万字炭山森林公園ズリ山に登ってきました。

〈令和2年8月17日投稿〉

今年は地域の盆踊りなどが中止となり、特段行事の入らない初めてのお盆休みとなりました。

少し寂しい反面、こんなにまとまった休みを経験するのは本当に久しぶり。早速、普段なかなか出来ないことを実施するお盆休みとさせていただきました。

■そのうちの一つが前投稿のこちら(①ルコチパークのBMX)。
https://hiranoyoshifumi.jp/2020/08/17/13012

■そしてもう一つが②炭鉄港カードの全コンプリートの旅。
https://hiranoyoshifumi.jp/2020/08/17/13040

と、今回投稿する③万字炭山森林公園の散策&調査と相成りました。

この万字は、近々実施を依頼されている市内某小学校の5年生を対象とした「総合的な学習の時間」のプログラムとして、子どもたちに地域の歴史を知ってもらうのに有効な内容を作れないだろうか?という観点で、8月11日にも視察

そこで得た情報をもとに、更にもう一歩深く知りたくて、昨日のお盆休み最終日にも行ってきました。

上記facebookの投稿にも記載していますが、万字炭山森林公園の管理棟の入り口には大きなホッパーの基礎があり、管理棟の裏を散策していくと、抗口らしきものやコンクリートの基礎など、様々な炭鉱遺構を目にすることができます。

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また流石に炭鉱跡地ということで、地面にはズリに混じって石炭屑も沢山転がっています。

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この様に当時活況で賑わった炭鉱が、あっという間に自然に飲み込まれていく風景があり、まさしくインダストリアルネイチャー(産業的自然)の真髄を感じることができると思います。

また、石炭を掘る際に出た岩石等を積み上げたズリ山を登ると、万字の旧市街地を見ることができ、あらためて人間のやってきたことの凄さがわかります。

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更にこの斜面を登っているときに、向かいの山に目を凝らすと、北炭が大正時代に夕張から赤平まで引いた大送電線網を思い浮かべることができる鉄塔が見えました。

この万字地域は炭鉱の最盛期には約5,000人の人口がいたと聞いています。

現在は本年7月時点での住民票ベースでみると、人口71名、世帯数42戸という状況になります。

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この様な栄枯盛衰の歴史は炭鉄港の重要な要素の一つです。

時代は変化するということ。また今この時点の当たり前も、今後の年月の経過により当たり前ではなくなることもある。そんなことを感じてもらえたら良いなと思っています。

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