平成27年9月20日(日)、21日(月)の二日間、百餅まつりと同時期に開催される情熱フェスティバルにおいて、NPO法人炭鉱の記憶推進事業団のブースをお手伝いしていました。
詳細についてはこちらのブログに記載されておりますのでご覧下さい。
http://yamasoratan.blog62.fc2.com/blog-entry-2037.html
と言うことで、、
朝からいつもの葛西氏とコンビで部材の搬入です。
私もこのトラス橋に関わって早5年になろうとしていますが、その都度、自社のオンボロトラッククレーンで運搬させてもらっています。ちなみに私自身、トラッククレーンを操作するのは年に一回、このトラス橋の部材を運ぶときだけではないか?と思うほどのレア作業です。
しかし、岩見沢市内にこの様な130年前の貴重な鉄橋の部材が見事に揃って野積みされているのは凄いことです。
ちなみに、例年であれば「いわみざわ駅まる。」の中でこのトラス鉄橋を紹介させていただいているのですが、今年の駅まるは10月に開催するため、今回は情熱フェスティバルに出展する「炭鉱の記憶推進事業団」として紹介させていただいた次第。
いつもは駅まるイベントの時に、駅前で淡々とやっているのですが、この様に情熱フェスティバルの会場内で開催すると、本当に多くの人が感心を持ってくれます。
「コレ何?」という感心を持って集まってきてくれる方々に、、
「130年前、岩見沢市内で架かっていたアメリカ製のトラス鉄橋です。せっかくなので錆落とし作業していきませんか?」
「北海道開拓史の助っ人アメリカ人、クロフォードが発注し、ニューヨーク港から横浜、横浜から小樽に着いて、岩見沢市内に架かっていたものです」
「北海道開拓に伴った、幌内-手宮線の開通時には間に合わず、当初は木製の橋でしたが、翌年にはこの鉄橋が架けられました。現地に合わせてつくられたモノではなく、100フィートの既製品を2つ輸入して現地を合わせ、旧幾春別川と幌向側に架かってました」
「大正時代に機関車の大型化に伴い橋が架け替えられ、このトラス鉄橋は栃木県の東武鉄道で双子の橋として連結され、第二の活躍をしていましたが、平成に入り、一つは貴重な遺産としてJR東海の三島工場で復元展示され、もう一つはバラバラになって岩見沢市内で保管されています。」
「この橋はイマドキの鋼鉄と違い、錬鉄というもので出来ています。そのため、錆が内部まで浸透せず、ちょっと削るとすぐに銀色の下地が出てきます。角もしっかり立ってますよね。今の鋼鉄ならこれだけ年月が経っていれば腐って角も無くなっているはず。錬鉄の凄さですね」
「アメリカのフィラデルフィアで、当時の職人が手打ちでつくっているため、表目の凹凸にも感慨深いものがあるんです」
「錬鉄は純度が低いため、鉄としての価値があまり高くないそうです。だからこそ130年間も残ってきたのかもしれませんね。価値のある鉄だったらとっくに溶かして別のものに生まれ変わっていたかもしれません」
「とても貴重なものです。きっと組み立ててしまったら文化財級となって触れることも難しいかもしれません。錆落とししたり自由にさわれるのは今だけかもしれませんね」
小さなお子さん達に「将来、この橋が復元されたら、自分たちで錆落とししたこと覚えていてね」
等々、橋のスペシャリストである石川氏と葛西氏の解説により、沢山の市民の方にこの橋の存在と価値を知っていただけたと思います。
とは言え、まだまだこれらの類はマニアックなモノと捉えられています。私は、空知や岩見沢が背負ってきた鉄道や炭鉱に纏わる歴史にスポットライトが当たり、きちんと整理していければ、多くの人々に広く認知される「地域の価値」になりうると信じています。
また今回は線路を挟んで真っ正面に岩見沢レールセンターが見えました。これら関連を含めて、岩見沢と空知の可能性が垣間見えます。こんな話を含めて前進していきたいものです。
ちなみに、このトラス橋の内容を調査し、綿密にまとめられたブックレットが500円で販売されています。
興味ありましたら、是非炭鉱の記憶マネジメントセンターでお買い求めください。