〈令和2年9月7日投稿〉
6日(日)、岩見沢プレーパークを共に立ち上げた林さんのお招きにより、市議会議員としてのお話会を開催していただくことができました。
(画像では撮影のために密になっていますが、プレゼン時、ディスカッション時はもっと広い間隔で開催しておりましたことを補足させていただきます。)
ご依頼いただいたテーマは、岩見沢の未来がどうなるのか。という部分を知りたいというリクエスト。参加者は市内各所から林さんのご友人の皆様がご参集くださいました。また、その会場が栗沢町の〈リスの散歩道〉さんとなりましたので、今回は栗沢のことも少しお話させていただきました。
まずは60分間程度でスライド78枚の話題提供をしたのですが、せっかくなので、下記にざっくりとした大まかな流れをご紹介させていただきます。
①岩見沢の歴史・生い立ちについて⇒栗沢の生い立ちについて
岩見沢は交通の要衝として生まれ、発展しましたが、この栗沢も実は夕張道路と久樽(くったり~現在の栗丘)付近の夕張川の渡し、そして室蘭線開通という交通の利的要素が強かった認識。
②栗沢各地の生い立ちと発展
今回を機にあらためて勉強させていただいたのですが、この入植の仕方にとても興味深いものがありました。
初期の岩見沢は士族移住が主でしたが、栗沢は団体移住の傾向が強いことがわかります。
恐らく北海道庁の団体移住奨励が盛んだったころで、種々便宜もあったようですから、地元の人たちが集まり、指導者の下で新天地に大きな夢をみて栗沢に移住してきたのでしょう。
また、必成や小西地区などはもっとビジネス的な背景があり、地元財界や一族からの出資を受け、沢山の農業従事者を従えて栗沢に入植してきています。また北斗などは農場主が小作人を募る方式で、今井さんの名前があるのは、越後商人であった丸井今井さんの事のようです。
移住には様々な背景がありつつも、未開の地を切り開き、想像を絶する環境下で努力を重ねた結果、今の我々の生活があるのです。
また、栗沢のことを色々を調べていたら、当時の軍需品で国策としても推進された亜麻工場があったり、比較的大きな煉瓦工場があったり、はたまた明治34年には加茂川地区でアメリカインターナショナル石油会社が試掘をしていたり、今まで知らなかったことが見えてきました。特に必成地区の歴史はとても興味深く、これは最後にご紹介させていただきたく思います。
更に栗沢には美流渡や万字という産炭地としての栄枯盛衰があり、これも栗沢の歴史には切っても切り離せない歩みと強みの一つでもあります。
③なぜ過去を見るのか
現在を軸として、今後の課題解決に向けた方向づけをするときに、やはり過去からの地域の歩みを無視することは、それまで築き上げてきた「風土・文化・現有価値」等々を蔑ろにするものであり、これらの延長線上に未来の姿を見出すことが、最も効率的で理にかなった施策となるはず。という思いがあります。
だから地域の歩みを知ることは、とても大事なことなのだと認識しています。
④私達を取り巻く大きな課題〈人口減少とその影響〉
国土交通省の示す日本の人口動態や、国立社会保障 人口問題研究所の表やデータをご紹介しながら、過去から未来までの人口推移の深刻さを紹介。
また、岩見沢市人口ビジョンによる「人口動態分析」などもご紹介をさせていただき、人口の自然動態、社会動態の状況をお話させていただきました。
また、人口はただ減るだけではなく、高齢化の問題。そして地域の過疎化の予測や影響等を青山学院大学「全国小地域別将来人口推計システム」を活用させていただきながら考え方を共有させていただきました。
(青山学院大学 井上孝氏作成 全国小地域別将来人口推計システム)
http://arcg.is/1LqC6qN
⑤岩見沢市の財政への影響
まずは人口が減ることによる財政への影響として、考えられることを情報として共有。そして、公共施設に基づく懸念や、中長期財政計画の内容などを抜粋してご紹介。
⑥今後の考え方
それらを踏まえた中でこれからどうしていくべきなのか。
まずは多くの市民の方々とこの様な厳しい事情を共有する必要があり、その上で〈理〉と〈情〉の隙間を埋めていくことの重要性があると考えます。
その延長線上として、人口の社会動態を減らさない努力。そして実情に合わせて公共施設や行政サービス等を縮小していく動きが避けられない状況。また、それらマイナスの要素を最小限にしていくために、市として稼ぐための取り組みが必須であることなどをお話し。
そして現在、言われて初めているsociety5.0の恩恵をどう取り込んで行けるかが必要になってくると思われます。
それらを一言で表すならば、「人口支持力」を維持していくことが重要であり、そのために行政と市民が同じ方向を向いていけるかどうかが大事だと思うのです。
⑦もう一つの考え方として
上記「人口支持力」の考え方には環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんなども有名になってきた様に、地球環境と経済活動のバランスを考えることが必要になっているとも言えます。SDGsの流れも大変重要ですが、その変革の時代を生きる私達がヒントにしなければならないのは、栗沢の必成に入植し、後年は京都で一燈園を開いた西田天香氏に学ぶべきことが多いと感じました。
西田市太郎(天香)氏とは
■滋賀県長浜市出身〈家は紙問屋〉
■松本にある開智学校(国宝)を卒業
■地元財界の出資→20歳で必成社設立
■多くの農業従事者と共に栗沢に移住、開拓
■鉱山開発や北海道亜麻製線設立~失敗
■出資者と小作農の間で苦悩。失意の帰郷へ
という流れになりますが、リターンを期待して出資をした財界へは利息も配当も思うように払えずに苦慮し、小作人には広大な土地の中で肥沃な場所と排水もおぼつかないところなどの格差が生じ、その間に立って苦悩を続けた模様。結果、必成社を他者に任せ、自分は失意の中で故郷に戻り、京都の寺で下座行を知る。
その後、断食座禅3日目の赤ちゃんの鳴き声を聞き、宗教的転回。路上托鉢や下座行をしながら、その人徳に多くの支援者が周囲に集い、明治37年一燈園を開設。
この一燈園はトイレ掃除を修行とすることで現在も有名ですが、実際には「下座行」という、自分の立場を人より一段低い位置におき、不平不満を表さずに己を磨くことが原点であり、その本質として、「無所有奉仕」の心~自然にかなった生活をすれば、人は何物をも所有しないでも、また働きを金に換えないでも許されて生かされる。そしてそこから世の争いの種が除かれ、平和な社会がもたらされる。という考え方となります。
その弟子にはダスキンの創業者である鈴木清一氏がいるなど、西田天香氏亡き後も、現在も脈々とその理念が受け継がれています。
一燈園の詳細は公式ホームページを御覧ください。
https://www.ittoen.or.jp/
知らなければ怪しい宗教?の様な印象も受けがちかもしれませんが、ぜひ穿った見方をせず、じっくりと感じていただければと思います。宗教家でもあり思想家でもあり、哲学者でもあるかの様な天香さんの様子がわかる様な気がします。
あらためて、この様な人が20歳そこそこで地元財界の期待を背負ってリーダーとして北海道の栗沢に入植し、夢破れて宗教的転回を得、その後の人生を自分を突き詰め、世のため人のために生きていく様は、これからの難しい時代を生きる私達にとって、とても大きなヒントになり得ると感じています。
今回のお話会の機会をいただき、栗沢のことを調べていく中で、様々なことを知ることができましたが、その一番大きな衝撃を受けたのが、この必成社であり、代表の西田市太郎氏の生き方でもありました。
ぜひ、地元の旧栗沢町の方々はもとより、岩見沢市民の皆様にも知っていていただきたいストーリーです。
さて、大体大雑把ではありますが、この様なお話を60分ぐらいさせていただき、その後、自由なディスカッションとなりました。気がつけば、あっという間のトータル2時間30分という長時間。
私自身、準備期間も意見交換の時間もとても勉強になりました。
この度は主催してくれた林さんをはじめ、お集まりいただいた友人の皆様、そして会場を提供していただいた「リスの散歩道」のオーナーのももいさん。本当にありがとうございました。
現在のコロナ禍において、例年のように後援会の仲間が主催してくれる活動報告会が開けない状況下、こういった少人数のお話会を初めて経験させていただきました。
ある程度のテーマさえ与えていただければ、様々に準備してお話をすることも可能かと思います。ぜひ、何かありましたらお気軽にお声がけいただければ幸いです。
まずは取り急ぎ、この様なお話会となりましたことをご報告させていただきます。