主権者教育で市内某中学校へ

〈令和6年9月30日投稿〉

本年度は岩見沢市議会広報広聴委員会が様々に試行錯誤し、市内の小中学校の主権者教育の受け入れを行っています。

多くは議場に来ていただくことが多いのですが、この時(9月12日)は我々が学校に訪問し、それぞれ担当した部分をお話するスタイルとなりました。

私は「議員の仕事・活動について」というテーマを受け持つこととなり、持ち時間10分で10ページのパワーポイントを作成しました。

そのうちの導入だけ紹介したいと思いますが、議会は多様な22人の集合体であることが大事というお話から始めることに。

その内容とは。。

まずは多様な価値観、背景を持つ個々の22人の集合体が議会であるということ。そこには「多様性」という大事な要素が担保される必要があると考えている。

なぜなら、世の中(社会)は何も見えない真っ暗闇の中で、極々一部分だけ触れることのできる超巨大な象みたいなものだと仮定すると、象そのものを知らないある人は、尻尾を触ることで「象って細長くてぷらぷらして先っぽに毛がある動物」という認識をするし、同じく象を知らないで足を触った人は「ものすごい固くてゴツいのが象」という認識をする。また、同じく象を知らない人が鼻を触ると「太いヘビのようにしなやかに動き、私に巻き付いたり先っぽから強い空気が出たりするのが象なんだ!」と受け止める。

これは、世の常で「結果は一つ」であっても、受け取り方や解釈は人それぞれ全く異なる状況であり、だからこそ、色々な解釈を尊重し、話し合ってモノゴトを決めているプロセス≒議会の必要意義なのだと考えている旨をお話しました。

そのうえで、例え真っ暗闇で自分の触った部分しかわからなくても、他の人(背中を触った人や牙を触った人、耳を触った人等々)と情報を共有していけば、全体像が見えてくるかもしれないし、また事前に学習し予備知識があれば、どこか一部を触ったとしても「もしかしてこれは象の”一部”なのではないか?」と想像することができる。

だから議会には【議論(話し合い)】が必要であり、議員には【調査研究】や【自己研鑽】が不可欠なんですという話をさせていただき、その後、日頃、自分がどのような活動をしているか例を出してお話させてもらった次第です。


実は最後に反省があって・・・

中学生からの質疑応答で、「議員になれるのはどういう人?」みたいな質問がありました。

このような議員としての自己研鑽的な話をした後だったので、つい知識や行動が必要などの方向で答えをしてしまったのですが、 終わってから「失敗した・・」と感じてました。どんな人が議員になれるか?という答えは「誰でもなれる」というのが正解だったと思うし、あえて条件をつけるなら「地域を大事に思っていれば・・」というような感じで伝えるべきだったかと後悔しています。

今後、もしこのような機会があれば気をつけなければ!

情けないことにまだまだ未熟者です。

北海道高等学校文化連盟 第46回全道高等学校図書研究大会(空知大会)の第4分科会を担当しました

〈令和6年9月29日投稿〉

昨年の12月にとある先生から相談を受け、令和6年9月に行われる全道高校図書研究大会(空知大会)を開催するにあたり、分科会として協力いただけないか?とお話をいただきました。

私自身、なかなか【図書】という部分において、どうしたものか?と困惑した傾向はあるものの、今、力を入れて活動している、日本遺産「炭鉄港」等の取り組みも、その歩みとなる歴史文化の切り口は地方史だったり企業史だったりするわけで、これらの活動と図書も決してかけ離れているわけではないと思いお引き受けすることとなりました。

そこで今回は「知識を力に!歴史文化を活かしたまちづくりに触れてみよう」と題して、約40分のミニ講演と2時間超えのフィールドワークを実施。トータル3時間弱の長丁場でしたが、感度の高い優秀な生徒さんも多く、こちらも楽しませていただきました。

参加された生徒さんたちは全道各地から20名+引率の先生という感じです。

石蔵内にて、みんなで自己紹介をした後に簡単な座学を実施。

日本遺産「炭鉄港」を通して、学生さんたちそれぞれの地元で、歴史文化を価値へと変換する取り組みに対し、少しでもヒントになりそうなお話をさせていただき、その後、フィールドワークへ。

(各画像は生徒さんたちのプライバシーのために加工させていただいていますことをご了承ください)

フィールドワークでは、岩見沢複合駅舎、岩見沢レールセンター、岩見沢発祥の地公園において、それぞれの「第一印象」を記録してもらい、その後、私の説明に関するメモ、最後にガイドを聞いた後はどの様に印象が変化したか、などを発表してもらうことにしました。

岩見沢レールセンターでは、北海道の運炭鉄道としてのルーツと鉄道網のこと。また薩摩とのつながりなどをお話することができます。

岩見沢発祥の地公園では、地名の由来や士族移住のことをお話することができます。

これら、色々な情報をお伝えした中で、予備知識のない状況で受けた第一印象とどう変化していくか。などと旧国兼家住宅の中で車座になって発表してもらいました(画像は冒頭に岩見沢市教育委員会の神田学芸員さんより邸宅の説明をしてもらっているところです)。

この後、元町の跨線橋(初代停車場があったところ)を経由し石蔵へ戻ります。

石蔵ではまた数名に感じたことを発表していただき、最後に少しだけまとめのお話をさせていただてい終了!

「歴史文化で飯が喰えるか!」と言われた時代から、現在は「歴史文化がなければ飯が喰えない時代」へと変化しつつある過渡期であること。また「君たちの地域はどんなまち?」と聞かれたら「なにもないまち」と答えがちだけど、決してそうじゃない。ちょっと図書館に行って地域史をめくるだけでも知らないことが沢山でてきて、シビックプライド(地域への誇りや愛着)が高まるはず。ぜひそんな情報を整理して地域活性化に活かせるプレイヤーになってほしいという希望も伝えさせてもらった次第です。

この様に高校生に3時間弱もの長い時間にわたってモノを伝えるのは初めてのことで、色々と心配はありましたが、終わってみればこちら楽しい時間を過ごさせていただきました。

ぜひ当分科会に参加いただいた生徒さんたちには、すぐにではなく、いずれどこかで、ちょっとしたフレーズの一つでも思い出していただき、活動に活かしていただければ嬉しい限りです。

貴重なご縁をありがとうございました。

総務常任委員会 春の所管事務調査

〈令和6年9月28日投稿〉

令和6年6月5日に総務常任委員会の年度初めとなる春の所管事務調査が行われました。

この際の所管事務調査とは、各委員会が所管する事務の全体的な説明と、それらに対する質疑ということになり、各部単位で行われます。今回の投稿では各部ごとにどのような質疑を行ったのかを議事録から転載してみます。質問の意図としては方向性の確認が主体となっています。

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ぷらぷらまち歩き2024 岩見沢駅周辺を開催しました

〈令和6年9月20日投稿〉

岩見沢百餅祭りに伴い開催される、いわみざわ情熱フェスティバルにおいて、炭鉄港めしブースが設置されました。我々NPO法人炭鉱の記憶推進事業団でも、日本遺産「炭鉄港」をPRする目的で【石炭すくい】などの遊べるブースを出展!かなりの大盛況で終えることができました。

さて、その賑に乗じて毎年開催されているのが「JRヘルシーウォーキング」との連動企画となる炭鉄港ミニガイドツアーです。

昨年も開催され、定員30名があっという間に埋まる人気企画で、今年は参加費が3,000円に値上がりしても、同様にすぐに定員に達した状況です。なんと今年は30名中6名が本州より、その内1名は関西からの日帰り参加という状況。いよいよ「炭鉄港」や「鉄道の町岩見沢」を起点とする地域資源が人を呼び込める様になってきたと実感しています。

さて、このミニガイドツアーはあっという間に定員に達してしまったことから、NPOで開催するぷらぷらまち歩き2024秋の部の1回目をこの日の午前中に設定し、より多くの人に楽しんでいただくこととしました。

こちらは事前申込みなし、当日受付のため受付が始まらないと何人きていただけるかわかりませんが、蓋を開けてみると32名のご参加をいただきました。内、なんと千葉県からのご参加もあり、非常に嬉しく思う次第です。

コースは定番の岩見沢駅ガイドからレールセンター外観見学、そして元町跨線橋からそらち炭鉱の記憶マネジメントセンターの石蔵展の解説という流れです。

石蔵展では北炭が岩見沢に本社を移転して今年で120年という節目のため、岩見沢誕生から北炭による鉄路延長で鉄道の拠点と発展していく様子。そして明治37年の北炭本社移転から明治39年の鉄道国有法における鉄道資源売却により、室蘭に日本製鋼所をつくり、本社が移転した後のまちの様子などを14枚のパネルにしたものをそれぞれ口頭解説させていただきました。

この展示は間もなく終了となります。もし見学したいという方がいらっしゃれば、お早めに石蔵へお越しください。そろそろ撤収しようかと考えています。


閑話休題

この岩見沢駅周辺のガイドツアーは、恒常的に開催しても需要がありそうな気がしています。よって、毎回私が実施するのではなく、新たなガイドを養成できたらとも考えています。私のエネルギーが持てばですが、ガイド養成テキストを作成して講座を開設し、より多くの方にガイドとして活躍していただけるようにできたら良いなとも考えています。

もしそうなった際には、ぜひ一人でも多くの方にガイドになっていただければ幸いです。

東大名誉教授木村学先生をお招きしてのフォーラム「地層と炭鉄港」が無事に終了しました

〈令和6年9月19日投稿〉

9月8日(日)に表題のとおり、東大名誉教授で日本地質学会元会長(岩見沢東高卒業)の木村学先生をお招きし、「地層と炭鉄港」というフォーラムを開催させていただきました。

これはNPO法人炭鉱の記憶推進事業団の前理事長である故吉岡宏高さんからの宿題の一つ。生前、吉岡さんが木村先生との会話の中で、地層と炭鉄港について講演してほしいという約束を遂行したものとなります。

当日は木村先生のファンの方々も多くいらしていただき、用意した100席がほぼ満席となる状況。

この講演の様子は、木村先生のご厚意もあり、現在YouTubeで公開させていただいていますので、ぜひお時間あるときに御覧ください!


第2部は「複眼的!?炭鉄港の活かし方」と題し、三笠ジオパーク推進協議会事務局長、北海道三笠観光協会業務執行理事の下村圭氏、北海道教育大学函館校国際地域学科講師、観光社会学、文化遺産研究者の平井健文氏をお招きし、NPO炭鉱の記憶推進事業団理事長の私がファシリテーターとして進行させていだきました。もちろん基調講演を担っていただいた木村学名誉教授にもコメンテーターとして参加いただきました。

こちらも皆様のご厚意により、YouTubeにて公開させていただいています。ぜひ御覧ください!

第1部、第2部共に、非常に有意義なフォーラムになったのではないかと感じています。

本フォーラムに関しては、こちらでも報告が上がっていますのでぜひ御覧ください。

https://yamasoratan.blog.fc2.com/#entry3499

第3回会議規則等検討委員会を開催しました

〈令和6年9月6日投稿〉

議会のルールというのはやはり厳格なもので、時流に合わせてオンライン化を進めようと思うと、様々なケースを想定しながら新たなルールを明文化していかなくてはなりません。

そこで現在、会議規則等検討委員会を設置し、必要に応じてオンライン委員会が開催できるような設定と、様々な対面手続きをオンライン化することで検討を進めています。

オンライン委員会については、第2回までに議論を深めることができ、それを各会派に持ち帰って協議していただいたものを再度、委員会に持ち寄るという形式で進行し、若干の仮置きはあるものの、ほぼ一定の結論を出すことができています。

この回はもう一歩進んで、現在は対面のアナログで行っている手続きを、どうやってオンライン化するか?の議論であり、そこにはどの手続までをオンライン化にするか、した場合、本人確認をどう確実なものにするか、また手法はグループウェアなのかE-mailなのか等々、一つずつ検討していかなくてはなりません。

また比較的大きな壁になっているのが、一般質問の登壇順番について。

岩見沢市議会の場合は、独自ルールとして発言通告書の提出順に登壇するのですが、これをオンライン化にすると、何を持って提出順にするのか、また不備があり差し戻しがあった場合はどうするのか?等々、これまた細かにシミュレーションしていく必要があります。

そのような地道な作業を繰り替えしているところですが、何とか12月の第4回定例会に上程できるように進行予定です。

公益社団法人北海道地方自治研究所 北海道近現代史研究会の勉強会にてお話させていただきました

〈令和6年9月6日投稿〉

8月30日の午後から公益社団法人北海道地方自治研究所 北海道近現代史研究会の勉強会にお招きいただき、《日本遺産「炭鉄港」を通して見る石炭産業の栄枯盛衰》というテーマで80分の講演+質疑応答30分とお話させていただきました。

錚々たる面々を前に、私自身は研究者としての要素は希薄で、あくまでまちづくり運動のプレイヤーとしての切り口をベースとして、これまでの歴史的歩みと今後の当該地域の大きな可能性についてお伝えしました。

結果として今後につながるとても有意義な時間となりましたこと感謝申し上げます。

その後、懇親会でお酒をいただき、現在は電車に揺られて帰宅中。

まだまだ地域活性化の目的地へは長い道のりですが、みんなで信じた道を前進するばかりなり。

貴重な機会を頂戴いたしましたこと、心より感謝申し上げます。