HiranoYoshifumi のすべての投稿

岩見沢緑陵高校普通科コース制の見直しについて

〈令和4年4月19日投稿〉

本日、午後より表題の通り、岩見沢緑陵高等学校普通科コース制の見直しについて、総務常任委員会の所管事務調査が行われました。

これは平成27年に拙ブログでも投稿させていただいておりますが、平成28年度入学より、これまでの普通科4学級から〈普通コース3学級+スポーツ総合コース1学級〉へと変更され、更に令和2年からは間口削減に伴い〈普通コースが2学級+スポーツ総合コース1学級〉となっておりますが、そもそもの主旨は緑陵高校の間口維持のための特色化を図ったものです。

その後、学校、教育委員会共に努力してきたものの、スポーツ総合コースに関しては残念ながら近年は募集定員を下回る状況が続き、好調な普通コースとの不均衡な状況が発生していました。

そこで令和7年からの市内高校再編を見据え、令和4年度でスポーツ総合コースの募集を停止し、令和5年度からは新たにモデルコース制を導入することで検討が進められています。

その内容は以下の通りになります。

これまでは出願時にコース選択(普通コース2学級+スポーツ総合コース1学級)が行われていたものを、あくまで普通科3間口として入学。その後、2年時及び3年時に①国公立、難関私大学向け ②医療・看護系進学向け ③進学のほか、公務員、民間就職向け、スポーツ系大学等志願者向け というモデルコース選択(コース間での自由な科目選択・3年次での進路変更が可)ができるようにしたいとのこと。

今後は各中学校等への説明が行われ、6月に北海道教育委員会から高等学校配置計画案の公表。12月までに教育課程の詳細を検討し、令和5年1月に入学願書出願、3月に入学者選抜試験、4月に令和5年度入学式と進行する予定となっています。

もちろん本来であれば・・・、という思いもありますが、この様にトライし、その結果を踏まえて修正をしていくことはとても重要なことと思います。受験生にとってはこの変更により影響を受けてしまう生徒さんもいらっしゃるかもしれませんが、これまでより選択肢が拡がったという要素もあろうかと思います。


学校サイドもとても頑張ってくれていると認識しております。

あらためて今後の推移を見守らせていただくと共に、再度、情報等がありましたらお知らせさせていただきます。

第1回 議員定数等検討委員会が開催されました

〈令和4年4月19日投稿〉

本日午前10時より、表題の通り第1回目となる議員定数等検討委員会が開催されました。

これは本年3月、議長により代表者会議にて協議され、その後、幹事長会議にて設置に向けた協議調整が図られてきたものです。この度、その第1回目が開催され、互選にて峯議員が委員長に就任しました。

構成メンバーは議会運営委員会と同様で、各会派代表として委員8名+準委員として無所属の2名で計10名で協議が行われていくこととなります。

今回は今後の進め方として

■地方議会の運営の実態(人口規模による各議会の諸項目平均値)
■道内各市の議員定数推移
■道内各市の人口・面積比較表
■類似団体の人口・面積比較表
■道内各市の一般会計・議会費等比較表
■道内各市の議員報酬等比較表
■令和2年度道内都市決算状況
■岩見沢市の産業(大分類)別 就業者推移表
■岩見沢市議会議員選挙の状況

という様なデータが示され、今後、分析をした中で様々に議論がなされていくことになります。なお、今回の大テーマは、議員定数を変更するのかしないのか。また活性化を含めた議員のなり手不足(女性議員、若年層等々)解消についてどのように捉えていくかというのが主軸になっていきます。

いずれにせよ、議員定数を維持するにも、変更するにしても明確な根拠が必要となります。

これまでの岩見沢市議会の推移としては、平成27年の選挙時より定数が26名から22名と変更を行っています。それに伴い常任委員会の数も4つから3つへと再構成し、予算・決算審査も2分科会制から全員での審議という試行を経て、現在の3常任委員会に合わせた3分科会へと変化してきています。


あくまで”私の一個人的な考え方として”、議会協議の最も能動的なベースとなるものが常任委員会であると位置づけるとすると、1委員会の構成人数が7名を下回るのは個人的には心許ないと感じています。というのも下記、岩見沢市まちづくり基本条例に基づく議会の責務を考慮すると。

(議会の役割と責務)
第10条 議会は、市の意思を決める議決機関であり、市長等による事務の執行を監視し、及びけん制し、市民の意思を政策に反映させるものとします。

という議会の役割の一つとして「監視及びけん制」の機能が重要であり、それが低下することは、市民にとっても決して望むべき方向性ではないと考えています。

また、議員のなり手不足にしても、様々複合的な要素があると認識しておりますが、その一つに議会がどの様なシステムでどの様な役割を担い、個々の議員がどの様な活動をしているのか?という根幹が見えないと「自分も議員に立候補しよう」と考える人は増えはしないのではないかと考えています。

それらは現在、議会改革委員会で策定中の「議会基本条例」を見ていただければ、議会と議員の役割がわかる一助になれば良いと思って作業を進行中ですが、他にもどの様な活動が行われているのか密に情報発信すべきであり、公式サイトやFBページなどがもっと活性化すべきであるし、その一方、私を含めた個々の議員が議員としての情報を出していくことが大事なのだと思っています(なかなか更新も滞りお恥ずかしい限りですが)。

〈これらは前述の通り、あくまで一個人の私感であることをご承知おきください〉


また、今回の委員会で確認された流れとしては、都度、各会派にての協議を持ち寄りつつ、月に1回程度の開催にて10月を目処に決定し、条例変更が必要であれば12月の定例会にて上程する予定となります。

以上、簡単ではありますが、第1回目の開催についての報告といたします。
しっかり研究し、今後の方向性を考えていきます。

新病院の骨格(案)に対する意見募集(パブリックコメント)の結果が公表されています。

〈令和4年4月19日投稿〉

3月1日~31日の期間で募集されていたパブリックコメントの結果が、岩見沢市立総合病院のサイトで公表されておりますので、ご紹介いたします。

今回は32名50件の提出があったとのことで、かなり皆様の関心が高いことを伺うことができます。

その内容については、下記リンク先よりダウンロード可能です。

 

https://www.iwamizawa-hospital.jp/construction/details/03keikaku.html

この後においては、引き続き「新病院建設特別委員会」が開催されることとなりますので、随時ご報告させていただきたく存じます。

国政に関する勉強会

〈令和4年4月17日投稿〉

4月10日に稲津久衆議院議員にお招きをいただき、国政に関する勉強会の機会をいただきました。

新型コロナウイルス感染症への対応について、また今後考えられること、政府の考え方等々、更に原油高騰や長期優良住宅に係わる認定制度など、多岐にわたってレクチャーいただき、更に懇親を深めることもできました。

(画像は稲津久氏のFBページより借用)

この度は誠にありがとうございました。

中年の危機?50歳を過ぎて、運動と趣味の大切さを思い出す。〈心身の適度なリセットがとても大事〉

〈令和4年4月15日投稿〉

突然ですが、「中年の危機」という言葉をご存知でしょうか?

ミドルライフ・クライシスとも言われ、いわゆる人生の折り返しとも言える中年期に起こる、”心のゆらぎ”と言えるかと思います。


私自身、これまで家庭やプライベートを二の次にしがちで、仕事や地域活動にどっぷりと浸かり、常に忙しいのが当たり前!という感覚だったのですが、コロナ禍で環境が一変した50歳を機に突然気持ちに変化が訪れました。まぁ、深層心理の中ではずっとモヤモヤしていたものが、突然吹き出た感じなのかもしれません。

その気持と向き合いながら、30代からやっていた白髪染めをひかえてみたり、気がつくとずっと一重だった目が左だけ二重になっていたり(これは単なる物理的な加齢)。また、議員活動と会社員との両立が、時間・体力・精神的にもの凄くキツく感じ始め、かなり迷ったのですが昨年の8月末をもって、お世話になっていた会社を退職をさせていただき、議員活動に集中し、尚かつ自分自身を振り返るための時間を確保させていただいています。

お陰でより「やるべきこと」「やりたいこと」に少しずつ時間を割けるようになっている状況です。


さて、そのような中で、この自身の混沌とした感覚を解消するために、気分転換となる”何か新しいこと”を始めたいと考えました。

その一つとして、これまで蔑ろにしてきた「趣味を持ちたい!」と思って、バイクを購入(原付ニ種110CCのクロスカブですが)し、それを契機に妻も普通二輪免許を取得したりと、ちょっとした環境の変化がありました。

また冬には息子が一生懸命やっているスノーボードのレースに復帰!
今更ながら僅かながらの親子の時間を堪能しています。

まぁ、時間が自由になりやすくなったとは言え、まだまだ心身ともに余裕があるわけじゃないので、練習時間もごく僅かではありましたが、22年ぶりに日本スノーボード協会(JSBA)の会員登録を行い、50歳以上のカテゴリーで、それこそ22年ぶりに全日本選手権出場を目指してみようと考えました(例年は議会開催期間中ですが、今年は道内の名寄市が大会会場で、しかも週末の休日開催だったのです)。

これにはもう一つ目論見があって、どうせなら動画編集をちゃんとできるようになりたい!と思い、youtubeに新しいチャンネルを作って経過を上げていくことに。

そんな新チャンネルも細々とやっておりますが、まぁ、この手の作業も新鮮でなかなか面白いもので、老後に見直すのが楽しみです^^;


その冬の状況については、下記の動画をご覧頂くのが一番手っ取り早いかな?と思います(もし関心を持てましたらチャンネル内の第1話から順に追っていただければ何よりです。所詮ど素人編集のつまらぬものですが)。

https://youtu.be/N2WbQqYxrnY


上記動画内でもお伝えしていますが、結局、練習できた時間は合計たったの14時間。

それでもジョギングしたり自宅で腹筋やスクワット、体幹トレーニングしたりと、万年運動不足からの脱皮ができつつあります。そして「疲れた時こそ身体を動かせ」という言葉がある通り、身体を動かせば気持ちも変化して、色々と新しいチャレンジもできる好循環に至るような気がしています。

これからもやっぱり趣味や運動はちゃんと続けていかなくてはならないですね。


これまで、何事も根を詰めてでもできたのは若かったから!

残念ながら現在は51歳。

今までは、議員たるもの私生活は二の次として、24時間年中無休で活動する覚悟が当たりまえ!と考えていましたが、それでは現実問題、気力も体力も続かない。これからは心身共に明らかな下降線を辿ることとなりますので、ちゃんとバランスを取りながらやっていかないと、本来やるべきことができなくなってしまうと知ることができました。何事もコンディションコントロールは大事だということみたいです。今更ですが・・・。

これが中年の危機・・・、なのか、それともコロナ禍が影響した何かなのか?その詳細はわかりませんが、私にとっては貴重な振り返りの時間と、改めて前を向くための時間をもらっている様な気がしています。

「人間が生きていく中で何が大事か?」

私は「あんしん、あんぜん、幸せ」が根幹なのではないか?と信じています。あんしん、あんぜんは当たり前!でも”幸せ”って色々なことが絡まり合って結構難しい。まちづくりや政治という活動の中で、一人でも多くの幸せを高めていかなくてはならないのに、自分が幸せじゃないと実現なんて出来っこないわけです。

私の現在の年齢として、そんな色々なことを考える機会となった「人生の折り返し」を迎えているという状況なわけです。しかしながら、伊能忠敬だって50歳から高橋至時に師事して天体観測や測量の技術を学び、日本沿海図の作成に多大な功績を残していく。あらためて、”まだまだ人生はこれから!”ということでもあります。人間にとって究極の幸せは、社会のためになることに尽くせるかどうかなのかもしれません。

もうひと踏ん張り気力を高めて頑張りたいものです。

町会役員のなり手不足と町会費引き下げ(ゴミステーション使用量の徴収)

〈令和4年4月14日投稿〉

先日の10日(日)、地元の北3条町会の総会がありました。
当然、コロナ禍ゆえの配慮で1世帯1名以下の出席だったり、懇親会がなかったりと色々と制約があります。

そして今回の大きなポイントとして、これまで1~12月を年度としていましたものを今季より4~3月へと変更したことに伴い、初めての4月に行う総会となりました。

また議題の一つに町会費の引き下げがありました。

これはどういうことかと言うと、当町会も他と同様に町会への加入状況は減少の一途です。
町会に加入されない方々の理由の一つは、町会費を払いたくないというわけではなく、役員の順番が回ってきても対応できないというのが大きな要素。

よって、北3条町会では数年前から町会に入らなくても良いので、ゴミステーションの使用料だけいただけませんか?という形に変更しました。するとそのゴミステーション使用に伴う収入が約20万円ほどとなり、結果、町会加入者の会費を若干ではありますが下げることができたという状況になります。

これは今後の他地域でも参考になるものと思われます。

このゴミステーション使用料という名目が良いのか、それとも町会に加入いただいても役員にならなくて良い準会員みたいなシステムを作った方が良いのか・・。それは各地域の事情によって異なると思いますが、現在加入していない世帯の多くは、町会等を無駄なこととは思っていなく、ちゃんと役割を説明すれば共感してくれる人が大半であろうこと、しかしながら、お仕事やプライベートの時間確保等々の事情で、とてもじゃないけれど町会役員は出来ない。と考える人がいて、そういう方々にとってのこれまでの選択肢は、町会に加入するか?しないか?という2択が一般的であろうと思います。

そこでこの中間的な位置づけをつくることによって、お互いに良好な位置関係を築くことができると共に、少なくとも地域コミュニティの一員という事実が構築されることは、色々な面でメリットであると感じています。

ご参考まで。

北村の記憶ガイドブック(電子版)が発行されています

〈令和4年4月13日投稿〉

先日の新聞報道で、地域の歴史をまとめた「北村の記憶(北村地域農泊推進協議会)」の電子版が出来たとのこと。そのデータは北村温泉のホームページからダウンロードすることができるようになっています。

北村温泉webサイト〈https://kitamuraonsen.com/


北村の歴史的価値は、そのガイドブックをご覧いただければ改めて偉大さがわかるのですが、この北村の開祖である「北村雄治氏」の人生は、知・財・家柄全てを兼ね備えた若く優秀な青年が「国に益し、国に奉仕」すべく大志を抱き、自らの人生をかけた挑戦であったことが伺えます。

北村雄治氏個人については、こちらを観ていただくと理解できると思いますが、自らの身の振り方を相談した相手が吉野世経(漢学者・東京府教育会長・衆議院銀議員等々)で、北海道行きを後押ししてくれたのが富田鉄之助(東京府知事・日銀総裁)。そして北海道に渡る時に同道したのが北垣国道(県令、京都府知事、4代目北海道長官、琵琶湖疏水や炭鉄港絡みでは小樽の開発でも有名)というビッグネームだらけ。

開拓が進み、北村が岩見沢から分村独立する際、その村名を命名したのが品川弥次郎(松下村塾~吉田松陰に師事、内相)という具合。

更に甲州財閥との人脈も形成し、経済的にも後押しを得て北村地域の開拓を牽引。
これらが起点となって開発されてきた地域ゆえ、非常にアンテナも高い。

雄治氏が早世し弟の黽氏が跡を継ぎ、日露戦争によりオーストラリアから羊毛が入らなくなると、いち早く国に綿羊の払い下げを働きかけるも認められず、自らの手で羊を集めて北村綿羊組合を設立。冬の農閑期にホームスパン製造に着手、日本で初めての純国産ホームスパンが誕生し、天皇家への献上品になるほどに。

また、大正13年に発行したレシピ集にある「羊肉の網焼き」はジンギスカンの原型とされ、まさに北村は「ジンギスカン発祥の地」と言えます(岩見沢市万字にはジン鍋博物館もあるし!)。

炭鉄港関連では東部丘陵地域に関することが多くなりますが、いやいや、この北村も人物的、ジンギスカン的、石狩川、樺戸集治監等にも関連し、半端でない歴史的な深みがあります。

ぜひ、掘り下げてみていただけると面白いかと思います。


(↓)こちらにも訪れてみてください。

旧国鉄万字線鉄道資料展示室オープン&万字炭鉱周辺散策

〈令和4年4月12日投稿〉

旧国鉄万字線の展示関連について、これまでは奈良町に万字線鉄道資料館があり、美流渡交通センター2階にも資料展示があったのですが、この4月1日からは朝日コミュニティ交流センターの一室に統合移転されました。

先日、その様子を見てきがてら、葉が生い茂っていると見ることができない、万字炭鉱の炭鉱遺産関連を散策してきました。

せっかくの機会と思い動画にしておりますので、お時間あったらご覧ください。

https://youtu.be/im4CI6u6L80

第2弾!炭鉄港カード開催予定!

〈令和4年4月9日投稿〉

毎週木曜日に更新されている空知総合振興局の〈てつおじさんぽ〉というブログですが、やはり本元だけあり有意義で正確な情報が掲載されています。さすがです!

そこで気になる第2弾の炭鉄港カードの予定が掲載されておりましたので、ここにご紹介させていただきます(本当は昨年の開催でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大があって延期になっておりました)。

■期間は2022年5月10日~2023年3月31日までで、全30種類!

詳細はこちらのページを参照ください。
http://sorachi-de-view.com/sorachi/tetsuojisanpo2-1?fbclid=IwAR0PIP7gUbZHSZO0rTiVDVTcBxOHzibAervj3WJ84OXYAMSzQhbso1rrZFI

あとはコロナ禍がどうなっていくのかが心配ですが、密を避けることのできるイベントとしても大いに存在意義を発揮できるのではないかと思います。私もぜひ、全種類コンプリートできるようにしたいと思っています。

なお、前回がどのような感じかご存知ない方がいらっしゃれば・・・

全箇所コンプリートした報告投稿を作成していますので、こちらをご覧ください。
(ちなみに、〈その1〉から〈その18〉まで続きます〉

今年は全てではないけれど、近場はバイクで行こうかと目論んでいます。

■てつおじさんぽのブログ
http://sorachi-de-view.com/

第1回目の炭鉄港検定が終了!

〈令和4年3月28日投稿〉

3月27日(日)第1回目となる炭鉄港検定が実施されました。

この検定は炭鉄港推進協議会が発行している公式ガイドテキストの内容を元に、1問2点で50問の出題で実施されます。ただテキストを闇雲に見ても、非常に難解なこともあり、事前に6回に分けてオンライン講習も開催されています。

当然、私としても挑戦しなければならないと思いつつ、私の炭鉄港知識は岩見沢周辺や薩摩閥が闊歩する明治の黎明期に特化していることもあり、この手の試験は本当に自信がない。よって、試験会場の監督員をお願いされた時には「これは受験しなくても済む!」と心の中で悪魔が喜んだものの、試験監督員は当日の午前中に別途試験を実施という容赦ない事態となり、慌てて6回のオンライン講座を受講した次第・・・。

もしかしたら後日紹介するかもしれませんが、実は今年の冬は22年ぶりに個人的な挑戦をしていて、そこに結構な時間が割かれていた状況、よってなかなか炭鉄港に時間を割いたり、頭のモードを切り替えることができず、オンライン受講をしても、それが頭に入れるための復習などができないまま当時へ(もろ言い訳ですね・・)。

試験結果は「偏差値87で中級」という、何とも地味な点数になってしまいました・・・。
誠にお恥ずかしい限り。もう少し広域の知識を蓄えることができるように、これからはもう少し真面目に勉強していきたいと思っています^^;

その勉強途中、色々な「へぇ~」を感じることができました。

戦中、近郊の石炭を活用し石油を製造するため、滝川に人造石油の工場があったのは知っていても、それだけでなく戦前~戦中にかけて滝川・砂川地域が壮大な科学コンビナートになる構想があり、砂川の東洋高圧工業では100万トン規模の硫安製造を行い、パイプラインで留萌港へ送り込み、満州や中国等アジア全域への販売を目論んでいたこと、砂川発電所は当時としては破格の10万キロワットの計画がなされていたことなどなど、自身にとって、とても身近な地域が、状況によっては壮大な化学工場が立ち並ぶ一大工業地帯になっていたかもしれないと思うと、その状況を想像し、更なる炭鉄港の奥深さを垣間見ることができます。


ちなみに当日は、このような形態で試験が開催されました。

ぜひ、次回はより多くの方が受験していただき、自分たちの地域の成り立ちについて思いを馳せていただければと思います(点数の悪いお前が言うな・・・という感じですが。)

私自身としては、この機会をいただき、これまで不得手だった部分を学べたことは大きいです。とは言え、ものすごく奥が深い炭鉄港なので、今年は新たなフィールドワークを含め、地道に一歩ずつ学んでいきたいと思っています。