生活道路の制限速度60kmから30kmへの道路交通法施行令改正について

〈令和8年9月2日投稿〉

昨日、令和8年9月1日より「道路交通法施行令の改正」により、中央線や車両通行帯のない一般道路の法定最高速度が、時速60キロから30キロに引き下げられました。

実際の生活道路のみならず、一般交通の用に供されている郊外の農道等も対象となり得るため、インターネット上でも困惑している様子がみられます。私自身もなかなか明確な解釈が難しいのが現実です。

あらためて岩見沢市に当てはめてみると、幅員5.5m未満の道路は通常、道路標識等による中央線が設置されていないため、今回の30km/hへの引下げ対象となる道路が多いと考えられます。

ただし、今回の改正は「幅員5.5m」を直接の基準としているわけではなく、道路標識等による中央線や車両通行帯の有無などによって判断されます。したがって、幅員が5.5m以上ある道路であっても、対象となる可能性があります。

この点について参考になるのが、以下の国会での答弁です。

令和7年5月14日の衆議院内閣委員会での質疑の様子です。

ここでさらに難しいのが、「農道等については、幅員が広いものの中央線がないものや、センターラインがあっても道路交通法上の中央線に該当しないものもある」と説明されている点です。

なお、道路管理者が道路法に基づき正式な「車道中央線」として設置した区画線については、法令上、道路交通法の「中央線」とみなされます。したがって、「市が引いたセンターラインだから対象になる」という単純な整理ではないようです。

一方、農道等に表示されているセンターラインの中には、法令上の「中央線」に該当しないものも存在することが国会答弁で明言されています。

つまり、一見すると同じセンターラインが引かれていても、それが法令上どのような位置づけの線なのかによって、法定最高速度が異なる可能性があるということになります。

この度、新たなルールができてしまった以上、そのルールを「守らなくても捕まらなければ良い」というものではなく、やはりしっかりと認識することが必要だと考えています。

その様なことから、この度の一般質問では、急遽この項目を追加して、昨日通告を済ませました。

何事もなければ9月11日(金)の午後から登壇となる見込みです。

ちなみに、農村部にある道路には、「市道に認定されている路線」と「土地改良法等に基づく農道(広域農道・幹線農道など、道路法上の市道ではない道路)」の双方が存在します。

①そこで、市内にこの改正の対象となった道路はどれぐらいあるのか。

②また、国会議事録でも、「実態と合わず、この度の法定速度の対象とすることが適当でないものについては、今後、交通実態等を踏まえた速度規制を実施する必要がある」と答弁されていることもあり、市としても何かしらの対応を行っていくのか?

ということが今回の質問のベースになります。

市民にわかりやすいルールになるのか?という面は非常に重要な観点の一つであるとも考えています。


「最良の政府とは、最も統治することの少ない政府である」
That government is best which governs least.

という言葉がありますが、「良い社会とは、ルールが多い社会ではなく、少ないルールでも秩序が保たれる社会である」という考え方はとても大切だと思っています。

人命は何よりも優先される価値があるものと信じています。
その一方で、全国一律の基準をまず適用し、地域の実情に合わない道路については後から個別に速度規制を見直していくという制度設計が、本当に最も合理的なのかという疑問も感じています。

あらためて「報徳仕法」に触れる機会が増えてきたような気がします。

〈令和8年9月1日投稿〉

9月の第3回定例会では、一人会派になったがゆえ、一般質問の持ち時間はわずか20分と非常にタイトになってしまいます。しかしながら、その持てる時間を最大限に活用し、大項目で5つ、中項目で14の質問を組み立てました。その内容については、また後日紹介させていただきます。


さて、色々なまち歩き的なガイドをやっていると、「報徳仕法」という言葉に接することが多々あります。岩見沢周辺では辻村直四郎氏や小林篤一氏などが思い浮かびます。

これは、言わずとしれた二宮尊徳(金次郎)の教えということになりますが

二宮尊徳が実際に実践し説いてきたことであり、江戸時代後期に、荒れた農村や財政難の藩・村を立て直すために行った「地域再生・経営再建の方法」の手法と表現できると思います。

私自身、恥ずかしながら上辺の情報しか知らない状況ですが、ひと言でいえば、

「今ある条件を直視し、身の丈に合った暮らしと経営を行い、余力を将来のために回しながら、地域全体を立て直していく仕組み」と考えています。

中心になる考え方は、主に4つ。

【至誠(しせい)】
誠実に取り組むこと。ごまかさず、現実を見ること。

【勤労(きんろう)】
自分にできる仕事をきちんと行い、価値を生み出すこと。
単なる「働け」という精神論だけではない。

【分度(ぶんど)】
「自分たちの収入や生産力はどの程度なのか」を把握し、その範囲内で支出するという考え方。現代風に言えば、「身の丈に合った財政運営」、「持続可能な予算」となります。

【推譲(すいじょう)】
分度を守って生まれた余剰を、自分だけで使い切らず、将来や他者、地域のために回すこと。例えば、農地改良や困窮者支援、次の生産の元手に活用することです。


このように「報徳仕法」を改めて考えてみると、現代の縮小社会において、非常に重要な示唆を与えてくれます。

どうしても「イマダケカネダケジブンダケ」が蔓延りがちな現代、今一度、自分たち一人ひとりがこのような観点で暮らしを見つめ直すことが必要になってきていると感じます。

次回、少し長文で投稿しようと思っていますが、今後益々日本全体が立ち行かなくなる中で、改めて報徳仕法の「至誠」「勤労」「分度」「推譲」という言葉に重みが増してきます。

残念ながら、社会全般では一般受けする考え方ではないかもしれませんが、私自身は、このような思想こそが重要だと信じ、襟を正していきたいと思う次第です。