7月20日(土曜日)
岩見沢市PTA連合会の研究大会で、アナコット カンボジアの田中千草さんによる講演会が行われました。
市P連の会長職から顧問へと変わったことで、すっかり中枢に関わることもなく、当日身軽に会場に向かった私にとって、恥ずかしながら、今回の講師はカンボジアで活躍している女性という以外はほぼ予備知識のないままの状況でありました。
開催前にちらっと名刺交換させていただいた時は、なんとも華奢でお若い女性でしょう!という印象を受け、その後の講演の内容を聞くと、自分のこれまでの活動なんて見事にぬるま湯の中でしかないことを痛感。
最初は教師として、海外青年協力隊の一員としてカンボジアに行ったこと。その任期終了後、一度帰国してから再度カンボジアへ向かったこと。
現在も停電は当たり前、水道も出ないことがほとんど。赴任した小学校の生徒は5,000人を超え、午前と午後で入れ替えること。
内戦時の虐殺の影響で、先生はほとんどが学歴の無い層の出身者であること、報酬は、月3万円ぐらいなければ生活できない中で5~6千円が関の山で、どうしても副業が必要。むしろ副業がメインの仕事という環境。
音楽や体育等の授業は存在しないこと。等々・・
音楽の授業がないため、自身のアイデアで日本から鍵盤ハーモニカを送り、授業に活用した。
最初は学校の先生を自宅に招いて教えることから・・。
それぞれに副業があるので、朝5時に来る人、仕事が終わった夜遅くにきて、23時まで練習していく人、、バラバラの時間帯に自宅に招いて練習。一日中いつも誰かがきている状況。
次は子供達。
生徒数が5千人オーバー。
日本では壊れない鍵盤ハーモニカが、朝早くから夜遅くまで替わるがわる1日中使われるのですぐに壊れる。
それを知った日本の大学生が修理に力を貸してくれる。
今や現地では小学生の音楽隊が引っ張りだこの活躍。
*たったひとりの思いが、学校全体を超え、地域を巻き込む一大ムーブメントを起こせることに、聞いていて鳥肌がたった。
現地で家庭訪問を実施してみた。
生徒数が半端ないのでとてつもない日数がかかる。
しかし事情が痛いほど理解できる。
カンボジアは強烈な貧困社会。(富裕層もいるが)。。親は出稼ぎにいって帰ってこない。地雷で障がいを負っているため働く場所がなく、物乞いで生活をしている等が当たり前。その時の印象としては父親の半数が無職。そんな親は荒んで酒に走る。虐待も多い。
そんな事情で捨てられた子供達を自宅に引き取る。
結果、子供達といつも家族として生活をしていた。7人家族として。
それがつい最近、バラバラの理由(働き手としてや、人身売買?)でひとりずつ強引に連れ戻された。中には銃で空打ち威嚇されて連れて行かれた(ポル・ポト派の残党)。表現としては奪われたというのが適切。
*あまりにもつい最近のことということで、この話のときは言葉に詰まる場面が多々。
こんな話が目一杯つめ込まれた講演。
こんな誠実で努力家の田中さんを大いに頼っている現地の様子がかいま見えた。
学校に通うまでの道すがら、何軒もの家に食事に招かれる。自分たちの食事すらままならない環境なのに。。
また、父親が両足を切断される事故にあった時、救急車を呼んだり病院に連れて行くとお金がかかるからと、パニックになる母親と子供に頼られてその現場に呼ばれると両足が切断された状態で血みどろの父親。仕方なく、自分の車にシートを敷いて病院まで運ぶ。
生徒の親が借金の形に売春に身売りされる。それを取り戻しに行くと劣悪な環境に出会う。
虐待する親がいるので、警察に頼むとお金をとられる。監獄に入れると1泊いくらと賄賂を要求される。
お金さえあれば何でも叶う国。
理不尽が山盛り。
しかし子供達の笑顔は本物。
勉強したがる、音楽をしたがる。そして発表し活躍する場がある。
そんな盛りだくさんの話の中に、、、
頼られて、その期待にそれ以上で応える田中さんの凄さをヒシヒシと感じた。
こっちの勝手な都合であるが、現地ではスーパーマンと思われて、何でも期待されて、、、きっと辛くなったり、投げ出したくなったりしたことも一度や二度では無いはず。そんなことを懇親会の席で聞いてみるも気丈な彼女はさらっとかわしていきました(笑)
会話の一つひとつに本物の雰囲気が漂っておりましたことを最後に申し付けさせて頂きます。
本当にすごい人でした。
今回は僅かの帰国期間に18回の講演会を行い、25日にはカンボジアへ戻るとのこと。
ちなみに上記記載内容は、私のメモ書きを元に展開させてものなので、聞き間違いが誤解による間違い等が多々あるかもしれませんので、どうかその際はお許し下さい。
詳細はぜひとも本人のサイトを御覧ください。