東海大学 石塚耕一教授のお話(1)

5月9日に北海道立志塾があり、そのスピーカーとして、東海大学 国際文化学部デザイン文化学科 石塚耕一教授に来ていただき、貴重なお話を聞く機会に恵まれました。

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石塚教授といえば、その道ではとても有名な方で、北海道おといねっぷ美術工芸高校や松前高校をガラリと変えた方。「奇跡の学校」という本の題名は多くの人が聞いたことがあるはずです。

とてもためになる、貴重なお話を聞くことができましたので、全部とは言いませんが、少しだけかいつまんでご紹介させていただきます。(自身の備忘録代わりです。聞きながら書き留めているものなので、誤字や勘違いによる解釈ミスがあるかもしれませんのでお許し下さい。)


現在、大学に移って2年目(東海大学 国際文化学部デザイン文化学科 教授)

釧路明輝高校を早期退職。まともに行けば10年間、高校の校長をする予定だった。

校長時代、生徒の写真を良く撮った。これは信頼関係がなければできない。

信頼=教育の原点。

この信頼関係がなければ大ゴトになる。信頼関係があれば何かあってもすぐに解決に向かうことが出来る。担任と保護者も含め。

教育の魅力と可能性とは、いかに保護者と地域、生徒と信頼関係をつくっていくかが全て。

そんな事を思い、ハートフルデザインを東海大でやっている。


平成18年~20年まで「おといねっぷ美術工芸高校」に赴任。 

進学校に変わった。現在は人気も学力もある学校 = 奇跡の学校という本をかくきっかけになった学校

北海道で最も小さな自治体にある『村立高校』である。

全道唯一の工芸科、全国から生徒が集まる。

最初の頃は不登校等の悩みを抱える生徒が入学 ~ 全寮制で安い。俗に言う問題児も沢山くる学校だった。 しかし、村立ゆえ村と一体となった学校行事ができる(道立高校ではできない)

《校長着任時の課題》

1,学校存続のための生徒募集。一番少ない時で生徒6名
2,寮内での問題行動多発
3,留年者、退学者、不登校
4,若い教員集団~小さな学校は若い先生が配属される~経験がない。
5,クロスカントリースキーへの期待~スポーツ特化の目論み。

《解決への視点~スポーツでは解決にならない。本質で勝負すべき》

1,美術工芸教育の特色を前面に。
2,一人ひとりの生徒を大事に。
3,自分たちの教育への誇り~先生はみんな離れたがる
4,大学や関係期間の活用。
5,情報発信を積極的に。

そこで”学校方針”をつくった。

夢を語れる学校づくり~生徒、保護者、村民、教職員が共に夢を語れる学校を創る

これがうまくいった。

 

《具体的な方策1》

教育過程の改善~全ての基本、どう授業を行うか、どういうことをしていくか。アート、心豊かに、個性をだす方向でいこう!結果、教育過程を改造した。

《具体的な方策2》

北海道教育大岩見沢校の1年生に協力を依頼~連携。
ジオラマつくり。大学生が作品をつくる。~これで変わると信じた。
高校生では知的さが足りない。大学生にはある。これらの作品を村に公開

東海大学~暮らしデザイン学科があった。連携。。子ども達の目つきが変わる。大学で学ぶ。村長、議員にお願いし、村の高校のために予算を出してもらった。

《具体的な方策3》

美術工芸教育実践発表会を行った。
文科省~調査官に直談判。田舎で発表会を実践するので協力してほしい~道教委か?いや学校単独~旅費がでない→村で負担してもらう。

「こんな大きな絵を描く学校があるのか!」等々驚きを連発される。

マスメディアにも取り上げられる~3年目には生徒募集に困らなくなった。

《具体的な方策4》

スウェーデンへの生徒派遣と受け入れ~簡単ではない、つないでくれる人を探す。
やさしい気持ちになれる。一緒の寮で生活。英語を自ら勉強するようになる。
自分の国の文化を知らないことに気づく~勉強するようになる。
スウェーデンの高校との姉妹締結~議会で承認してもらって行った。自慢になる。
スウェーデンから英語の先生に来てもらって授業を行う。

《具体的な方策5》

学校たよりの発行 他

 

[成果]

1、生徒が意欲的に活動し各種大会で活躍
2、国立大学を始めとする進学者の増加
3、生徒募集
4、教員の意識向上
5、他

このような活動を3年間行った。

校長の仕事は夢をつくること

奇跡の学校=本を書くきっかけになった学校である。

 

(2)へ続く

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