際にそこにある物体を移動させるということは並大抵の事ではありません。そこには必ず費用が発生します。それも1台単体の話ではなく全市規模で考えていかなくてはなりません。
現在の岩見沢市の基準においては、降雪が10㎝以上あったとき、朝7時までに道路の交通を確保するというものです。それで業者も収支上はギリギリに近い形で受注、実施をしています。また、最近は置き雪をする運転手を目の敵の様にする市民がいることで、若いオペレーターの心が折れ、途中で辞めてしまうということも発生し、人材不足も深刻になりつつあるようです(これも置き雪がやむを得ないことだという理解をしてもらう行動が行政側に不足しているがゆえの不幸です)。
当然、現行の除排雪にしても行政側、業者サイドによる工夫の追求は怠ってはならないことです。
それらを加味しつつ、このような突発的な大雪に常日頃から対応できる設備を整える事が良いのか。その莫大な備えを行うために他の何かを犠牲にして除排雪費用に集中するのか、もしくは直接的市民負担を増やしていくことが正しいのか。ということは、できるだけ正しい情報をオープンにしていく中で、多くの市民の方々が自分の意思で判断できるようになるのが理想ではないかと考えているところです。(当然、それが大変難しいことゆえ、市民代表としての議員が必要なのですが。)
これら行政サービスの根幹にあるのはやはり費用との兼ね合いであり、残念ながら現在の私たちの社会環境には「打ち出の小槌」が存在しません。そんな一つひとつを議員として責任を持って判断していくのはもちろん、多くの市民の方にも「どうして?」という事を知ってもらう努力が必要なのだろうと考えています。
右肩あがりの経済は遠い昔の事になってしまい、前例の無い高齢化、人口減少社会を向かえる今では、その判断というのはどれも市民にとってマイナス要素の事が増えてきます。しかし、それが次代を見据えた政治の役割であるならば、嫌われることを恐れてはならないのであろうとも思っています。もちろん、嫌な人と思われたくないのは正直な防衛本能であり、次の選挙すらどうなるかわからないというのが民意でないことを祈るばかりですが・・。
◇先日、冬の防災訓練に一市民として参加してきました。
https://hiranoyoshifumi.jp/2015/01/17/4501
ここで恥ずかしながら初めて知ったのは、指定されている非難所にはほとんど備蓄がないと言うこと。毛布ですら全市で僅か1,500枚。しかもたった8箇所に分散配置。非常食についてもほぼ似たような状況(一覧表は上記リンク先をご覧下さい)。
いざ、本当に冬の大地震などが発生し、着の身着のままで避難所に到着すると、毛布も食事も無く、寒さと空腹に耐えていくことになります。
どうしても私たち(私自身を含め)はあらゆるサービスを受けることに慣れていて、こういった災害時にもそれなりの備えが万人に与えられるだろうと考えてしまいがちかもしれません。ところが実際にはそうではなく、日頃の避難用具等を自分たちでしっかりと整え、それを持って逃げるという事が何より重要だと言うことを再認識しました。
逆に、全市民が手ぶらで避難して来ても大丈夫な様に備蓄を完備するということは、これまた膨大な費用と保管場所が必要となり、決して現実的なこととはなり得ないと思っています。
でも、私自身がそうであった様に、普段の日常生活の中ではこの様な大災害が発生することは想定していませんし、万が一の時に避難用品をすぐに持ち出せるようになっている方は少ないのではないかと想像します。その様な中、実際に災害が発生してしまったとしたら・・・。きっと多くの人が避難所に到着しても呆然とする現実に遭遇すると思われます。
ここでは、ではどの程度まで備蓄を充実していくのが正しいのか。腐らないものなどは少しずつではありますが、随時増やしていくことも必要かと考えますが、消費期限のある非常食等はどう考えるべきか。。
それらは常に課題として意識していくべきことでありますが、それよりも一人でも多くの市民に対し、「自己防衛の準備が何よりも大切」だということを情報として発信し、万が一のための準備が進むようにしていかなくてはなりません。
長々と書いてしまいましたが、前述のように「打ち出の小槌」が存在しない状況において、私達は市民満足度ではなく、納得度を上げていく努力をしていかなくてはならないと考えています。
そのためには言いにくい様な情報も随時発信していくこと。
それらのプラスの情報、マイナスの情報を天秤にかけつつ、多くの市民の方々が納得できる環境づくりをしていくこと。それがこれからの行政の役割であり、私達議員としても重要なことではないかと思っています。