北村の記憶ガイドブック(電子版)が発行されています

〈令和4年4月13日投稿〉

先日の新聞報道で、地域の歴史をまとめた「北村の記憶(北村地域農泊推進協議会)」の電子版が出来たとのこと。そのデータは北村温泉のホームページからダウンロードすることができるようになっています。

北村温泉webサイト〈https://kitamuraonsen.com/


北村の歴史的価値は、そのガイドブックをご覧いただければ改めて偉大さがわかるのですが、この北村の開祖である「北村雄治氏」の人生は、知・財・家柄全てを兼ね備えた若く優秀な青年が「国に益し、国に奉仕」すべく大志を抱き、自らの人生をかけた挑戦であったことが伺えます。

北村雄治氏個人については、こちらを観ていただくと理解できると思いますが、自らの身の振り方を相談した相手が吉野世経(漢学者・東京府教育会長・衆議院銀議員等々)で、北海道行きを後押ししてくれたのが富田鉄之助(東京府知事・日銀総裁)。そして北海道に渡る時に同道したのが北垣国道(県令、京都府知事、4代目北海道長官、琵琶湖疏水や炭鉄港絡みでは小樽の開発でも有名)というビッグネームだらけ。

開拓が進み、北村が岩見沢から分村独立する際、その村名を命名したのが品川弥次郎(松下村塾~吉田松陰に師事、内相)という具合。

更に甲州財閥との人脈も形成し、経済的にも後押しを得て北村地域の開拓を牽引。
これらが起点となって開発されてきた地域ゆえ、非常にアンテナも高い。

雄治氏が早世し弟の黽氏が跡を継ぎ、日露戦争によりオーストラリアから羊毛が入らなくなると、いち早く国に綿羊の払い下げを働きかけるも認められず、自らの手で羊を集めて北村綿羊組合を設立。冬の農閑期にホームスパン製造に着手、日本で初めての純国産ホームスパンが誕生し、天皇家への献上品になるほどに。

また、大正13年に発行したレシピ集にある「羊肉の網焼き」はジンギスカンの原型とされ、まさに北村は「ジンギスカン発祥の地」と言えます(岩見沢市万字にはジン鍋博物館もあるし!)。

炭鉄港関連では東部丘陵地域に関することが多くなりますが、いやいや、この北村も人物的、ジンギスカン的、石狩川、樺戸集治監等にも関連し、半端でない歴史的な深みがあります。

ぜひ、掘り下げてみていただけると面白いかと思います。


(↓)こちらにも訪れてみてください。