鉄道の町 岩見沢を思い起こさせてくれるイベント

〈平成30年11月24日投稿〉

豪雪のまち岩見沢を発揮している本日ですが、、、
昨日より明日までの3日間、駅では鉄道のまち岩見沢を思い起こさせてくれるイベントが開催中です。

46519834_977361932438087_2496573440153092096_n(画像は岩見沢鉄道模型祭FBページより拝借)


【そこで、あらためて鉄道のまち岩見沢をサラッと復習すると】

■明治15年。三笠の幌内で採掘された石炭を本州に運び出すため敷設された手宮(小樽)-幌内(三笠)間の官営幌内鉄道が開通。


■明治22年。幌内炭鉱と幌内鉄道が民間会社の北海道炭礦鉄道会社(以下、「北炭」)に払い下げ。幌内鉄道(岩見沢駅を含め現函館本線の当該区間)が官営ではなく私鉄となる。


■明治24年。「北炭」が潤沢な資金を背景に歌志内方面にも炭鉱を開発。そこで採掘された石炭を運ぶために岩見沢を起点に鉄道延伸。


■明治25年。明治政府の財政難で叶わなかった開拓当初からの悲願(?)。室蘭港の開港&鉄道敷設を「北炭」が行う。
~岩見沢-室蘭間の鉄道開通(同時期に夕張-追分も)~


■明治37年。「北炭」の本社が札幌から岩見沢に移転
~高給職員が増え、岩見沢駅前の商店街は活況謳歌~


■明治39年。鉄道国有法の発布により、鉄道が国に買い上げられる。それに伴い「北炭」は鉄道の売却資金で英国の企業と合同で室蘭に製鋼所を建設。本社を室蘭に移転「鉄の街 室蘭」の誕生。
~岩見沢は本社移転に伴い一気に高給職員家族を中心に約12%の人口減。駅前は火の消えたような寂れ方をしたそう~


■大正3年。万字線開通。万字、美流渡、朝日炭鉱等からの石炭運搬。
~岩見沢が幌内線、函館本線、室蘭本線、万字線が交わることに~


■昭和31年。岩見沢駅から1キロほど西の大和地区に後に東京以北最大とも言われる大操車場が誕生。
~交通の要衝として日本の戦後復興や高度経済成長を支える石炭の最盛期を迎えていくが、石炭から石油への転換で石炭産業の斜陽期へ~


■昭和55年。エネルギー政策の転換を受け各地の炭鉱閉山が進み、岩見沢操車場が廃止。


■昭和60年。万字線廃止


■昭和62年。幌内線廃止
~この年、日本国有鉄道からJR北海道へ~


*簡単にこの様な発展と衰退を経て現在の岩見沢があります。

私達の世代では最盛期の岩見沢の鉄道の様子を見ることはできませんが、この「地の利」は今も残っています。

それが上記文中でも出てきた「小樽」や「室蘭」、そして石炭の一大産地であった「空知」とのつながりにおいて、現在日本遺産登録申請を目指して進行中の「炭鉄港」のストーリーとなります。

その「炭鉄港」が今後認知されてくるに従い、この岩見沢の「地の利」が復権してくるものと期待すると共に、是非それを伸ばしていきたいと考えています。

まずは私達岩見沢市民が、誇りと愛着を取り戻す。その様な流れを目指していきたいと思っています。

(上記簡易年表的なものは、もしかしたら間違って覚えているものもあるかもしれません。二次的利用に関してはご自身で確認されることをオススメいたします。申し訳ありません。)

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