〈令和6年8月24日投稿〉
北海道市議会議長会道央支部協議会議員研修会にて〈空知の現在、過去、未来~日本遺産「炭鉄港」がもたらす可能性~〉と題してお話をさせていただきました。
〈令和6年8月24日投稿〉
北海道市議会議長会道央支部協議会議員研修会にて〈空知の現在、過去、未来~日本遺産「炭鉄港」がもたらす可能性~〉と題してお話をさせていただきました。
〈令和6年7月31日投稿〉
私が理事長の役をお預かりしているNPO法人炭鉱の記憶推進事業団の主催にて、7月27日(土)の晩に旧岩見沢市エリアの中で唯一存在した朝日炭鉱があった朝日町にて「炭鉱の灯り」を開催しました。
続きを読む〈令和6年7月30日投稿〉
7月29日(月)の午前中に超党派議員勉強会「北海道自治立志塾」の有志で早来学園の視察にお邪魔しました。
立志塾からご縁をいただいたこども環境学会や、様々な場面で以前からお世話になっていて、なんと今年から安平町の教育長に就任した井内聖さんに直接お話をいただき、改めて沢山の気づきをいただきました。
特にこの早来学園は義務教育学校として新設され、校舎内にもあらゆる工夫がなされています。
学年ごとに必要とされる教室の姿形が違ったり、中学校では学科生の教室になったりと、一般的な公立学校とはひと味もふた味も違う環境に驚きます。また「世界と出会う場所」というコンセプトの下、地域の人達に開放されるエリアが多く、しかしセキュリティはデジタル技術を駆使して万全にしていたりと、まさに百聞は一見にしかず。
ただ、それら特徴的な仕組みや構造にある背景は全てコンセプトを重視する視点から形になっているものでした。
他にも、この早来学園のことのみならず、町内の公共施設マネジメントのこと、教育予算のこと、合意形成や広聴の奥深さなど、目から鱗と勉強になることが山盛りでした。
岩見沢市もこれから栗沢が義務教育学校化に向けて進行中です。
今後は校舎の議論も出てくることと思います。
その際は非常に大きな参考になることは間違いありません。ぜひ初期コンセプトの段階からアンテナを高く張り、こういった事例も参考にしていけたらと思っています。
〈令和6年7月20日投稿〉
日頃からお世話になっている市職員のK氏にお誘いいただき、協議の場の活性化を促す「言える化ツール」の”SOUNDカード”体験会に参加してきました。
講師は青森大学社会学部教授で、早稲田大学マニフェスト研究所(マニ研) 招聘研究員でもある佐藤淳氏です。
画像は佐藤淳氏のFBから借用し、参加者がわからないようにモザイク加工をさせていただきました。
議会活動やまちづくり活動に必須の広聴及び意見抽出・集約機能ですが、何をするにも中心となるファシリテーターの能力に大きく左右される要素があります。
このSOUNDカードの手法は、一般的なディスカッションやテーブルワークに不可欠な個人のファシリテーション能力にあまり左右されず、自身の属性に沿った一定の制約の中で発想を展開できる強みがあり、結果、参加者全員による活発な意見交換へと繋がることを認識しました。
他議会でも活用例があり、大いに有効な手法と捉えましたので、まずは一つ購入して実践してみたいと思っています。
興味がありましたら、こちらの公式ページも御覧ください
〈令和6年7月15日投稿〉
7月27日(土)は朝日駅周辺にて「炭鉱の灯り」という事業を開催します。
これはNPO炭鉱の記憶推進事業団が毎年行っているもので、炭鉄港等々、炭鉱に関わる場所で地域活性化の取り組みを行う上で、先人に対する感謝と哀悼の意をもって、お盆時期に行っているものです。
亡くなった吉岡前理事長は生前「これはイベントではない。だから一人でも一つでも継続していく」という言葉をよく使っていた記憶があります。
しかし今年は、あまりやり過ぎると吉岡前理事長に叱られるかな?と思いつつ、少しだけイベント的要素を持たせてみました。
なぜなら、今年は朝日炭鉱が昭和49年に閉山してから50周年の節目となり、また朝日町出身者の伊藤さん(1+1=Inc. 大正ボックス)とも共催という形にて開催する運びとなりました。
棲み分けとしては、キャンドル事業や写真パネル展、看板のお披露目等がNPO法人炭鉱の記憶推進事業団によるもので、ステージイベントは1+1=Inc. 大正ボックスさんが中心となって実施するという形になります。
内容としては以下のとおりです。
当日は16時ごろからキャンドルの設置作業を行い、18時ごろから点灯予定です。また、点灯に合わせてステージイベント(1+1=Inc. 大正ボックス共催)も開催され、朝日ゆかりの方々として詩人のヤリタミサコさんがゲストにお越しいただけます。
更に、以前岩見沢市観光振興ビジョンから生まれた「いわみざわ駅まる。」のコンテンツの一つとして形になったアコースティックバンド〈ALL Iwamizawa〉の再結成があり、キャンドルだけでなくステージも注目です!
また朝日町内会との連携で、7月20日(土)~7月27日 (土)〈10~15時〉まで朝日コミュニティ交流センターにて朝日炭鉱のミニ写真展も開催します。
27日(土)は、キャンドルの設置を16時頃からゆっくりと行い、17時30分ごろから岩田地崎建設㈱さんのご好意で新たに設置される「朝日炭鉱連絡坑道坑口」の大型案内看板の除幕式を実施。キャンドルの点灯とステージは18時頃を予定しています。
*駐車場は岩田地崎建設(株)様のご協力で、旧朝日医院跡をご利用いただけます。
こちら↓
https://maps.app.goo.gl/Mr4Hb9dEHMFAbY9b9
日本遺産「炭鉄港」構成文化財の朝日駅舎と、夏の夜に浮かび上がる素敵なキャンドルは撮影も気合が入るかもしれません。また帰りには高橋商店さんの自販機でしめ鯖を買って帰り、余韻に浸りながら一杯やるのも素敵ですね。
ぜひお気軽に足を運んでいただければ幸いです。
〈令和6年7月14日投稿〉
7月10日(水)の午前に岩見沢市立第一小学校の議場見学と模擬質問がありました。
下の画像はその様子を取材してくれた新聞媒体「週間みなみ空知」の記事となります。
生徒さんたちは事前に質問や要望を準備してくれ、適度な緊張感の中でやりとりが行われました。
記事中のコメントのベースにあるのは、「議員になって困ったことは?」と言う質問への答えのところでした。
矛盾を孕む多様な意見・要望が多く存在する中で、「全体最適」を判断基準にすることの大切さと、それが総論賛成、各論反対の風潮下でなかなか受け入れられないことなどもあり、政治の役目の難しさである的なことを伝えた部分だと思います。
これを機にぜひ議会を身近に感じていただければ嬉しいです。
ちなみに、今回は6年生だったため、昨年に岩見沢駅周辺の炭鉄港を学ぶという授業でお付き合いした生徒さんたちでした。実は私自身、今回は退院してすぐというちょっと辛い状況でしたが、素直で一生懸命な生徒さんたちと和気あいあいでとても良い時間を過ごすことができました。
*今年は議会広報広聴委員会が中心となり、市内の学校を対象に議場見学や出前講座的な取り組みを強化してくれています。ぜひご活用ください。
〈令和6年7月13日投稿〉
7月12日(金)は所属する会派の市民クラブにて研修三昧の一日!
午前中は日本遺産「炭鉄港」を学ぶをテーマに、夕張市石炭博物館や現役の採炭施設である「高松ズリ山水選炭事業所」を視察。
石炭産業の過去未来を様々な視点で解説した後、万字峠を経由して岩見沢の旧産炭地域である万字、美流渡、朝日に残る関連遺構等々を巡ってきました。
この東部丘陵地域には、岩見沢市民も気づいていない魅力がたくさんあります。
栄枯盛衰の現実を掘り下げるべく、地域の歴史を知らずに未来を語ることはできず、その歩みそのものに価値をもたせるという意味で〈日本遺産 本邦国策を北海道に観よ!北の産業革命「炭鉄港」〉は今後の地域の価値向上に大きく寄与するものと確信しています。
今回はその片鱗ではありますが、同志の会派の皆さんと共有できたのはとてもありがたい事でした。
その後、会場を岩見沢生涯学習センター「いわなび」に移し、村木道議のお力添えの下、総務省から出向され、現在北海道庁総務部長の役を担っている山本部長に岩見沢にお越しいただき、国の税財源配分等の仕組みや北海道の財政に関する事、岩見沢市の財政の読み方。新病院に関すること等々の講話をいただき、非常に濃密な学びの時間を過ごすことができました。
朝9時から夜の懇親会まで、学びの多い密度の高い1日となっています。
〈令和6年7月8日投稿〉
本日、岩見沢市立総合病院から退院してきました。
と書くと、重たい感じになりますが、私の場合は比較的軽微と言える胆石症に伴う胆嚢摘出手術でした。
遡ると3月29日金曜日、朝からみぞおちから背中にかけて嫌な痛みが続き、お昼ごろには車の運転に支障がでるほどの痛みで脂汗がでる激痛に変化。
午後からかかりつけの病院で診察を受けると、胆石に伴う胆嚢炎ではあるものの、血液検査の結果では数値的に急いで手術するほどではない。とのことで1週間ほど薬を服用することになりました。
ちなみに胆嚢というのは、油っぽいものを食べると消化を助けるための胆汁を放出する器官で、和食などあっさりしたものを食べている分には胆汁を必要としないので胆嚢が動かず痛みが発生しない仕組みになってます。したがって胆嚢を機能させないように摂生し、炎症が完治すればまた普通の食事ができるとのことでした。
それからはカレーもラーメンも肉類もパンも食べられない、和食ばかりの食事制限をしながら「そろそろ完治したかな?」と、少し脂っこいものや宴席でのアルコールなどを試してみると、残念ながらまた痛みが出る状況が2度ほどあり、いよいよ5月末に「もう大丈夫かな?」と多少解禁しはじめたところ、6月上旬に慶事があり、これまた少しの食事とビールを200mlぐらい飲んだところで激痛に苛まれることに。
それがあまりに激痛だったため夜間救急センターに電話相談し、これまでの経過や現状を相談して受診してもらうことに。診察後すぐに市立病院の救急外来に転送となった次第です。
それからは胆嚢を取ることを前提に手術の準備となる各種検査が行われ、6月議会が終わったあとのタイミングの7月4日(木)に入院、5日(金)に手術で、本日8日(月)に無事退院となりました。
手術自体は腹腔鏡手術といって、私の場合はお腹に3箇所(管の穴を入れると4箇所?)の穴を開け、そこから器具を通して胆石の入っている胆嚢ごと撤去するものでした。よって開腹手術に比べると格段に負担も少ないものです、(とはいえ身体に傷を負うので痛いのは当然で、退院した今この時もそれなりに痛みがあるのは否めませんが、時間の経過とともに落ち着いていきます。)
さて実は私自身、これまで大変運が良く、ず~っと健康体で過ごすことができたため、全身麻酔、手術などを含め入院そのものが全くの初体験でした。今回は岩見沢市立総合病院にお世話になりましたので、以前から老朽化している施設ゆえ、エアコンがなく夏の厳しさは相当なものと聞いていて、私の現在の立場からもそれらを実際に体感できる最良の機会と捉え、しっかり確認してこようと思ってました。
しかし、入院期間中は蝦夷梅雨のような天候が続き、比較的過ごしやすい気温でその思いは達することはできませんでしたが、施設の至るところに老朽化の状況が見えること、窓際のベッドだったゆえ、一時日が差す瞬間の印象や、実際に従事される看護師さんたちのお話を聞き、十二分にその過酷な環境を感じることができました。
その行き着くところは、やはり「新病院の建設を一刻も早く!」という思いに至るのですが、事は残念ながらそう簡単なものではなく、現状の建設費等々の著しい高騰や、人口減少、少子高齢化に起因する労働供給制約社会等の今後の社会変化の行き着く状況等を鑑みると、やはり現在その作業が行われているように基本計画をしっかりと見直し、今後はより慎重で厳格な収支シミュレーションを行いつつ、将来の岩見沢に過度な負担を残さない方法を模索していかなくてはなりません。
それらをしっかりとクリアできれば、患者さんにも医療に従事される方々にも、より良い環境で過ごすことができる新病院の完成を目指し、多くの人々の期待とともに鋭意進行していくことになります。私自身、ぜひそういう結果になるように努力したいと強く考えています。
最後になりますが、今回、入院、手術を受けるにあたり、医師の皆様、看護師の皆様を始め、医療に従事される皆様に大変お世話になりました。特に診察や手術をしていただいた先生、対応していただいた看護師の皆様には、常に明るく優しく丁寧。そして的確で100%安心して身を任せることができました。この場をお借りし改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
また、本入院に際し、学校で予定されていた授業日程の変更や、会議の欠席、打ち合わせ日程の変更、また立会が必要であった中での代理のお願い、更には私の居ない穴を埋めていただいた仲間の皆様などなど、様々にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。少しだけ安静を保ちながら、速やかに日常生活に戻る予定です。
何卒よろしくお願い申し上げます。
【追記】元来ジャンクフード好きで和食が苦手なお子様系の食事を好む性質上、この3ヶ月の食事制限で体重が10kg減りました。これからはそれら食事制限が解除されることで、大きなリバウンドを恐れています。何とかそうならないよう、落ちてしまった筋力を取り戻すべく、運動でも再開しなきゃならないと考え中です。ただその部分の意思は弱く、この痛みが引くまでの間に気力が萎えるといけないので、ここで少し宣言しておきたいと思います。絶対にリバウンドは避け、筋肉量も増やしていけるように運動を再開します!さて、何から始めようか・・・。
6月28日(金)が令和6年第2回定例会の閉会となりました。
その前日となる6月27日(木)は、この度、新たに設けられた会議規則等改正検討委員会の第1回目が開催され、正副委員長の互選により、僭越ながら私が委員長としてご推挙いただきました。
この委員会は主に「議会のデジタル化」に関するものの規定等を整理するものであり、各手続きのオンライン化や、必要に応じて委員会のオンライン開催を可能とするための細かなルールづくりなどが主となります。
他には岩見沢市議会会議規則や委員会条例の整理を行うこととなります。
特に諸手続きや委員会のオンライン化においては、正式なルールを定めるために検討すべき課題が多岐にわたり、数多くの想定と議論が不可欠になりますが、しっかりと努めさせていただきます。
〈令和6年5月13日投稿〉
午前中は市民との意見交換会を行い、その後、着替えてすぐに万字炭鉱跡に向かいました。
これは先にぷらぷらヤマ歩きのスケジュールを告知してから、市民との意見交換会が入ってしまったので、ちょっと綱渡り的な感じでしたが、主催のNPO法人炭鉱の記憶推進事業団のスタッフのお陰で、無事に事なきを得ました。
さて、このイベントは炭鉱遺産の価値向上と、私の役割的な位置づけとしては、今後の岩見沢(空知他炭鉄港地域全般)の交流人口や関係人口を創出するための実験的な視点を持って開催しています。
いつものこの様な主催事業ではNPOの役職員や会員さんがガイドを努めたりするのですが、今回は国内の産業遺産探索系では恐らく最も有名な方の一人ではないか?と思われる「スケキヨ氏」にガイドをお願いしました。
というのもこの万字炭鉱跡は、普段よく行っているズリ山のある万字炭山森林公園のエリアとは異なり、原則、立ち入りには許可が必要な場所です。我々はNPOという社会的責任を負っている法人ゆえ、やはり法令の遵守は徹底しなければならず。私自身も岩見沢市民でありながら、この万字炭鉱跡へは立ち入ったことがありませんでした。
そこで今回は事前に関係各所と協議を重ね、正式に立ち入り許可をいただいてのイベント開催となっています。
この様に、普段簡単に立ち入れない場所に合法的に、しかも探索系のカリスマとも言えるスケキヨ氏がガイドとなることで、まずはNPO会員への日頃の感謝を込め、会員限定で先行申し込みを行い、その後余裕があれば一般参加を受け付ける段取りで実施しました。
するとなんと!
24時間を待たず、あっという間に満員御礼となり、昨日の本番を迎えることとなります。
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