先日、宮城県の大和町に行ってきたお話をブログに載せました。
その目的は、磯田道史さん(武士の家計簿の作者として有名です)が書いた「無私の日本人」という本にのっている吉岡宿の有志9名による強烈な史実。
今から約240年前、税の負担も大きく、不況により寂れていく一方の吉岡を救うため、自らを犠牲にしながら大それた手法のもとに地域を救っていく実話です。
詳細は是非とも本を購入して読んでいただく事をお勧めします。三話が収められておりますが、そのどれもが日本人としての矜持を考えさせられ、さらに後書きに重みがあります。
その史実の空気に触れたいあまり、今回東北へ家族で行った際に立ち寄らせていただいたものです。
しかしながら、最初の手がかりとして立派な建物となっている大和町役場に行ってみたところ、案内係の方に伺ってみても国恩記のことはおろか、過去にそんな史実があったことすら知らない様子。他のカウンターの方へ聞いてくれるも、そこでもちんぷんかんぷん・・。
事前にネット上で大和町の議会議事録等をチェックしてみると、ちゃんとその史実にたいする答弁もあったり、町の広報誌で町長みずからがそのエピソードに触れたりしているものの、地元の方々は意外と知らないものであります。そこで役場では何の情報も得られずにガッカリ。(後で考えると教育委員会に行けば良かったかもしれません)
やむなく事前にネット上で調べた数少ない知識を頼りにこの吉岡の地を廻ってきました。
←これは九品寺に設置されている「国恩記顕彰碑」
また、まちの中には、、
中に入ってお話を伺ってみたところ、現在は酒造りをやめてしまっておりました。
他にも中心人物であった穀田十三郎さんの子孫が経営している酒屋さんが残っていたり、エピソードに出てくるお寺があったりと、色々と感慨にふける場面もあり、尊い歴史の重さを感じるとともに、現在に生きる私たちの有り様を考えさせられるものであります。
それにしても、こんなに貴重な史実がありながらも、地元の人はほとんどその事に興味がないらしいことは、灯台もと暗しの如く自分たちの地域の歴史に対する知識がないことから、そのありがたみに気がつかない典型のような気がします。
これは、私たちの岩見沢にとっても同じことで、明治の開拓期、日本で3番目の早さで敷かれた鉄道があり、そこには助っ人外国人のクロフォードが発注してニューヨーク港から小樽港についた100フィートのトラス鉄橋が市内で使われていて、今はその役目を終え市内某所にて野積みされていたり、はたまた、構造体に1876年製の30㎏レール等がふんだんに使われ、北海道開拓史のシンボルと通じる、北炭の五稜星がつけられた19世紀の煉瓦造りの建物があったり、、、またまた、、近隣産炭地の中核都市としてHUBの要素をふんだんに持った、物流、文化、情報の拠点として発展してきたというこのまちの歴史を知っている市民はあまりにも少ないのであり、まさしく地元というのはそんなものなのだろうとも感じるわけです。
だからこそ、今、私たちが行わなければならないのは、今一度自分たちの地域をしっかりと見直し、市民共通の認識に至るようまちのアイデンティティを再構築していくことであり、それこそが疲弊した地方都市を再生させる近道をなるのだと信じています。
という思いを新たにした状況です。
そんな中で、先日のブログ記事を読んでいただき、本当に嬉しいお手紙が届きました。
どなたからかというと・・。
何と、この「無私の日本人」「武士の家計簿」を書いた、磯田道史さん直々のお手紙であります。
その中には丁寧な自筆で、この岩見沢のまちづくりへ対する思いへのエールが綴られているとともに、この吉岡宿に当時から関連して残るものの地図がありました。
いずれ何らかで壁にぶつかった時に、この地図を頼りに再度吉岡の地を踏んでみたいと思います。
磯田先生、本当にありがとうございました。
こんなに嬉しいことはありません。
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