〈令和元年7月22日投稿〉
7月17日、岩見沢市立東光中学校1年生の「昔の岩見沢(旧国鉄)を学ぼう」というテーマの学習会を手伝ってきました。
これはNPO法人炭鉱の記憶推進事業団に依頼があったもので、1年生124名がバス4台に分乗しての大掛かりなもの。
バス4台は大きく2つにグループ分けされ、それぞれ1台につき1名のガイドが乗車。
(上画像2枚は”そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターブログ”より拝借)
更に必要に応じて、1グループ2台のバスは「時に同時に、時に分離して動く」という複雑な行程。
これは事前に炭鉱の記憶マネジメントセンターの北口事務局長が設定したもので、結果として見事なスケジューリングでバス4台が干渉することなく、ロスなしで全行程を終えることができました。
ちなみに、私がガイドとして参加させていただいた4号車は以下の様な進行でした。
■岩見沢レールセンター
北炭マークから見えてくるもの。幌内鉄道について
■元町人道跨線橋
明治15年の開通、停車場の位置、当時のまちなみ、勧業課について
■夕張道路(中央通り)
当時の賑わい、囚人による整備(集治監政策)
岩見沢神社にある巖見澤記碑~岩見沢の語源
■北海灌漑溝横
赤平から南幌まで7市町を通る大用水路(大正13年)
水の確保の苦労
■北海道グリーンランド前
縄文海進による当時の海岸線。冷水遺跡
坊主山(観覧車付近)を削り室蘭線の盛土に。
■旧万字線
斜め道路沿いの線路跡。
元来は林業用の馬鉄⇒大正13年軽便鉄道として開業
昭和60年廃線。
■旧渡船場(旧菊谷商店付近)
夕張との往来の要衝。渡船について。
上志文駅ができるまで周辺重要拠点とし、お茶屋、宿屋、芝居小屋等々で賑わっていた。
余談として岡山橋も同様。丸井百貨店まであった。
■旧上志文駅
スキー場に近い駅。レール刻印の話し。皇紀レールの紹介。
■新宮村橋バス停付近
きらく園~宇多田ヒカルのお母さんである藤圭子さんの話し。
岩見沢の雪まつりでの代役からデビューへ。
■幌向川横断
平成18年の市町村合併の話。幌向川を横断するたびに岩見沢市と栗沢町が交互に訪れた地。
■美流渡町内
炭鉱住宅について。最盛期約1万人いた人口が約360人に。
■毛陽交流センター
トイレ休憩:メープルロッジのできる前は何があったかクイズ。毛陽は果樹が盛んゆえ人口密度が少なく駅はできなかった。
■北炭の鉄塔
大正期、夕張から歌志内まで張られた送電線の跡。
■万字駅
万字の地名の由来。朝吹英二の家紋「卍」から。
駅の解説⇒ホームへ降りて、当時の風景をイメージ
■ジン鍋博物館
国内唯一のジンギスカン鍋博物館。
国内最大の130cmと最小の11cmの鍋。
■朝日駅、旧坑口
1974年に閉山するまでの風景(パネル)
坑口(連絡坑入り口)の見学
駅舎見学、B20機関車の説明等
■赤レンガホールへ到着
賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶということばの意味。
岩見沢はまだまだ価値のあるまち。もっと知っていこう。
大雑把にいうとこの様な流れで進行しました。
ただ中学校1年生だと知っていることと知らないことの個人差も大きく、説明に対する言葉の選び方と、興味を引くことのハードルの高さを感じたところです。
それでも小学生や中学生の頃から、地元の歴史を感じることができるのは、なによりも重要なことだと感じます。少しでも楽しんでもらい、興味を高めてもらえれば幸いです。
また機会があれば、もっと上手になってより深い理解を得られるように努力したいと思います。