岩見沢市北村郷土資料コーナー《北村の記憶》開設記念投稿

〈平成28年12月23日(金・祝)〉

場所を北村環境改善センターに移設した北村の郷土資料コーナーが開設されました。

10時から開会セレモニーということで、地吹雪の激しい生憎の天候ではありましたが、せっかくの機会なので様子を見に行ってきました。

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セレモニーは三角教育長の挨拶から始まり、展示等に関し学生を率いて連携をしてきた北海道教育大学岩見沢校の角准教授のご挨拶。

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そして、この展示の大部分を仕切り、その想いを表現してきた杉浦氏の挨拶となります。

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この挨拶のまま、杉浦氏の各展示コーナーの解説に続きます。

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展示テーマは大きく5つに別れています。

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一つ目は2018年に北海道命名150年を迎えることで、益々クローズアップされることになろう「松浦武四郎」についてです。幕末に6度の北海道探検をして詳細な記録を残してきたが、そのうち北村には3度宿営している。3度も宿営した場所は非常に稀なことであり、その訪れた際のエピソードなどが展示されています。

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二つ目のテーマは北村の礎を築いてきた人々に焦点を当てています。

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当初北海道開拓使から広大な土地の払い下げを受けた人物が、結局開墾の基準面積に達せずに多くの土地を返還することとなり、そのおかげで当初石狩生振に土地を求めていた北村氏が、この地に入植することとなったエピソードや、その後の過酷な出来事に耐え、今の北村があることがわかります。

また、北村という地が岩見沢村との関連で形成されたわけではなく、寧ろ樺戸集治監による開墾や脱獄囚の見張り地の役割があったこと、また空知集治鑑との関連なども背景にあることを感じられます。そして先日も投稿した樺戸道路と石狩川を挟んだ現北村地域を含む広いエリアが、北海道開拓使の区割りされていない地図などもあり、そこから非常に過酷な土地であったことなどが伺えます。

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戦争によりオーストラリアからの輸入が途絶え、羊毛の価格が高騰。そこに目をつけて綿羊の飼育を始め、綿羊の品評会や純国産ホームスパン(糸の太い手織りの毛織物。また、それに似た布)は非常に高く評価をされ、そのホームスパンは天皇に60着分も納入するほどの評価の高い物だったようです。

実際に着用していたモーニングなども80年の時を超えて展示をされています。

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とても驚いたのがこちらのテーマ4です。

綿羊の飼育の流れから大正9年から羊肉の試食研究に取り組み、『羊肉料理法』というパンフレットを作成しています。その中には、当初のジンギスカン鍋と調理の上で類似する料理も紹介され、年代を考慮すると北海道ジンギスカンの原点と言っても過言ではないのかもしれません。

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見本も展示されておりますが、羊の臭みを抑えるために松の葉や松ぼっくりを燻して網焼きする調理法が紹介されており、これは何かの折に是非試してみたいと思えました。

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こういったシンプルな調理でも「北村ジンギスカン」などとして展開させていく手法も十二分に取れそうな気がします。また他にも「羊肉の龍眼揚げ」や「羊肉のすき鍋」なども展示されており、地域おこしに即戦力として展開できそうな期待が持てます。

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どれも是非食べてみたい料理ばかりです。

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テーマ5は文学です。

有名な北村農場に嫁いた橘知恵さん石川啄木とのエピソードの紹介や、小林多喜二の北村砂浜の情景を描いた、生前未発表作品についてなどが紹介されています。

余談ですが、石川啄木に関しては、国鉄2代目の岩見沢駅長が啄木のお姉さんの旦那さんであったり、非常に所縁の深いところがあるので、そのあたりも掘り下げると岩見沢市としての新たな価値がでてくると思われます。

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入り口付近には、この様に北海道教育大学の学生さん達がまとめてくれたQ&Aのコーナーもあります。テーマ展示では扱えなかった歴史や文化が紹介されています。

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北村郷土資料コーナー『北村の記憶』は、この様な素晴らしい内容で展示をされています。

元々「村」であった地域に、非常に質の高いエピソードが詰まっており、それを決して広くないスペースで良くここまで展示することができたと関心させられる素晴らしい展示コーナーです。

是非、多くの人に足を運んでいただき、展示の一文字一文字をじっくり読んで理解していただければと願っています。

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またこの北村は、石狩川の遊水地として工事が進みつつあります。

数十年に一度発生する恐れのある石狩川の氾濫に備え、札幌等都市部の安全を確保するためにこの北村の地を水没させ水溜として機能させるものです。(北村遊水地として万が一の時に水没してしまうのは以下の緑線の枠の中となります)

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(↑岩見沢河川事務所作成資料)

その為、その範囲内には人が住むことができなくなるため、現在移住が進められており、この範囲の農家の方々は枠外に住居を構え、自分の農地へと通うこととなります。

その事から今後、範囲内において様々な構造物が解体され、その姿を見ることが叶わなくなってしまうことから、現在、国土交通省北海道開発局 札幌開発建設部 岩見沢河川事務所の方々が精力的に地域の歴史と文化を学び、地域の歴史文化を掘り起こしては伝えていくという、非常に困難な仕事をとても質の高いレベルで展開しています。

実際、私もその方々に教えてもらうことも多く、今回の「北村の記憶」の展示にもバックアップを行っていたり、上の「北村歴史マップ」というものを作成し、紹介、周知していく活動もされています。

その中に掲載されているもの等の所縁についでは、あらゆるジャンルの専門家の方々とも連携を行い、地元の人も知らないようなことまで調べ、その根底に流れる想いを汲みながら地元と調整していく様は、非常に大規模な工事を行うための根幹として、最もデリケートな部分、人と人、地域と時との繋がりなどを重視し、丁寧に魂を込めていく仕事に敬意を評さずにはいられません。あらためて大規模工事を担う人々の凄さを感じています。

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さて、今回の「北村の記憶」を通し、益々私達は地域の生い立ちや経過を知らなすぎると感じています。北村にこんなに沢山の誇れる様なエピソードがあり、地元を含めた多くの人々がその事を忘れ去ってしまっている。恐らく「栗沢」や「岩見沢」にもまだまだ私達が知らないエピソードが埋もれてしまっているのだろうと想像しています。

大変時間も手間もかかることと承知していますが、是非、それらを掘り起こして岩見沢の価値として共有できるようにできればと思うと共に、一人でも多くの方がそれに共感し、自分たちの住む地域に誇りと愛着をもってもらえる一助になれればと思っています。

そこでこれまた余談ですが、12月には再開できませんでしたが、その観点からも現在『シビックプライド探求部』の再始動を行える様に準備をしています。

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