学校授業と地域教育&炭鉄港

〈令和3年10月8 日投稿〉

本年は例年より多くの学校に携わる機会をいただきました。

大きく2つの方向性がありますが、一つは岩見沢の歴史を知りたいというもの。もう一つは岩見沢と炭鉄港についての関係を知りたいというもの。傾向としては、小学校4年生では岩見沢の歴史を、5~6年生では日本遺産である炭鉄港を絡めてという感じになります。

岩見沢の歴史がベースの場合、駅周辺のフィールドワークがおすすめです。

今年、私が直接関わったのは2校ですが、共に駅や元町の初代駅舎のあたりを絡め、炭鉱の記憶マネジメントセンターとの動線でチェックポイントを設けるなどすれば、大人数の対応が可能です。ただし例年、青年会議所の有志やPTAなどの協力が不可欠になります。

そして炭鉄港を知ることがメインになる場合、おすすめなのは旧国鉄万字線沿線をめぐることです。

今年、最も時間をかけて炭鉄校の授業を行った学校では、午前9時半~12時ぐらいまでを3日間行いました。

一回目は旧万字炭鉱のズリ山登山。

子供達にとって、このズリ山登山は最高の経験になると思います。

最初に現存するホッパー遺構の前で最盛期の写真と現状を比較してもらい、そして石炭産業の話をする。その中でズリの説明やズリ山の話をし、管理棟の裏から坑口跡やレンガ造り遺構等々を見ながらズリ山を目指すのです。

そして登り始めると、永遠に頂上に至れないのでは?と思える長い斜面と階段が続き。やっとの思いで山頂に至れば見晴らしの良い景色。過疎化した万字市街地と、周辺は森、森、森・・・。しかし現在もその誰も住んでいない森には住所が存在し、郵便番号が残る不思議。それほど人が住んでいたのに産業の変遷の中で人々の暮らしが変化していくことを想像できる。

そして石炭産業が空知や岩見沢に与えた影響、鉄道の町岩見沢としての過去などなど、いろいろな事を感じてもらうことができるのです。


2日目は旧国鉄万字線沿線を辿るルート。

今回は私自身初めての試みとして、万字炭山駅⇒万字駅⇒美流渡駅⇒朝日駅⇒上志文駅⇒志文駅と辿るバス授業を組み立ててみました。

万字炭山駅はズリ山の時に紹介したので、それを説明した上で英橋からスタート。

画像は現在の道道38号線の英橋の横に残る2代目の英橋。

ここで子ども達に過去の画像を見せ、背景に多く映る建物群と今の景色の差を感じてもらう。

万字では旧市街地を通り、数十年前のにぎやかな神社前の集合写真と同じ構図と子ども達と撮影。

その後、万字駅のホームに降りて、過去の景色と比較。現存するコンクリートホームと階段に往年の名残を感じてもらう。

その後バスは進み、毛陽に残る鉄塔で、大正時代に設置された北炭の大送電線網のことを解説。電気があるのが当たり前の子ども達には、大正時代に夕張から赤平まで66,000ボルトの送電線網を整備した凄さを感じてもらいたいと願って話します。

その後はいつもの朝日駅舎。

ここも見どころは沢山。機関車の事、坑口のこと等々であっという間に時間がすぎる。

万字のズリ山では石炭が沢山落ちていて、みんな夢中になって拾うのですが、実は朝日駅舎にも結構な石炭が落ちています。先日の別の学校の授業ではこんなに大きな石炭を見つけた子がいました。

(この大きさの石炭はなかなかない。でも全員が小さな石炭を見つけてポケットにしまっていきました。帰って叱られてなければ良いのですが・・。あとせっかくの機会なので、機関車のBとかCとかDの違いを解説すると、目を輝かせてくれます。)

次の上志文駅は私有のため、バスの車内から見学と説明。そのまま志文駅へ!

(画像は事前のタイム計測で愛犬と共に視察したときのもの)

ここは万字線と室蘭本線の交わる駅。炭鉱最盛期には多くのホームと操車線があり、この長い跨線橋もその名残。現在はシャッターが下りている駅前の商店も、当時の賑わいを想像できる大切なもの。見える景色も鉄路だけでなく旧234号線や辻村直四郎さんの残した原始の森など、みどころも沢山。

ここで紹介したのは、ほんの一部ではありますが、子ども達も沢山の情報に疲れて、最後はバスの中も静かになっていました。ちょっと情報過多に陥らせてしまったかな?と思いつつ、しかし、自分たちの地域のことを沢山知って、たとえ一回忘れてしまったとしても、きっとどこかでなにかのきっかけに興味を再燃させてくれるんじゃないかな?と期待しています。


3日目は東部丘陵地域の未来というテーマにしました。

石炭産業の斜陽と共に過疎が進んだ地域ですが、あらためて未来につながる価値が存在しています。それを感じて欲しいのが狙い。

まずは一番でポンネ湯からスタート。

温泉の匂いやホースから噴出する冷泉、ノートに書かれた感想やどこから来たかなどの地域名等々、子ども達にとって、とても多くの刺激を得られた場所。すぐ近くの万字小学校、中学校跡へも歩いて、当時の写真と比べてみました。

その後、万字旧市街地にあるジンギスカン鍋博物館へ。

https://www.facebook.com/jinnabeartmuseum/

溝口館長さんは岩見沢在住ではないのですが、このためにわざわざ来て開館してくました。
子ども達も、館長のトークに惹きつけられ、予定していた時間があっという間に超過。せっかくの機会なので、更に延長して質問ぜめの時間となりました。

以前、中学生と伺ったときもそうでしたが、この博物館は本当に子ども達の受けが良いです。そして溝口館長はここ旧溝口商店の出身。幼いころから活気のあった万字で育ったので、色々な昔話も聞くことができ、あらためて地域の価値に気づけます。

そしてこの日はこの後、東井果樹園さんにお邪魔し、開拓から現在までの様子を聞かせていただき、子ども達も目をキラキラとさせながら聞き入っていました。横で聞いていた私も、知らない話が沢山出てきて、あらためて再訪できたらなと考えています。やはり地域の歴史は深くて尊いです。

この日の最後は旧美流渡中学校で開催していたMAYA MAXX展にお邪魔し、美流渡に移住してきてくれた絵本作家のMAYA MAXXさんから直接お話を聞くという企画。

https://www.goo.ne.jp/green/column/colocal-139165.html

この様に優れた能力を持つ人達が沢山移住してきているのが、東部丘陵地域の面白さで、これからも期待が持てる地域です。

この様に岩見沢の中でも、沢山の異なる魅力が点在しています。そんな多用な魅力を感じてもらい、自分たちの感性で咀嚼してほしいと願っています。


その他

さてさて、別の学校では南公園のC57とD51や、旧室蘭線跡地公園(旧室蘭本線跡)にもスポットが当たりました。

あらためて、岩見沢が鉄道の町であったこと。空知が炭鉱で栄えた地域であったこと。また、その理由について話すとしっかり理解してくれます。

これからの難しい時代において、どの様な未来を描くのが正しいのか?

私は過去を学んだ上でその延長線上に新しい未来を描くのが、最も理にかなっているのではないかと考えています。子ども達にもそう伝えます。だから学ぶことが大事。興味を持って知ることが大事なんだと。


今年は9回17時間の授業を行っています。

この後、朝8時半から14時までのフィールドワーク&座学。また異なる6年生の座学の依頼を受けています。

それらは見える時間だけで、実際にはフィールドワークの下見や座学のパワーポイントづくりなど、かなりの時間がかかります。本年は、その半分にも満たない時間ではありますが、炭鉄港推進協議会からの講師派遣という形で、公式に講師料をいただく機会に恵まれました。まだまだ大半は無料奉仕という場面も多いのですが、やはり全て無料奉仕でこれだけの時間を費やすのは非常に苦しいこともあり、少しずつ変化していけると良いなと考えています。

いずれにせよ学校教育の中で、これほど地域に目を向けてくれたことはこれまで経験がなく、とても嬉しく思っています。炭鉄港が日本遺産になったことも大きいですが、改めて地域の歩みに関心が高まっていることを実感すると共に、そのことが新しい未来の地域を作っていくことを信じています。

そのために、自分が少しでも役に立てるのならば、喜んでお手伝いさせていただこうと思います。

「学校授業と地域教育&炭鉄港」への5件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください