学校力について

昨晩、岩見沢シチズンの第10回勉強会が開催されました。

講師は北広島市立大曲小学校の教諭でありながら、学校力向上コーディネーターとして活躍されている山田洋一氏です。(多くの著書も出しておられますので、是非ご覧下さい。本勉強会案内の詳細はこちら

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*上記画像は同じ市議会議員である田中和弘氏のFBより拝借・・

勉強内容としては、、(自身の備忘録的投稿になってしまいますが、、、。)

そもそも学校ってなに?というところから入ります。

その答えの一つが《教育基本法》第一条

教育は人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。

教育とは3つに分かれている = 家庭・地域・学校 = それが国民教育。

では誰が? 国民として育成するのは、家庭、地域、学校である。

国民を育てるという意識とは?という切り口からスタート。

そして、「学校ってなにするところ?」という問いにおいては、教育基本法によると、第6条2項に答えがある。

前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

「体系的な教育が組織的に行われなければならない。」

現実にはどうか?同じ教科書、同じページを開いていても先生によって教え方が違う。ベテランの先生と若い先生が同じ教え方をしているのか?

原則は違ってはいけない。差があるということは体系的な教育が組織的に進んでいないということ。


《学習準備力》

自分の学校では、学びの約束十か条を制定している。 

学習で使うもの~学習道具の必要性等、形から教える

例えば、今の子ども達は鉛筆の正しい持ち方を知らない。ノートのとり方を知らない。始業の挨拶もそれぞれ・・。

それらあらゆる事に、全校できまりをつくる。~何故?教員間で格差が発生しないように。

 

○学校力の高さ=体系的な教育が組織的に行われている。ということ。。

他にも、これからの子どもが生きる時代、若い教師が生きる時代についての考察や、「訴訟保険」から見る世相。先生の事務仕事に追われる事による子ども達との時間を削られるジレンマ、精神の疲弊、北海道の教育の特徴等々、普段では聞けない現場発の話を沢山聞くことができました。


勉強会終了後、ダイニングバル ノンノンさんで軽くお食事を。。

山田先生は年齢も私の一つ上、我々シチズンメンバーとも非常に近いことから会話も弾み。更に興味深いお話を聞くことができました。

最初、あらゆる事に決まりをつくる、また言い換えると指導方法の安易なマニュアル化に近いものを想定し、若干の違和感を感じましたが、話が進むにつれ、そういう浅いレベルの話ではなく、本当に子ども達の教育のために、今、何が不足していて、それを解消するためにどんな行動が必要なのかを真剣に考え続けている人の答えなのだと感じました。

 

学校組織は校長、教頭を頭にして、あとは全て平教員という鍋蓋的組織。

トップの意向で学校はガラリと変わることができるのかもしれません。

先日の立志塾でお話を聞かせていただいた「奇跡の学校」の著者でもある石塚耕一氏は、公立高校の校長先生という立場で大胆な変革を行い、とても大きな結果を残し続けてきています。

また、秋田県の学力の大幅向上は教育行政の本気度の高さであります。そんな行政やTOPの熱意と、直接子ども達と関わる教育現場の第一線の先生達が本気になれば、この国の教育は変わってくると思います。しかしそれ以前に保護者も変わらなくてはならない要素も多々あるのも事実。

一筋縄には行かない多様性に富んだ時代でありますが、それぞれが信じた道を突き進むことで拓ける未来があると信じています。

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*画像は乾杯のフリだけですが・・(笑)素晴らしい先生でした。

山田先生、お疲れのところ貴重なお話ありがとうございました。

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