〈令和元年7月15日投稿〉
7月17日に東光中学校1年生が万字線沿線についての歴史を学ぶ授業があり、私もそのお手伝いをする都合上、90分ほどの時間をつくって各所へ下見に行ってきました。
その途中、小学生時代に友人と萩の山スキー場にスキーに行った時に利用した時以来、初となる旧・万字線上志文駅に寄りました。
その頃の上志文駅舎に対する記憶は全く残ってはいませんが、今、あらためて見てみると趣のある佇まいをしています。
そして近づいてみると、張り出し屋根を支えているのは古レールであることを発見し早速刻印のチェック。
まず目に入ったのはアメリカのカーネギー社が1903年に製造したレール。これはこれで非常に古い珍しいレールですが、更にチェックしてみると・・・
あれ??
「1610年ってどういうこと???」という刻印を発見しました。
1910年の”6”と”9”を誤った刻印なのか、それともNOの前にある4隅に角がついた丸にSのマークは八幡製鐵所製造の証なので、戦時中に生産されたことによる皇紀表示で、2610年の”2”と”1”の誤りなのか?と思いましたが、冷静に計算すれば皇紀2610年は西暦1950年ゆえ、すでに戦後であり皇紀表示はされていないはず。
となれば”6”と”9”を逆さに刻印してしまったのが正解なのだろうと結論づけましたが、やはり真相は知りたい。
そこで早速、「レールの旅路」等の著書で有名な太田幸夫先生に画像を送って質問してみたところ、、翌朝にはこの様な投稿をしていただけました。
投稿を引用すると、、
西暦1610年(慶長15年)八幡製鉄所製レール発見??
岩見沢市議会議員の平野義文さん(鉄道文化遺産の保存にご尽力しています)から旧・万字線志文駅に日本製1610年のレールがあるとの報告がありました。実は1910年(明治43)で、9を6と設定した間違いです。レールはいくつものローラを通過してレールの形となるのです。最後の腹部にあたるローラに年号などがセットされているのです。年、月が変わる都度数字等を変更するのです。が、9を間違え逆さの6にセットしてしまったのでしょう。それが故100年以上経って有名になったのです。
写真 上 1610と刻印されたレール(12月に製造されていることから1年間このラインで1610年レールが製造されたようです)
写真 中 同レールが発見された北海道新聞記事(昭和57・11・20)
写真 下 新日鉄の解答(北海道新聞 昭和57・11・18)
当時の新聞社には鉄道に造詣の深い記者がいて「打てば響く」ですぐ記事にしてくれました。
すでに太田先生は刻印ミスのレールを昭和57年に小樽市手宮の鉄道記念館(現総合博物館)の構内で発見しており、製造元である八幡製鐵所が現在に至る新日鉄に問い合わせもしておりました。
結果として、前述引用の通りとなるわけですが、この様なレールが身近な岩見沢市内にもあったことが驚きです。
こういった事を知れるのは本当に面白いです。
太田先生、本当にありがとうございました。
さて、せっかくレールのお話なので岩見沢複合駅舎で見ることのできる特徴的なレールをいくつか紹介します。
【①2600年代のレール】
これが【皇紀レール】です。
太平洋戦争中、国内では西暦を使用できない背景があり、戦時中に八幡製鐵所で製造されたレールは皇紀表示でした。
皇紀とは神武天皇が即位してからの年数、すなわち日本の起源からの年数で、西暦に660年を足せば皇紀となります。ちなみに有名な戦闘機の零戦(ゼロ戦)は皇紀2600年に採用されたので零式艦上戦闘機と言われます。この皇紀レールから、太平洋戦争の厳しさに思いを馳せることができます。
*尚、岩見沢複合駅舎の窓枠として、皇紀レールは7本使用されていますので是非探してみて下さい。
【②KRUPP GERMANY 1890 HTT】
こちらも話せば長くなるレールですが、駅の改札を抜けてホームへと向かう跨線橋の天井。梁が古レールでできており、その中にはこのような刻印が見られます。
クルップジャーマニーはドイツのクルップ社。
幕末当時世界最高性能を誇った大砲はこのクルップ砲であり、オランダで製造された幕府軍監開陽丸に搭載するために、榎本武揚がクルップ社社長と会ったという話を聞いたことがあります。
ちなみにHTTは北海道炭鉱鉄道会社のこと。
すなわち、1890年に北海道炭鉱鉄道会社がドイツのクルップ社に発注したレールという意味になり。その背景には薩摩とのつながりも垣間見ることができます。
*ちなみにこのレールを私が初めて発見したのは2013年のこと。こんなエピソードがありました。
https://hiranoyoshifumi.jp/2013/05/24/1594
*その翌年に岩見沢駅様の協力をいただいて初披露!
https://hiranoyoshifumi.jp/2014/09/16/3867
なお、この看板のレールの解説文言については、太田幸夫先生の著書「レールの旅路」を参考にさせていただきましたことを申し添えさせていただきます。
【③岩見沢駅舎躯体に設置された中では最古の西暦1900年のレール】
岩見沢複合駅舎に窓枠として設置されている232本の古レールのうちの2本がこのレール。
跨線橋のHTTレールを除くと駅舎内では最古のレールです。
鉄鋼王カーネギーで有名なアメリカのカーネギー社で西暦1900年12月に製造されたもの(1900 ET の後ろに棒が12本あるのは12月の意味)で、センターホールの北側と札幌側の角に設置されています。比較的見つけやすいので、是非探してみて下さい♪
【④炭鉄港の象徴の様なレール】
恥ずかしながら私も昨年教えてもらったばかりなのですが、木彫りのばん曳馬のあるホームの柱は古レールです。
そのホームの札幌側に「明治41年(1908年)にイギリスから輸入されました」という看板がついているレールがありますが、これにはもっと深い意味があり、刻印を良くみると”JSW”の文字が刻まれているのです。
JSWとは室蘭にある日本製鋼所のことであり、JSWが1908年にイギリスに発注し、室蘭の日本製鋼所構内で使用されていたレールと解釈できます。
ちなみに日本製鋼所は、明治39年に北海道炭鉱汽船、イギリスのアームストロング社、ビッカーズ社との合弁企業として主に海軍の国産兵器開発のために室蘭に設立された企業(戦艦大和の46サンチ(cmのフランス語読み)砲もここで製造された)。
その北海道炭鉱汽船㈱は、明治39年に日露戦争の影響で鉄道国有法が発布され、鉄道部門を失うまでは北海道炭鉱鉄道㈱として2年間ほど岩見沢に本社があり、国に鉄道部門を売却した資金を元に上記合弁企業を室蘭に立ち上げた経緯があります。
まさしく鉄のまち室蘭が生まれる原点がここ岩見沢にあり、設立間もないJSWが構内で使用していたレールが、また岩見沢のホームで柱として使用されている歴史の妙を感じることができるのです。
他にも岩見沢レールセンター内には、戦後に補強材として輸入されたアメリカ製の1876年レールが2本(北海道内最古であり、日本では廃刀令が出された年)確認されています。
これらは単なる古いレールではありますが、それらの時代背景や経緯などを考察すると、普段なかなか見えないものが見えてきたりしてとても面白いのです。
この様に岩見沢駅周辺にはレールという切り口だけでも面白いものが沢山ありますので、是非見てみてください。
マニアック過ぎて、あまり需要はないかもしれませんが、鉄道のまち岩見沢の記憶を辿れる貴重な資源の一つだと思っています。
「岩見沢市内で面白いレールを発見!ついでに他にも岩見沢にある珍しいレールをご紹介!」への3件のフィードバック