〈令和5年10月17日投稿(投稿日時は7月16日に遡っています)〉
今年はこのBLOG投稿に費やす時間が全く取れず何とも不甲斐ない状況ですが、自身の責務としてある程度の記録と適宜情報の発信はしていかなくてはならないと考えていますので、遅ればせながら隙間時間で備忘録的投稿を行わせていただきます。
■7月3日(月)はイオン岩見沢店で実施中の「岩見沢の鉄道と炭鉱の歴史〈岩見沢駅+朝日・美流渡・万字/万字線〉」のパネル展示作業
続きを読む〈令和5年10月17日投稿(投稿日時は7月16日に遡っています)〉
今年はこのBLOG投稿に費やす時間が全く取れず何とも不甲斐ない状況ですが、自身の責務としてある程度の記録と適宜情報の発信はしていかなくてはならないと考えていますので、遅ればせながら隙間時間で備忘録的投稿を行わせていただきます。
■7月3日(月)はイオン岩見沢店で実施中の「岩見沢の鉄道と炭鉱の歴史〈岩見沢駅+朝日・美流渡・万字/万字線〉」のパネル展示作業
続きを読む〈令和5年7月27日投稿(投稿日時は6月30日に遡っています)〉
*6月前半の備忘録はこちらから
19日から始まる6月議会の前段として、会派に対する議案説明がありました。
その終了後、京都の某高校の修学旅行対応のために夕張へ!北海道の中の空知・炭鉄港の価値が外部からも評価されつつあることを感じます。
議案並びに結果についてはこちらを御覧ください。https://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/material/files/group/42/R050630kekka.pdf
今回は一般質問は見送り、次回以降で準備中です。
もちろん一般質問や代表質問があれば、その準備には多大な時間と労力が必要となってきます。
〈参考までに過去の質問内容等〉
定例会期間中には議案審査のための休会日もあるのですが、今回はその日程の中で様々学校行事の依頼がありました。
例えば、、
◆20日(火)市内高校1年生へ探求の時間として「岩見沢(空知)の地域課題とその解決に向けて」という講義を実施。
◆21日(水)市内某高校の主権者教育に関し、議会との連携について相談を受ける。
◆22日(木)市内某高校2年生の授業で~テーマは「地域を知り、地域を学ぶ~炭鉄港の歴史からシビックプライドを養う~」とし2コマ(100分)の長丁場の授業を実施。
◆26日(月)は午後から議会だったので、午前中に市内某小学校4年生への地域教育への授業協力
という感じで、たまたまこの時期に学校依頼が集中したものの、議会活動へは全く影響なく実施することができましたことを補足いたします。子どもたちに直接話す機会をいただけるのは、本当にありがたいことです。
続きを読む〈令和5年7月25日投稿(遡り5月31日付けに修正)〉
これまでと環境が大きく変化してしまい、なかなか自分の投稿に時間が避けない状況になってしまっています。しかしながら、それではイケナイ!ということで、なんとかスケジュール帳を遡りながら備忘録投稿をしたいと思います。
こちらでも記載したとおり、議会内の主要な人事が決まりましたが、私自身の重責はこの日はまだ決定しておりません。この後、ご紹介させていただきます。
幌内炭鉱変電所の公開日だったので、ご挨拶も兼ねて見学へ
この変電施設は、北炭が大正時代に夕張清水沢の火力発電所から歌志内まで敷いた自家製高圧送電線網をルーツにしたもの。実際には昭和10年代に木柱から鉄塔にかけ替えられたのですが、この変電所はいつからあるのかは曖昧な状況と聞いています。非常に趣のある建物ですが、ここまでの規模ではありませんが、似たような施設がまだ各地に存在しています。
15時から空知シーニックバイウェイの会議に出席。
夜は久々となる会派の懇親会
NPO炭鉱の記憶推進事業団で指定管理を受託している夕張市石炭博物館へ!
万字峠にはまだ雪が沢山残っていました。
〈令和5年5月16日投稿〉
本日、臨時議会が開催され、主だった議会人事が確定しました。
単記無記名投票により、議長は峯議員、副議長は野尻議員が当選となったとともに、全議員が配属される常任委員会及び、各正副委員長が決定しています。私は久々の総務常任委員会に所属となり、他には消防組合議会議員となることが確定しました。
消防組合議会については、後日、当該議会が開催され、その中で正副議長が決定していくこととなります。
いよいよこの議会内人事が決まると、次は常任委員会の所管事務調査、そして6月議会へと進行していきます。
続きを読む〈令和5年5月12日投稿〉
4月19日から5月31日まで、そらち炭鉱(やま)の記憶マネジメントセンターにて表記特別展を開催中です。
4月19日から展示されており、この貴重な展示も今月末まで!
残りわずかです。
ぜひ、お気軽に見に来ていただければ幸いです。
詳細はこちらもご覧ください。
〈令和5年1月23日投稿〉
昨年、NPO法人炭鉱の記憶推進事業団で実施した〈ぷらぷらまち歩き〉ですが、その振り返りYouTubeライブ配信の第一回目を、昨日、1月22日(日)に行いました。
これは全12回開催した中の9本を選択して振り返る企画です。
9本のうち、私の担当は3本!
昨日は初日ということもあり、なかなかの緊張感ではありましたが無事?に終了。
昨日は
の2本を実施しました。
そして来週28日(土)は13時からライブ配信!私の出番は15時からで「万字ズリ山」を巡った回の振り返りとなります。
当然、私だけではなく各回、ナビゲーターの個性が出て面白い内容になると思います。
ぜひ、炭鉱の記憶推進事業団のyoutubeチャンネルを登録しておいていただければ幸いです。
〈令和4年12月31日投稿〉
気がつけば今年も大晦日となりました。
大変お世話になりました皆様に心より感謝申し上げます。
未だ新型コロナウイルスの影響が長引き、様々に制限のある世の中ではありますが、少しづつ元の生活が戻りつつある印象も受けています。
来年はどの様な年になるのでしょうか。
楽しみと不安が入り混じるところですが、希望はしっかり抱いていきたいと思っております。
さて、今年はどんな事があったかと本ブログを1月から振り返ってみました。相変わらず忙しさに負けて、小まめな投稿とはほど遠い状況ですが、その少ない投稿の中から印象に残ったことをまとめてみたいと思います。
コロナ禍ゆえ特段動きもなく、例年であれば1月は様々な会合等に出席する日々が多いのですが、ここ3年は非常に落ち着いた状況。
また、これまでずっと息継ぎなしの様な勢いで過ごしてきた都合上、50歳を超えるとさすがに心身ともに疲弊気味となっていたことから、前年8月末を持ってお世話になっていた会社員を退職させていただき、少し自分の時間を持てるようになっていました。しかし、これまた何となくドタバタが続いていて、ほっとしたのが年が明けて1月になってから。
1月の主なニュースとしては、前年、岩見沢市立中央小学校6年生の授業で、炭鉄港を学ぶお手伝いをさせていただいたのですが、その成果としてNIE実践指定校としての「空知こども新聞」の発行もありました。数年前から学校教育現場にて子ども達と触れる機会が増えていますが、やはり楽しく有意義なものです。
(↑)これらの投稿を機に少し動画投稿も増やしてと目論んでいたのですが、まだまだです。これも一念発起、新年度はしっかりやってみたいと思っています。
これは現代において、こんな理不尽なロジックで戦争が始まるのか!と衝撃を受けた出来事。しかも現在進行形。
日本国内においても防衛費の増加等の動きがあり、懸念が募ります。何とか平和な世の中が続くことに貢献できればと思う次第。
ついでに動画編集も練習して、youtubeもちょっとできるようになってみたいと別チャンネルを遊びで立ち上げ。
22年ぶりの選手での公式戦参加はとても良い気分転換。
懐かしい仲間に再開できたりと、いろんな元気を充電することができました。(今年は残念ながら余裕がなさ過ぎて、全く滑る予定はたちません)
現在は建設工事基本計画の公募プロポーザルを実施中、年明けの1月中旬には受託者が決定する予定です。
議会も平常運行、リンク先のように議会改革委員会や4月に立ち上がった議員定数等検討委員会などが開催され、比較的忙しい日々。またWBCノースファイトの準備等々も本格化。炭鉄港カードの配布も始まり、北海道「炭鉄港」市町村議員連盟の会長を預かる身としても、これは各地を巡らなければと収集開始。
なんと6月はブログを3本しか投稿できていない。
あらためてスマホのスケジュール帖を確認すると、かなり真っ黒。かといってやっぱりブログを疎かにするとこんな風になっちゃうという典型的な失敗例。
6月は年に4回開催される定例会の2回目。
特にブログに残っていないということは平常運行ということでもあるのですが、それでは情報を発信しているとは言えないので新年度に向けて要反省。
空知鉄道さんの線路延伸記念式典があったり、岩見沢の歴史や炭鉄港に関する授業等が増えてきたりと、色々とあった7月ですが、ここでは安倍元首相が打たれて亡くなるという大事件がありました。また、その参議院選挙をきっかけに、前年衆議院選挙の岩見沢市内の投票率を調べてみた結果を紹介しています。
やはり地域の高齢化の影響は大きいです。
投稿も6月同様、投稿が少ないのですが、その中でも数日間まとめての投稿が多く、日々に追われていた様子を感じます。
https://hiranoyoshifumi.jp/2022/08
ふとこの投稿をしながら、9月の第3定例会で行った一般質問の「質問&答弁全文」を投稿していなかったことに気づきます。年が明けたら紹介したいと思います。
その定例会が閉会し、9月後半は東部トップツアーズさんから岩見沢駅周辺の炭鉄港ガイドの機会をいただきました。今回はJR北海道のヘルシーウォーキングと連動した企画。このような正式なツアーで依頼されるのは、数年前の北海道新幹線開業記念時ぶり?
また、地元町会でも同様のガイドの機会をいただき、地元に日本遺産「炭鉄港」の価値が広まっていくのは大変うれしいことでした。結果、今年は沢山の岩見沢市内の日本遺産や炭鉄港、歴史などに関するガイドをさせていただきました。
議会活動としては、新病院建設特別委員会で私が行った質問をベースに北海道新聞の2面記事になったこと。
また、決算審査や議会タブレットの配布、ぷらぷらまち歩き3連続ガイドなど、これまた貴重な機会とご縁をいただきました。
ぷらぷらまち歩きは結構な密度で自身も楽しく、充実の10月となりました。
11月は家庭内による新型コロナウイルスへの感染や、臨時理事会、他都市調査や空手道清武館大会の開催等々様々ですが、一番大きな出来事は、日本遺産「炭鉄港」を推進した旗振り役であり、私自身、尊敬してやまないNPO法人炭鉱の記憶推進事業団理事長であった吉岡宏高さんが急性動脈乖離にて急逝してしまったこと。
この影響は地域の未来のみならず、私にも大きな変化をもたらします。
議会ではこれまで念願だった岩見沢市議会基本条例の設定を全会一致にて可決。
議会改革も決して順風満帆ではありませんが、着実に進行しています。
プライベートでは故吉岡宏高さんの急逝により、空白となっていたNPO理事長の役をお預かりすることとなったこと。あまりに大きな役割ゆえ、これまでも気持ちの整理がつかず、まだまだ作業的にも精神的にも落ち着くには時間が必要な状況です。それでも残された者で力を合わせ、全力を尽くしていきたいと考えています。
私自身、この機会に2022年に投稿した拙ブログを改めて振り返り、色々な感情を思い起こします。
その中には上手く行ったこと、悔しいこと悲しいこと、また力不足を感じたことなど様々です。しかしそのどれもが自身の経験の蓄積となり、また新たな活力に繋がっていることを感じます。
そして全て多くの人との繋がりの上に成り立っていることばかりです。
重ね重ね、お世話になった皆様に感謝の念が湧きます。
令和4年、皆様に心から御礼申し上げると共に、新年度も変わらぬお付き合いを賜れれば幸いです。
どうか宜しくお願い申し上げます。
〈令和4年12月4日投稿〉
岩見沢複合駅舎の設計でお馴染みの西村浩さん。
㈱ワークヴィジョンズの西村さんといえば、今や飛ぶ鳥を落とすが如くの大活躍で、建築業界のみならず”まちづくり系”の界隈でも非常に有名な方になってしまいました。
元々、刻印レンガの「岩見沢レンガプロジェクト」や「いわみざわ駅まる。」等々でも随分とお世話になりましたが、私の印象としては、我々凡人にはなかなか見えないものを、その知識と経験、そしてセンスによって、しっかりと見据えている天才の一人という感じです。
また、その能力をひけらかすことなく決して偉ぶらず、とても気さくな方。
改めて凄い方だと思っています。
西村さんとは先日、故吉岡宏高理事長の告別式にて、かなり久々にお会いしましたが、大きく進化した西村イズムを岩見沢でお話いただけると思うと楽しみです。
その岩見沢に来ていただける理由は、岩見沢市商店街振興組合連合会青年部の前野さんの企画で、下記のようなものです。
どなたでもご参加可能で、事前申し込みも不要とのこと!
もちろん私は楽しみに参加させていただきます。
ぜひこれからのまちづくりの事に興味がある方はご参加してみてはいかがでしょうか!
こんな機会は滅多にないと思います。
(下記は12月3日発行のプレス空知記事です)
【臨時記載(偲ぶ会終了後に臨時記載分を削除します)】
「吉岡宏高さんを偲ぶ会」のご案内
歳晩の候、皆様におかれましては、ますますご清祥のこととご拝察申し上げます。
さてこの度、本年11月26日に急逝いたしました、当NPO法人炭鉱の記憶推進事業団 理事長であった吉岡宏高とご縁のある皆様にお集まりいただき、その生前の足跡を振り返りたく「偲ぶ会」を相営みたく考えております。
つきましては時節柄大変ご多用中のことと存じますが、下記のとおり執り行いますので、どなた様もお気軽にご臨席いただきたくご案内申し上げます。
令和4年12月19日
主催「吉岡宏高さんを偲ぶ会実行委員会」
実行委員長 大橋二朗(NPO法人炭鉱の記憶推進事業団副理事長)
記
日時 令和5年1月14日(土)午後1時より
会場 駅東市民広場「イベントホール赤レンガ」
〒068-0034 岩見沢市有明町南1番地14 電話0126-22-5871
以上
*なお当日は平服にてご参加ください。
*詳細については、こちらもご覧ください。
https://yamasoratan.blog.fc2.com/blog-entry-3346.html
〈令和4年11月28日投稿〉
今朝の新聞記事でも掲載がありましたとおり、11月26日の夜、長年にわたり〈炭鉄港〉等の活動を推進してきた吉岡宏高氏が急逝大動脈解離により急逝されました。
1999年から20年以上にわたり、「負の遺産」と言われてきた炭鉱遺産を地域固有の資源として活用することを広め、「あるもので、ないものをつくる」を具現化すべく先頭に立って突き進んできてくれた人です。
その人となりは温厚で、しかし強烈な個性と「天才」という表現しか浮かばない、広範囲で膨大な知識量を持ち、我々凡人には見えていないことを常に見つめながら歩みを進めてきた人。私は身近にいる数少ないスーパーマンの一人として尊敬していました。
NPO炭鉱の記憶推進事業団の理事メンバーの言葉を借りると「吉岡さんは機関車。私達はその機関車に引っ張られてついていく貨車」という表現がピッタリでした。その機関車を失った貨車は一体どうなるのか。
でも私達はせっかく日本遺産「炭鉄港」として芽吹いた価値を失うわけには行きません。
この小樽と室蘭にあった北炭の石炭積み出し桟橋の様に、機関車から貨車が離れ、貨車だけで自動で反転して戻っていく様に、貨車にだって意地を見せることができるような気がしています。吉岡理事長の残した功績は非常に大きく、すでに各地でその種が芽吹いています。
これまでのように、全部を見渡せるスーパーマンはいないかもしれないけれど、地域やジャンルに特化した種も「集合知」になれば何とかなるはず。私達はそんな「種」として、そしてこれまで引っ張ってもらってきた「貨車」として、その意地を見せていかなくてはならないと思っています。
少なくとも私はほんのちっぽけで微力だけれど、何かできることを模索していきたい。
今の疲弊した地方にとって、自分たちのまちのアイデンティティを再構築し、負の遺産をプラスの価値に変換できるこの「炭鉄港」をしっかりと育てていかなくてはならないと思っているのです。
故人との思いでは沢山あります。
しかしその膨大な知識量に、いつも「へぇー!」と感心して頷くばかり。あまり頭の良くない私にとっては、その「へぇ~!」があればあるほど、終わってみれば「凄い面白かったけど、なんだったっけ?」という様な情報過多の状況。色々と教えてもらった分の、せめて10分の1でも記憶に残っていれば、私ももう少し戦力になれたのにと思うと悔しくてなりません。まさかこんな突然居なくなるとはほんの1ミリも想像していなかったのです。
いつでも聞けば答えてもらえる。
そんな存在だと思いこんでいました。
本当に残念でなりません。