カテゴリー別アーカイブ: まちづくり的雑記

岩見沢市郷土科学館でパネル展開催中

〈令和6年12月25日投稿〉

2025年1月5日まで岩見沢市郷土科学館の1階ロビー(無料部分)にて、北炭本社岩見沢移転120年記念パネル展を開催中です。

これは2024年の夏に「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターの石蔵展」として作成したものです。

A1用紙14枚の力作ですが、内容としては岩見沢が鉄道のまちとして発展するきっかけとなった、明治元年の石炭発見から、鉄道の敷設、北炭の本社移転から転出にまつわる明治40年ごろまでの岩見沢の動きを紹介しています。

様々な思惑と矜持を感じることができる展示になっていると思います。じっくりと読むには30分はほしいところかもしれません。ちなみに私が初めて製作したパネル展示でもあります。

本展示は2025年1月5日(日)までの開催です。
興味ありましたら、ぜひ御覧ください。

■岩見沢市郷土科学館
https://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/soshiki/shougaigakushu/bunka_sport_shogaigakushu/4/2/index.html

■そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターブログ記事
パネル展について
https://yamasoratan.blog.fc2.com/blog-entry-3489.html

炭鉄港日本遺産認定5周年記念フォーラムが無事に終了しました。

〈令和6年12月16日投稿〉

12月1日(日)に表題のとおり記念フォーラムがありました。

これは炭鉄港が2019年に日本遺産認定を受けてから丸5年を迎えるにあたり、今後訪れる継続審査(日本遺産の認定継続にふさわしいかどうかを再度審査される)に向けた機運向上を視野に、各地のプレイヤーのみならず、首長、道市町議会議員、行政関係者、炭鉄港ファンなど大勢の参加者に恵まれ盛大に開催されました。

また講演の和田哲さんを始め、各地からの登壇者も多いバラエティーに富んだ構成で、日本遺産認定から5年を経過しようとする現状と今後の展望について、様々に思考できる場になったと感じています。
炭鉄港はまだまだやることだらけ!これまでの5年間は基礎固めをしてきた時期であり、これからが本番だと考えています。


本フォーラムでは、私が拙い基調講演を担わせていただきましたが、改めて様々な気づきとエネルギーをいただきました。そして前日から今回のコーディネータ役を担っていただく丁野先生と各所に同行させていただき、本当に多くの学びをいただきました。心から感謝申し上げます。


炭鉄港には吉岡前理事長が構築してくれた様々なベースがあるがゆえ、此処から先はみんなで力を合わせ、どんどん前に進んでいけるような気がしています。


炭鉄港は今後の私たちの地域が持続可能な地域であるために、重要な要素を多く含んでいます。まずは日本遺産の継続を勝ち取ることはもちろんのこと、2025年は大きなステップの年に出来たらと考えています。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

今後の岩見沢市の人口イメージ

〈令和6年11月26日投稿〉

12月1日の炭鉄港フォーラムの講演内容を精査しつつ、12月議会の一般質問の準備も平行して行っています。

その中で、長期的視野を持った行政経営の視点で色々と思考していて、改めて2025年と2050年の人口や年齢構造の違いを理解するためにグラフにしてみましたので情報共有します。

ちなみに、1年後の2025年の岩見沢市の人口推計は73,202人国立社会保障 人口問題研究所推計値)であり、岩見沢市の人口は今年の10月末で74,439人なので、ここ数年の例にもれず1年当たり1,250人ぐらい減少することを考慮すると、見事に人口問題研究所の推計値と合ってくるわけです。(この推計値は令和5年度に改定されたものなので、この短期間に大幅にズレることはない前提ですが、残念ながら岩見沢市が令和2年に改定した人口ビジョンとは大きな乖離が生じてしまいました。)

改めて2025年の社人権推計人口が適正であり、何事もなければその後の推計も大きくは変化しないと仮定して2050年推計を比較すると、、、

今からたった26年後の2050年は

総人口で37.5%減少(7.3万人⇒4.5万人)

14歳以下人口で47.2%減少(6.5千人⇒3.4千人)

15~64歳人口で47.7%減少(3.8万人⇒2.0万人)

65歳以上で21.8%減少(2.9万人⇒2.2万人)

高齢化率(総人口と65歳以上の割合)は39.3%から49.1%と約10%ほど高くなってしまいます。


そしてかなり深刻な減少を見せるのが、20~39歳の若年女性という状況になるため、岩見沢市は、先日別途投稿した消滅可能性都市に分類されてしまうこととなります。

当然、そうならないように種々努力をすることとなりますが、今後の日本全体の人口構造を鑑みるに岩見沢市の人口減少そのものを止めることは不可能に近いため、当然、財政はますます深刻な状況になるでしょうし、お金と人が不足することで行政サービスの維持も困難化してきます。よって、今後はいかに的確に縮む努力をするか、また、広域による行政サービス連携等の効率化や、外貨を稼ぐ体制づくりが必須です。また、市民側もここまで肥大化してしまった行政サービスに依存度を増すことなく、自助・共助の体制を整えていけるかが大切になってくると感じています。

ちなみに2045年といえば、私も後期高齢者となる75歳になる年です。まさにすぐそこの未来です。。

その頃に市民みんなで夢と希望を持って日々を過ごしていけるよう、やはり現在からの選択の積み重ねが重要だと思っています。

今以上に「イマダケカネダケジブンダケ」の思考ではなく、我々自身も長期にわたって幸福でいられるように、そして将来世代へも幸福の器としての持続可能な岩見沢をバトンタッチしていけるように熟考し選択していかなくてはなりません。


話は変わって・・

グラフ出展:国土交通省「国土形成計画(全国計画)関連データ集」より

これは良く学校の授業などでもお話する日本の人口長期推移です。

西暦2100年の話をすると、遠い未来の様な気がしますが、小学生の子どもたちに話すときは、恐らく殆どの子が生きている時代なのだろうとも思います。そんなすぐ先の未来において、日本の人口はこのまま出生率が上がらなければ低位推計となり、明治維新以降、日本の産業革命が本格的になったころの人口に戻ってしまうこととなります。

ますますグローバル化する社会の中で、果たして日本はどのようになってしまうのでしょうか・・・。

(ちなみにもう少し古いデータだと2100年時点での低位推計が3,795万人でほぼ江戸時代の人口に戻る推計でしたが、令和5年7月の閣議決定資料では上の図のように低位推計でも4,906万人になっていることに今日気づきました)

消滅可能性都市のデータから岩見沢近郊を見てみると

〈令和6年11月24日投稿〉

今日は丸1日籠もって、12月1日(日)に開催される炭鉄港日本遺産認定5周年記念フォーラムの講演の準備をしております。

その中で、未来の地域の状況をイメージしやすくしようと「消滅可能性都市」として、人口戦略会議が発表したデータを基に、「炭鉄港推進協議会」に加盟する15市町の状況を一覧にしてみました。

ちょっと文字が小さくて見えづらいかもしれませんが、炭鉄港に加盟する10市5町において、2020年総人口と2050年総人口の比較と、それが何%の減少となるのか、また、オレンジ色の枠は2020年時点での20-39歳女性人口と、2050年時点での20-39歳女性人口の対比と、同じく減少率で、まさに地域の持続可能性はこの若年女性人口に大きく左右されることになることから示されたデータとなります。

炭鉄港関連地域全体で考えると、2020年時点で約48万人いた総人口が、以降のたった30年間で約42%減の28万人になってしまうこと。更に20-39歳の若年女性人口は約37,200人から約18,700人へとほぼ半分に減ってしまうことがわかります(総人口との比率としてとても少ないことがわかります)。

消滅可能性の定義としては、2050年時点で若年女性が50%以上減少する地域のことをカテゴライズしているわけですが、管内では室蘭市がギリギリ50%に満たない49.3%減、江別市が34.8%減、安平が48%減となります。他の自治体は軒並み50%以上の減少となり、特に著しいのが歌志内市の86.7%で、2020年時点で135名の若年女性が2050年には18名となると予測。

ぜひジックリと表を眺めてみてください。
色々なことが見えてくるような気がします。

2050年とは、今からたった26年後のすぐ先に到達する未来です。


上図(https://www.hit-north.or.jp/information/2024/04/24/2171/ (一般社団法人北海道総合研究調査会(略称:HIT ヒット)のサイトより)のように減少率が20%未満であれば「自立持続可能性」が高いと判断されるのですが、北海道では皆無。特に炭鉄港地域では厳しい状況になっています。


これらのデータを鑑みる中で、我々が取るべき手法は若年女性人口をどう減らさずにできるか。そのためには都市部への流出を避けるための雇用・労働環境を確保し、「暮らしやすさ」や「生きやすさ?」などを整えて行かなくてはならないこととなります。

少なくとも炭鉄港の取り組みの延長線上には、交流・関係人口の大きな変化を意図していることもあり、新たな雇用環境の推進にも繋がるつもりです。ただ、上記数字を見ると、想定よりかなり深刻な状況であることを前提に、多面的な思考を巡らせていかなくてはならないことがわかります。

すぐに答えがでるものではありませんが、ぜひ女性の方々の意見も聞きながら、岩見沢がより良くなる中長期的な環境づくりを進めていかなくてはなりません。

岩見沢市内小学校4年生への授業協力

〈令和6年11月23日投稿〉

昨日の午前中は市内小学校から急遽依頼された授業協力。

お相手は4年生!ふるさと教育の一環で、岩見沢の歴史と炭鉄港がテーマとなります。バスを仕立てて8:45~11:50までの長丁場ですが、ルートは、、

学校⇒そらち炭鉱の記憶MC→岩見沢駅→岩見沢レールセンターからバスで移動し、万字炭山駅→万字駅→美流渡駅→朝日駅→上志文駅→志文駅⇒学校と連なる岩見沢炭鉄港ライン!

サブテーマは産業と交通の変遷による栄枯盛衰の歴史。

朝日炭鉱跡で細かな石炭を拾ったりしながら、賑やかな半日授業となりました。


■授業の結果として理解を期待するポイント

  • 岩見沢の生い立ちは?
    石炭と鉄道の関係性が大きく関与していること
    石炭って何?石炭のあるなしで何が変わった?
    地名の由来?

  • 鉄道による発展
    岩見沢がどれぐらい鉄道のまちとして重要な拠点だったのか

  • 志文の特徴(室蘭本線と万字線の結節点)
    志文駅起点の万字線沿線(上志文・朝日・美流渡・万字)を巡って何を感じるか
    万字線沿線の状況(過去と現在)
    変化の原因~まちが大きく変わる原因はいくつか存在する

  • 交通形態の変化 渡し船⇒橋/鉄道⇒自家用車
  • 産業の変化 林業・炭鉱⇒国際社会の影響で衰退

・沿線に果樹園が多いのはなぜ?

■授業の結果、印象に残り、今後の思考に活かしてほしいこと

◎地域の姿は変化し続けるということ。その理由は産業構造や交通形態が主で、これからはそれにプラスして人口減少が大きな変化を加速させる(栄枯盛衰)

◎自分たちの地域の歴史を知ること(自分たちは何も知らないんだ。ということを感じること)

◎歴史を知った結果、自分たちの地域に誇りと愛着をもつこと

◎これらをきっかけに多様なことに興味関心をもつこと

小学4年生には、ちょっと難しく言葉も理解できないことがあったと思いますが、実際に現地を見て、それぞれに何らかの印象を抱いてくれていたら良いなと思っています。

空知シーニックバイウェイ_南空知キャラバン報告

〈令和6年11月2日投稿〉

10月30日(水)は、空知シーニックバイウェイにて岩見沢と夕張を巡るキャラバンということで、ありがたくマニアック?なルート設定とガイドをさせていただきました。

このキャラバンはコース設定のシミュレーションや下見、コミュニケーションが趣旨となりますが、今回は大型バス移動による「岩見沢と夕張の歴史文化をテーマにした炭鉄港+α」のコース設定&ガイドをさせていただきました。

◼︎岩見沢複合駅舎
◼︎岩見沢レールセンター
◼︎辻村家
◼︎栗沢神社
◼︎宝水ワイナリー
◼︎道道38号線沿線の旧産炭地域
◼︎万字炭山森林公園・英橋
◼︎夕張市石炭博物館
◼︎第5志幌加別橋梁
◼︎幸福の黄色いハンカチ想い出広場
◼︎拠点複合施設リスタ

それぞれにその歴史や背景、エピソードなどを交え、参加された方々もこれまで知っている様で知らないレアな話に触れ、地域の新鮮な魅力と可能性を感じていただけたのではないかと思います。

目指すところは、地域の歴史文化にスポットを当てることで高まるシビックプライドと、他所から人を呼べる地域価値の再構築の前段階へと繋がることが理想です。

私たちの周りには、知らないと見えてこない。しかし、知る事で見えてくる魅力が山ほど埋もれています。よってどうしても観光というよりは、生涯学習的な学ぶ要素が強くなりますが、この地域でなければできないことを進めるには、このステップを絶対に外すことはできないと信じています。

(↑)栗澤神社は滋賀を中心とした開拓団体の必成社事務所があった場所。必成社といえば一燈園を開設した西田天香(市太郎)が活躍・苦悩した地でもあります。このあたりのストーリーも今後スポットがあたって来ることと信じています(画像に写っている「禰宜」でもある岩見沢市議会仲間の枝廣議員のご厚意により見学が可能となっています)。


じつは、本計画時は一日中フルでご案内する予定だったのですが、後から岩見沢地区消防事務組合議会が入ってしまい、当然議会活動が最優先であること、また私が議長という立場でもあり、午後1時過ぎにバスを離脱。残りをNPO炭鉱の記憶のK事務局長にバトンタッチいただき事なきを得ることに。

当日は10ページのペーパー資料を作って対応しましたが、その1ページは東部丘陵地域の特徴や最盛期と現在の人口推移がわかるものとしました。

この石炭産業由来の栄枯盛衰は、新たな魅力を創出する大事な武器となるのです。

県議会からの視察受け入れ

〈令和6年11月1日投稿〉

昨日、兵庫県議会議員産業労働常任委員会の皆様が日本遺産「炭鉄港」の取り組みについて視察にお越しくださいました。

炭鉄港の取り組み全般については空知総合振興局にて実施し、そこから移動していただき「NPO法人炭鉱の記憶推進事業団」に来ていただき、実際の取り組み状況と役割等について説明をさせていただきました。

大変活発な質疑もありました。

少しでもお役に立てていれば幸いです。

小樽市の旧第3倉庫100周年記念フォーラムに参加してきました

〈令和6年10月31日投稿〉

午前中の兵庫県県議会対応の後、岩見沢市議会BCPに伴う避難訓練でしたが、終了してから直接小樽市へと向かいました。

その目的は小樽市主催の『旧第3倉庫100周年記念フォーラム』に参加するためですが、岩見沢市内や関連各地にある《歴史的建造物の保全・活用》についてのヒントをいただいてきました。

歴史的価値のあるものに対する考え方において、運河をめぐる市民運動の歴史もあり、小樽はもの凄く先を行っている事を実感します。

価値があるからとただ保存するのではなく、活用することでどう地域経済に波及させるかを含め、現実的な思考で取り組んでいかなくてはなりません。

共創による地域づくりシンポジウムに参加してきました

〈令和6年10月8日投稿〉

10月5日(土)10時から、岩見沢市の自治体ネットワークセンターで開催された〈共創による地域づくりシンポジウム(北海道開発局札幌開発建設部・北海道空知総合振興局・石狩総合振興局共催)〉に参加してきました。

これは令和6年3月に閣議決定された「第9期北海道開発計画」と令和6年7月に決定した「北海道総合計画」の推進に向けたキックオフイベントということになります。

第1部の基調講演は「ヒト・モノ・カネが循環する参加型まちづくりのポイント」と題し、株式会社国際社会経済研究所理事長の藤沢久美氏の講演。

圧倒的な知識と話術でパワーポイントなしの講演があっという間でした。

何かコトを起こすときに必要な資金調達をどうするか。ブロックチェーン等を活用した集団投資的なスキームや、資金提供してくれる相手の事情は様々で、それに合わせたwin-winの手法を検討すべきなどなどのヒントを頂きました。

また、ドイツに近いデンマークのロラン島での地域経済循環の話、はたまた、消費思考ではなく投資思考が必要で、誰が何のために、どんな効果が?という様な検証が大事。モノゴトの判断には雰囲気ではなくデータが大事!などなど、自分のことと置き換えながら、そのときに頭に浮かんだものを様々にメモを取らせていただきました。

今後、ここでもらったヒントを何とか自らの地域活性化に活かしていきたいと思っています。


第2部はパネルディスカッション「次世代に向けた地域づくり人づくり~内と外の科学反応」というテーマで、コーディネーターは北海道教育大学岩見沢校の山本理人キャンパス長。パネリストは空知建設業協会理事で㈱岸本組社長の岸本友宏氏、そしてNPO法人炭鉱の記憶推進事業団の北口博美事務局長と、ここまでは良く知る面々。他にNPO法人ほっかいどう学推進フォーラム事務局長の宮川愛由氏に基調講演を担った藤沢久美氏。

どのパネラーも、受け身ではなく自らが動きながら社会にコミットしている人々ゆえ、日頃の活動事例から導かれる持論も聴き応えがありました。

会場は約200席がほぼ満席。

久々に自分の出番の無いフォーラムに参加しましたが、非常に勉強になりました。

やはりアウトプットだけだと、自分のインスピレーションは枯渇してしまいますが、この様な気づきの多いインプットがあると、何かと今後に活かしていけると感じています。

貴重な機会をありがとうございました。


ちなみに「ほっかいどう学推進フォーラム」は立ち上げ間もない頃に以下の様なご縁をいただいていました。たった4年前の出来事ですが、随分と昔のような気がするし、私の画像も若さが見えます。思えばここ1~2年で随分と老けたと言われる機会も増え、何か活力を得られるような行動をしなきゃ!と思うばかり・・(最後はどうでも良いお話ですみません)

北海道高等学校文化連盟 第46回全道高等学校図書研究大会(空知大会)の第4分科会を担当しました

〈令和6年9月29日投稿〉

昨年の12月にとある先生から相談を受け、令和6年9月に行われる全道高校図書研究大会(空知大会)を開催するにあたり、分科会として協力いただけないか?とお話をいただきました。

私自身、なかなか【図書】という部分において、どうしたものか?と困惑した傾向はあるものの、今、力を入れて活動している、日本遺産「炭鉄港」等の取り組みも、その歩みとなる歴史文化の切り口は地方史だったり企業史だったりするわけで、これらの活動と図書も決してかけ離れているわけではないと思いお引き受けすることとなりました。

そこで今回は「知識を力に!歴史文化を活かしたまちづくりに触れてみよう」と題して、約40分のミニ講演と2時間超えのフィールドワークを実施。トータル3時間弱の長丁場でしたが、感度の高い優秀な生徒さんも多く、こちらも楽しませていただきました。

参加された生徒さんたちは全道各地から20名+引率の先生という感じです。

石蔵内にて、みんなで自己紹介をした後に簡単な座学を実施。

日本遺産「炭鉄港」を通して、学生さんたちそれぞれの地元で、歴史文化を価値へと変換する取り組みに対し、少しでもヒントになりそうなお話をさせていただき、その後、フィールドワークへ。

(各画像は生徒さんたちのプライバシーのために加工させていただいていますことをご了承ください)

フィールドワークでは、岩見沢複合駅舎、岩見沢レールセンター、岩見沢発祥の地公園において、それぞれの「第一印象」を記録してもらい、その後、私の説明に関するメモ、最後にガイドを聞いた後はどの様に印象が変化したか、などを発表してもらうことにしました。

岩見沢レールセンターでは、北海道の運炭鉄道としてのルーツと鉄道網のこと。また薩摩とのつながりなどをお話することができます。

岩見沢発祥の地公園では、地名の由来や士族移住のことをお話することができます。

これら、色々な情報をお伝えした中で、予備知識のない状況で受けた第一印象とどう変化していくか。などと旧国兼家住宅の中で車座になって発表してもらいました(画像は冒頭に岩見沢市教育委員会の神田学芸員さんより邸宅の説明をしてもらっているところです)。

この後、元町の跨線橋(初代停車場があったところ)を経由し石蔵へ戻ります。

石蔵ではまた数名に感じたことを発表していただき、最後に少しだけまとめのお話をさせていただてい終了!

「歴史文化で飯が喰えるか!」と言われた時代から、現在は「歴史文化がなければ飯が喰えない時代」へと変化しつつある過渡期であること。また「君たちの地域はどんなまち?」と聞かれたら「なにもないまち」と答えがちだけど、決してそうじゃない。ちょっと図書館に行って地域史をめくるだけでも知らないことが沢山でてきて、シビックプライド(地域への誇りや愛着)が高まるはず。ぜひそんな情報を整理して地域活性化に活かせるプレイヤーになってほしいという希望も伝えさせてもらった次第です。

この様に高校生に3時間弱もの長い時間にわたってモノを伝えるのは初めてのことで、色々と心配はありましたが、終わってみればこちら楽しい時間を過ごさせていただきました。

ぜひ当分科会に参加いただいた生徒さんたちには、すぐにではなく、いずれどこかで、ちょっとしたフレーズの一つでも思い出していただき、活動に活かしていただければ嬉しい限りです。

貴重なご縁をありがとうございました。