〈令和2年8月11日投稿〉
先日の日曜午後。
小雨降る中ではありましたが、今後予定されている某学校の授業に参考にならないかと思い、万字炭山森林公園へ事前調査へ。
ここへは数年前に来て、一度ズリ山に登ったことはあるのですが、前回行かなかった管理棟の方にいくと、明らかな炭鉱遺構がありました。
これが何か私には判断がつかず、万字にあるジンギスカン鍋博物館の溝口館長に聞いてみると、旧北炭万字炭鉱の選炭場跡(ホッパー)とのこと。
そして、当時の万字炭鉱の画像を送ってくださいました。この画像を見ると、当該コンクリート基礎の上に木造の選炭場があったようです。
この出来事をtwitterで紹介したところ、一晩でかなりの量の情報を得ることができました。
そのスクショは一つだけ貼りますが(特段許可は得ていないのでアカウントのところはボカさせていただいています)、かなり万字炭鉱に詳しい方々の情報を複数得られ、このホッパーの現役時代の様子を知ることができました。
この上の画像が大正4年に撮影された選炭場です。アーチの形状などは現在も面影があります。
この様に、あらためてSNS時代の恩恵を受けています。これぞまさしく人類の『集合知』を授かるテクノロジーなのだなあと実感。
私自身、これまであまり深い縁のなかった万字炭鉱ですが、これを機にグググっと関心が高まってきました。周辺にはズリ山だけでなく、レンガづくりの変電所跡や坑口なども見られるとのこと。これらをただ見れば単なる昔の構造物の跡ですが、その背景を知ることでストーリーが見え価値が出る。
この万字線沿線は最盛期には12もの炭鉱が稼働していたそう。よって近郊にも沢山の遺構があるはずです。当然、良い話しだけではなく、痛ましい事故や閉山に関すること、また朝鮮人徴用など、しっかりと目を向けなければならない要素もあります。しかし、それらを含んだ中で、掘り起して磨き上げるべき資源が岩見沢にも沢山あることに気づけます。
あらためてこの東部丘陵地域(旧万字線沿線)のことを掘り下げてみたいと考えています。また、近々ズリ山にも再登頂してみたいと思いますが、雰囲気からクマとの遭遇が恐ろしい。かと言ってこの場所にはあまり出没する話は聞かないようではありますが、十分注意していきたいと思いますし、少しでもこの場所の魅力づくりに貢献できればと考えています。
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