某小学校での総合的な学習の時間〈岩見沢の歴史〉

〈令和2年7月25日投稿〉

近年、各学校との連携が活発になっている(一社)岩見沢青年会議所の後輩より、ある小学校の総合的な学習の時間で「岩見沢の歴史」について協力してもらえませんか?という話をいただきました。

一緒に学校に行って話を聞いてみたところ、【炭鉄港】も含め、地域の歴史を子どもたちに教えたいとのことで、それはぜひ推進すべきと、力不足ではありますが快諾させていただいた次第。

しかしながら今回の対象は小学校4年生。

「明治維新」も知らなければ「産業革命」も聞いたことがない。

北海道の多くの地域の発祥は、この2つに大きな影響を受けています。それはこの岩見沢も同様で、人が住みやすい”川と川の接節点”でもなければ、中山間地域でもない。むしろ泥炭地が多く飲み水にすら苦労した土地である以上、明治維新と産業革命~高度経済成長による石炭の需要増がなければ、この様に岩見沢が空知の中核都市として発展することはなかった言えると思います。

よって、何とかこの軸を除外することなく、極力簡単に噛み砕きながら岩見沢の誕生(開拓)から発展のお話してみることとしました。



■7月17日(金)座学(1コマ)

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小学校4年生ということを考慮し、できるだけ興味をもってもらうために簡単なクイズ形式を取り入れ、その正解を発表しながら内容を解説をしていくという手法を取りました。

今回の流れは、北海道開拓の背景→炭鉱の重要性→炭鉱と鉄道→鉄道の街岩見沢、炭鉄港の価値。また、開拓の苦労やエピソードなどをお話したのですが、反省点としては、かなり噛み砕いたつもりでも4年生には難解だったようで、関心の高さが二極化していたように感じます(すごく真剣に真っ直ぐ聞いてくれる子もいれば、半ばから飽きて興味を失ってしまう様子が見える子など様々)。

これは大きな反省点でありますが、正直、この年代の大半が理解できることを前提とすると、さて、どのように精査するのが良いのか。自分自身、まだ答えは見つけられていませんが、しっかりと考え続けていかなくてはなりません。

しかし今回は座学だけでなく、関連して市内の歴史スポットをフィールドワークで感じてもらうことも企画しましたので、こちらで挽回できるかと・・。


 

■7月22日(水)フィールドワーク

市内街中にある歴史的な背景のある場所や○○跡のような石柱をまわるオリエンテーリングです。

4年生を7グループに分けた構成で、市内を巡ってもらいました。当然これにはスタッフも必要となるため、声掛けをいただいた青年会議所の有志とPTA会長、副会長さんにお力添えをいただき、先生達には授業としてしっかりと下支えしていただきました。

今回は昭和30年代の市街地図を元にコース設定。その古地図と、先生が作ってくれた曲がるポイントなどをわかりやすくまとめたコース図を元に、子どもたちが以下の様に市内を巡りました。

●チェックポイント①
元町の人道跨線橋北側で、初代の岩見沢駅舎の場所がこのあたりだったということ、また、明治20年代の市街地の様子を現地で説明したり、明治17年の士族移民想像図の絵を見せながらこの場所の”情景”に触れてもらうなど。
初代停車場

●チェックポイント②
ここは私が担当し、駅北自由通路の大きな窓から、岩見沢レールセンターを見つつ、明治期の岩見沢鉄道総合工場の画像と現在を比べてもらったり、大正時代の駅構内の様子を現在と比べてもらったりしながら解説をさせてもらいました。

レールセンター


●チェックポイント③

NPO法人炭鉱の記憶推進事業団が運営するそらち炭鉱の記憶マネジメントセンターでは、北口事務局長さんにお願いし、日本遺産の石蔵見学や【炭鉄港】の要である石炭、炭鉱のこと等について説明をしていただきました。


●チェックポイント④

郵便局跡地では石柱の文字や過去の画像、また古地図と見比べてもらうなど。
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岩見沢郵便局

●チェックポイント⑤
岩見沢消防署跡で同様に画像等と比較。
昔のサイレン塔が写る写真と現地を見比べてもらいました。IMG_6994

●チェックポイント⑥
石柱と当時の写真を元に解説。
昭和33年に皇太子殿下が市長室で休憩されてから出発する時の写真などを見てもらいました。

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市役所

●特別ポイント
4条通りと中央通りの交差点で、交差点の安全確保を兼ね、昭和30年~40代と思われる写真が3方向で残っていることから、その写真を見ながら現地でタイムスリップしてもらうことに。

(例えば1例だけですが、↓現在「ヘアーJG・ウイ・ジャパン」さんがある場所~この様に3方向が画像として残っている。)
広瀬写真館(現:ジャパン)

この廣瀬写真館の建物は、現在は北海道開拓の村で復元展示されていますので、実は現物を見ることができます。また、現在はホテルサンプラザさんになっている場所が、この当時は「明了寺」さんだったことも良くわかります。


今回はこの様に〈6箇所+1〉のスポットを巡ってもらうオリエンテーリングを企画、実施しました。

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各チェックポイントでは、この様な簡単なマニュアルを作成したものを元に、それぞれの担当者の卓越したセンスで子どもたちに解説をしていただいたこととなります。

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当日は残念ながらバスの出発時刻ギリギリまで時間を使い切ってしまったため、直接感想を聞くことはできなかったのですが、”これまでに感じたことの無い何か”を感じてくれていたら良いなと期待しています。

この日は結果として、約130年前の最初の市街地周辺、約120年前の鉄道総合工場、約100年前の駅構内の様子、60~70年ほど前の中心市街地とをタイムスリップしてもらう設えとなりました。

今回、各計画と座学、フィールドワークの準備に要した時間は、計画、スライドの作成、資料の印刷、ラミネートまで入れると何だかんだと20時間ぐらいかかってしまったかもしれません。

これは私が不慣れで能力が足りないから。という側面もありますが、実際に学校の先生が通常の授業や業務を行いながら、同じ様なことをゼロから企画するとなると、現実問題として相当ハードルが高いことがわかります。

「学校でもちゃんと地域教育をやるべきだ!」と口で言うのは簡単ですが、実際にどれほどの労力が必要かを考慮すると、なかなか実施できないのも当然のことと思います。しかしながら私のような者としても、いついかなるときも手弁当で協力できるかといえば、これもやはり簡単な事ではありません。

その様な中で、本日付のプレス空知さんの一面で、滝川市の明苑中学校が炭鉄港をテーマに総合学習に取り組んでいるという記事が掲載されました。

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内容を読むと、5グループに分かれて空知管内の本格的なフィールドワークも行う様で、あらためてこの様な取り組みに敬意を表する次第です。



さて、、

自分たちの地域が好きか?
愛着があるか?
誇りを持っているか?

その原点はまずは地域のことを知っているかどうか。

そういう面では、地域の歩みを知らずして深い愛着を得ることはできないのだろうと思います。また、過去の歩みの延長線上に地域の未来を思考することも重要だと思っています。

それらのためにも、まずは知ってもらうことが第一歩。

その様な取り組みのきっかけとして、関連する地域において「炭鉄港」を活用してくれることを心から応援していきたいと思っています。

とはいえ、私もまだまだ知らないことばかり。この様な機会に改めて学べるのも一つの恩恵です。

ちょっと長文になってしまいましたが、この度の総合的な学習の時間で協力させていただいた報告とさせていただきます。

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