〈令和2年9月9日投稿〉
本日は、昨日の万字炭鉱ズリ山登山とは異なる学校の6年生の授業をお手伝いしてきました。
今回はコロナ禍によって大人数での行動が難しいため、2組に分けての実施。それゆえに一人では対応できず、様々に協力のお願いをした中で下記の様なプランとしました。
まずは駅前のメタセコイアの下で全員で挨拶。その後は2組に別れて〈駅とレールセンター(担当:私)〉、〈岩見沢初期の市街地〈元町跨線橋〉(担当:JC嵯峨氏)〉、〈炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵(担当:北口事務局長)〉という3つを時間差で巡って、最後に駅前で合流し、全員でまとめの後にバスに乗車という流れです。
今回は特に各ポイント間の移動時間が心配でしたが、各所の移動も組ごとに時間管理をしながら誘導する青年会議所(JC)メンバー(北市氏、金野氏)が協力してくれたため、終わってみれば最後の締めと記念撮影以外は全てオンタイムでピッタリ。皆さん流石でした。
今回、全体の写真はまだ手元に来ていないので、私の時間が終わってから、チラリと見に行った炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵での講演の様子を紹介します。
(↑画像)北口事務局長の授業は、子どもたちのツボを押さえた内容と、そのソフトな語り口が流石!風通しとソーシャルディスタンスもOK!)
最後の締めの中で担任の先生が子どもたちに話してくれた、「今まで知らなかった岩見沢のことを知れば岩見沢のことがもっと好きになる。好きになれば発信したくなる。大人など発信してくれている人もいるけれど、自分たちならではの目線で発信することがとっても大事。ぜひ今後につなげていこう!」という意味合いの言葉に共感。ぜひ今後に期待したいと思います。
さて、話は少し変わって・・
岩見沢レールセンターの紹介で、外せないのは北海道炭鉱鉄道会社(北炭)の話。その時に北炭のスケールの大きさを理解してもらうのに、小学生でもわかりそうかなと考え、北炭への出資者として新旧一万円札の福沢諭吉や渋沢栄一などもいることをお話してみました。
今、炭鉄港の日本遺産認定効果も相乗効果となり、地域のこれまでの歩みを見直す空気感が高まってきているのかもしれません。もしかしたら、時代の行く末を案じ、コトの本質を見直そうという見えない力が働いているのではないか?と感じてしまうほど。
2024年に一万円札の肖像が福沢諭吉から渋沢栄一になることからも、ド素人ながら自分なりの解釈ですが同様のことを感じます。
福沢諭吉は『学問のすすめ』の通り、その文中にも「実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば(中略)手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等」とあり、論語や四書五経や和歌など、あまり役に立たないことは後回しにて、まずは簿記や算盤などの実学、すなわち「すぐに役に立つこと」に力を注ぐべきとした人。
対し渋沢栄一は、日本資本主義の父とも言われ、ビジネスへの才覚も高く、やる気になれば自分の財閥もつくれただろうとも言われる環境においてそれをせず、日本の資本主義の発展に尽力した人。著書は『論語と算盤』が有名ですが、これは「道徳・倫理・大義等」を大切にする視点と、ビジネスの視点を両立しなければならないという事がベースにあり、まさしく社会における人間としての本質を指し、論語で学ぶべき「道徳・倫理・大義等」を大切にと説きます。まるで「すぐに役にたたない」ことが人間として大事だというがの如く。
今の時代において、前述のように「すぐに役に立つもの」を重視するのではなく、人間としての大事な要素を養うべく「すぐに役にたたないこと」を大事にしていこうという流れが強まりつつあり、それが新旧一万円札の肖像変更と被るのです。
とはいえ、この解釈は私の浅い知識の中の、あまりにも一側面のみを捉えた極端な例えだということでご容赦ください。福沢諭吉も幕末から日本の未来を見据えて人材育成を進めた素晴らしい人。ちなみに万字炭鉱の前身は朝吹英二(家紋が[卍])が所有しており、朝吹英二は福沢諭吉の教え子だったりもします。
6年生の授業の話から思いっきり脱線しましたが、何が言いたいかというと、、。「すぐに役に立つもの」から「すぐには役にたたないもの」を大事にしていく世の中になれば良いですね。という思いであり、それは人間も地域も同様である。という気持ちからでした。
このことについては2年ほど前にも投稿していますので、もしお時間あれば御覧ください。この考えが正しいかどうかはわかりませんが、私はそう信じています。https://hiranoyoshifumi.jp/2018/10/02/10278
「小学校6年生とのフィールドワーク〈炭鉄港〉と時代の変化。」への1件のフィードバック