カテゴリー別アーカイブ: まちづくり的雑記

いよいよ雪がお金に?

〈令和7年1月15日投稿〉

最近、岩見沢駅周辺で海外からの観光客を目にするようになりました。

先日から、駅周辺で比較的若いグループの方が、外国語でお話しながら雪の写真を撮るシーンを良く見るようになり、今日は、私が気づいただけで3グループも・・・

推察するに札幌に観光に来たものの、本格的な雪が見たくて、特急で僅か25分の豪雪地「岩見沢」へ来ていると思われます。

世間ではオーバーツーリズムの弊害がニュースになっていますが、それは地域限定的な傾向が強く、この岩見沢ではイベント時以外の観光入込数は散々たるもの。

それがSNS等で個々が情報を得られる時代となったことで、ネガティブな要素が多いはずの大雪のニュースに価値転換が起こり、海外の方が訪れるようになってきたということなのでしょう。

こうなると「雪はね体験」でも「駅周辺スノーシューツアー」でも、「お味噌汁バー」でも何でも、市民がその気になれば多少なりとも雪がお金に変換できるチャンスが到来してきたということなのでしょう。

今後は「やる気のある市民サイド」と「的を射た行政支援」とがタッグを組めれば面白いことになりそうな予感がします。


一方で、大雪の影響で残念な痛ましい事故も発生してしまいましたことに対し、心よりお悔やみ申し上げます。

また、市内の除排雪作業も順調に進んでいますが、昨日の臨時議会で除排雪に関する補正予算も可決されました。

〈当初予算〉1,488,500千円【除排雪事業】
〈災害応急〉 50,000千円【災害等応急対策事業】
〈今回補正〉 200,000千円【除排雪事業】
合 計1,738,500千円

上記表のように、今シーズンの除排雪費は17億円を超える状況となりました。
もちろん、今後も良きせぬ大雪となった場合はさらなる増額も必要になってくる可能性があります。

まだまだ雪はマイナスの要素が大きいですが、厄介者の雪が多少なりとも外貨を稼げるツールに転嫁できる日は近いのかもしれません。

令和7年迎春ご挨拶 【2025年問題】を考える

〈令和7年1月4日投稿〉

新年あけましておめでとうございます

旧年中は大変お世話になりましたこと、心から感謝申し上げます

本年は本日より仕事はじめとしました。

令和7年といえば西暦2025年です。

2025年といえば、随分と前から2025年問題と称して様々な懸念が言われてきました。その最大の要素は1947年から1949年に生まれた団塊の世代が全員75歳以上の後期高齢者となる節目であり、日本国民の5.7人に1人が後期高齢者となります。

ちなみに高齢者と言われる65歳以上は3.4人に1人という、これまた大変な数値になってしまいます。


現在の日本は、下表のように世界最高の高齢化率です。

《*ここまでのデータ(出典1)》


当然高齢化率が上がると、現役世代に負担が偏る傾向が強くなります。すでに現在の国民所得に対する「国民負担率」の推移は大変なことになっています。

*これは財務省の公表データ(出典2)をchatGPTでグラフにしたものです。

1990年には所得に対して約3割の社会保障費負担だったのが、現在では5割弱まで増えている(財政赤字を加えた潜在的な国民負担率は更に増加)。


普通に考えれば人口構成が変化しない限り状況が好転することはなく、次は追い打ち的に2040年問題という私たち世代の「団塊ジュニア世代」が65歳を迎え、一段と社会課題が表面化してくることになります。そしてこれらは突如現れるのはではなく、まるで茹でカエルの如く、少しずつジワジワと日本国内の財政状況に影響を与え、どこかで加速度を高めながら私たちの生活を苦しめていくことになります。

2025年はまさにこれらの現象を顕著に感じ始める年になるのではないかと思っています。

ただ、絶対的に配慮をしなければならないのは、世代間対立が生じることのないようにしていかなくてはなりません。今後は高齢者向けビジネスが増加する一方で、若年層のニーズに合致する分野(教育、エンターテインメント等々)への投資が減少することも考えられます。また、労働供給制約社会の中で、もしかしたら若年層が”あまりやりたくない仕事”を仕方なく担わなくてはならないこと等々が起きるかもしれません。さらには税負担や社会保障費の増加が避けられない状況下、可処分所得の減少は、若年層において既存概念的な幸福(結婚や子育て、マイホーム等々)に多きな影響を及ぼす恐れがあります。

今後は何せ若年層には厳しい時代であることが容易に想像することができます。私たち高齢者予備軍、並びに高齢者の方々は、ぜひこういう視点を失わないようにしていかなくてはならないと思うのです。

またグローバルな視点で考えると、今後は日本国民の減少と移民増加による課題や、産業等が国際競争力を失う中でさらなる円安が進めば、燃料から肥料、種子まであらゆることを海外に依存する日本において、食料自給率の改善が叶うのか?また、各種物価高騰に国民が耐えられるのか?エネルギー安全保障は確保できるのか・・・?

様々な懸念が募ります。

ピンチはチャンスと言うけれど、さて、どこまで私たちは好機を見つけることができるのか。

いずれによせ防御をしていかなくてはなりません。今後の行政運営も「今までどうり」では立ち行かなくなると思われ、今後訪れるネガティブな要素をしっかりと見つめ、それを加味しながら行政運営をしていかなくてはならないと思っています。

その思いの一端は、昨年末の12月議会一般質問に入れ込んでみました。ぜひ近日中に、この部分を動画にして紹介できたらと思っています。

何せ私たちの社会は難しい時代へと急激に変化中です。

2025年問題をはじめ、これまではあまり意識しなかったことが色々と影響を及ぼす場面が増えてくると思います。これらはやはり他責思考では好転せず、社会環境の変化を敏感に感じながら、一人ひとりが自分達のフィールドにおいて新たな一手を打っていかなくてはならないと考えています。

年初の投稿にはちょっと重たいお話ですが、現実問題として私自身、覚悟を高めていきたいと思います。


■(出典1)総務省「統計からみた我が国の高齢者」(R6年9月15日報道資料)
https://www.stat.go.jp/data/topics/pdf/topics142.pdf

■(出典2)国民負担率データ出典:財務省「令和6年度の国民負担率を公表します」
https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/futanritsu/20240209.html?utm_source=chatgpt.com

岩見沢市郷土科学館でパネル展開催中

〈令和6年12月25日投稿〉

2025年1月5日まで岩見沢市郷土科学館の1階ロビー(無料部分)にて、北炭本社岩見沢移転120年記念パネル展を開催中です。

これは2024年の夏に「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターの石蔵展」として作成したものです。

A1用紙14枚の力作ですが、内容としては岩見沢が鉄道のまちとして発展するきっかけとなった、明治元年の石炭発見から、鉄道の敷設、北炭の本社移転から転出にまつわる明治40年ごろまでの岩見沢の動きを紹介しています。

様々な思惑と矜持を感じることができる展示になっていると思います。じっくりと読むには30分はほしいところかもしれません。ちなみに私が初めて製作したパネル展示でもあります。

本展示は2025年1月5日(日)までの開催です。
興味ありましたら、ぜひ御覧ください。

■岩見沢市郷土科学館
https://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/soshiki/shougaigakushu/bunka_sport_shogaigakushu/4/2/index.html

■そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターブログ記事
パネル展について
https://yamasoratan.blog.fc2.com/blog-entry-3489.html

炭鉄港日本遺産認定5周年記念フォーラムが無事に終了しました。

〈令和6年12月16日投稿〉

12月1日(日)に表題のとおり記念フォーラムがありました。

これは炭鉄港が2019年に日本遺産認定を受けてから丸5年を迎えるにあたり、今後訪れる継続審査(日本遺産の認定継続にふさわしいかどうかを再度審査される)に向けた機運向上を視野に、各地のプレイヤーのみならず、首長、道市町議会議員、行政関係者、炭鉄港ファンなど大勢の参加者に恵まれ盛大に開催されました。

また講演の和田哲さんを始め、各地からの登壇者も多いバラエティーに富んだ構成で、日本遺産認定から5年を経過しようとする現状と今後の展望について、様々に思考できる場になったと感じています。
炭鉄港はまだまだやることだらけ!これまでの5年間は基礎固めをしてきた時期であり、これからが本番だと考えています。


本フォーラムでは、私が拙い基調講演を担わせていただきましたが、改めて様々な気づきとエネルギーをいただきました。そして前日から今回のコーディネータ役を担っていただく丁野先生と各所に同行させていただき、本当に多くの学びをいただきました。心から感謝申し上げます。


炭鉄港には吉岡前理事長が構築してくれた様々なベースがあるがゆえ、此処から先はみんなで力を合わせ、どんどん前に進んでいけるような気がしています。


炭鉄港は今後の私たちの地域が持続可能な地域であるために、重要な要素を多く含んでいます。まずは日本遺産の継続を勝ち取ることはもちろんのこと、2025年は大きなステップの年に出来たらと考えています。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

今後の岩見沢市の人口イメージ

〈令和6年11月26日投稿〉

12月1日の炭鉄港フォーラムの講演内容を精査しつつ、12月議会の一般質問の準備も平行して行っています。

その中で、長期的視野を持った行政経営の視点で色々と思考していて、改めて2025年と2050年の人口や年齢構造の違いを理解するためにグラフにしてみましたので情報共有します。

ちなみに、1年後の2025年の岩見沢市の人口推計は73,202人国立社会保障 人口問題研究所推計値)であり、岩見沢市の人口は今年の10月末で74,439人なので、ここ数年の例にもれず1年当たり1,250人ぐらい減少することを考慮すると、見事に人口問題研究所の推計値と合ってくるわけです。(この推計値は令和5年度に改定されたものなので、この短期間に大幅にズレることはない前提ですが、残念ながら岩見沢市が令和2年に改定した人口ビジョンとは大きな乖離が生じてしまいました。)

改めて2025年の社人権推計人口が適正であり、何事もなければその後の推計も大きくは変化しないと仮定して2050年推計を比較すると、、、

今からたった26年後の2050年は

総人口で37.5%減少(7.3万人⇒4.5万人)

14歳以下人口で47.2%減少(6.5千人⇒3.4千人)

15~64歳人口で47.7%減少(3.8万人⇒2.0万人)

65歳以上で21.8%減少(2.9万人⇒2.2万人)

高齢化率(総人口と65歳以上の割合)は39.3%から49.1%と約10%ほど高くなってしまいます。


そしてかなり深刻な減少を見せるのが、20~39歳の若年女性という状況になるため、岩見沢市は、先日別途投稿した消滅可能性都市に分類されてしまうこととなります。

当然、そうならないように種々努力をすることとなりますが、今後の日本全体の人口構造を鑑みるに岩見沢市の人口減少そのものを止めることは不可能に近いため、当然、財政はますます深刻な状況になるでしょうし、お金と人が不足することで行政サービスの維持も困難化してきます。よって、今後はいかに的確に縮む努力をするか、また、広域による行政サービス連携等の効率化や、外貨を稼ぐ体制づくりが必須です。また、市民側もここまで肥大化してしまった行政サービスに依存度を増すことなく、自助・共助の体制を整えていけるかが大切になってくると感じています。

ちなみに2045年といえば、私も後期高齢者となる75歳になる年です。まさにすぐそこの未来です。。

その頃に市民みんなで夢と希望を持って日々を過ごしていけるよう、やはり現在からの選択の積み重ねが重要だと思っています。

今以上に「イマダケカネダケジブンダケ」の思考ではなく、我々自身も長期にわたって幸福でいられるように、そして将来世代へも幸福の器としての持続可能な岩見沢をバトンタッチしていけるように熟考し選択していかなくてはなりません。


話は変わって・・

グラフ出展:国土交通省「国土形成計画(全国計画)関連データ集」より

これは良く学校の授業などでもお話する日本の人口長期推移です。

西暦2100年の話をすると、遠い未来の様な気がしますが、小学生の子どもたちに話すときは、恐らく殆どの子が生きている時代なのだろうとも思います。そんなすぐ先の未来において、日本の人口はこのまま出生率が上がらなければ低位推計となり、明治維新以降、日本の産業革命が本格的になったころの人口に戻ってしまうこととなります。

ますますグローバル化する社会の中で、果たして日本はどのようになってしまうのでしょうか・・・。

(ちなみにもう少し古いデータだと2100年時点での低位推計が3,795万人でほぼ江戸時代の人口に戻る推計でしたが、令和5年7月の閣議決定資料では上の図のように低位推計でも4,906万人になっていることに今日気づきました)

消滅可能性都市のデータから岩見沢近郊を見てみると

〈令和6年11月24日投稿〉

今日は丸1日籠もって、12月1日(日)に開催される炭鉄港日本遺産認定5周年記念フォーラムの講演の準備をしております。

その中で、未来の地域の状況をイメージしやすくしようと「消滅可能性都市」として、人口戦略会議が発表したデータを基に、「炭鉄港推進協議会」に加盟する15市町の状況を一覧にしてみました。

ちょっと文字が小さくて見えづらいかもしれませんが、炭鉄港に加盟する10市5町において、2020年総人口と2050年総人口の比較と、それが何%の減少となるのか、また、オレンジ色の枠は2020年時点での20-39歳女性人口と、2050年時点での20-39歳女性人口の対比と、同じく減少率で、まさに地域の持続可能性はこの若年女性人口に大きく左右されることになることから示されたデータとなります。

炭鉄港関連地域全体で考えると、2020年時点で約48万人いた総人口が、以降のたった30年間で約42%減の28万人になってしまうこと。更に20-39歳の若年女性人口は約37,200人から約18,700人へとほぼ半分に減ってしまうことがわかります(総人口との比率としてとても少ないことがわかります)。

消滅可能性の定義としては、2050年時点で若年女性が50%以上減少する地域のことをカテゴライズしているわけですが、管内では室蘭市がギリギリ50%に満たない49.3%減、江別市が34.8%減、安平が48%減となります。他の自治体は軒並み50%以上の減少となり、特に著しいのが歌志内市の86.7%で、2020年時点で135名の若年女性が2050年には18名となると予測。

ぜひジックリと表を眺めてみてください。
色々なことが見えてくるような気がします。

2050年とは、今からたった26年後のすぐ先に到達する未来です。


上図(https://www.hit-north.or.jp/information/2024/04/24/2171/ (一般社団法人北海道総合研究調査会(略称:HIT ヒット)のサイトより)のように減少率が20%未満であれば「自立持続可能性」が高いと判断されるのですが、北海道では皆無。特に炭鉄港地域では厳しい状況になっています。


これらのデータを鑑みる中で、我々が取るべき手法は若年女性人口をどう減らさずにできるか。そのためには都市部への流出を避けるための雇用・労働環境を確保し、「暮らしやすさ」や「生きやすさ?」などを整えて行かなくてはならないこととなります。

少なくとも炭鉄港の取り組みの延長線上には、交流・関係人口の大きな変化を意図していることもあり、新たな雇用環境の推進にも繋がるつもりです。ただ、上記数字を見ると、想定よりかなり深刻な状況であることを前提に、多面的な思考を巡らせていかなくてはならないことがわかります。

すぐに答えがでるものではありませんが、ぜひ女性の方々の意見も聞きながら、岩見沢がより良くなる中長期的な環境づくりを進めていかなくてはなりません。

岩見沢市内小学校4年生への授業協力

〈令和6年11月23日投稿〉

昨日の午前中は市内小学校から急遽依頼された授業協力。

お相手は4年生!ふるさと教育の一環で、岩見沢の歴史と炭鉄港がテーマとなります。バスを仕立てて8:45~11:50までの長丁場ですが、ルートは、、

学校⇒そらち炭鉱の記憶MC→岩見沢駅→岩見沢レールセンターからバスで移動し、万字炭山駅→万字駅→美流渡駅→朝日駅→上志文駅→志文駅⇒学校と連なる岩見沢炭鉄港ライン!

サブテーマは産業と交通の変遷による栄枯盛衰の歴史。

朝日炭鉱跡で細かな石炭を拾ったりしながら、賑やかな半日授業となりました。


■授業の結果として理解を期待するポイント

  • 岩見沢の生い立ちは?
    石炭と鉄道の関係性が大きく関与していること
    石炭って何?石炭のあるなしで何が変わった?
    地名の由来?

  • 鉄道による発展
    岩見沢がどれぐらい鉄道のまちとして重要な拠点だったのか

  • 志文の特徴(室蘭本線と万字線の結節点)
    志文駅起点の万字線沿線(上志文・朝日・美流渡・万字)を巡って何を感じるか
    万字線沿線の状況(過去と現在)
    変化の原因~まちが大きく変わる原因はいくつか存在する

  • 交通形態の変化 渡し船⇒橋/鉄道⇒自家用車
  • 産業の変化 林業・炭鉱⇒国際社会の影響で衰退

・沿線に果樹園が多いのはなぜ?

■授業の結果、印象に残り、今後の思考に活かしてほしいこと

◎地域の姿は変化し続けるということ。その理由は産業構造や交通形態が主で、これからはそれにプラスして人口減少が大きな変化を加速させる(栄枯盛衰)

◎自分たちの地域の歴史を知ること(自分たちは何も知らないんだ。ということを感じること)

◎歴史を知った結果、自分たちの地域に誇りと愛着をもつこと

◎これらをきっかけに多様なことに興味関心をもつこと

小学4年生には、ちょっと難しく言葉も理解できないことがあったと思いますが、実際に現地を見て、それぞれに何らかの印象を抱いてくれていたら良いなと思っています。

空知シーニックバイウェイ_南空知キャラバン報告

〈令和6年11月2日投稿〉

10月30日(水)は、空知シーニックバイウェイにて岩見沢と夕張を巡るキャラバンということで、ありがたくマニアック?なルート設定とガイドをさせていただきました。

このキャラバンはコース設定のシミュレーションや下見、コミュニケーションが趣旨となりますが、今回は大型バス移動による「岩見沢と夕張の歴史文化をテーマにした炭鉄港+α」のコース設定&ガイドをさせていただきました。

◼︎岩見沢複合駅舎
◼︎岩見沢レールセンター
◼︎辻村家
◼︎栗沢神社
◼︎宝水ワイナリー
◼︎道道38号線沿線の旧産炭地域
◼︎万字炭山森林公園・英橋
◼︎夕張市石炭博物館
◼︎第5志幌加別橋梁
◼︎幸福の黄色いハンカチ想い出広場
◼︎拠点複合施設リスタ

それぞれにその歴史や背景、エピソードなどを交え、参加された方々もこれまで知っている様で知らないレアな話に触れ、地域の新鮮な魅力と可能性を感じていただけたのではないかと思います。

目指すところは、地域の歴史文化にスポットを当てることで高まるシビックプライドと、他所から人を呼べる地域価値の再構築の前段階へと繋がることが理想です。

私たちの周りには、知らないと見えてこない。しかし、知る事で見えてくる魅力が山ほど埋もれています。よってどうしても観光というよりは、生涯学習的な学ぶ要素が強くなりますが、この地域でなければできないことを進めるには、このステップを絶対に外すことはできないと信じています。

(↑)栗澤神社は滋賀を中心とした開拓団体の必成社事務所があった場所。必成社といえば一燈園を開設した西田天香(市太郎)が活躍・苦悩した地でもあります。このあたりのストーリーも今後スポットがあたって来ることと信じています(画像に写っている「禰宜」でもある岩見沢市議会仲間の枝廣議員のご厚意により見学が可能となっています)。


じつは、本計画時は一日中フルでご案内する予定だったのですが、後から岩見沢地区消防事務組合議会が入ってしまい、当然議会活動が最優先であること、また私が議長という立場でもあり、午後1時過ぎにバスを離脱。残りをNPO炭鉱の記憶のK事務局長にバトンタッチいただき事なきを得ることに。

当日は10ページのペーパー資料を作って対応しましたが、その1ページは東部丘陵地域の特徴や最盛期と現在の人口推移がわかるものとしました。

この石炭産業由来の栄枯盛衰は、新たな魅力を創出する大事な武器となるのです。

県議会からの視察受け入れ

〈令和6年11月1日投稿〉

昨日、兵庫県議会議員産業労働常任委員会の皆様が日本遺産「炭鉄港」の取り組みについて視察にお越しくださいました。

炭鉄港の取り組み全般については空知総合振興局にて実施し、そこから移動していただき「NPO法人炭鉱の記憶推進事業団」に来ていただき、実際の取り組み状況と役割等について説明をさせていただきました。

大変活発な質疑もありました。

少しでもお役に立てていれば幸いです。

小樽市の旧第3倉庫100周年記念フォーラムに参加してきました

〈令和6年10月31日投稿〉

午前中の兵庫県県議会対応の後、岩見沢市議会BCPに伴う避難訓練でしたが、終了してから直接小樽市へと向かいました。

その目的は小樽市主催の『旧第3倉庫100周年記念フォーラム』に参加するためですが、岩見沢市内や関連各地にある《歴史的建造物の保全・活用》についてのヒントをいただいてきました。

歴史的価値のあるものに対する考え方において、運河をめぐる市民運動の歴史もあり、小樽はもの凄く先を行っている事を実感します。

価値があるからとただ保存するのではなく、活用することでどう地域経済に波及させるかを含め、現実的な思考で取り組んでいかなくてはなりません。