〈平成28年12月15日投稿〉
岩見沢CIVIC PRIDEの活動を通し、これまであまり関心のなかったことを知るチャンスが生まれてきています。それらは知れば知る程興味がわき、今まで自分が関心をもてなかったことは、明らかに「自らの無知」からくることであったと思い知らされるのです。
きっと私がいつまでも気づかないことを、元来教養の高い人達は「これは面白い!」などとあらゆることに気づきや認識を深めているのかな・・と思ってしまうほど。
私は恥ずかしながら、最近、やっとのことで岩見沢開拓に伴う明治初期の動きの中で集治監の役割に触れる機会を得ています。
先日は桜庭元町長直々に樺戸博物館をガイドしていただいたり、その時に五寸釘寅吉の本を薦めていただいたり。
とあるときは峰延を歩きつつ、囚人が作った道路である樺戸線に想いをはせたり。
そして最近は新装版『赤い人』(吉村昭著)を時間を見つけては読んでいました。
この本は、主に月形の樺戸監獄が出来るときからの様々なドラマと道内の空知や釧路、網走などの集治監(監獄)などの話も織り交ぜつつ、北海道開拓に散った囚人の凄まじい状況を描いたもので、タイトルの「赤」は囚人服など身につけるものが、逃げても目立つように全て朱色だったことに起因します。
その本の後半の方に、樺戸道路(現 道々月形峰延線)を切り拓く時の描写があります。
樺戸道路といえば、この下の図の様に国道12号線から月形までの岩見沢に隣接する直線道路。
〈OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA〉
本書より少し記述を抜粋してみますが、今の私達が通っている道路からは想像も出来ないような苦しい開削だったことがわかります。
***抜粋(文言は記載のままではありません)***
続きを読む →