(1)からの続き
H20~22年まで松前高校で校長。
松前町は、お城と桜の町~豊かな歴史と文化をもつ。江戸時代から繋がる文化~驚き。歴史的なものも沢山ある。 北海道の政治、文化、経済の中心だった。北海道の鎌倉と言われる「寺町」がある。
桜は町民が育てて今につないだ文化~京都から入ってきた。竹林もある。
「松前の春は江戸にもない」と言われた時代。
米が取れないのに藩として認められる。しかし経済的にも成り立っていた→漁業、貿易により。
修学旅行で沖縄へ行った~こんぶが松前産だった。 大間マグロに匹敵する松前マグロ~値段は負けない。地中海より美しいと自慢する海 。文化人が沢山輩出されている。
山口蓬春~日銀松前支店~日本画の大家等々/さとう輝~江戸前のしゅん(漫画)北の寿司姫
*松前町の課題~歴史あるまちが疲弊していく ~ 北海道で最も歴史も文化もある街が疲弊していく~まちの人は意識していない。
漁村は150人ぐらいの出稼ぎ人がいる。老人が多い。 札幌に目を向けない。高校の就職も札幌ではなく東京を見る風潮がある。 人口減少と高齢化、観光産業の衰退、文化遺産~忘れられる。 若者に活気がない 。
*松前町の改革
・桜と城のまちをPR~高校生を観光大使に。etc.
・書によるまちづくり~金子鴎亭が生まれた町~野外書道美術館~日本一の書道団体なので全国から来る~しかし一般市民は関心がない。
・教育の改革 の一方、高校がなくなるという危機感~役場職員はほとんど松前高校の卒業生。しかし自分の子どもは函館の進学校へ出す。1学年5学級だったのが最初の赴任時は2クラス。40人なら1クラス、41人なら2クラス~この狭間で勝負していた。
① 生徒数の減少
② 学力の低下
③ 特色のない教育(おといねっぷは特色があったからやりやすかった)
《校長としての方針》
研究を重ねた。
1,学校経営をシンプルに提示
2,新教育過程の編成と実施
3,学校情報を積極的に発信 ~学びの森(ブログ)~おといねっぷはこのブログが効果的だった。このブログがヒットした。有名になって注目を集めるようになった。
4,学校経営に地域住民も参画 ~学校経営方針(別紙)~夢と文化を創造する学校。学校力の向上:目指す方向をはっきりさせる。~学校像、生徒像~
《松前学》
① 松前の財産を高校と町民が一緒に指導する。(地域に優れた人が沢山いる。総合的な学習の時間をすべて松前学にした)
② 地域を学ぶことで自分に誇りが持てる
③ 学力は松前学から~宿題の量が学力向上ではない。松前学で自分たちの地域を学ぶことの面白さを体験することで学ぶ力を育む
④ 書道~芸術教育・心を豊かに
*さとう輝氏~体育館で漫画を教えてもらった。(全校生徒に1回で)自分の高校時代からの荒れていた話や東京に飛び込んだ話。漫画家に弟子入りして下着洗いまでした話。。松前町をテーマにした漫画を描く→事前準備は校長自らがやった。
*札幌大学との連携~アイヌとフランス語に関してのお願い。大学のセミナーハウスで宿泊して学習。
[書道教育]
教育は人なり。良い人材をとらなければ絶対に成果は出ない。 保護者が何故担任を気にするか?それは信頼関係をつくれるかどうかが根底にある。書道教育を行うために人材を探す。
これは音楽をやめて書にした。
老人ホームでボランティア交流/書を通して、これまでにない交流ができる。
函館美術館と松前高校との高館連携調印式~金子鴎亭~松前町に寄贈したかったが松前では資金的に受けられなかった。受けられたのが函館だった。
中野北溟先生に来てもらって全校生徒の前で披露できないか頼んだ。松前は書の聖地~来てくれた。草原書道会の第一人者。
様々な活動が新聞に載るようになる。自信に繋がる。
次に松前からアイドルを!~町の教育委員会へお願い~デビューさせるから!と。。 PVをyoutubeで公開、これをフランスで結構見てくれた。NHK全国放送で取り上げてくれた。
1984年 幻の名画「夷酋列像」がフランスのブサンソン美術館で発見された。函館の市立図書館にある二枚(全12枚あるはず。)が唯一の本物と言われていた。残りは模写。蠣崎波響が書いた。
フランスのブサンソンに高校生を連れて行く!150万円かかる。
議会承認を得られるか?~説得には熱意が必要。
松前町が道立高校にお金を出したことはない。=出すのは大変。企画書を求められる。やりとりが続く。特別な会議を設けてもらった。賛成意見も出たため、町長決済に委ねられた。
結果、二人の高校生を連れてブサンソンへ行けることに。
ブサンソン~音楽が有名、文化の町 。小澤征爾がバイクで乗り込んで演奏して有名になった。
美術の授業~フランスは必修科目に芸術がある。日本は減少している。フランスは自分たちの文化が優れていると思っている。センター試験のようなものにも美術や音楽がある。フランスに匹敵する芸術立国といえば、日本のアート・文化・アニメ。向こうはライバル視している。
アニソン、美術、書道、華道、全て外国で評価されている。(文化立国であっても良い。文化を大事にしている自治体は勝ち残れる。)
フランスで書道の授業を行った。 高校生も松前藩の服装を持参。高校だけではなく、地域の住民の前でも書道の実践。ブザンソン美術館へ~高校生二人が主役 。夷酋列像が展示されたのは一度だけ。
これらはまちの誇りにつながった。
学校現場はボトムアップの組織。上からの命令には拒絶反応を起こす。
・まずは部長クラスを呼ぶ~学校の方針を説得~議論を深める。徹底的に理解を得る。
・PTAに協力してもらう~会長、役員の理解を得て、支援をもらう
・職員会議の中で校長としてプレゼンテーションして伝える
じっくりと理解を深める。人生は人との出会い。
学校評議員をつくる~外部の力が必要。
非常に断片的で申し訳ありませんが、このような実践者でなければ語れない、非常に貴重なお話を聞かせていただく機会に恵まれました。
最後に参加者の一人からこんな面白い質問がありました。
Q:「もし石井教授が北海道教育長だったらどんな教育を推進するか?」
A:北海道らしく北欧との連携~教育文化を一気に進める。特色ある教育をすすめるべき。
スウェーデンは人口はわずか1千万、世界に名だたる企業が沢山ある。なぜ?教育が無償化され、小中高大、「どこに就職しても誇りをもてる教育」を行う。
インターンシップをまず1ヶ月行う。
大学は一握りのエリートが行くところ。会社に入って失敗したら高校に戻れる。そういうクラスがある。それぞれの個性を尊重すべき。北欧の教育を学ぶべき。
というお話を聞きました。(詳細は割愛・・)
実は5月23日と25日は、スウェーデンに移住されている川崎一彦先生が一時帰国し、その合間に開催されるセッションを受けることが出来ることになっています。
その名も「北欧に学ぶ創造性教育①と②」です。
今回の石塚教授のお話をリンクさせながら、是非、これからの持続可能な社会の創造=より良い人間性を育む社会構造をつくっていけるかを摸索したいと思っています。
また、「松前学」という言葉に大いに感銘を受けました。
今の私が微力ながらやっていることは、岩見沢における「地域プライド=まちへの誇り」をつくる事です。 駅まるでも活動の根幹はイベント等ではなく、そこにあるので、是非とも掘り下げてみたいと思っています。
そして、その前に、、
石塚耕一教授の本である「奇跡の学校」を是非読んでおきたいと思っています。まだ読んでいない方は、是非一緒に読んで見ませんか?
ただ・・・。
私は非常に便利でよくAmazon.co.jpを利用していましたが、どうもここで購入すると恐ろしいことに国内税収には繋がらない模様。もう少し詳しく勉強しなければなりませんが、納得できるまでは市内の本屋さんで購入しようと思っています。
「東海大学 石塚耕一教授のお話(2)」への1件のフィードバック